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【case5】綺麗事

新人教育にふさわしい客が来てくれ、と鬼頭は祈っていた。

どんな依頼人が来るかは会ってみるまでわからない。申込時の文章がきちんとしてたり、年齢がそれなりに高かったりすれば常識人が来る可能性は高い。地雷案件はパターンが決まってるので避けようと思えば避けられるが、実際の人となりは会ってみなければわからない。

瀬田博樹はぱっと見では、まともそうな人だった。

猫背でくすんだ色の着ていたし、陰気そうではあった。駅のホームに一人でいたらふらりと落ちてしまいそうな雰囲気だったので、友達になりたいタイプではないだろう。

だが死にたがってる人が底抜けに明るいなんて、そうある話ではない。期待を捨てずに鬼頭は店に向かった。

予約は黒瀬がしてくれていた。教えてもらった住所に行くと、女性向けの雑誌にでも載っていそうな洒落た喫茶店だった。

『お茶の値段なんて大して変わらないんだから、少しでもいい店に連れていくのよ。雰囲気のいいところで美味しいものを口にすれば、気分が上がって色々話してくれるようになるから──』

前にそう語っていただけあり、予約されてたのはオープンテラスの良さげな席だった。席の間隔は程よく離れており、そよ風が木々を揺らす音が心地よかった。

依頼人の年齢を考えると緊張させるかもと思ったが、不要な心配だった。

瀬田は美しいカップに注がれた珈琲や繊細に飾り付けられたショートケーキが運ばれてくると目を輝かせた。彼はこんな店には来たことがないと言い、ケーキを一口食べて深くため息をついた。店の雰囲気も味も全身で味わって、感極まっている様子だった。白木もリラックスしてケーキや紅茶を堪能してたので、出だしは悪くなさそうだった。三人は天気の話をしたり仕事の話題を交えながら、しばし雑談に興じた。

瀬田は八十過ぎの父親と和菓子屋をやっていると言い、地元にも洋菓子店はあったものの随分前に潰れてしまったと話す。

話題が安楽死を希望する理由へ移ると、瀬田は珈琲で口を湿らせて、助走するように息を吸い込んでから、ぽつりと零した。

「……いい人そうに見えたんですよ」

彼はカップに注がれた珈琲の表面を眺めながら言う。

「若い男で、誠実そうだったんです。カフェをオープンするからうちの商品を使わせてほしいって言われて、嬉しかったんですよね。うちの地元は若い人も少ないし年寄りばっかだし、洒落た店のひとつでもできれば活気づくと思ったんです。そりゃ不安もありましたよ。こんな土地でやってけるのかって思ったけど、それ以上に期待しちゃったんです。うちの和菓子を是非使いたいって頭を下げられて、地域を盛り上げたいって言葉を信じちゃったんです」

それで出資しちゃったんですよねえ、と瀬田は苦い顔をする。

「騙されたって気付いたのは店を見に行ったときでした。建設中の写真とか動画が送られてきて安心してたんです。捏造したものだったんでしょうね。開店間近になって、手土産を持って挨拶に行ったら、だだっ広い土地になーんにもなかったんです。電話は繋がらないしメールにも返信はないし、そこで初めて騙されたんだって知ったんです。おめでたいですよね」

ははっ、と瀬田は虚ろに笑って空を見上げた。視線の先には雲一つない爽やかな青空が広がっている。

対照的に、鬼頭の気分は重かった。

今のところ新人に任せてうまくいきそうな雰囲気ではなかったし、自分の祈りは神に聞き入れてもらえなかったらしい。隣で白木がどんな顔をしてるか心配になった。

「騙されて悔しいのはもちろんですが自分はまだよくて……落ち込んでるのは親父のほうなんです。出資を決断したのも親父だから責任感じちゃって。それで、安楽死はどうだろうって話が出て。……こういった事情なもんで、店を続けるには死んででもカネを調達するしかないんです。親父は店番してるので代理で自分が来ましたけど、本気で、やるしかないって考えてるんです」

瀬田は姿勢を正すと、鬼頭らに向かって深々と頭を下げた。

「どうか親父を死なせてやってください」

なるほど、と曖昧に返事をしつつ、鬼頭は隣の様子を探る。白木は感情移入し過ぎたようで、この世の終わりのような顔をしていた。


※   ※   ※


事務所に戻ると誰もいなかった。空っぽの室内は空気が澱んでたので、鬼頭は部屋中の窓を開けて換気した。

ぽすん、とソファーのほうから音がしたので視線を向けた。白木は横になって、ぴくりとも動かなかった。鬼頭はポットの湯で緑茶を煎れると、湯呑をテーブルに置いてやる。彼女の目は虚ろで亡霊のようだった。ありがとうございます、とか細い声で礼を言われたが、起きる気配すらなかった。

テーブルの周囲には山田が投げ捨てたであろう菓子の袋やペットボトルのゴミが散らかってたので、鬼頭はそれらを片付ける。

スマホの着信音が鳴った。


『ごめん。陽性だった。A型だって。ホントにごめん。

山田君にも引継ぎの資料送っとくから後はよろしく。』


白木のほうを見ると、彼女もスマホを出して黒瀬からのメッセージを読んでるところだった。

「やっぱり季節外れのインフルエンザだったんですね……」

弱々しい声でそう呟いた。

黒瀬から熱が出てダルいから休むと連絡があったのは今朝のことだ。感染症だったら大変ですね、と白木と話してたのが当たってしまった。このタイミングでか、と鬼頭は密かに呪った。

『白木も馴染んできたし、ご新規さん一人で担当してみよっか!』

と黒瀬が言い出したのは一週間前のことだ。

鬼頭はまだ早いと思ったし、一年くらいはサポートに回ってもらって経験を積ませようと提案したが、冷たい視線を向けられ『……過保護』と吐き捨てられた。

その後、話し合ったものの、『わたしがサポートするし一からやることで得られる経験値は大きいからさ』と強引に押し切られてしまった。

その結果がこれだ。

今日の依頼人は本来なら黒瀬が付き添いをする予定だった。このタイミングで感染症となると、当面は鬼頭が面倒を見ないといけないだろう。彼女が担当してる仕事にしても、山田ひとりで捌ききれるわけもない。鬼頭もいくらか引き受けなければならなかった。

しかも黒瀬は一週間後にバリ島に行くので長期休暇を取っていた。あの性格からしてキャンセルはしないだろう。体調不良が悪いとは言わないが、山積みの仕事を考えると釈然としないものがある。

「早くよくなるといいですね」

黒い感情を持て余してると、白木が言った。

彼女はやさしく微笑んでおり、かけらも悪意を抱いてなさそうだった。自分の性格の悪さを突き付けられたようで鬼頭はちょっと落ち込んだ。

「熱があったら買い物も大変だし、帰りにお見舞いに行ってみますね。同性なら抵抗も少ないと思いますし。ゼリーとかレトルトのお粥とか、スポーツドリンクなんかがあればいいのかな……」

よしっ、と声を出すと、白木は立ってやる気を取り戻す。だがすぐに先の件を思い出したのか、空気が抜けたように座り込んだ。

「瀬田さんの件はどうしましょうか。あまりいい依頼じゃなかったですよね……」

クソみたいな依頼、と言わないところに品性を感じた。

新人にやらせるなら穏やかな老婦人がひっそりと人生を畳むような案件が好ましかったが、よりにもよって最悪の後味になりそうな依頼を引き当ててしまった。

先程の話は死を望んでるというよりは、命と引き換えにお金を遺したいという目的が先にあった。当然好ましくないし、残すものに価値があるかも疑問だった。

瀬田一家の和菓子屋は地方にある古い店だ。

商売相手は主に地元客で、催事用の菓子や法事の供え物、鏡餅などを卸しており収入は安定している。だが店は観光客が来るような土地にないし目玉になるような商品もない。若者の数も少なく、人口は減り続けてるので先細りになるのは目に見えている。

そんな店が仮に続いたとして、潰れるのが早いか遅いかという違いに過ぎない。であれば、そんなもののために命を懸けるのは馬鹿げていた。

店に関わってるのは先代の瀬田銀二と、現店主の瀬田博樹だけで他にいない。彼らの配偶者は病気と事故でともに他界している。息子は都内で就職したため店がなくなったところで生活に影響はない。潔く店を畳んで、違う土地で新しい仕事でも始めたほうが死なずに済むし確実だろう。

即決しても良かったが、もう少しだけ待ちたかった。

「ひとまず本人から話を聞きましょうか。家族の話を鵜呑みにするわけにもいきませんし、銀二さんがどう考えてるかも聞きたいですから」

「すぐには断らないんですか?」

率直に白木が尋ねた。気持ちはわかるが。

「断ってもよそに行かれたら意味ないですよ。単に和菓子作りを続けたいなら他にも方法はありますし、それを提示してからでも遅くはないです」

その説明に納得したのか、白木は頷いた。それから考える素振りを見せて、ぽつりと零した。

「……死ぬのが目的じゃないなら、助けてあげたいですもんね」

ナイーブな感想だったが、鬼頭も同じように思っていた。


※   ※   ※


駅前の喫煙所は空いていた。通勤時間から外れていたため、スーツ姿のサラリーマンや作業着の男がちらほらいるくらいだった。

鬼頭は煙草の煙で肺を満たすと、ゆっくりと口から吐き出す。その場にいる誰もが死んだような目をしていたし、自分もそうだと自覚していた。この中に煙草の有害性を知らない者はいないだろうが、この生産性の欠片もないゴミみたいな時間のおかげで正気を保って社会生活を営めるのだ。健康診断のたびに医者から嫌味を言われるとわかっていてもやめられなかった。

だらだらと三本吸って深いため息をつくと、消臭スプレーで匂いを消し去り、指定された店へと向かう。

瀬田銀二との待ち合わせはドーナツ店だった。先方がそこを指定したのだった。

平日の午前ということで店は幼児を連れた母親や暇を持て余した老人たち、若いカップルなどで賑わっていた。窓からは淡い光が差し込み、笑い声があちこちから聞こえた。

白木は既に席に着いてるようだったので、鬼頭はカウンターで珈琲を注文すると彼女の元に行く。

「お待たせしました。瀬田さんは──」

詫びを入れた途端、白木は人差し指を立てて、しーっという仕草をする。視線の先には背広を着た老人がいた。

彼のトレイにはたくさんのドーナツが並んでいた。抹茶クリームに桜あん、わらびもちドーナツなどの期間限定商品に加えて、子供向けのキャラクタードーナツまでもが乗せられていた。

「……見ててください」と白木がささやく。

老人はそれらを一口食べるとノートにメモをして、水を飲み、また別のを食べるという素早い動きを繰り返していた。楽しげな店内において、一人だけ熱心に甘味の研究をしているみたいだった。

「あれをずっと繰り返してるんです。邪魔しちゃいけません」

熱をこめて言われたので、鬼頭はおとなしく従った。

やがて老人はすべてのドーナツを食べ終えると、トレイを持って立ち上がった。返却口を探すように店内を見渡したところで鬼頭らと目が合う。時計を見ると顔色を変え、慌ててトレイを片付けてやってきた。小柄だが肌艶の良い、エネルギッシュな爺さんだった。

鬼頭がぎこちない笑顔を浮かべて挨拶すると、深いお辞儀で返された。

「こりゃ失礼しました。すっかり時間を過ぎてましたな」

老人は鬼頭らの席に座ると改めて頭を下げた。

「瀬田銀二と申します。この度はお時間を作っていただき、誠にありがとうございます。こんな年寄の頼みを引き受けてくださるとは……」

慌てて鬼頭は頭を上げてもらった。

「まだ確定ではありません。先日は息子さんからしか話を聞けなかったので、ご本人からもお話を聞ければと思いまして」

「受けてくださらない?」

「ですからまだ未定でして……」

「銀二さんはドーナツがお好きなんですか?」

白木のフォローに銀二は大きな声で答えた。

「嫌いです!」

店内の視線がさっと向く。

「あんなにたくさん食べてたのに……?」と白木が小声で言ったせいか、矛先が彼女に向く。

「お嬢さん。和菓子にあって洋菓子にはないものが何かわかりますかな?」

「べ、ベーキングパウダー?」

「愛ですよ。愛」

銀二は真剣な眼差しで告げた。

「洋菓子には愛が入っておりません! 大和魂が欠けているのです! 証拠にドーナツを見てご覧なさい! 真ん中に、なんと、穴が空いている!」

わけのわからないことを言う老人に耐性がないのか、白木はぽかんとしていた。

「穴が開いてるとまずいんですか?」

「餡を入れられないでしょう? 供え物としても不完全です。真ん中に穴の開いたものを神様のお供え物に使えますか? バチあたりにも程がある。色だってよろしくない。土の色をした食べ物を神前に出せますか? 祭事に用いるのなら白や桜色でなければ!」

「チョコレートでコーティングすれば色なんて……」

「流石です。我々のような素人からは出てこない発想です」

白木が地雷を踏みかけたので、鬼頭が代わりに答えた。

「わかるのですか?」

「はい。……ドーナツなどは所詮、実用性一点張りの甘味ですから。歴史と文化的背景のある和菓子と並んだつもりとは笑止千万です」

「そこまでは言ってない」

銀二の返答に、鬼頭は裏切られた気持ちになる。

「い、色々と試してらっしゃるんですよね。コンテストに出したりとか」

白木が引き攣った笑顔で、めげずに声をかける。

「息子さんから聞きましたよ? ご高齢なのに色んな創作和菓子を作って、色んな賞に応募してるって。すごいですよねー」

「別にすごくはない。歳とるとアタマが固くなるので、ボケ防止のためにやっているだけです」

「亡くなったら、それも出来なくなっちゃいますよ?」

話が急旋回していきなり本題に入った。遠回りすると延々続きそうだったので仕方なかった。

鬼頭も慌てて言葉を添えた。

「瀬田様は和菓子作りに真剣に取り組んでおられるのですよね」

ええ、と銀二が重々しく答える。

「だとすれば店にこだわらなくても別の方法がありませんか? 瀬田様ほどの情熱があれば、欲しがるところはあるはずです。繋がりや人脈が不足してればご協力させて頂きます。安楽死を考えるのはそちらを検討した後ではいけませんか?」

取りようによっては店を潰せとも聞こえる発言だったし、実際そうしてほしいと思っている。

案の定、銀二は気分を害したように、不満げに告げた。

「わたしは店を残したいのです」

銀二は目を閉じると、ふーっと息を吐き出した。

「おっしゃりたいことはよーくわかります。色んな人に否定されましたよ。命を粗末にするもんじゃないだの、命に代えて守るようなものではないだの、散々言われました。わたしだって、頭ではわかってるんです。ほとんどの人にとって、和菓子は毎日食べるようなものじゃない。店が消えたところで困る人は少ないでしょうな。でもわたしは残したいんです。

ふらっと立ち寄って大福を買うも良し、どこかへ挨拶に行くときの菓子折りを買うも良し。そうした町の営みの一部に、和菓子があったほしいんです。老人の我が儘と言われればそうですが、こんな考えは持ったらいかんのですかね」

「お気持ちはわかります。ですが──」

「確実では、ないですよね」

言葉を遮るように白木が言う。手を、固く握っていた。

「まとまったお金が用意できたとして、それでもお店が潰れるかもしれません。それにこんな死に方するなんて、人には言えませんよね? 銀二さんがどんな想いで決断したかを知る人は家族以外にいないんです。普通なら亡くなる前に、お世話になった人たちとお別れの挨拶をします。でもこんな形で終わらせたら、親しかった人と言葉を交わすこともできません。……それでもやりますか?」

「覚悟はできております」

即答だった。この程度の助言でやめるくらいなら初めから来てないだろうし、当然と言えば当然だった。白木はそこからどう話を続けるかまでは考えてなかったらしく、黙り込んでしまった。

銀二もそんな反応をされて悪いと思ったのか、湿っぽい空気を吹き飛ばすように笑ってみせた。

「長生きは年寄りの義務ですかねえ」

皮肉ともとれる発言に、鬼頭は「難しいですね」としか答えられなかった。


※   ※   ※


面談を終え、二人はファストフード店で早めの昼食を取っていた。

お断りしましょうか、と鬼頭が言うと、白木はチーズバーガーを手にしたままうなだれた。

「……やっぱりそうなっちゃいますよね」

「元々の予定通りです」

チキンサンドにかぶりつきながら、鬼頭は答える。

「黒瀬さんがいないので、今回は受けるかどうかも微妙だったんです。何か新しい情報が出てくるようなら考えましたが、そういったものも無かったですし。カネのために死ぬなんて後味が悪いし、死んだ後に店をどう立て直すかも考えてないようでしたから。事が済んだ後に逆恨みされたら、たまったもんじゃないですよ」

今の説明で過不足はなかったはずだが、白木はすっきりしない様子だった。

「うちが断ったらどうなるんでしょう?」

「よそに相談に行くだけです。前にも言いましたよね」

でも、と白木は躊躇いがちに口にした。

「うちで九件目って言ってましたよね?」

鬼頭は目を逸らした。

既に他にも相談してそうな話しぶりだったのでそれとなく訊いたところ、銀二がそう答えたのだ。前の八件には全て断られたと。

「引き受けてくれるところが見つかるまで探し続けるんでしょうか……」

「それは我々が考えることではありません。どこかの誰かがやれば済む話です」

「……詐欺とか、大丈夫だと思います?」

嫌な質問だった。どこでそんなことを知ったのだろう。

「黒瀬さんが前に話してたんです。大金が動くところには法的にグレーな連中が必ず湧くって。安楽死は補助金の計算とか大変だし、数字をでっち上げても知識がないとわからないですから。……今回みたいなケースだと悪質なコンサルと手を組んで搾り取るとか、普通にありそうですよね?」

「ないとは言い切れません」

「……わかってて見捨てるんですか?」

「落ち着きましょうよ」

うんざりといった調子で鬼頭は返す。

「白木さんは依頼を受けたいんですか? 瀬田さんに死んでもらいたいと?」

「それは……」

「受けるなら結局そういうことになります。でも白木さんは死んでもらいたいわけでもないんですよね? だったらあれこれ口を挟む筋合いはないでしょう」

「死ぬ以外の解決法はありませんか? お金の問題だったらやりようはありますよね。地域の人も協力的なら、頑張ってどうにか……」

「そういうのを考えるのは家族や親族の役目です。我々部外者は安楽死のサポートをするだけで、それ以上は踏み込みません。この前の一件で懲りてほしかったんですが、まだ足りませんか?」

言い方がキツかったせいか、白木は委縮したようにうつむいた。

鬼頭がポテトをコーラで流し込んでると、彼女は呟いた。

「……詐欺に遭ったら何も残さず死ぬことになりますよね」

問いかけというよりは独り言のようだった。

鬼頭が返事をせずにいると、それを無言の肯定と受け取ったらしい。顔を上げ、語気を強めて言った。

「だったら、やります。誰かがやらなきゃいけないなら、わたしがやります」

「いや、あの……」

勝手に決めないでほしかった。

「サポートに回れないんです。余力がないんです。黒瀬さんがいないから。そういう状況で厄介事に関わってほしくないんですが」

「大丈夫です。……一人でやってみせますから」

白木は意固地になった子供みたいに言う。

鬼頭はどっと疲労が増すのを感じた。

熱意があるのは結構だが、それですぐに仕事を回せるようになるわけではない。少し考えればわかりそうなものだが、冷静さを失っているようだった。

「店を存続させる手段を見つければいいんですよね! 期限を設けて、それまでに経営を立て直す方法を見つけてみせます。鬼頭さんにご迷惑はかけませんので!」

白木はふてくされた態度でフォークをサラダに突き刺した。

無理にでも止めようかと思ったが、たぶん無駄だとすぐに悟る。下手に説得して、いつかのように裏で動かれるほうが迷惑度が高い。堂々と動いてくれれば、少なくともトラブルの際に対処できる。

何より、鬼頭が万全の状態で瀬田一家と会っていれば、ブツブツ文句を言いながらも引き受けていた気がするのだ。

「……今回だけですからね」

低い声で言うと、白木の表情がぱっと明るくなる。

「手伝ってくれるんですか?」

「……不本意ですが」

「ありがとうございます! わかってくれるって信じてました!」

一転、上機嫌になって調子のいいことを言う。

白木はチーズバーガーとサラダを素早く平らげると、ドリンクを一息に飲み干した。同じタイミングで鬼頭も食べ終わる。

「じゃあ帰りましょうか。戻ったら銀二さんに連絡です!」

意気揚々と白木は立ち上がる。鬼頭もそれに続いてトレイを片付け、重い足取りで店を後にした。これからのことを思うと、今すぐ胃薬でも買いに行きたかった。


※   ※   ※


最初の面談から一週間後──。

鬼頭らは駅前の貸会議室で、瀬田親子と向かい合っていた。

銀二は最後の書類に印鑑を押して差し出した。白木はそれを受け取ると、記入漏れがないかを確認する。

瀬田親子にとっては念願の契約のはずだった。にもかかわらず浮かれた様子はなく、博樹も銀二も表情が固かった。

「緊張されてますか?」

鬼頭が声をかけると親子そろって頷いた。

「何度も断られて、ようやく引き受けて下さるところが見つかったので。まことにありがたい限りです」

銀二が頭を下げる横で博樹が卑屈っぽく笑った。

「ここもダメならまた新しいところを探そうって話してたんですよ。感触がよくなかったから……」

「こらっ。失礼だろう!」

銀二が怒るのをなだめつつ、鬼頭は一応フォローしておく。

「引き受けなかった事務所が悪いわけではありません。安楽死で重要なのは依頼人をむやみに死なせないことですから。他に死なずに済む方法がありそうだから、どこも断ったのだと思います」

「いろんな事情があるんですなあ」

白木は記入の漏れがないのを確かめると「バッチリですね」とにこやかに言う。契約書を鞄にしまい、彼女は姿勢を正した。

「安楽死の手続きを進める前にお伝えしておきたいことがあります」

親子は揃って不思議そうな顔をした。

「依頼は引き受けますけれど、お金を遺して終わりというわけにはいきません。……言いにくいですが、このままだと遅かれ早かれ経営は立ち行かなくなります。亡くなった後にどうやって存続させるかを考えてから、手続きを進めましょう」

「……存続?」

「和菓子屋の件です。ざっと調べましたけどSNSはやってませんよね? ネットショッピングもやってないみたいですし。今の時代なら立地が悪くてもアイデア次第でやりようはあるはずです。そちらのほうを改めて考えてみませんか?」

熱をもって語りかけるも反応は薄かった。

博樹が何か耳打ちすると、銀二は合点がいったようだった。

「店の心配をしてくださってるわけですか」

今さらなことを言うと、銀二は世間話でもするように続けた。

「店は潰れても構いません。一日でも長く続けたいという気持ちはありますが、それ以上は望みませんので」

えっ、と白木はこぼした。鬼頭も少なからず驚いた。想定にない返答だった。

「時代の流れがわからんほど耄碌はしておりません。このご時世にこれといった特徴もない町の和菓子屋が長く店を続けるなんて、どだい無理な話ですから」

「……本当にそれでいいんですか?」

はい、と銀二が頷くと室内にぎこちない空気が流れる。

「せっかく、その……命を投げうってまで店を続けさせるのに。終わっていいだなんて、本当に後悔はないんですか?」

「覚悟はできております」

「でも──」

「どうしてそんなに店のことを気にするんですか?」

博樹が横から口を挟んだ。

「今のままじゃ何かまずいんですか? 安楽死の予定が狂うとか」

「そうじゃないですけど、何というか、少しもったいないと感じてしまって……」

「地元がどういう状況かは俺も親父もわかってますから。現実を知ってれば高望みする気にもなれませんよ」

博樹は苦笑し、ふと何かに気付いたように訊いた。

「……コンサルを紹介したいとか言い出しませんよね?」

唐突な問いに白木は戸惑いの表情を浮かべる。

それを悪い方に受け取ったのだろう。博樹は完全に真顔になる。

問いを重ねたりはしなかったが、白木と鬼頭を順に見て、口元に手を当てる。思考を巡らせる様子から不穏さが漂った。

白木はどういうことなのか掴み切れていないようだった。

「ごめんなさい。あの、何の話ですか? わたしは純粋にお力になれればと思って……」

「そこまでする理由がありませんよね。こっちは特別なことはしなくていいと言ってるんです。なのに押し売りみたいに経営に口を出そうとするなんておかしいですよね」

強い口調で言われて、白木は何も返せなかった。

鬼頭はそれを横目で眺め、あえて口出しはしなかった。事前に決めていたのだ。話し合いは白木に任せて、彼はあくまで補助に回ると。助けを求められれば応じるが、それまでは静観するつもりだった。

「……この件はもういいですよ。店をどうするかはこっちで決めます。今まで通りをもう少しだけ続けられれば十分ですから。そのための資金さえ調達できれば──」

「本当に潰れてもいいんですか?」

話が纏まりかけたのを白木が潰した。

博樹は露骨に嫌そうな顔をする。板挟みになってるのだろうと鬼頭は思った。このまま安楽死を進めたい気持ちと猜疑心がぶつかっているのだろう。ここに至るまでの苦労を考え、かろうじて前者が勝ってるような状態だろうか。

先方の要望通りにすれば、これ以上は話がこじれずに済む。

そのくらいはわかるだろうに、白木は下がらなかった。

澄んだ瞳で真っ直ぐに相手を見つめ、はっきりと告げたのだ。

「わたしは良い終わりを迎えてほしいんです」

綺麗事を口にすると、今度は銀二に問いかけた。

「銀二さんは本当にお店がなくなってもいいんですか?」

銀二は黙って頷いた。

白木は即座に問いを重ねた。

「だったらどうしてドーナツを食べながらメモなんて取っていたんですか? 分析して、役立てるためじゃないんですか? 新しいものを作りたいとは、思ってないんですか?」

追求され、銀二は答えに窮する。

「将来のために種を撒いてみませんか? コンサルが嫌なら、わたしが手伝います。このまま終わらせたら、笑って終わらせられない気がするんです。そう簡単に上向きになるとはわたしも思ってません。でも少しでも可能性を残せるように、あがいてみるのは駄目ですか?」

「あんたは頑固な人だなあ」

むっつりした態度で銀二は言う。

「けども熱意は伝わった」

ぱんっ、と太ももを叩くと銀二は大きな声をあげた。

「そこまで言うならあんたに全部任せようか」

父さん、と博樹が苛立だしげに声を掛ける。

「……どうしてそんなすぐ信じちゃうんだよ」

「目を見ればわかる。この人は嘘は言ってない」

「あんたそうやって騙されたんじゃないか!」

「あのときとは違うっ」

「なんでそんなに断言するんだよ! 根拠はどこだよ!」

「ごちゃごちゃぬかすなっ。女の腐ったようなことをぐちぐち言ってないで男ならすぱっと決めろっ」

「だけど──」

「取り下げはいつでも可能です」

不毛な言い争いになってたので、鬼頭は割って入った。

「もし様子がおかしいと思われるなら、いつでもキャンセルして頂いて構いません。それを踏まえてお聞き下さい。

そもそも今回の件はこちらから声をかけたわけではありません。博樹さんの心配はごもっともですが、順序を考えれば詐欺などの可能性が低いのはおわかり頂ける思います。初めからそのつもりなら、こちらから声をかけるのが自然ですから」

鬼頭はそこで言葉を区切った。

博樹も冷静になったのか、納得したように頷いた。

「加えて、普通はバゲットリストという死ぬまでにやりたいことのリストを作るんです。心残りがないようにしないと死を迎えたときに後悔が残りますし、周囲も安楽死を受け止められなくなります。これ博樹さんが気にされていた、”関わる理由”です」

淡々と述べ、鬼頭は作り笑いを浮かべた。

「どうされます? 一旦持ち帰って考えるのもいいと思います。一刻を争うような状況でもないですから」

「……持ち帰って、改めてやると決めたときに断られることはないですか?」

試すような問いには、白木が答えた。

「大丈夫です。多分、今よりは余裕がありますから」

言い方が引っ掛かったのだろう。博樹が説明を求めるように鬼頭に視線を投げかける。

「実はいま、欠員が出てるんです。今回の依頼も受けるかは微妙だったんですが、彼女がどうしてもというので引き受けることになったんです」

その言葉を受け、博樹は白木に向き直り、それから気まずそうに俯いた。しばらく考える素振りを見せた後で、絞り出すように言葉を発した。

「……失礼なことを言ってしまって、すみません。前に色々あったせいで警戒してしまって……。父も納得してるみたいだし、どうか、よろしくお願いします」

申し訳なさそうにする博樹に対し、白木は励ますように言った。

「安心してください。決して悪いようにはしませんから!」

詐欺師の常套句のような台詞が滑稽で、男性陣が揃って苦笑する。固かった空気が少しだけ和らいだ。

そうなるよう意図したものだったのか、白木は嬉しそうに両手を合わせた。

「早速ですけど、新商品について話し合ってみませんか? 銀二さんはノートに色々書き込んでましたよね。売り方はまた後で考えるとして、どんなアイデアがあるのか、お聞きしたいです」

話題が和菓子のことになると、銀二は饒舌になって語りだす。博樹も話に耳を傾け、ときおり鋭い指摘を飛ばしていた。



その日から白木は瀬田一家と連絡を取り、コンサルの真似事を始めた。

必要なのは店の看板となる商品で、それを創り出すのが存続の絶対条件だ。理想は地元の特産品を使った和菓子で、町全体が潤うような商品が望ましい。それを創作和菓子のコンテストに出し、入賞を目指すのを当面の目標とした。

むろんこれは結果が出るまでに時間がかかるので、既存の商品でイベントに出店したり、SNSで店の認知度を上げなければならなかった。和菓子屋のチャンネルをつくり、製造の現場を撮影したり、歴史やうんちくを語ったり、家で手軽に作れる和菓子の紹介などをすることにした。

一方、鬼頭は黒瀬の抜けた穴をカバーしなければならなかった。山田も働いていたが相性の悪い客はどうしても出てしまうので、それらは鬼頭が担当した。

瀬田銀二の安楽死の手続きも、空いている時間で進めた。

適用除外の関係で、健康状態の把握は優先して行わなければならなかった。人間ドックや各種検診で癌などの有無を調べて、大病がないことを確かめなければ安楽死は行えない。本来なら手間と時間を要するが、前に相談したところで先に提出を求められたらしく、それを使い回すことができた。

また今回の安楽死は特殊なので、誰にどこまで事情を明かすかは慎重に考えなければならなかった。トラブルを避けるためにも親族には許可を取りたかったが、反発されるのは必至なので全員に知らせるわけにもいかなかった。最期の挨拶をするにしても、片手で収まる程度の人数にしてほしいと先方に伝えて、相手を絞った。

それ以外の親族や知人には脳卒中で亡くなったと説明することにした。

葬儀にかかる費用は極力抑えられるよう鬼頭の方で業者を選び、見積もりを出してもらった。

希死念慮の一貫性については、本来なら複数回の面談で行わなければならない。最低でも数か月単位の時間を要するものの、銀二は他の事務所での相談の記録があったので、それを一時的な希死念慮でないことの根拠とした。正規の方法ではないものの、急いで手続きを進める場合には暗黙的に行われているやり方だった。

これにより事務的な手続きがごく短期間のうちに終わらせられた。すぐにでも死なせられる状況が整ったので、あとはどう銀二を説得するかだった。

彼は経済的な要素がなければ死にたいとは思ってない。

であれば、手を尽くして止めるのがエンディングプランナーとしての責務だった。

和菓子屋の経営を立て直せれば説得の材料になる。白木が成果を上げられればいいのだが容易ではないだろうし、別の方法を考えておく必要があった。

現実的なのは町の人間と話して、外堀から埋めていくやり方だろう。誰もそこまで望んでないとわかれば店を畳むのに納得してくれるかもしれない。あるいは銀二らの新しい居場所を作って、生きたいと思わせるかだ。どっちにもハードルはあるし、簡単にはいかないだろう。

銀二の年齢を考えれば突然、体調を崩すこともありうる。その場合はよほど緊急の場合を除いて、病院の世話にはならずに安楽死を前倒しするつもりだった。厳密には適用除外に引っ掛かるかもしれないが、手続きは先に済ませてるのでやれないことはない。

銀二は満足して死を受け入れるだろうし、彼が大切にしてたものは守られる。次善の案として悪くはない。

ここまで条件を整えれば、生きるにしても死ぬにしても瀬田銀二が不幸になることはない。

その上で鬼頭らの要望を通すのだ。

どうにかする自信はあったが、何かもう一つくらい、説得の材料がほしい。

夜の事務所で、そんな風に鬼頭が考えていたときだった。

電話が、鳴った。


※   ※   ※


昼過ぎの事務所には気怠さが漂っていた。

食後のちょうど眠くなる時間帯で、皆の気も緩んでいた。鬼頭や白木はことあるごとに欠伸をして、山田に至ってはソファーで横になり、いびきをかいていた。

鬼頭が役所から差し戻しのあった書類を確認してるときだった。

事務所のドアがノックされた。

はーい、と気の抜けた返事をして、白木が対応にあたる。男の話し声がして、白木の調子が穏やかでないものへと変わっていく。鬼頭は扉の方を一瞥した。

そこには細い銀フレームの眼鏡をかけた男がいた。歳は二十代くらいで、細身のスーツ姿で菓子折りを手にしている。すらりとした立ち姿は頭脳労働に従事してるのが一目でわかった。実際、地方の国立大卒で、大手メーカーに勤務していると聞かされていた。

瀬田銀二の孫である、瀬田蒼汰だった。

白木がちらっと振り返ったので、鬼頭は入ってもらうよう身振りで伝えた。

蒼汰は室内に招かれると控えめに頭を下げた。

「……祖父が大変お世話になっております。瀬田蒼汰と申します。突然ですみません。少しお話をしたいのですが、よろしいでしょうか」

丁寧で物静かな態度だった。一見して敵意は感じられないが、アポなして事務所に来る時点で世間話が目的でないのは明らかだった。

室内に走った緊張を察してか、熟睡していた山田が目を覚ます。

すぐに来客に気が付き、鬼頭らの表情が固いのを見て取ると立って大きく伸びをする。ティッシュを数枚抜いて盛大に鼻をかみ、ついでに痰も吐き出すとゴミ箱に投げ捨てる。舌打ちすると煙草に火をつけ、「外回り行ってきまーす」とダルそうにいって出ていく。パチ屋で時間でも潰すのだろう。大負けしろと呪った。

蒼汰は奇妙な生き物でも眺めるように後ろ姿を見送ったが、本来の目的を思い出したのだろう。咳払いをして改めて言った。

「お話をしたいのですが、よろしいですか?」

ご案内を、と鬼頭に言われて、白木は客人をソファーへ案内する。先程まで山田が寝そべっていた席だった。蒼汰は衛生面を気にする素振りをみせつつ着席した。

鬼頭が率先してお茶の準備をしていると、後ろから囁く声がした。

「これってクレームですよね……」

ええ、と手を動かしながら小声で答える。

「なんでお孫さんが安楽死の件を知ってるんですか? 言わないはずでしたよね?」

「問い詰められたと話してました。たまたま彼が帰省したときに、博樹さんが試作品の味見をしていたらしくて。それで様子がおかしいのに気付かれたのかと」

「何で話しちゃうかなあ」

「蒼汰さんとも電話して、改めて話をしたいとは言われましたが、まさか乗り込んでくるとは……」

どうしましょう、と白木が不安げにしてたので、鬼頭は冷静に返した。

「こちらに落ち度はないので真摯に対応していきましょう」

白木には自席に戻ってもらい、鬼頭はトレイを持って蒼汰の元に行く。念のためお茶はぬるめにしておいた。安物のスーツが濡れるのはいいが、やけどは避けたい。

鬼頭が茶を出して席につくと、蒼汰は内ポケットに忍ばせていたボイスレコーダーをテーブルに置いた。液晶の数字が動いており、すでに起動しているようだった。

「……録音されてますか?」

「何か問題でも?」

あるに決まってんだろと思いつつ、ぎこちない笑顔でいいえと答える。

「突然ですみませんが、事実関係の確認をさせてもらいます。よろしいですね?」

鬼頭は頷いた。

「祖父の瀬田銀二がこちらの事務所に安楽死の依頼をしたと聞きました。それは事実ですか?」

はい、と鬼頭は答えた。

「契約は済んで、死ぬための手続きはもう進んでると父から聞いてます。それも事実ですか?」

「確かに進めております。和菓子屋を存続させるために纏まった資金が必要だったので、苦渋の決断をされました」

呆れた、とでも言うようにため息が返ってくる。

「父は反対しなかったんですか?」

「事情はすべて承知の上で、お爺様の意思を尊重しておられます」

「要は見殺しにしようとしてるんですね」

矛先を向けられた気分だった。汗で体中が湿るのを感じつつ、はい、とだけ答えた。

蒼汰は不機嫌さを滲ませて、声のボリュームを上げた。

「その死に様に納得しない人は多いですよね。その点はどうされるおつもりですか?」

「……ごく少数の親族には打ち明けますが、それ以外には秘密にする予定です。軋轢を避けるのを優先したいので」

「後ろめたさはないんですか? 隠れて、人に言えないような死に方をさせて」

「……安楽死には色々な意見があるのは承知してます」

「よくないという自覚があるなら何故、依頼を引き受けたんですか? 断ることだってできたはずですよね。今からでも止めればいいじゃないですか。こんな風に死ぬのはやめろって」

鬼頭は深々と頭を下げた。気持ちはわかるが、これだけは伝えなければならなかった。

「……申し訳ありませんが、決めるのは我々ではありません。いつどんな状況であれ、どういう死に方をするかはご本人が決めることです。ここで我々が断っても、おそらく別のところで再度、契約を結ばれるだけかと──」

蒼汰は舌打ちすると、頭を下げ続ける鬼頭を見下ろした。嫌な沈黙だったが、罵声を浴びせられたりはしなかった。彼はたっぷりと間を置いてから、改めて尋ねた。

「祖父はすぐに亡くなるわけじゃないですよね」

「……予定日まで猶予はあります」

「中途解約は可能ですか?」

「直前まで可能ですが、あくまで本人の意思表示が必要になります」

「わかりました」

蒼汰はレコーダーに手を伸ばし、録音を終わらせる前に、改めて宣言した。

「僕は祖父が亡くなるのには反対です。和菓子屋のためだなんて馬鹿げてるし、見殺しにする親も軽蔑します」

レコーダーを停めると彼は鬼頭に頭を下げ、白木の方にも一礼する。

「……お騒がせしました。失礼します」

彼は不服そうに挨拶すると事務所を後にする。

鬼頭は扉の前で蒼汰を見送るとため息をついた。ほんのちょっと話しただけなのに、徹夜明けみたいに消耗していた。

「思ったよりおとなしく帰ってくれましたね……」

「……ですね」

「でもあの人──本当は怒ってませんでしたよね。芝居がかっていたというか……」

その指摘に鬼頭は首をひねった。はっきりした敵意を向けられた気がしたが。

ともかく後は向こうの出方次第だった。

蒼汰はあの録音を誰かに聞かせるのだろう。その人が銀二を説得するにせよ、これまでの経緯を考えれば簡単には応じないはずだ。であれば怒りの矛先は再度、鬼頭らに向くだろう。

次に事務所に連絡がくれば今度こそ大きな騒ぎになるはずだ。


危惧した通り、それから三日後に瀬田銀二より電話があった。

だがそれは思っていた内容とは違った。

安楽死の依頼が突如キャンセルされたのだった。


※   ※   ※


黒瀬はローテーブルに紙袋を積み上げると、カラッとした笑顔を浮かべた。

「いやー、ごめんね! 迷惑かけちゃって!」

インフルエンザと旅行で二週間不在だったので久々の出勤だった。バリ島へダイビングに行ってただけあり、肌が健康的な色になっていた。

「お詫びに色々買ってきたからさー」

黒瀬はお菓子などの食品以外にも買い込んだらしく、お土産を各々へ配っていく。

鬼頭には伝統工芸品らしい木彫りの人形と、悪趣味なデザインの黄色いタンクトップが渡された。山田の分は外国の煙草の詰め合わせだった。パッケージには肺がんや咽頭がんの危険性を知らせるために、グロい肺の画像や、喉の穴から煙草を吸う爺さんの写真がプリントされている。「鬼頭さん、今度利き煙草やらない?」と誘われたので「おひとりでどうぞ」と丁重にお断りした。

白木の分だけ明らかに気合いの入り方が違っており、アロマ石鹸にリップバームに、美麗な細工のイヤリングなどが贈られていた。五秒で選んだような男性陣へのプレゼントと違って、相手のことを考えて選んだような品々だった。

にもかかわらず、もらった本人は死んだ魚のような目で地面の埃を眺めていた。

「あれ、好みじゃなかった? 白木にはいいやつ選んだつもりだけど」

「黒瀬さん……」

濡れた子犬みたいな瞳に庇護欲がそそられたのか、黒瀬はすーっと引き寄せられて頭を撫でてやる。呼応するように白木も腕を回して抱きついた。

「どうしたの? このボンクラどもが換気もしないで馬鹿みたいにタバコ吸ってたの? それとも一緒の空間にいるのが生理的に無理になった?」

違いますよお、と弱弱しい声で答えると、白木は瀬田銀二の一件を語った。

事務所でキャンセルの電話を受けたのは彼女だった。鬼頭の不在時に電話があり、依頼を取り消したいとだけ言われたという。事情を聞いても多くは語らず、後でかけ直しても取り合ってもらえなかったのだ。

時間が経てばいずれ立ち直るだろうが、つい昨日の出来事なので、さすがにまだ引きずっているようだった。

「やっぱり頼りないって思われちゃったんですかね。もう少し何かやれてれば違ってたのかな……」

契約時には根掘り葉掘り事情を聞くが、キャンセルの際はその限りではない。引き返すハードルが高くなり過ぎないよう、電話一本で解約できるようになっている。大抵は事情を話してくれるが、依頼人が口を閉ざせば詮索のしようがなかった。

「無くなった依頼なんだし別にいーじゃん。どうせ楽しくやってるよ」

「……山田さんって幸せな人生、送ってますよね」

「俺ぁ終わったことに執着しない主義なのよ」

山田がソファーに寝そべって煙草を吸い始めたので、白木は窓を開けに行った。

「鬼頭君はどう思ったの?」

急に話を振られ、鬼頭は黄色いタンクトップを眺めながら答えた。

「そりゃあ驚きましたよ。死なずに済んだのはよかったですが」

「じゃなくて。何したの?」

「え?」と声を出したのは白木だった。

「……なにを言ってるんですか?」

「だって。もともと死なせたくないような依頼だったんでしょ? 結果からみれば一番いい形で終わってるし、何もしないでこうなったとは思えないから。白木が知らないなら、鬼頭君が何かやったんじゃないかなーって」

「鬼頭さんは知りませんよ。ですよね?」

視線を向けられ、鬼頭は目を逸らした。

雲行きが怪しくなる。

黒瀬は不気味なほど優しい笑みを浮かべた。

「鬼頭君に秘密や隠し事が多いのは昔からだから、あれこれ言わないけどさあ。白木も関わってるなら信用なくす前に白状したほうがいいんじゃない? 少なくとも事後報告くらいはあったんでしょ?」

白木はおずおずと手を挙げ、改めて質問した。

「どうして銀二さんは急に依頼を取り下げたんですか?」

「和菓子屋が潰れたからです」

白木は首をかしげた。何を言われたのかピンときてないようだった。

「蒼汰さんが来たときに、ここでの会話をレコーダーで録音してましたよね」

「はい……」

「それを町内会の集まりで暴露したところ、すぐに噂が広まったんです。町にある主要な取引先から一斉に契約を打ち切られて経営が立ち行かなくなって、廃業が決まりました」

山田は煙草の煙を勢いよく吹き出すと、膝を叩いて爆笑した。

「なにそれ? なんでそんなことになってんの? サイコーじゃん!」

「どう考えても最悪ですよね……」

白木は青ざめていた。親しくしていた隣人がサイコパスだったときのような顔で鬼頭を見つめる。

純真無垢な人間にそんな反応をされ、少なからず傷ついた。換気扇の下に移動すると逃避するように煙草に火をつける。

「鬼頭君さあ。それはやりすぎじゃない?」

呆れた様子の黒瀬に、「……わたしは悪くないです」と返事をする。「ダメ人間の台詞だ!」と山田からヤジが飛んだ。

「こんなやり方するとは思わなかったんですよ……」

頭を抱えて、鬼頭はこぼした。もはや言い訳にもならなかったが、あの日、何があったかを打ち明ける。

最初の電話は瀬田博樹からで、たまたま帰省していた息子に安楽死の話をしてしまったという相談だった。

数時間後に今度は蒼汰から電話があり、祖父の死を止めたいという気持ちと、彼の事情を伝えられた。

だが鬼頭は何をするつもりかは本当に知らなかったし、事務所に来たときは本気で驚いた。その晩に連絡を取ったものの何をするかは教えてもらえず、全てが終わった後に事の顛末を知らされた。

「なんでそこまでしたんだろうね」

黒瀬が素直な疑問を口にする。

「こんなことしたら恨まれるでしょ。実家を出たなら繋がりも減ってるし、後々のことを考えたらやらなくてもよくない? 生きててほしいって気持ちはわかるけど確執が生まれるでしょ」

「……その後々が最大の問題だったんですよ」

「なにそれ?」

「今回のケースで不幸になる人間は本当にいませんか?」

その問いには白木が答えた。

「もちろんそれは亡くなられるご本人ですよね。店を存続させるために死なないといけないので」

「違います。将来的にはお孫さんが一番の被害者になりうるんですよ」

山田と黒瀬はその一言で先が読めたらしく、納得した様子だった。白木だけがよくわかってなさそうだったので、鬼頭は話を続ける。

「お孫さんからすれば潰れたほうがまだマシなんですよ。考えてもみてください。数十年経って、先代が引退するときに和菓子屋が残っていたらどうなります? 下手に繁盛でもしていたら。心情的に潰せると思いますか? 祖父が命がけで守った店を」

そこまで伝えて白木も理解したようだった。

今回の話が出るまで、蒼汰の中で和菓子屋の存在は重要ではなかったはずだ。経営が苦しくなれば店を畳まざるをえないし、遅くとも父の代で終わりになるはずだった。

だが安楽死という手段で可能性を残せば事情が変わる。

瀬田博樹は今まで以上に必死に働くようになるだろうし、新商品をヒットさせて店を栄えさせてしまうかもしれない。そうなれば跡を継がないわけにもいかなくなる。通常なら断れても、安楽死の件を知っていればそれが呪いになってしまう。田舎を出て大企業に就職した人間からすれば悪夢のような話だろう。

一方で、和菓子屋がなくなれば残った家屋や資産を売却して、ある程度の現金が得られる。不確定要素はあるにせよ、男二人が暮らすくらいならどうとでもなるはずだ。死なせたくないという感情と現実を踏まえて、蒼汰は決断したのだろう。

これで説明はついたはずだが、黒瀬はまだ引っ掛かってるようだった。

「気に入りませんか?」

「理屈は通るけどね。危なっかしいし、リスクだってあったでしょ? 命がけで家業を守るなんて古い世代が好きそうだし、賛成されたらどうするつもりだったの?」

「死んでもらいます」

「ダメじゃん」

「周囲から祝福されて死ぬのはまずいですか?」

あー、と黒瀬が納得したような声をあげる。

「蒼汰さんが罪悪感なく実行できた理由がそこですよ。一方的に祖父を断罪するのではなく、運任せ天任せになるから大胆に動けたんです。実際、彼はきっかけを作っただけですから。周囲が止めれば蒼汰さんの思惑通り安楽死は止められますが、失敗しても、すべてを打ち明けて死ねるなら孤独に逝くよりはずっとマシです」

「どっちに転んでも損はしない……にしても、こじれる心配はなかったの? その爺さんは間違ってるってわかってて死のうとしたわけでしょ? 理屈の上では正しくても納得しなそうじゃない」

「妊娠四ヶ月目だそうです」

黒瀬が虚を突かれたように目を丸くする。

これで隠し事はもう無しだ。

「相手は学生時代からの恋人だそうです。結婚の予定があったから、なおのこと嫌がったんでしょうね。今回の件が落ち着いて、ようやく話せると言ってましたよ」

「……実家に帰省したのって、もしかしてそれのため?」

ええ、と鬼頭は頷いた。

「大事な話をしようと思ったら様子がおかしかったので問い詰めたところ、色んなことが発覚したわけです」

もし安楽死が実現すれば、結婚を祝うどころではなくなってしまう。

自分の将来にも影響するし、配偶者も巻き込むことになる。ひいては赤ん坊の将来にも関わるかもしれない。展開次第では夫婦関係が破綻する恐れもあった。

それを防ぐためにも祖父を止めたかったのだろう。

「ズルいなあ。それじゃ文句も言えないじゃん。ひ孫の顔を見せるためって言われちゃ、爺さんも折れるしかないだろうし。継ぐか継がないかなんて、当事者同士で話し合えばいいのに」

黒瀬が文句を垂れてると、「鬼頭さーん……」と恨めしそうな声が上がる。

「そういうことなら秘密にしないで教えてほしかったです。わたしが悪かったんじゃないかってずっと悩んでたんですから……」

「言ったら変なやる気を出しそうだったので」

「やる気って?」

「白木さんが助けたようなものだって話ですよ。銀二さんは経営の立て直しなんて考えていませんでしたから。白木さんが店を残そうだなんて言わなければ、蒼汰さんが気付くこともなく銀二さんは死んでたでしょう?」

その可能性に気付いてなかったのか、彼女はぽかんとしていた。

「言われてみればそうですけど……」

「言っときますけど過程は褒められたもんじゃないですから。人手不足なのに無茶な仕事を受けるのは良くないです。次からはもっと全体を見ながら行動してください」

頷く白木の背を「よかったじゃん」と黒瀬が叩いた。

「鬼頭君が直接、人を褒めるなんてなかなか無いから。もっと喜んでいいよ」

戸惑う白木を引き連れて、黒瀬は荷物を持って出かけていく。依頼人に会いに行くのだろう。二週間も休んでたので仕事は山積みのはずだった。

去り際、黒瀬が視線を送った。鬼頭は何か言いたげなものを感じたが気付かないふりをしたし、彼女もここでは言わなかった。

室内が男二人になると、しんと静まり返る。

山田の大きなあくびがしてテレビをつける。映ったのはローカルグルメを取り上げる番組らしく、若い女性タレントと芸人が街中でコロッケを食べていた。

「白木ちゃん、あれでよかったの?」

ソファーの方から声がした。

「本当は丸く収まったのに、依頼を受けたせいで死んでたかもしれないじゃん。その辺は責めてもよかったんじゃない? プライベートに踏み込み過ぎだし会社の利益になってないし、そもそも──」

「ほっとくのが正解だった」

続く言葉を鬼頭は引き取った。

今回の最適解は“何もしない”だ。

鬼頭らが動かなくても結果は同じだったのだ。瀬田蒼汰が結婚の報告をすれば銀二らは安楽死を諦めた可能性が高いし、下手に関わったせいで店が潰されてしまった。

承知のうえで、鬼頭は白木にああ言ったのだ。

「白木さんは賢いですから自分の選択が無意味だったなんて、すぐに気付きます。その前に、あなたのしたことには価値があるって伝えたかっただけですよ。結果はどうあれ、依頼を引き受けた判断自体は間違っていません。経営の立て直しに失敗して銀二さんが死ぬことになったとしても、それはそれで幸せだったと思いますし」

「鬼頭さん、ジジイに死んでほしかったの?」

冗談のつもりだったのだろう。山田は茶化すようにへらへらしていた。鬼頭が何も答えずにいると、途端に場が辛気臭くなる。

テレビから大げさな笑い声が聞こえた。

「……いま死ねば、少なくとも幸福でいられましたよ」

溜まった毒を吐き出すように鬼頭は言った。

安楽死は究極的には自殺であり、死なずに事態が収まるならそれが一番だ。それは大前提として、思ってしまったのだ。

瀬田銀二が死ぬとき、彼の手元には何が残っているのだろうかと。

唾を飲み、鬼頭は声を発した。

彼が将来死ぬとして、どんな死に方するのだろう。生きがいを無くして歳をとって、どこに行き着くのだろう。病院のベッドか施設か自宅か、それは定かではない。孫やひ孫に囲まれて逝くとして、何を思うだろうか。失ったものに囚われず、満たされていられるだろうか。

瀬田蒼汰の行いは倫理的で正しかった。彼の死を止めた町内会の人たちも善意でそれを行ったのだろう。──本人の気持ちを置き去りにして。

そこに傲慢さを感じてしまった。

周囲が受け入れられるような死が訪れたとして、それはどこまで幸福な終わりになりうるのだろう。家族や友人といえど、無理やりに生を強要するのは暴力に近かったのではないだろうか。そのことに自覚的な人間が一人でもいただろうか。

解の無い問いだとわかっていても、考えてしまうのだ。

自死の希望はどこまで尊重されるべきなのかと。

空虚な感情を垂れ流すように言葉にした。気の済むまで吐き出したところで鬼頭は我に返った。率直に言い過ぎてしまった。

立ち上がって山田のほうを伺うと、どうでもいいようにスマホをいじり、指に付いた鼻くそを床に飛ばしてるところだった。

「鬼頭さん、たまにやべーこと考えるよね。んなこと俺らが知るわけねーじゃん」

一息に切り捨てられた。清々しいほど無関心だった。

「てゆーか、そんなに悩むなら連絡取って後始末すりゃいいんじゃね?」

投げやりな返答に、鬼頭は固まった。その選択肢は頭になかった。

銀二の顔が頭に浮かび、何をどうすべきかが一瞬のうちに頭に浮かぶ。失ったものを取り戻すのは無理だったが、近いものを差し出す努力はできる。

考えたところですぐ冷静になった。

「……どんな立場でそんなことを言い出せばいいんでしょうね」

依頼がキャンセルされた以上、鬼頭は部外者であり赤の他人だ。おせっかいをするにしても関係性が希薄過ぎる。

回答を期待したわけではなかったが、山田は投げやりに答えた。

「アフターサービス、とか?」

鬼頭は首を傾げた。これ以上曲がらないくらいまで曲げると、問いを返した。

「……アフターとは?」

鬼頭らは仕事を完遂してない。

なのにアフターサービスというのはわけがわからなかった。

「それもそっか。じゃダメだわ」

あっさり引き下がると山田は話を打ち切ってしまった。

鬼頭も切り替えられればよかったのだが、そうもいかなかった。やるべきことを思いついてしまったのだ。この先にあるのは苦労だけだが、理由さえ見つけられれば後悔や未練を払拭できる。

鬼頭は頭を掻きむしり、「……やりますよ」と声をあげた。

「我々の仕事は、人生を豊かで幸福なものにすることですから。……今回は我々のせいで店が潰れました。どこまで責任があるかは微妙ですが、結果は結果です。こんな形で終わって、依頼人に万一のことがあれば業界全体の恥ですので。

依頼人が生きることに納得するまでは、関係を続けます。そこまでが仕事です」

だいぶ苦しいが、理由は理由だった。

がんばれー、と山田が薄っぺらいエールを送る。鬼頭を地獄に引きずり込んだ主は、あっけらかんとしていた。

鬼頭が恨めしそうにしていると、ふとテレビから元気な声がした。


『たのしく、逝こう!』


“たのしい安楽死けいかく”のCMだった。

ウサギのマスコットキャラクターの終末ちゃんが笑顔で踊って、グロテスクな制度を爽やかに解説する。ひとしきり愛嬌を振りまくと、ポーズをキメてこう締めくくった。


『自分の最期は、自分で決めよう!』


鬼頭は鼻で笑って、手元の書類に視線を落とす。

次の依頼人は独居の老人だった。遠方にいる親族は世間体を気にして、彼が死ぬのを拒んでいるらしい。こちらも衝突は避けられないだろう。新しい依頼人は次から次へと舞い込んでくるし、誰もが自分の人生をどう締めくくろうかと悩んでいる。

今後も安楽死を望む者は絶えないはずだ。

医療が進み、社会が潔癖になったせいで死は身近ではなくなった。死は社会から隠されてるし、死に様の見本や手本を探すのは難しい。理想の死を迎えるには寿命を待つより、死期を自ら決める方が手っ取り早いだろう。経済の問題が絡めば強く背中を押されるし、長寿を喜ぶ人は少なくなっている。

だからきっと無くならない。

亡くなる人も残される人も、自分の都合を押し付け合いながら落し所を探るのだ。どんな終わりになるにせよ、善意や愛情が人生に何かしらの傷跡を残すだろう。すんなり死ねる人は少数だろうし、サポートする役割は必要とされ続けるはずだ。

鬼頭がぼんやり考えていると電話が鳴る。山田が呆れたように笑った。「ほんっとに、誰も彼も死にたがるよね」

「普通のことですよ」

短く返し、鬼頭は受話器に手を伸ばす。

──束の間、様々な思考が巡った。

この向こうにいるのはどんな人だろう。

なぜ死にたがっているのだろう。

家族はいるのだろうか。経済的に困窮してるのだろうか。抱える問題が解決したら、生きることをまだ考えられるだろうか。

可能な限り、力になりたい。

どんな結末になるにせよ、納得できる選択をしてほしいと強く願う。

電話を耳に当てて話しかけると、少しの間を置いてから反応があった。

「──こちらで、死なせてもらえるんでしょうか」

弱弱しい声が、助けを求めるように、聞こえた。


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