【case4】1%の殺人
ひんやりした水を飲み込むと、滑らかな液体が食道を通って胃に落ちる。
最後に飲むなら酒がいいと思っていた。ビールでも日本酒でも焼酎でも何でもいい。できれば高級な酒で。駄目なら発泡酒でも構わないから酔っ払って景気よく死にたかった。
それは医者に却下されたが、かえって良かったかもしれない。水がこんなに旨いものだと最後になって初めて知った。
コップをベッドサイドのテーブルに戻すと、看護師が薄気味悪そうにこちらを見ていた。この状況でニヤついていたせいだろう。松野は気付かないふりをして小窓から外を眺める。
澄んだ青空が見えた。死ぬには悪くない日だ。
「そろそろ始めましょうか」
老齢の医師に呼びかけられ、松野は声の方を向く。
ビデオカメラのセッティングは済んだようだ。メインカメラと、万一の予備として、もう一台カメラが設置されていた。
安楽死専門のクリニックと聞いて最初はどんなところかと身構えたが、中身はどこにでもある診療所だった。やることが普通の診療所とは真逆なだけだ。
今、松野の腕には細い管が繋がれている。点滴の袋には致死薬の入った薬液があり、ストッパーを開ければ液体が体内に注がれる。最後の瞬間までもうあと少しだ。
医師はビデオカメラのスイッチを押し、看護師が予備の方を起動させると、撮影が始まった。
「お名前を教えていただいてよろしいですか?」
「松野慶介です」
「生年月日は?」
「昭和十五年の八月二十日」
「このストッパーを開けると何が起こりますか?」
「致死薬が注入されて、わたしは死にます」
「あなたは誰かに強要されてここにいるのではありませんね?」
「違います」
このやり取りは安楽死を実施する際に必須のものだ。
後で警察が来た際に、ビデオを自死の証拠として提出する。当人の認知機能に異常はなく、何が起こるかをわかった上で行為に及んだのだという証明になる。
「では、死ぬ決心がついたら、ストッパーを開けてください」
松野は深呼吸すると、つまみをひねった。透明な薬液がゆるやかに移動し、体内に侵入する。残りの時間はもういくらもないだろう。
松野はベッドに横たわると天井を見上げた。
後悔はなかった。
事業は失敗という形で終わったが、挑戦できただけで満足だった。命をチップにするような真似さえしなければ、あと十年は生きられたかもしれない。だがその最期は後悔にまみれていたはずだ。
──悪くなかった。
数分後、松野慶介は息を引き取った。
医師と看護師は撮影を終えると、警察に電話をする。
しばらくして警察官と検視官が来ると、遺体を確認し、規定に則って安楽死が行われたかを確認する。事前の申請は済んでるとはいえ間違いがあってはならない。書類や証拠の映像を確認すると、事前の申請と相違ないかをチェックし、事件性なしと判断された。
次いで医師らは葬儀社に電話をして、遺体の搬送手配をする。
最後にエンディングプランナーに完了の連絡をすると、死亡診断書を用意する。
トラブルも何もない、規定通りの死のはずだった。
※ ※ ※
──ニコチンが足りない。
貧乏ゆすりをしながら、鬼頭は誰にも届かない小さな声で呟いた。零れた声は地面の絨毯に柔らかく吸い込まれた。
ホテルのラウンジは平日の午前ということもあり人が少なかった。天井からは優雅なクラシック音楽が流れており、内装はきらびやかだ。広々とした空間はここが都内だとは思えないほど贅沢だった。
場違いだな──と鬼頭は自分でも思った。
ここにいる連中は煙草など吸わないだろう。酒も嗜む程度だろうし、ストレスを抱えて生きてる人間は少ないに違いない。依存する物質がなくても幸福な人生を歩めるような者たちなのだ。不機嫌そうな宿泊客や若い学生はどこにもいない。誰もが高級そうな衣服に身を包み、表情や仕草にも余裕があった。
約束の時間は過ぎてたが、どうにも居心地が悪いので一旦外に出て煙草でも吸ってこようかと考えたとき時だった。誰かがこちらに向かってくる気配がした。顔を上げると、和装の老女が歩いてくるところだった。
細身で枯れ枝のような姿だが、背筋はすっと伸びていた。和服にサングラスという取り合わせは昭和の大女優のようであり、実際そうした経歴の持ち主だった。ただ歩いてるだけなのに、端々から品の良さと美しさが溢れていた。
年齢は八十歳をとうに過ぎてるはずだが、そうは見えなかった。若い頃に容姿に秀でていても、老いれば誰もが衰える。芸能人であれ例外はないと鬼頭は考えてたが、ひっくり返された思いだった。
老いてなお、彼女は紛れもなく宮園ひばりだった。
「遅れてすまないね」
しゃがれた声で一応の謝罪をして、宮園は鬼頭の前に座る。香水だろう、ほのかに届く程度の、甘い香りが薫った。
名乗りもしてないのになぜ自分が面会相手だとわかったのだろう。鬼頭は疑問に思ったが、今しがた自分が感じていたことを振り返る。場違いで居心地悪そうにしてる人間を探せば、確かに自分に当たるだろう。
さて。気を取り直して、鬼頭は仕事用の顔を作る。
社交用の笑顔を浮かべて間もなく、声が飛んだ。
「……その薄ら寒い愛想笑いをやめな。反吐が出る」
吐き捨てると、彼女はウエイターに紅茶を頼む。鬼頭はひくひくと頬を引き攣らせていた。噂には聞いてたが、初対面でも容赦のない人だった。
宮園は手にした小さな鞄から封筒を出し、テーブルの上に差し出した。
「拝見します」
鬼頭は気を取り直して受け取ると、中身を確認する。
入っていたのは一枚の写真だった。写ってるのは宮園と同年代らしき老人で、公務員のような男だった。真っ白な髪と灰色のシャツは没個性的で、生真面目な人柄が強調されていた。
「そいつは松野慶介という、わたしの元旦那でね。四年前に安楽死をした」
事情は知っていたが、鬼頭は初めて聞くような顔で頷いた。
「わたしはこれから安楽死の申し込みをするわけだが、仕事の依頼をするにあたって、バゲットリストとかで願いを幾つか叶えてもらえるんだろう?」
「……お力になれる範囲であれば」
老女は睨みつけるような鋭い視線を向けると、端的に言った。
「こちらの要望はただ一つ。松野を殺した犯人と、証拠を見つけてほしい」
※ ※ ※
松野慶介は四年前に亡くなった。
当時八十一歳だった彼は安楽死するにあたり、『起業する』というバゲットリストを作成した。松野は若い頃にファッション関係の仕事をしており、自分のブランドを立ち上げるのを夢見ていた。しかし結婚してからは妻を支えるため主夫として過ごしていたため、機会に恵まれなかった。離婚後はギャンブルにはまり生活が荒れたのと不景気のせいで、日々生活していくのが精一杯だった。
老齢になり人生を振り返った松野は安楽死を申請し、命を担保とする形で纏まった金を用意した。
事業が成功すれば安楽死はキャンセルする予定だったが、会社はうまくいかず倒産してしまい、松野は借金を死んで清算することになった。
「微妙な案件っすねー」
鬼頭の話を聞き終えると、山田は煙草の灰をトントンと落とす。
彼の手元には写真と身辺調査票があった。
「そもそも起業なんて失敗するのが普通っすから、限りなく黒に近いグレーというか。なんでこんな条件で安楽死させちゃうかなー」
事務所は山田と鬼頭の二人きりだった。ちょうどいいと思って相談したが、やはり彼も鬼頭と同意見だった。
山田はソファーにもたれかかって煙草をうまそうに吸うと、ふーっと煙を吐き出す。
「適用除外に当たるとか、そーゆー可能性はないの?」
「さすがにそれはないです。申請が通ってるなら、チェックは済んでるはずですから」
「あっそ。にしても奇妙な依頼っすね。弁護士雇って裁判でもすりゃいいのに」
それに関しても鬼頭はまったくの同意見だ。安楽死にケチがつくのは珍しくない。人が亡くなれば誰かが文句を言うこともあるだろう。だがその場合、頼るのは法律の専門家であるべきだ。
「弁護士を頼って断られたから、こっちに流れてきたとか」
「だとしても同業にわざわざ依頼するぅ? しかも正式な契約もまだなんでしょ?」
鬼頭は神妙に頷いた。
依頼内容を知らされた後、宮園から当然のように言われたのだ。あれこれ詮索されたりプライベートに土足で踏み入られるのが嫌なので、本契約は後日にしたいと。
本来ならそんな横暴は通らないが、依頼人の特殊性ゆえに聞かざるをえなかった。
「マスコミに嗅ぎ付けられたら厄介ですし、こっちとしても都合はいいですよ。仕事さえこなせば払うものは払ってくれるでしょうし」
「相手は女王様だもんね」
宮園ひばり──。
彼女はかつて国民的女優と呼ばれた女性で、五十歳で引退した後は実業家として活躍していた。俳優としての才能もさることながら、ビジネス方面での活躍はさらに目覚ましかった。
最初はデザイナーとしてアパレル業に進出し、モード系のブランドを立ち上げて高い評価を得た。その後は、ホテル、不動産、飲食店経営など様々な方面に手を出し、そのことごとくを成功させた。現在では海外に拠点を移して精力的に活動している。
カリスマと表裏一体の傍若無人ぶりも有名で、強引な意思決定や、気紛れのようなリストラなど傲慢なエピソードには事欠かない。
かと思えば、かつての恩人が困窮してると聞けば大金をぽんと渡したり、自然災害が発生すれば被災地へ莫大な義援金を送ったりなど、気風の良い逸話も巷に溢れている。
そのため彼女を"女王"あるいは"女帝"と呼ぶ者は数多くいる。
「難しい依頼ではありますが、成功すれば報酬も大きそうですよ」
「にしてもさあ。鬼頭さん、よくこれ引き受けたね」
「そんなに不思議ですか?」
「だってこれ、要はよその事務所の安楽死の再調査でしょ? 俺らの仕事じゃなくない? バゲットリストって名目だけど、どう考えても死ぬ気ないじゃん」
「無理言って、よそで断られたんじゃないですかね。だから名目だけでも合わせたとか」
あー、と山田は気の抜けた返事をする。その線が一番ありそうだった。
実はこの一件、業界内で噂になっているのだった。傍若無人な女王様が色々なところに依頼をふっかけて断られてると。横の繋がりがそれなりにあれば、どこかで耳にする話だった。
「死なずに済むなら、こっちも後味はいいですよ。納得いく回答を示して、違約金をたっぷりもらってお互い満足ってところですかね」
「偏屈な金持ち婆さんが死のうが生きようが俺はどーでもいいけど」
山田ははん、と笑うと、煙草を灰皿に押し付ける。
「この依頼、手伝ってもらえません?」
鬼頭が唐突に切り出すと、山田は渋い顔をした。
「そんなに嫌がらないで下さいよ」
「……マダナニモイッテナイヨ」
「おしゃべりな顔してますよ」
山田は両手でごしごしと顔をこすった。
「一人だと手が足りないし調べ物も多いので、協力してくれると非常に助かるのですが」
「……もし断ったら?」
「大変ですけど一人でやるしかないでしょうね。大変ですけど」
強調して伝えたものの、山田はすぐには返事をしなかった。
鬼頭は時計を確認すると鞄を持って立ち上がった。
「わたしはそろそろ出ないといけないので、よければ考えてみてください」
※ ※ ※
鬼頭が事務所を後にすると、山田は伸びをしてからうーんと唸り声を上げ、髪を乱暴に搔きむしる。
気分転換のつもりでテレビをつけると、『たのしい安楽死けいかく』のCMが流れた。
マスコットキャラクターのウサギが『たのしい、たのしい安楽死!』と軽やかに踊って、ポーズをキメると『たのしく、逝こう!』と笑っていた。
いつ見ても不謹慎だし、悪趣味だなあと山田は思う。これにGOサインを出したお偉いさんは、これを見て安楽死しようとする人間が増えると本気で思ってるんだろうか。ジジイになるとボケてアホしかいなくなるんじゃなかろうか。
くあ……と欠伸をしてると、事務所のドアが開く。山田が視線を向けるや、「あーっ」と声がした。
「窓が開いてない!」
やって来たのは黒瀬と白木のペアだった。入ってくるなり二人がかりで事務所中の窓を開けて換気扇をつけていく。
「ふたりともおかえりー」
「吸わない子もいるんだから、吸うときは窓開けて換気扇つけるって決めたでしょ! 何回言えばわかるの?」
「白木ちゃんもぱかぱか吸えばいーじゃん。肺を黒く染めようよ」
「遠慮しておきます」
さらりと躱され、山田はちぇっと舌打ちする。
「珈琲飲みます?」という白木の声に、「うーん」と山田が答え、「どっちよ。いるの? いらないの?」と黒瀬から突っ込みが入る。
「何か悩み事ですか?」
「どーせ借金でしょ。いよいよ首が回らなくなったんじゃない?」
「鬼頭さんって借金とかあったっけ?」
想定外の返しだったらしく、「ハア?」と黒瀬が声をあげる。
「ないでしょ。山田君じゃないんだし」
だよね、と相槌を打ち、山田は先の依頼の件を話した。
「あの噂になってたの、鬼頭さんが引き受けたんだ……」
まさか同僚がそんな厄介事を引き受けてくるとは思わなかったのだろう。黒瀬が意外そうに漏らした。
業界の事情に疎い白木は、あまりの内容にすっかり引いてしまっていた。
「何ですかその依頼……。他殺なわけないじゃないですか。ちゃんと手続きしてるんだから……」
「ちゃんとしてても揉めるときは揉めるのよ」
「でもビデオは撮ってたんですよね? 適用除外だって、該当してないはずですよね?」
「申請は通ってたみたいだし多分ね」
『自由意志による自死の証明』は、死ぬ際のビデオ撮影で担保されている。申請書や家族への事前説明でも、本人の意思で亡くなることは明確に伝えている。
適用除外に関しても、該当してれば有罪を食らう可能性が出るので、どの事務所でも手落ちがないようにやっているはずだ。
「なら他殺なわけないですよね?」
「理屈はそうでも、終わったあとにケチつける連中はどこにでもいるのよ。でもって百パー揉めるから関わらないのが鉄則」
「この場合って、医者は容疑者には入らないんだっけー?」
「その辺は免責になってたはず。安楽死の法制化前は散々事件化していたから。相手が病人じゃないなら必要以上に責任取らねーからって医師会が突っぱねてた。その辺の折り合いがついて、ようやく制度が導入されたのよ」
「いーなー。揉め事から距離取れてラクに稼げるなんて最高じゃーん。俺も医者になればよかったー」
「今からでも頑張ってみれば?」
「勉強とか努力とかめんどくさーい」
「鬼頭さんはなんで引き受けたんでしょうね」
話が脱線しかけたところで、白木が本筋に戻した。
「鬼頭君って自分から進んで地獄に首突っ込むとこあるから。そういう趣味なんじゃない?」
「嫌な趣味ですね……」
「お二人さんは心当たりないの?」
「まさか」
女性ペアが声を揃えるのを受け、山田はのっそり立ち上がった。首を動かしてポキポキと鳴らす姿は、戦いに赴く戦士のようだった。
白木が首を傾げた。
「どこかにお出かけですか?」
「スロット」
「いってらっしゃい……」
「──が終わったら鬼頭さんの手伝いに行くよ」
よほど意外だったのか、白木が目を丸くする。
「そんな顔しなくてもいーじゃん。困ってるみたいだし助けたいじゃん? 鬼頭さんとはそろそろ付き合い長いし、面倒ごとに首突っ込むなら何かしら理由があるだろーし」
騙されちゃダメよ白木、と黒瀬の声が飛ぶ。
「金持ち相手だと臨時収入が発生しやすいから、それが狙いでしょ? 死にかけの爺さんが若くて親切なヘルパーに遺産分与して揉める話とかよく聞くでしょ。魂胆はあれと一緒」
「下心はそりゃあるけど、それだけじゃないよ。ここで手ぇ貸さないと見捨てたみたいで気分悪いじゃん。
それに稼げそうなタイミングで利益出してれば、誰かが中途解約したいって言い出しても損得勘定とか気にせず断れるでしょ。カネに困ってると後味の悪い仕事も受けないといけなくなるから、ゼニの話も無視できないよー。案外、鬼頭さんもそこまで計算して引き受けたんじゃないかな」
「なーに真面目ぶってんの」
黒瀬は話半分に聞いてたが、隣の白木は真剣な顔をしていた。
「白木ちゃんはどう思う?」
山田が話を振ると、彼女は「正しいと思います……」と神妙な様子で応えた。
まずいな、と黒瀬がこぼした。
「悪いようにはしないからさ。この先、胸張って仕事できるように、ちょっとだけ頑張ってみない?」
山田が詐欺師の口調でそう言うのを見て、黒瀬は天を仰いだ。
※ ※ ※
「──そうですか。いえ、申し訳ありませんでした」
鬼頭は電話を切ると大きなため息をついた。道端で軽く一服してから喫茶店に入ると、珈琲とホットサンドを注文する。
一息つくと嫌な考えがあれこれ頭に浮かんでしまい、吸ったばかりなのに、またもう一本ほしくなる。
ソワソワ貧乏ゆすりをしてると喫茶店のドアベルが鳴り、見知った顔が向かいの席にどっしり座った。
「どう? さっきの件、進んでる?」
山田がニヤニヤしながら聞いてきたので「まったく」と鬼頭は返す。数時間しか経ってないし、別の依頼人とのやり取りもあったのだから進んでるわけもなかろうに。
鬼頭が愚痴っぽいことを考えてる間に、山田は「クリームソーダとチーズケーキ!」と胃がもたれそうなものを注文する。
「よくここがわかりましたね」
「べっつにー。暇なんで散歩してたら、たまたま鬼頭さん見つけただけ」
「暇、ですか……」と鬼頭が黒い念に駆られていると。
「黒瀬さんと白木ちゃんも手伝ってくれるって言ってたから、回せそうな仕事があったらどんどん回しちゃっていーよ」
世間話をするみたいに山田が言った。
「白木ちゃんがいると便利だよねー。なんやかんやで黒瀬さん、あの子のこと可愛がってるから。あっちを乗せれば、黒瀬さんもカンタンに動かせちゃう」
ヘラヘラしながら軽口を叩く山田だったが、鬼頭が両手を合わせて頭を下げるのを見るや、照れくさそうに頬を掻く。
「……ありがとうございます」
「別にいーよ。金持ち相手に稼ぎたいだけだから」
理由はどうあれ助かった。一人でやるには荷が重いと思っていたところだった。
鬼頭の珈琲とホットサンドが届いたので、冷めないうちに先に頂くことにする。山田のスイーツもすぐに届いた。男二人でもりもり食べながら話をする。
「で、どこまで進んでんの?」
「まだ何も進んでませんってば」
先ほど松野慶介を担当した事務所に連絡したが、詳しい話をする間もなくあしらわれた。「そりゃそうっすよね」と山田は相槌を打った。そもそも今回の件は、相手事務所には何のメリットもない。下手に関わらないのが一番だった。
とは言え、当時の状況を知らねば何も始まらない。どうにかして関係者から話を聞かなければならなかった。
「次はどーすんのか考えてる?」
「息子と連絡を取るか、担当のエンディングプランナーと接触する感じですかね。関係者には片っ端から会いたいですが、優先すべきはこの二人です」
「松野って爺さんは死ぬ前に起業したんだよね。仲間とかはいなかったわけ?」
「一人でやったと聞いてます。条件的に仲間を募るわけにもいかなかったでしょうし、人手がほしいときは外注したんじゃないですかね。今じゃネットで探せばフリーランスや副業で稼ぎたい人が大勢いますから」
「息子とエンディングプランナーはどっちのが面倒臭い?」
「後者のほうかと。話を聞こうにも断られるでしょうし、家を訪ねようにも、どこに住んでるかもわからない」
「じゃあ俺がそっちやるねー」
「助かります」
手早く食事を済ませると、鬼頭はタイミングよく運ばれた珈琲に手を付ける。
山田はチーズケーキの皿を平らげた後は、クリームソーダのストローを咥えてぶくぶく泡を立てていた。
「確認なんすけど、この件って要は犯人捜して証拠を集めろってことでいいんすよね?」
「そんな人がいるとすれば、ですがね」
「んじゃ調べてる途中で犯人に遭遇するかもしれないわけだ。お互い殺されないよう気をつけなきゃねー」
山田はずごごご、とジュースを飲み切ると、残ったアイスをちびちび食べた。子供っぽくていい加減な部分はあるが、仕事に関しては信用できる。解散する頃には鬼頭の気持ちもだいぶ上向いていた。
役割分担がはっきりしたので、鬼頭は移動中の空き時間で息子にショートメッセージを送った。
彼の連絡先は宮園ひばりに教えてもらっていた。向こうも事情を知らされていたらしく、会って話がしたいと伝えると快く応じてくれた。週末なら時間を作れるということで、近所のファミレスで会う約束を取り付けた。
粗相のないように菓子折りを持って臨んだが、待ち受けていた人物は予想とは少し違った。
※ ※ ※
宮園ひばりの息子に関して、前情報は何もなかった。
有名人の子供ならSNSの一つでもやってそうなものだが、どれだけ探してもアカウントは見つからなかった。鬼頭は悩んだ末に、高級店の無難な手土産を用意した。少しでも好感度を上げる準備をしたかったのだが、好みがわからないので仕方ない。
約束の当日は快晴で、ファミレスは程よく混み合っていた。
鬼頭は約束の三十分前には店内に入り、ドリンクバーを頼んで入り口を睨んでいた。楽しげな雰囲気の家族連れや学生グループが多い中では明らかに浮いてたが、それだけ緊張していたのだ。せめて先に席について少しでも落ち着こうと考えてたが、息子はなかなか現れなかった。
時間を過ぎてもそれらしい人物が来なかったので、すっぽかされたかと心配したときだった。遠くの席で「あーっ!」と大きな声がした。
そこには野球のユニフォームを着た少年たちが集団で座っており、どうやらジュースか何かをこぼしたようだった。引率の監督らしき人物が、駆け寄ってきた店員に謝って、首にぶら下げてたタオルで床を拭き始める。それに対し店員が慌てた様子で「こっちでやりますから! 汚れちゃうから!」と男を止めていた。
大変そうだな──。
鬼頭がぼんやり見てると、視線に気づいたらしくユニフォーム姿の男がこっちを向く。床を拭いていた人だ。彼はその場が収まると、引率のもう一人の大人に耳打ちして、紙袋を持って歩いてくる。
どうしたのだろうと思ってると、彼は鬼頭のテーブルで立ち止まって声をかけてきた。
「もしかして鬼頭さんですか?」
男は真っ黒に日に焼け、無精ひげを生やしていた。体格はスポーツ選手みたいに大柄だったが圧迫感はなく、性根の明るさが全身からあふれ出ていた。母親の面影は皆無で、まさかという思いだった。
「鬼頭は私ですが……宮園、遊雅さんですか?」
かろうじて受け答えをすると、男はくしゃっと笑って頭を下げた。
「はじめまして。母がご迷惑おかけして、すみませんでした」
思わぬ形で先手を打たれたので、鬼頭も慌てて立ち上がって頭を下げた。しょっぱなからペースを乱された。遊雅が向かいの席についたタイミングで、鬼頭はお高めの菓子折りを差し出した。
「うわあ。いいんですか? ありがとうございます!」
遊雅は受け取った菓子折りを野球少年たちのところに持っていくと、皆に一つずつ配っていった。唖然とする鬼頭に対し、戻ってきた遊雅は「すごい喜んでました」と人懐っこい笑顔で言った。
鬼頭は拍子抜けしてしまった。どう見ても悪い人ではなさそうだった。
「もしよかったら、何でもお好きなもの頼んで下さい」
鬼頭がそう言うと、遊雅はカツカレーを早速注文した。鬼頭はこれにも好感を抱いた。わざわざ時間を作ってもらったので、こうやって応じてくれると気持ちが軽くなる。
それにしても、向こうの席でも彼は何かしら食べていたはずだ。鬼頭より一回りも歳が上のはずなのに、よくそんなに食べられるなと感心してしまった。今年で五十一歳だというが十歳は若く見えるし、相手の懐に入ってくるのもうまい。仕事も家庭もうまく回してそうな人だった。
「母親と似てないですよね。全然」
無意識に見つめてしまってたからだろう。不意に遊雅が言った。
「鬼頭さん、かなり驚いてたでしょ?」
鬼頭は慌てて頭を下げたが、責めたいわけではなさそうだった。
「似てないってのは誉め言葉ですよ。こう見えて子供の頃はイジメられてたんです。家はでかいし、服装はぴかぴかで洒落てるし、汚しちゃいけないって言われてたから皆と遊べないし。そういう子って嫌われるでしょ? だから親父に汚れていい服を買ってもらって、公園で着替えてから学校行ってたんです。泥まみれになって遊んだら一気に友達増えて嬉しかったですよ。まあ、だからって母親が嫌いなわけじゃないですけど」
豪快に笑うのを見て、鬼頭は納得がいった。ああいう人が母親だと、かえって普通に憧れるようになるのだろう。どうりで似ていないわけだ。
「それで確か、親父のことでしたよね。どんな状況だったかっていう」
びっくりしましたよー、と遊雅は大げさな身振りを交えて言う。
「だっていきなり電話がかかってきて、会社立ち上げるって言うんですから。しかも失敗したら安楽死して借金返すからって。意味わかりませんでしたよ。こっちが混乱してるのもお構いなしに、人生最後のチャレンジとか言って熱弁するし。止めても聞かないし」
「事前に何か予兆というか……前触れみたいなのは無かったんですか?」
「全然。すごい急でしたから」
「きっかけみたいなものは。誰かと頻繁に連絡を取り合ってたとか、新しい友人ができたとか……」
「別々に暮らしてたからわかんないなあ。離れた親が今どういう生活してて、どんな人と会ってるかってわかります? わかんないですよね」
確かに、と鬼頭は苦笑して、相槌を打つ。そんな怪しい人物がいれば当時のエンディングプランナーが止めに入ってるだろう。
「あと、これ。会社の資料です」
そう言って遊雅はパンパンに詰まった紙袋を差し出した。薄汚れてて、かすかに埃の匂いがした。押し入れにしまってたものを、そのまま持ってきたという感じだった。
ちょうどカレーが到着したので、遊雅が食べてる間に鬼頭は中身を確認させてもらう。
紙袋にはデザインの書かれたノートに、写真で一杯になったフォトブックや、帳簿などが入っていた。フォトブックのほうにざっと目を通すと、着飾った老人の写真が何枚も綴られていた。松野慶介が設立したのは、シニア向けのアパレル会社だった。
──微妙だな、というのが鬼頭の率直な感想だった。
デザインの良し悪しはわからないが、服に興味のある老人はおそらく少数派だろう。足腰が弱ってれば買い物に行くのも難しいし、通販を使いこなそうにも、大半の高齢者は電子機器には疎いはずだ。歳を取れば着飾ることへの興味は薄れるだろうし、コンセプトだけ取っても勝算はなさそうだった。
一応、ノートのほうも開いてみると、洋服のデザインが幾つも描かれていた。パラパラとめくっていき、鬼頭は違和感を抱いた。デザインが奇妙だった。
写真ではピンと来なかったが、ボタンが実は磁石だったり、マジックテープになっていたり、ズボンの両脇にファスナーがあり脱ぎ着が容易になってたり、前後や裏表の区別がなくどの状態でも着られるなどといった具合だ。
「ユニバーサルファッションっていうみたいですよ」
鬼頭の表情を読んだのか、遊雅が言った。
「デザインがちょっと変ですよね。親父が言ってました。介護施設に向けて販売かけるから、一人で脱ぎ着しやすかったり、介助しやすい作りにしてあるんだって」
「障がい者向けの服……ということですか?」
「その辺ひっくるめた概念なんですって。そういう特徴でもないと今の時代に服売るのは難しいですから。デザインも古臭いでしょ? それに載ってるのって全部六十年代とか七十年代のファッションの丸パクリですから」
パクリ、という言葉に潜む危うさを感じて、鬼頭は相槌を打つべきか迷った。
それを見透かしたように遊雅が笑った。
「本人が言ってたから大丈夫ですよ。年寄りは新しいものを受け入れないから、馴染みのあるデザインのリバイバルが好まれるんだって。微妙だなーって思って止めたけど聞いてくれませんでしたよ」
「難しい話ですね」と曖昧に同意し、鬼頭はスクラップブックを手に取る。
そこには宮園ひばりの雑誌や新聞記事が貼られていた。ぱらぱらめくると時系列で細かくファイリングしてある。女優時代の古い写真から、結婚、引退後に起業してからの記事がある。
女優時代はインタビュー記事や作品紹介が主で、引退して会社を設立した後は高慢で強引な女社長のゴシップ記事が増えていく。同時に彼女のブランドの新作コレクションや、モード系雑誌の特集記事なども数多く綴じられていた。特定の雑誌から記事を拾うのではなく、明らかに宮園ひばりを追っていた。
「松野慶介さんは宮園ひばりのファンだったんですか?」
遊雅が首を傾げてたのでスクラップブックを見せると、うっわと声をあげて驚いた。
「すごいなあ。そんなの集めてたんですね」
「ご両親はどういう風に出会ったんですか?」
「映画の撮影してたときに知り合った、だったかな。親父はそのときメイクか衣裳担当で愚痴を聞かされたらしいです。仕事が忙しすぎて寝る暇もない、いい加減にしろって。そしたら親父が『結婚すれば休暇がもらえるかも』って口説いて、ホントに結婚したみたいです」
冗談みたいなエピソードだが、昭和なら芸能人に人権はなかったはずだ。売れっ子なら休みどころか、睡眠時間すらろくに取れなかったという話はよく聞く。
宮園ひばりは出産後しばらくは表舞台から遠ざかっていたが、数年後に復帰した。出演作品の数を考えると、とても子育てができるような状態ではなかったはずだ。
「家ではどんな感じでした?」
「外とほぼ変わらないですね。リビングで脚本読んでピリピリしてたりで、親って感じはしなかったな。家のことは親父に任せきりでしたね。母の復帰のタイミングで、父が仕事を辞めたみたいです。でも夫婦仲は悪くなかったと思いますよ? 母が出てる映画とかドラマをテレビでよく見てましたから。色んな意味で母が好きだったんでしょうね」
「なら、別れた理由は──」
「ギャンブル」
歯切れのいい回答だった。
「どっかでストレスがかかってたんでしょうね。男が家庭に入って中のことを切り盛りするとか、当時は珍しかったと思いますし。本当は仕事したいのに慣れない家事や近所づきあいとか大変ですよ」
「ちなみに離婚はいつ頃でした?」
「自分が高校に入った後でしたね。母が女優を引退して、会社を興して軌道に乗った辺りじゃないかな。嫉妬もあって、おかしくなってたのかも。でなきゃ会社のお金を使い込むなんてしませんし」
それは離婚したくもなるだろう。バレるに決まってるのに、なぜ隠し通せると思ったのか。
気持ちが顔に出てたのか、遊雅はおかしそうに笑った。
「呆れちゃいますよね。母も愕然としてたけど、最後まで嫌ってなかったと思いますよ。別れた後もたまに連絡取って、アイツはどうしようもないとか文句言ってましたから」
情が湧いたのか、長年にわたる献身への感謝なのか。ともあれ二人の間には、他人にはわからない絆があったのだろう。
「にしてもギャンブルとは……」
鬼頭がこぼすと「意外ですか?」と遊雅が訊く。
「堅実そうに見えたもので……」
「若い頃はチャラチャラして結構ヤンチャもしてたみたいですよ? でなきゃ宮園ひばりを口説いたりしないでしょ。おっかないもん」
ですね、と鬼頭は同意を示した。
会話が弾んだせいで遊雅が食べる手を止めてしまってたので、鬼頭は断りを入れ、再度スクラップブックに目を通す。
ファッション関連の記事やゴシップが並ぶ中、ふと毛色の違う記事が目に留まった。
『宮園ひばり、乳がん』
新聞記事の切り抜きだった。
他に比べて扱いが小さく、これに関しては雑誌で取り上げられてないようだった。
同様の記事がないかを探すと、今度は脳梗塞で倒れたという切り抜きがあった。傍若無人で超人然として見えるが、宮園ひばりも人間だ。歳を重ねれば病に倒れもするだろう。
ぼんやりと考え、ふと、ある可能性が頭をよぎった。
記事に触れ、なぞり、その仮説を脳内で検証する。
──ありえなくはない、と思った。
「参考になりそうなものはありました?」
カレーを食べ終え、遊雅が尋ねた。
鬼頭が「難しいですね」と苦笑いを浮かべると、遊雅も頷いた。
「犯人とか証拠とか、そう簡単には見つからないですよね」
その発言に鬼頭はぎょっとした。そこまで突っ込んだ話をしてるとは思わなかったが、宮園ひばりなら包み隠さず打ち明けそうな気もした。
「母はなんでこんな話を掘り返したんでしょうね。時間もかなり経ってるのに」
「身内でも不思議に思いますか?」
「何で今更って意味ですけど。気に入らないなら、安楽死を計画した時点で潰すでしょうから」
確かにその方が宮園ひばりのイメージと合致する。
「思い付きで行動することもあるから、単なる気まぐれかもしれませんけど」
そこまで話したところで、遠くのテーブルから声がかかる。コーチだか監督だかが遊雅を呼んでいた。そろそろ帰る時間のようだった。
この場ですべてに目を通すのは無理なので、資料は貸してもらうことになった。「どうせ押し入れにしまっておくだけなので」と最後まで快い対応をしてもらった。
「悪い人じゃなかったですよ」
別れ際、店の前で遊雅が言った。
「一番疑われてるのって、父を担当したエンディングプランナーですよね? 父が安楽死して利益が発生する人は少ないですから」
とっさに否定する言葉が浮かばず、鬼頭は曖昧に頷いた。
「あの人は多分違うと思いますよ。父が生きてる頃に連絡があって、依頼を取り下げるよう説得してくれってお願いされましたから。そんなことしたら働き損になるのに、モラルのある人が仕事してるんだなーって感心しましたよ」
そういう道徳的な話ではないのだが、と鬼頭は思った。
死ぬ前に止める機会を与えるのは、後のトラブルを予防するためだ。止めるチャンスが多ければ多いほど事後に納得の度合いが増す。死の決断に関わる機会は何度もあったと、振り返りやすくなるからだ。
とは言え、そんな指摘をしても仕方ないので鬼頭は黙っておいた。
「鬼頭さんもいい人ですよね」
「……そう見えます?」
「そうですよ。いい人でもなきゃこんな面倒な仕事を受けませんって」
そう言い、遊雅は野球少年たちを引き連れて帰っていった。お菓子のお礼か、「サヨウナラ!」と元気のこもった挨拶をされた。
トラブルも覚悟してたが、揉めることなく資料を手に入れれて鬼頭はほっとした。近くの自販機で缶珈琲を買うと、休憩できそうな場所を探して一服する。
携帯を見ると山田から着信があったので、すぐに折り返した。
「……いい知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?」
開口一番、山田は切り出した。
投げやりで、やる気をなくした態度だった。
「いい知らせからお願いします」
「……エンディングプランナーの消息がつかめた。中山って人で、会社辞めてからは地元に帰って家業の手伝いしてたみたい」
「悪い方は?」
「死んでた」
鬼頭は咥えた煙草を落とした。まさかの展開だった。
「……ちなみに死亡した原因は?」
「交通事故」
不謹慎だが、鬼頭はその回答にほっとした。エンディングプランナーは心をやられて辞める人が多く、思いつめて自殺する者もいる。穏やかな日々を過ごせていたと願うばかりだった。
とは言え、だ。
落ちた煙草を拾って、鬼頭は唸る。担当者から話を聞けなくなったのは痛手だった。
事件の詳細を一番知ってるのは彼だった。どういう事情で死んだにせよ、手掛かりになる情報が失われればどうしようもない。
遊雅が別れ際に言った通り、もしこの件が他殺だった場合、最も疑わしいのは松野を担当したエンディングプランナーだ。故意でなく、何かしらの過失により死なせたという可能性が最もありそうだと思っていたが、当人が亡くなってしまっては証拠の集めようがない。関係者に話を聞いて回るにしても、得られる情報には限度があるだろう。
「どーすんの? まだこれ続けんの?」
山田はやる気をなくした声で言った。元々乗り気でないのを無理にお願いしたわけで、モチベーションを失うのも仕方ない。
状況の悪さはわかっていたが、鬼頭は諭すように頼み込んだ。
「……もう少しだけ粘りましょう」
納得したわけではないだろうが、山田はワカッタと不満げに返事をした。
ひと段落したら飯でも奢らないとなと思いつつ、鬼頭は今後のことを考えた。
その後、鬼頭は関係者らに事情を聞いて回った。
思うような成果が上がらない中、かつて中山が所属した事務所から連絡があった。
松野慶介の安楽死について話があると──。
※ ※ ※
その翌週、鬼頭と山田は都内にある公園に赴いた。
平日の昼間のせいか、園内は閑散としていた。山田は木の枝を使って地面に絵を描き、鬼頭は近くで煙草を吸っていた。砂場では幼児が母親と一緒に山を作っており、ベンチでは杖を持った老人二人が眠たげな顔で喋っていた。きっと持病についてあれこれ話してるのだろう。天気もいいし、牧歌的な雰囲気が流れていた。鬼頭は煙を立ち昇らせながら、公園の入口をぼーっと眺めていた。
約束の時間を二十分ほど過ぎたころ、公園に近づく人影があった。市街地に場違いなスーツ姿だったため、すぐにわかった。
細身で小柄な青年だった。今さら心配しても仕方ないのに、周囲を警戒しながらこちらに向かってくる。見るからに神経質だった。
「荒川くーん」と山田が大声で呼ぶと、彼は慌てて駆け寄った。
「……名前で呼ばないで下さいよ」
ごめんごめん、と謝る口調には申し訳なさがまるでなかった。
荒川洋平は亡くなった中山の後輩だった。
松野慶介の死について調べるために山田が客のふりをして面談を取り付けたところ、荒川が表れたのだ。死にたがりを装いつつ情報を巧みに引き出し、正体がバレてからも粘った結果、「会って話してやってもいい」と先日連絡があったのだ。
鬼頭が頭を下げて自己紹介すると、荒川は「……どうも」と陰気に会釈をする。童顔でソバカスの目立つ顔だちだった。
そんな彼に山田が近づき、馴れ馴れしく肩を叩いた。
「ごめんねー巻き込んじゃって。協力してくれてアリガトね」
そう言って煙草の箱を握らせる。ちらっと見ると、折り畳んだ万札がはみ出ていた。レトロな真似をするなと鬼頭が思っていると、荒川は受け取ったそれをじっと見つめた。
「……これ、なに?」
「交通費と食事代。おいしいもの食べてねん」
荒川はぱっと手を離した。煙草の箱がゴミみたいに転がった。
「……やっぱりこういう連中だった」
失望したように漏らすと、荒川はもと来た道へと踵を返した。
去っていく荒川の背に向け、「おカネいらないのお?」と山田が煽るように声をかける。
鬼頭はこの野郎……と思いながら荒川を追った。肩を掴むと、勢いよく振り払われた。
「荒川さんの協力が必要なんです。力を貸して下さい」
鬼頭が声をかけると、何歩か進んだ後に荒川が立ち止まった。振り向いた彼の眼には、不信感が色濃く宿っていた。
「なんであんたら、この依頼受けたの?」
鬼頭は答えずに、待った。まずは怒りを吐き出させるのが先だった。
「どうせ依頼主が金持ちだからだろ? 同業者のこと嗅ぎまわって、そんなにカネがほしいのかよ」
「……なら、あなたはどうして連絡したんですか? カネ目当ての連中なんて関わりたくないでしょう」
「付き纏われるのが嫌だからだよ」
嘘だと思った。この件がバレたら会社や上司に責められるはずだ。相応の理由があるはずだし、それが何かは想像がついた。
鬼頭は仕方ない、といった感じで大きく息を吐き出し、切り出した。
背後の山田も意識しつつ。
「中山さんには昔、世話になったんですよ」
「……世話?」
荒川が興味を示すのを確かめ、鬼頭は告げた。
「親が安楽死したときの担当が中山さんだったんですよ。最後まで親身になって面倒見てもらいました。そんな人の仕事が疑われるなんて嫌だったんですよ」
荒川の表情が一瞬だけ緩み、それを自覚したのかすぐに眉間の皺を戻す。
「わざとらしい嘘つくなよ」
「疑うなら名前教えるんで調べて下さいよ。すぐに見つかりますから」
「じゃなくて」
混乱を振り払うように荒川は声を荒げた。
「あんたら、中山さんが潔白だなんて思ってないだろ! 怪しいって思ってるから依頼受けたんじゃないのかよ! やってませんで依頼人が納得するのか? しないだろ! 証拠がなけりゃ適当な嘘でっちあげて解決する気じゃないのかよ!」
「……だったら今からでも譲りましょうか?」
その返答を、荒川は鼻で笑った。
「できるわけないだろ。そんな依頼受けたら周りに何言われるか……」
「鬼頭さんも周りから顰蹙買ったよねー」
山田が合いの手を挟み、荒川に当てつけるように言った。
「それでも世話になった人のために、強引に押し切って依頼受けたんだよね」
随分な美談になってたが、このほうが効果的なので鬼頭は言葉を挟まなかった。実際、荒川は悔しそうに拳を握っていた。
「そういう話じゃなくてさあ。こっちは禁止されてるんだよ」
噂話のせいかと鬼頭は思った。上層部がよからぬ話を聞きつければ、社員に箝口令を敷くくらいはするだろう。
だがそれに続いた言葉は、鬼頭の想定外のものだった。
「宮園ひばりが事務所に直接来たんだよ。『旦那の安楽死で確認したいことがある』って。でもそんなの無視したほうがいいって上の連中が決めたんだよ。悪名高い人だし、今さら過去の安楽死なんか掘り返されても困るって……」
そんな話は宮園ひばりからは聞いてない。
だが、やはりな、という思いだった。何か、知りたいことが別にあるのだ。他殺の証拠という以外の情報を、宮園ひばりは欲している。でなければ直接訊くなんて馬鹿げた真似はまずしない。どういう反応をされるかなどわかりきっているからだ。
鬼頭は改めて頭を下げた。
「お願いします」
この場でできることといえば真摯に頼み込むくらいだ。
「関係者にはもう何人も話を聞きましたが手詰まりなんです。当事者でないからどの話も推測の域を出ない。安楽死がどう行われたかの情報がどうしても必要なんです。中山さんの潔白を証明するためにも、どうか力を貸して下さい」
遠くで、子供たちがはしゃぐ声が聞こえた。ちりんちりん、という自転車のベルも。
誰もいなくなったような長い長い沈黙の後で、咳払いの音がした。
「顔上げてよ」
鬼頭がそのままでいると、頭上からさらに声が降る。
「そんなことしてたら俺が悪者みたいに見えるじゃん。……てか、そんな恰好じゃ話しづらいでしょ」
荒川が近くにあったベンチに座ったので、鬼頭もそれに倣った。
山田は自分の役割は終わったとばかりにその場から離れて、ブランコを漕ぎはじめた。いい歳した大人が遊具で遊ぶ姿は完全に不審者だった。
ふぅーっと荒川が息を吐き出し、鬼頭の意識もそちらに向く。
「中山さんはモラルのしっかりした人だったよ。それはわかってるよね」
はい、と短く答えた。
「松野慶介って人は色んな事務所に相談して全部に断られて、最後にうちに来たんだよ。中山さんだって松野って人のやりたいことに全面的に賛成してたわけじゃない。でも安楽死したいって願いをどこにも受け入れてもらえなかった人って、何するかわからないじゃん」
その意味は鬼頭にもよくわかる。制度に則って死ぬのを拒まれた人間は、制度に頼らない死を選ぶ。誰にも知らせず、繋がりを絶たれたままこの世から消える。それは考えうる限り、最悪の可能性だった。
「あんたが逆の立場だったら、どうしてた? 何も考えずに断ってた?」
「……一旦は受けるでしょうね。説得のために」
荒川はそれに頷いた。
『死ぬ以外の解決法を模索する』
それはエンディングプランナーの役割の内、もっとも重要なものの一つだ。
中山という男も同じ気持ちだったのだろう。他者との関わりを持とうと思えるうちに接触して、悪い方に行かないように修正するつもりだったのだ。
「俺も中山さんから相談受けてたからわかるよ。あの人は何度も止めようとしたし、話がどこまで進んでもキャンセルは可能だって伝えてた。採算とか利益のこととか全然気にしてなくてさ。なのに結局、依頼人は死んじゃったし、後になってこんな風に揉めるし。……人が良すぎるんだよ。あんな依頼、後味が悪いだけだったのに」
最後はほとんど独り言だった。それだけ溜まってたものがあったし、誰かに吐き出したかったのだろう。
「あんたらにとっちゃ大した情報じゃないかもしれないけど、中山さんはまともな仕事をしたんだよ。俺はそれを知ってほしい」
「大丈夫です。わかってます」
鬼頭が相槌を打つと、荒川が泣きそうな顔で頷いた。
「……そっちも中山さんのこと信じてくれるなら、こっちも出来る限り協力するから。知りたいことがあったら教えて」
※ ※ ※
荒川から名刺を受け取り、その場は解散となった。
鬼頭はひとりになる伸びをして、足元の手頃な石を拾う。ブランコめがけて投げつけると、柱に当たって大きな音がした。携帯をいじってた山田がビクッと体を震わせた。
「なんっすか、あぶないな〜」
抗議を無視して眼の前まで歩いていくと、仁王立ちで問いかけた。
「じゃなくて。どういうつもりですか、あれ」
低い声で鬼頭が凄むと、山田は「ごめんネ」と笑顔でごまかした。
「だってさあ。しょうがなくない? お金出して怒られるとは思わないじゃん。俺だったら交通費としてもらっちゃうけどなー」
「反省してませんね?」
「うんっ」
小学生みたいに元気な返事に、鬼頭は爽やかな殺意を覚えた。
だが荒川との約束を取り付けたのは山田なのだ。怒るのも違うなと思って隣に座ると、許してもらえたと思ったらしく、山田はへらへら笑って煙草を吸い始めた。
「にしても鬼頭さんも水臭いなあ。恩人が疑いをかけられてたなんて、言ってくれれば良かったのに」
「言ったら断りづらくなるでしょう。巻き込みたくなかったんですよ」
「でもあれ嘘だよね」
煙を吐きつつ山田は言った。
「本当は面識ないし、中山なんて顔も名前も知らなかったんじゃない?」
「なんでそう思います?」
「鬼頭さんって名誉がどーとか気にしないでしょ。誰がどう思ったって、自分がわかってればいーかなーって考えるタイプだし」
「そんな恩知らずに見えます?」
「恩とかじゃなくて。本人が死んでるならダメージ受ける人もいないし、無駄に掘り返す必要もないって線引きそうじゃん」
「そこまで冷淡じゃないですよ」と鬼頭は苦笑した。
「鬼頭さんって自分のこと話さないよね」
いつになく真面目な口調で山田が言った。
「話したくないならいいけどさ。なーんでこんな依頼受けるのかって、心配してる人だっているよ? 黒瀬さんとか白木ちゃんとか、俺とか。余計なお世話だろーけど」
しばらくの間、二人して黙った。ブランコがギコギコ鳴って、鳥の鳴き声がした。
鬼頭は煙草に火を点け、答えた。
「両親は二人とも元気ですよ」
山田は推理が当たったのが嬉しいらしく、「やっぱりー」と満足げな声をあげた。
「自殺したのは恋人のほうです」
場が、凍り付いたように固まった。
煙を吐き出し、ゆるゆると空に昇る白いもやを鬼頭は眺める。墓参りの香煙を見上げてるようだった。白い粒子が空気中に拡散する様は儚く綺麗だった。
何気なく隣に視線をやると、山田は両手で顔を覆っていた。しばらく待つと、「聞きたくなかった……」と嘆く声がした。
「実は冗談とか、ない?」
「ないです」
そう、と弱弱しい声が返る。
「詳しい事情を話しましょうか?」
「いらない……」
だろうな、と思いながらも鬼頭は続けた。
「そういうわけで、宮園ひばりの気持ちがちょっとわかるんですよ。近しい人が亡くなって、それに納得できないのは辛いですから。できれば放置はしたくない。誰か親切な人が解決してくれれば最高なんですが、だーーれもやらないから首を突っ込んだんです。ほっといても損はしませんけど、好き好んでババ引く間抜けが一人くらい居たっていいじゃないですか」
「……聞きたくなかった。そんな事情、知らずに過ごしたかった……」
「言わせたのはそっちでしょう」
「こんな激重なエピソードが出てくるとは思わないじゃん!」
「重くないですよ。昔の話ですし、気持ちの整理も済んでますから」
「……遺品とか家にまだ残ってる?」
「たっぷり」
もおー、と自分で聞いたくせに山田は悲鳴を上げていた。
念のため鬼頭は釘をさしておく。
「他の人には言わないで下さいね。特に白木さんとか。露骨に態度に出て面倒そうなので」
「……言えないでしょ。ドン引きされるわ」
携帯灰皿を出し、鬼頭は吸殻の始末をする。この話はこれでお終い、という合図だった。
山田が訊いた。
「で、これからどーすんの? 協力は取り付けたし、情報は引き出せそうだけど」
松野慶介の件についてだ。
荒川に会うまでに関係者には一通り話を聞いて、大体の情報は出揃っていた。誰かから恨みを買ったり金を借りてる様子はなかった。交友関係で疑わしい人物もいなかった。
残るはエンディングプランナーの関与だが、今日荒川と会って、結論はほぼ出ていた。
「多分、元担当はシロだよね。あの様子からして」
鬼頭はそれに頷いた。
はっきりとは言わなかったが、荒川は鬼頭らに会う前に松野慶介について調べていたはずだ。内部の人間なら調べるのは容易なので、それくらいはするだろう。あの神経質そうな性格ならなおさらだ。その上で潔白だと確信したからこそ、ああいう強気な態度に出たに違いない。
つまり彼の口から疑惑を匂わせる発言がなかった以上、エンディングプランナーとしての仕事に落ち度はなかった可能性が高い。
とは言え完全に無実かと問われれば断定はできない。
「止めるべきだった──という話になれば、白がグレーになりませんか?」
「どーゆーこと?」
「ビジネス的に見込みがなかったのを放置したという過失です。それがミスと言えなくもない。死ぬ可能性が高い状況をスルーしたなら、間接的な殺人といえるのでは」
「言うほど失敗が決まってたわけじゃなくない? 施設向けの服でユニバーサルデザインって、狙いは悪くなかったと思うけど」
松野の資料は山田にも目を通してもらっていた。
鬼頭とは考えが異なるようだったので、詳しく聞いてみることにした。
「年寄りって指先が不自由だったり、腕上げると痛いって人も多いから、選べるならラクな服を選ぶでしょ。老人ホームを狙ったのも悪くないよ。普通の服だとズボン脱がせたりボタン留めたりが地味に面倒だから、その辺が工夫されてるなら介護の負担はだいぶ減るし。
あとはデザイン性が残ってんのも強みかなー。こういう特殊な服ってシンプルすぎるのが多いから」
「施設の中でオシャレしたって仕方ないでしょう」
率直な意見を口にすると、「わかってねーなあ」と呆れられてしまった。
「そういう状態になってるからこそ、デザインが必要になるんだよ。介護施設でボケてる婆さんが化粧したら元気になったとか、よくある話じゃん。一人で風呂にも入れないで裸も見られて、爺ちゃん婆ちゃんは落ち込んでんだよ。生きるために必要なもん以外は全部取っ払われて鬱ってんの。だから見た目に気を遣うとか、洋服やアクセサリーで着飾ったりとか、そういう無駄が大事なんだよ」
浅はかさを指摘されたようで、鬼頭はちょっと落ち込んだ。
「……ずいぶん熱弁しますね」
「だってさあ。メシ食ってクソして寝るだけの人生なんて最悪じゃん。酒とかフーゾクとかギャンブルとか、潤いが必要っつー話だよ。施設にデリヘル呼んだら怒られんのかね」
クズのエリートらしい発言だが本質をついてる気がした。それにしても随分詳しく調べたようだ。
「なら敗因は? それだけ聞けば見込みはありそうですが」
「これで喜ぶ人間がカネにならない相手だったからじゃない? 現場が喜ぶからって儲かるわけでもないし、メリットもわかりにくい。鬼頭さんだって説明されなきゃピンとこなかったじゃん? 経営者にすりゃ旨味もないのにやり方を変えようなんて思わないでしょ。ニッチな分野だからデザイン数が多いと小さいロットで服を作らなきゃなんないし、そうすっと単価が上がって利幅も減るから、そこもマイナス。
つってもコンセプトは悪くないから、無償で配布して評判良ければ採用って流れもあったと思うけど」
なるほど、と鬼頭は納得した。運次第でどちらにも転びうる状況だったのだろう。これでエンディングプランナーを責めるのは流石に酷だ。
「どーしよっか」
明後日の方向を見ながら、山田が言う。
「困っちゃったね。ほかに怪しい人って誰かいたっけ?」
「いませんよ」
松野が死ぬこと、あるいは起業することで利益を得る人間などいない。
手続きにも落ち度はなかった。
怨恨による殺人であるなら、こんな回りくどい方法はとらない。
よって松野慶介の安楽死に疑いはなく他殺などではない──と説明しても、宮園ひばりは納得しないだろう。彼女は他殺であるという前提で依頼をしたからだ。
かといって、ないものの証明など出来ない。
「そもそもあの人、なんでこんな依頼したの?」
宮園ひばりの目的は一体何か──。
最初に抱いた疑問だった。
犯人と証拠を見つけて、彼女はどうするつもりなのか。当初は復讐でもするのかと思っていたが、おそらくは違うだろう。
宮園ひばりは最初に担当のエンディングプランナーに連絡を取った。
犯人探しがしたいなら、容疑者の筆頭にいきなり声をかけるような真似はしないはずだ。警戒されるし、ストレートに聞いてすんなり話すわけがない。
では彼女は何を知りたいのかだが、見当がつかなかった。聞いてみようにも正式な回答以外では連絡するなと言われてる以上、どうしようもない。
どん詰まりだった。
「聞き込みの範囲でも広げる?」
鬼頭が考え込んでると山田が言った。
「めんどいし効率は悪いけど、そのくらいしかできなそうだし」
「あまり時間はかけたくないです」
山田が怪訝そうにする横で、鬼頭はさらに続けた。
「もう終わりにしましょうか」
よほど意外だったのか、山田は素っ頓狂な声をあげた。
「はあ? 今さらそんなこと言うの? ここまでやって?」
「落ち着きましょう。これ以上は誰に話を聞いてもきっと無駄です」
「そりゃわかってるけど! 終わらせるって、どーすんの? お手上げですって菓子折りでも持っていくの? ババアにぶっ飛ばされない?」
「じゃなくて。回答を提示しに行きます。そうすれば何が狙いかを探れるので」
「……さっき怪しい人なんていないって言ってなかった?」
「でっち上げます」
鬼頭はさらりと答えた。
「犯人を示すだけなら難しくないんですよ。『自殺の九割は他殺』という言葉を知ってますか?」
「……しらない」
「例えばある人が亡くなったとして、いじめやパワハラがあったとします。これは純度百%の自殺とは言えず、故人を虐めていた人物による他殺と言えます」
「うんうん」
「ここまで明白でなくとも自殺には何かしらの動機があって、呼び方を変えれば、それを犯人と呼べるんです。安楽死でも理屈は同じです。何もなく死にたいと思う人はいませんし、外的要因は必ず存在します。そこから犯人を作ります」
「せんせーしつもん」
「先生ではないですがドーゾ」
「松野慶介って積極的に死にたかったわけじゃなくて、結果として死んじゃっただけだよね。この場合でもその理屈って使えるの?」
「使えますよ。極端な話、安楽死制度なんてものがなければ松野慶介は死んでいません。捉えようによっては、制度を容認している我々全員が殺人犯です。依頼を受けたエンディングプランナーも医師も、死ぬと知ってて止めなかった息子も、ある意味で人殺しです。……実際は起業のきっかけになった人物を犯人として指名するつもりですが」
「宮園ひばりの目的がマジで復讐とかだったらどーすんの? 下手に犯人をでっち上げたら、流血沙汰になったりしない? 後味悪いのはやだよ?」
「犯人が死んでれば問題ないでしょう」
「あ、もう何か考えてあるのね?」
はい、と肯定したうえで、鬼頭は山田に”お願い”をした。
かなり面倒な頼みだったが、すんなり引き受けてくれた。
「ここまで来たからやるけどさ。それ確認してどーすんの?」
「隠し事をするような相手と交渉するわけですから。相手の秘密を握っておいて損はないでしょう?」
正直に理由を話すと呆れたような視線を向けられた。
「鬼頭さんってマトモぶってるけど、たまにクソ野郎になるよね」
「クソみたいな客の相手をしてると性格が感染るんですよ」
冗談を言ったつもりはなかったが、山田はゲラゲラ笑ってた。
さて──と鬼頭は考える。
松野慶介の死は安楽死として処理され、手続きの不備もなく通ってる。誰が何を言おうが、今回の件は法的にはケリがついている。
それを踏まえて、宮園ひばりは何を求めているのか。
それを知らねばならなかった。
※ ※ ※
一週間後、鬼頭は宮園ひばりと会う約束を取り付けた。彼女の日本での住処は、富裕層向けの高層マンションだった。
天を衝くような高さの建造物を見上げて、鬼頭は嘆息する。一部屋で億のカネが飛ぶ物件はまるで宮殿のようで、庶民には縁遠い代物だった。
緊張しながら近づくと、エントランスの前に細身の女が控えていた。
宮園の使用人なのだろう。モデルのような抜群のスタイルで、皺一つない燕尾服を見事に着こなしていた。
「鬼頭様でいらっしゃいますね?」
笑顔もなく、女は確認をする。
「宮園様よりお話は聞いております。お部屋までご案内いたします」
鬼頭は凛とした女に連れられ、マンション内を進んでいった。エントランスの認証やエレベーターのオートロックを抜け、塵一つない磨き抜かれた通路を進み、最上階の一室に辿り着く。
室内は外よりも温度が数度低かった。
コリドーを抜けると開放的なリビングへと通される。
部屋には白を基調とした家具が並び、殺風景といえるほど広さが強調されていた。壁に掛けられた絵画は空間に調和していたが、美術館のような無機質さがあり生活感をさらに奪っていた。
家の主は窓際で外を眺めており、「お連れしました」と燕尾服の女が声をかけると、振り返った。
宮園ひばりは黒いパンツに、艶のあるオーバーサイズの黒色のシャツを着ていた。姿勢とスタイルの良さから、そのまま雑誌の表紙でも飾れそうだった。
挨拶はなかった。手振りでソファーに座るよう指示され、鬼頭は着席する。白い革張りのソファーは固く、それでいて座り心地がよかった。
「随分と早い報告だね」
宮園は正面に座り、言った。何気ない会話のようだが、世間話を好む性格でないのはわかってる。「十分な調査をして参りました」と堅苦しい返事をするに留めた。
やがて燕尾服の女が紅茶を持ってきたので、礼を言い、宮園の表情を伺う。穏やかだが内心は計り知れなかった。
互いにカップに手をつけずにいると女が去り、広い空間に二人きりになる。
宮園が言った。
「では聞かせてもらおうか。犯人と、その証拠を」
鬼頭は軽く息を吐き出すと、鞄からクリアファイルを出して、テーブルに置いた。
宮園はそれを一瞥する。
「それは? 週刊誌のコピーみたいだが」
はい、と鬼頭は頷いた。雑誌のバックナンバーを印刷する有料のサービスを使って、過去の記事を幾つかプリントしておいたのだ。
見出しには『松方由紀子、飛び降り自殺!』と記されている。
「この松方とかいう女は松野の知り合いかい? そいつが松野の死に関係していたと?」
「直接的な繋がりはありません。
今からする話はご主人の死因を語る上で欠かせない話なので、しばしお付き合い下さい」
宮園は言葉を挟まなかった。続けろ、ということだろう。
慎重に、鬼頭は言葉を紡ぐ。
「この記事にある松方という女性は昭和のアイドルです。飛び降り自殺をして、十九歳のときに亡くなりました」
松方由紀子は当時、人気絶頂のアイドルだった。
岡山出身の彼女は十七歳で芸能界デビューし、アイドル歌手として底辺から成り上がった。貧しい家で生まれ育った彼女は、デビューからしばらくは誰も知らないような無名の芸能人だったが、当時、一番の視聴率を誇る歌番組に出演すると、その容姿や立ち振る舞いの愛らしさから一夜で人気に火がついた。世に出て二年も経つ頃には、全国に知らぬものはいない程の知名度を誇るようになった。
一方で時代はまだ昭和だったため、未成年者の労働に関するルールが未成熟で、深夜まで働かされたり、休みがほとんど取れないような過酷な労働を強いられていた。
自殺の理由ははっきりとは公表されなかったが、激務や失恋の傷といった複数の要素が運悪く嚙み合ってしまったのだろうと推測されている。
事件は一九八九年に発生した。
松方由紀子が飛び降り自殺を図ったのは午後二時で、同社に所属する俳優のスキャンダルの取材をしようと、週刊誌の記者が事務所のビルに押しかけていたところだった。
眼前で人気アイドルが亡くなる瞬間を目撃した記者たちは、手にしたカメラで飛び降り自殺したばかりの松方由紀子を撮りまくった。
当時は報道のルールが緩かったため松方由紀子の写真はあらゆる週刊誌に掲載され、テレビのニュース番組でもモザイクなしに放送された。何百、何千万という人々が彼女の死を目撃した。
それ以降、飛び降り自殺で亡くなる若者の数が急増した。直近の数年で自殺者が数倍に膨れ上がり、その死因の多くは松方由紀子と同じ飛び降り自殺だった。
「群発自殺。──この現象は後にそう呼ばれるようになりました」
これはセンセーショナルな事件を詳細に書き過ぎたためだと分析されている。感情移入できるくらいに自殺者の情報が拡散された結果、多くの死を招いた。
若者のファンや潜在的に自殺の危険性が高い人にとって他者の自殺は見本になりうるし、病的な同一化を促進する。それが多数の連鎖自殺の引き金になった。
「この場合、大勢の人が亡くなったのは何が原因だと思います?」
鬼頭が話を振ると、宮園は目を伏せて答えた。
「……雑誌の記事が殺したのだろうね」
素直な回答に拍子抜けしつつも、鬼頭は頷き、話を続けた。
この一件が契機となり報道規制が強化された結果、大規模な群発自殺は観測されなくなった。有名人が亡くなればそれについての記事は出たが、必要以上の内容は記されなくなった。
だが安楽死が認められたことで状況が変わった。
「安楽死が制度化されて以降、死に至るまでの記録を残す人が激増したんです。自分の眼に世界がどう映ったかを残したがったんでしょうね。ブログやSNSなどのデータは死後にほとんどが消されますが、残るものもあります」
それは単なる消し漏れだったり、存在を知りつつも、故人の生きた足跡だからと遺族が残してるケースも多い。
誰にも見られない形で残ってれば問題はないのだろうが、公開されたままでいると、それを読み影響を受ける者も出る。
死を決意した理由。最後をどう過ごすと決めたのか。バゲットリストの内容。減りゆく日々。目に映る景色や、親しい人との触れ合いなど──。それらはほとんどの人には無害だが、ある者にとっては理想の死のモデルケースになりうる。自分とよく似た人物が、人生の終わりを定めてから限りある日々を充実させるのだ。それが魅力的に映り、死に惹かれることもあるだろう。
つまり──。
「松野慶介も記事によって殺されたんです。群発自殺の犠牲者のように」
鬼頭はそこで区切ると、テーブルに別のファイルを五つ並べた。
それらは個人ブログを印刷したものだった。
「これを書いたのは安楽死で亡くなった方々です。死を決意してから実行するまでの記録が、死後もウェブ上で公開されていました」
遊雅から回収したパソコンにもデータが残っていた。
松野慶介はこの五人が亡くなるまでの経緯を調べ、執拗といえるほど何度も見返していた。
五人とも安楽死を遂げるにあたり、人生でやり残した課題に取り組んでいた。それは自身の会社を設立したり、貧困家庭の援助をするNPOを発足したり、途上国支援の取り組みだったりと、通常の安楽死であれば見られないような精力的な取り組みだった。
松野は彼らについて何か月も調べ、家族にも会い、その後、安楽死の事務所へ相談に行っている。依頼を断られた事務所でも、こうしたケースが他にもあるからと、彼は熱弁していたそうだ。
「記事を目にしてなければ、きっと単なる思い付きで終わってました。有名人の死に感化された人とは事情が異なりますが根は同じです。松野慶介も、人の死を綴った文章で殺されたんです」
因果関係があるとは断定できなくても、まったくの無関係とは言い切れないはずだ。
鬼頭の想いとは裏腹に、宮園は酷くつまらなそうだった。
「……誠意が足りないね」
意外な単語が出て、鬼頭は戸惑った。
この解が受け入れられるとは思ってないが、まさかそんな曖昧な物言いをされるとは。
「条件を加えようか」
宮園が抑揚ない声で言う。
反論する間も無かった。
「『犯人は単独犯』。『明確な殺意のある人間』で、『動機』と『殺害の証拠』も出す。これでやり直してもらおうか」
鬼頭は言葉が出なかった。そのくらい呆気にとられていた。
彼女だって、わかってるはずだ。
そんな条件を満たす人間がいるわけがない。
その上で鬼頭に告げてるのだ。やれるものならやってみろと。
いっそ怒鳴り散らしてやろうかと思ったが、拳を握り、何とか抑えた。ここで終わらせるわけにはいかなかった。
ファイルを鞄に仕舞い、大げさに息を吐き出すと、顔を上げ、鬼頭は正面から宮園を見据えた。
目いっぱいの怒りを滲ませて。
「……他の条件があれば、先に言って頂けませんか? 今度は、後出しではなく」
宮園は怪訝そうな顔をした。
「言葉の裏を読めないほど間抜けなのかい? こっちが何を言わんとしてるかくらい、わかるだろう」
手を引けと言われてるのは伝わってる。彼女を失望させたのも。
だからといって退けなかった。
情報を引き出すのだ。
「これ以上の条件はないという解釈でよろしいですか?」
喧嘩腰で向き合うと、宮園は見るからに鬱陶しそうにする。
億劫そうに彼女は聞いた。
「なぜ急いだ?」
端的な問いだった。
「依頼を受けてから一月も経ってない。結論を出すには早すぎやしないかい? こんなに急いで、手っ取り早く終わらせようとしたんじゃないのかい? 形だけの答えを出して」
「そんな雑な仕事をするなら、こんな面倒事に関わってませんよ」
「急いだことの否定はしないのだね」
宮園は鋭利な指摘をする。
もっと効果的な明かし方もあっただろうが、出し惜しみしできる状況ではない。仕方なく鬼頭は告げた。
「あなたの病名がわからなかったから……」
宮園の反応が途絶えた。沈黙が降り、目の奥を見据えられた。
ここにきて、初めて人間同士で向かい合ったような気がした。有象無象の一つとして扱われたのが、急に人間として認めてもらえたようだった。
「……噂話を聞いたときは大して気にしませんでした。死んだ人のことを調べて事務所をあちこち回るというのは、珍しいけど無いわけではない。弁護士を選ばず同業者を選んだのも、内情を知ってるからだと解釈できます。
ただ──最初に会ったときに、あなたはバゲットリストという言葉を使ったし、安楽死の申請という立場で臨んでました。仕事を頼むためと言えばそれまでですが、妙だと思ったんです。宮園ひばりなら、そんな面倒なことをせずに、もっと強引なやり方をするはずだと思いました」
「と言うと?」
「大金をちらつかせて『特別な仕事を頼みたい』とでも言うほうが、あなたのキャラクターに合っている」
「随分な言い草だね」
「ご自身でもそう思うでしょう」
はっ、と宮園は鼻で笑った。
「そっちの流儀に合わせたのが、それほど気に入らないかい」
「後で取り消すにしても、安楽死やバゲットリストに抵抗を抱く人は多いんですよ。なのにあなたはその辺の感性が麻痺していた。これも宮園ひばりらしいと言えばそれまでですが、息子さんから借りた資料に、新聞の切り抜きが混ざってたんです。『宮園ひばり、乳がん』ってやつが。それを見て、疑いました。転移や再発があったんじゃないかと」
宮園ひばりの癌は完治したとされていたが、再発しないとも限らない。乳がんなら初回治療の二十年後に再発したという話も聞くし、可能性はあるだろう。
「別れた夫が亡くなったのを今さら気にするというのも不自然ですが、体調不良をきっかけに昔を振り返ったとすれば合点がいきます。であれば、状況が差し迫っているかもしれない。色々な事務所で断られて時間は消費してるし、病状がわからないから急いだほうがいい。──そう思ったんです」
あるいは病の再発で安楽死について調べたのかもしれない。自身の安楽死は適用除外に該当するため叶わなかったが、その過程で夫のことが気にかかり、調査に乗り出したのかもしれない。
鬼頭の話を聞き終えると、宮園は無言で立ち上がる。
キッチンに向かうとグラスを二つ取り、美術品のように並んでいたブランデーを手にする。琥珀色の液体を注ぐと戻り、片方を鬼頭の前に置いた。
どういう評価が下されたかは定かでないが、先ほどよりは状況が好転していると鬼頭は捉えた。実際、彼女の口元には微笑が浮かんでいた。
「この可能性は予期してなかったが、悪くはないかね……」
そう零しながらファイルを手にして、ぶらぶらしながら中身をあらためる。
鬼頭は目の前の酒を口に含み、うっと唸った。液体が口内に入った瞬間に芳香が広がった。普段飲む安酒とはまるで違う、華やかな高い酒だった。──あいにく好みではない。
「中山とかいうエンディングプランナーも、お前さんみたいな奴だったのかね。おせっかいと言うか世話焼きと言うか」
宮園が世間話のように聞く。
「比べるのも失礼なほどですよ。まともな神経してたらあんな依頼は引き受けない」
「だろうね」
皮肉っぽく笑うとスツールに座り、彼女は資料に視線を落とす。
鬼頭が落ち着かない気持ちで出方を伺ってると、馴染みのある臭いが漂ってくる。いつ火をつけたのか、宮園が煙草を咥えていた。流石に声をあげた。
「そんなもの吸っていいんですか」
「自分の家でヤニ吸って何が悪い」
「そういう意味じゃなくて」
宮園はこちらを見ないまま鬱陶しそうに言う。
「人に心配されるほどヤワな体はしてないよ。さっきの話も、どうせ裏は取れてないんだろう? せいぜい病院に入るところまで尾行してたってところかね」
指摘され、鬼頭は彼女が先の話を否定も肯定もしてないのに気付かされる。山田に調査はしてもらってたが、彼女の言う通り詳細までは把握できてない。
「この歳にもなれば体にガタも来るさ。検査だって山ほど受けてる。重い病気でなくてガッカリしたかい?」
いえ……と鬼頭が言葉に詰まると、気にするでもなく宮園は続ける。
「穴だらけの推測で事を急いだのは気に入らないが、善意から出た行動なのは認めようか。あの仮説にしても、あれはあれで無関係の人間を巻き込まない配慮もあるし、ぎりぎり及第点ってところかね」
言い回しが柔らかになってるので機嫌を損ねてはいないらしい。
だがそうするとわからないことがある。
「なぜ今になって安楽死を調べようと思ったんですか」
「服が送られてきたんだよ」と書類に視線を落としたまま彼女は語る。
数年前の、古い荷物だったという。
本来はもっと早くに宮園の元へ届く予定だったが、手違いで倉庫にずっと放置されていた。当時彼女は海外で生活しており、そうした事故も起きやすい状況だった。
宮園は到着後もすぐには開けず、遅くまで仕事をしていた折に、ふと思い出したという。
段ボールの封を開けると、中にはたくさんの服が入っていた。手紙などのメッセージはなく、タグの付いた新しい洋服がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
松野が安楽死したという話は知ってたが、別れた夫に関心はなく、珍しい死に方をしたものだとしか思ってなかった。
それが、箱の中身を目にした途端、他人事ではいられなくなった。
松野が作ったであろう服は、時代遅れであか抜けない、落第点しか与えられないようなものばかりだった。さほどファッションに興味のない者に向けて作られた服だと一目でわかった。
飾った花がいつの間にか枯れていたときのような気分に襲われた。
こんな服を作るような男ではなかった。
出会った当初は才能にあふれた男だった。だからこそパートナーに選んだし、自分が隣に立っても色褪せないような相手だと思っていた。長い年月を経て、それが完全に腐りきったのを突きつけられた。
胸が締め付けられた。
なぜ、こんなものを送りつけたのか──。
宮園は気になった。
気にして、しまった。
なぜ死ぬ間際になって起業したのか。なぜ死んだのか。
「わたしが奪ったようなものさ」
出会った頃の松野慶介は撮影現場でメイクや衣装などを担当していた。洋服に興味があったのは彼のほうで、付き合い始めてからも彼は自分でデザインした服を世に広めたいとよく口にしていた。
やがて結婚して子供をもうけたものの、彼は妻のために家庭に入る方を選んだ。
宮園ひばりがアパレルブランドを立ち上げたとき、口では祝福してくれたものの、嫉妬は感じていたという。実際、彼は宮園の会社の手伝いは決してしなかった。
子供が成長すると松野も仕事に復帰したが、当時は男性の家事育児について理解がなかった。キャリアが分断された結果、松野は以前のようには働けなくなり、夢からも遠のいた。
もし彼が別の女と結婚してれば、きっと違う人生になっていた──。
夢の残骸と向き合いながら、宮園は『お前が殺したのだ』と糾弾されてるように感じたという。
「……気にし始めると止まらなくてね。松野を担当したエンディングプランナーに話を聞ければよかったんだが、事務所には門前払いを食らうし本人も亡くなっていた。別のやり方が必要だったんだよ」
松野慶介が自死するにあたり、一体誰が悪かったのか。
始めから意図を明かせば、マスコミの餌食になるのは明らかだった。よからぬ噂が流れれば周囲にも迷惑をかける。秘密裏に調査してくれる人間を探すしかなかったが、親しい人間に胸の内を明かすのは気が引けた。それに宮園の意図を理解してもらうには、弁護士ではなく同業者のほうが適任だった。
「そのために殺人犯を探すという名目で依頼をした、と──」
宮園は頷いた。
「『犯人などいない』と面と向かって言えるような人間を期待してたんだがね。胆力と誠実さがあって、徹底して調べてくるような奴が理想だった。あんたは想定とは違ってたが、役者として十分だろう」
「今からでも他と代わってもらえませんかね……」
「安心していい。すぐ終わる」
話を区切ると宮園は書類を床に投げ捨て、鬼頭を見据えた。
煙草の先端から紫煙が漂い、老女の姿を妖しく包む。舞台の一幕のように、よく通る声で彼女は言葉を発した。
「容疑者にわたしを含めたら、さっきの答えはどうなる?」
鬼頭は脇に汗がじっとり滲むのを感じた。──本当に厄介な依頼主だ。
「……可能性は考えましたよ」
鬼頭は乾いた口を開く。
「どうして老人向けに服を作ろうとしたのか不思議でしたから。高齢者向けのブランドを作ろうなんて普通は考えません。年寄りで服に興味がある人なんて少数ですから、分が悪すぎる」
勝算はゼロではなかったにせよ、高くなかったはずだ。別の選択肢のほうがまだ見込みはあった。
しかし彼はそんな風には捉えなかった。
老人向けのファッションが成立すると思ったのは、歳をとっても服に興味を持ち続けそうな人が身近にいたからではないだろうか。
「あなたは最後まで着る服にこだわりそうだ」
「根拠が薄いね。わたしの影響だとは言い切れないだろう」
「あなたは人生の最後に何を着ます?」
「クローゼットからお気に入りを選ぶよ」
「着れる服がないかもしれません。最後まで五体満足ならいいですが、人によってはそうもいかなくなる。衰えて指の力がなくなったり細かな動きができなくなれば、助けを借りないと着替えすらできなくなる。そうなれば選択肢が一気に狭まって、毎日パジャマみたいな服で過ごさないといけなくなる」
「見当違いの心配だね。こちとら見てのとおりピンピンしてるし、松野も体の具合なんて知らないだろう。ろくに連絡も取ってなかったんだ」
「スクラップブックにあなたの記事がありました。癌の記事と、脳梗塞で倒れた記事が載ってました。後者は後遺症もなく全快されたそうですが、これも再発の可能性はあるでしょう。そうなったら体のどこかが不自由にならないとも限らない」
なにより、と鬼頭は言葉を区切り、改めて伝えた。
「あなたの会社では、そういう服は作ってない」
よその会社でも、障碍者向けであり、かつファッションとしてデザインが残ってる服は見かけない。完全な健常者向けの服か、機能性に特化した服だ。
「需要があるけれど、市場に商品は出回ってない。これなら起業する理由になりえます」
「かもしれないね」
宮園の相槌を受け、鬼頭は唾を飲む。
次が一番吞ませたい可能性だった。
「あなたのために服を作りたかった、と考えるのは行き過ぎですか?」
障害者向けの服というコンセプトがあるにせよ、実際に形にするにはそれを着る誰かをイメージする必要がある。
彼がイメージした最初の顧客は、宮園ひばりだったのではないだろうか。
高齢で、洒落っ気のある人間で、病を患った経験のある、松野がイメージしうる人物となれば、候補の上位にのぼるだろう。良くも悪くも、彼の人生の中心には宮園ひばりがいたはずだ。
病に倒れ、障碍の残った体で、着るものを亡くした元伴侶のことを想像して、松野は服を作ろうとしたのではないか──。
「洋服を送ったのは、単にあなたに着てほしかったからとは考えられませんか?」
「ありえないね。あんな服を着るくらいなら裸で過ごすよ」
「灰色のパジャマと比べたらどうです? どっちが最悪かという選択なら出番があるかもしれない」
「状況次第というわけかい」
「まさしく」
「だが不十分だね」
鬼頭の説を宮園は切って捨てた。
「その話には、証拠がない」
鬼頭は口を開き、言いかけ、やめた。
──そんなもの、ありませんよ。
当人が亡くなってる以上、彼が何を考えていたかなど知りようがない。
彼が恨みを抱いてたのか、いなかったのか。贈り物の真意はどこにあったのか。その問いに100%の答えなど存在しない。事実に限りなく近づけたとしても、最後の部分は推測に頼るしかない。99%が限界なのだ。
知りつつ彼女は拒否していた。
曖昧な推測で自分の心を慰めるのを、良しとしなかった。
息苦しくなるほど頑なに、亡きパートナーに対して誠実であろうとしていた。
「他に何か考えはあるかい」
その問いに、鬼頭は首を振った。
時間をかけたとしても、彼女が納得するような答えはきっと出せない。
彼女もこの結末は予期していたのか、叱責も罵倒もなかった。「帰っていい」と素っ気なく口にしただけだった。
「手間かけさせたからね。報酬には色を付けとくよ」
「これで金なんて受け取れませんよ」
「役に立たなかったわけじゃない。あんたらがお節介の世話焼きだってのはよーく伝わった。こんな連中に面倒見てもらえたなら、あれもきっと幸せに逝けたよ。それが知れただけでも収穫さ」
宮園は残った酒を一息に飲み切り、吸いかけの煙草を灰皿で押しつぶす。
それが終わりの合図だった。これ以上、何も話すつもりはないようだった。
宮園は床に散らばった書類を拾うと鬼頭に返す。扉を開け、待機していた使用人を呼ぶと見送りを命じる。
動揺も感傷も一切、表れていなかった。実際、何も感じてないのかもしれない。
鬼頭にわかるのは事実だけだ。
執拗に元夫の死を調べさせたという事実から、心の機微を想像するしかなかった。
「エントランスまでお見送りいたします」
使用人の女が言った。
鬼頭は荷物をまとめて立ち上がり、迷い、そして言葉を発した。
「明確な殺意と、動機と、証拠──」
宮園が黒い瞳を向ける。
「先ほどの話の続きですが、一人だけ該当する人物がいます」
「いるわけがない」
冷ややかに返した。
「そんな奴がいるんだったら先に言ってたはずだ。思い付きで出鱈目を言うつもりなら、よしとくれ。私は今、気分がいい。台無しにしてほしくない」
「候補を広げていいならいます」
構わず鬼頭が言うと、宮園は怪訝そうにする。
「さっきもやってましたよね。あれが許されるなら話が変わります」
使用人が困惑した表情を浮かべる。
その横で宮園は口元に手を当て、先のやり取りを思い返す仕草を取る。
難しい問題ではない。
答えは初めから提示されていた。探すまでもなく、証拠も、動機も、殺意も示されていた。もちろん単独犯だ。これだけ明白なら、宮園ひばりであれば容易く解答にたどり着けるはずだった。
なのに、いくら経っても彼女は反応を示さなかった。
不自然なまでに“それ”に目を向けるのを避けていた。
鬼頭にはその心理が痛いほどわかった。
いなくなる前に言葉を交わすべきだったのだ。機会は用意されてたのに、その価値に気付けず、彼女はそれを投げ捨てた。そのせいで空いた穴が、彼女を苦しめていた。
止めたところで結論は同じだったかもしれない。向き合っていたとして、何も変えられなかったかもしれない。──わかっていても、考えてしまうのだろう。
何かを。
間違えていたんじゃないかと。
だからこそ過去に矛先を向けてしまうのだ。そうする気持ちは痛いほど理解できるが、それは間違っていた。間接的に人を殺したのが事実だとしても、それが全てではない。そこには決定的な視点が欠けていた。
「……安楽死は究極的には自殺です」
これは余計な発言なのだろう。依頼人と自分を重ねて、傲慢な押し付けをしているだけかもしれない。
「そして自殺の99%は他殺であり、外部要因が必ずあります。ただし──」
求められてないのを承知で、続けた。
「残りの1%は本人の決断です。
松野慶介を殺したのは、松野慶介本人です」
使用人の表情が凍り付く。
主人の目は、笑えない冗談でも聞いたように鋭くなっていた。
「松野は明確な殺意をもって、人を殺害したんです。動機も証拠も揃っています。殺した相手がたまたま自分だったというだけで、自分の幸福のために、自分の求める人生のために、松野は一線を越えました。どんな事情があるにせよ、最後の1%は彼の意思です。まったく罪がないだなんて、あるわけがない」
「その指摘が何になる」
怒りの滲んだ反論だった。
確かに、望んだ回答ではないだろう。
だが求めたのは彼女自身だ。
「どこに責任があるかを知りたかったんでしょう」
誰が悪かったのかと問いを立て、条件を出し、罪のありかを求めた。
想定した相手でなかったとしても、すべきことは同じに決まっている。
「1%の分だけ、恨んでください」
鬼頭は頭を下げて、「行きましょう」と使用人に声をかける。
固い表情の宮園を置き去りにして玄関を抜け、エレベーターに乗る。狭い個室内で、互いに口を開かなかった。
鬼頭がエントランスで挨拶をして、建物を後にしようとしたときだった。
「……ありがとうございました」
背後から声をかけられた。
使用人の女は、単なる客人に対してやるには不自然なほど、深く頭を下げていた。
※ ※ ※
宮園ひばりはそれから半年後に亡くなった。乳がんの再発が原因だったという。
その直前、彼女は新しいコレクションを発表していた。
宮園はしばらく前から経営に専念しており、第一線からは長いこと離れていた。そのためデザイナーとしては過去の人とみなす者も多かった。
注目度は低かったものの、発表されたコレクションは新鮮な驚きをもって迎えられた。
宮園が発表したのはバリアフリーファッションをコンセプトとした洋服で、車椅子だったり、肢体が不自由な人間にランウェイを歩かせた。
彼らは年齢も性別もバラバラだったが、認知症だったり、病気で手足を失った者たちで、いずれもファッションとは無縁の人々だった。花道を歩く姿はどれもぎこちなく、それでいて表情は晴れやかだった。どの服も、健常者であれ、何かが欠落した者であれ、馴染むように設計されていた。
コレクションは宮園ひばりらしい洗練さと慈愛に満ちたデザインだと絶賛された。
後にメディアはこれを”多様性”や”ユニバーサルデザイン”という切り口で報じて、宮園ひばり本人にインタビューを試みた。
彼女はメディアが作った大層でご立派で耳障りのいい言葉を全否定し、
「てめえが死に損なったときに着れる服を作っただけさ」
と涼しい顔で語ったという。




