終章 ──空白
記録は、すべて整っていた。
勇者が選ばれ、旅立ち、仲間と出会い、魔王を討ち、帰還し、死んだ。
年表にすれば一行ずつ。
余白はない。
神殿の書庫には、その物語が何冊も並んでいる。
写本ごとに表現は違うが、結論は同じだった。
――世界は救われた。
誰かが、ふと気づく。
勇者の声が、どこにも残っていない。
記述
「勇者は言った」
「勇者は決意した」
「勇者は迷わなかった」
そう書かれている。
だが、その言葉を、誰が聞いたのかは書かれていない。
名もないまま、勇者は語られる。
語られるほどに、輪郭は曖昧になる。
像はある。
剣もある。
物語もある。
本人だけが、いない。
夜
王都の夜は、静かだった。
人々は眠り、世界は正常に回っている。
かつて勇者が与えられた私室は、もう使われていない。
窓は閉じられ、埃が積もる。
剣のあった場所には、何もない。
誰も、それを不自然だとは思わない。
英雄の死後、持ち物が残らないのは、よくあることだ。
記念日
毎年、魔王討伐の日には式典が行われる。
花が捧げられ、演説がなされ、歌が歌われる。
「勇者は、我らの希望でした」
その言葉に、異論は出ない。
勇者が、希望でなかった瞬間があったかどうかを、
誰も確認しない。
次の選定
別の地で、異変が起きる。
報告が集まり、会議が開かれる。
条件は、以前と同じ。
若く、強く、孤独で、拒まない者。
誰かが言う。
「前回は、うまくいった」
それで、十分だった。
空白
夜明け前、神殿の回廊を風が抜ける。
像の影が、長く伸びる。
影は、人の形をしている。
だが、それは誰でもない。
勇者は、どこにもいない。
ただ、勇者だったという事実だけが残っている。
物語は完成している。
だから、空白は見えない。
だがもし、
一行だけ書き足す場所があるとすれば、
そこにはこう記されるだろう。
――勇者は、最後まで語られなかった。
そして、誰もそれを不完全だとは思わない。
世界は今日も、
静かに、正しく、救われている。
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