ルート分岐・Episode A ①
ちょうど金曜日に完結しそうです。
春坂智──いや、表の世界の藤宮創一が「表へ戻る」と告げに来たとき、胸の奥に微かな違和感があった。
焦っているというか、どこか動きがぎこちない。しかし当時の自分は、それを“復讐心の昂ぶり”だと片づけた。
その判断が甘かったのだと気づいたのは、数日後だった。
自分のロッカーに置いてあるはずの“スペアの軍服”が、跡形もなく消えていた。
管理権限を使って施設中のあらゆる保管庫や記録を探したが、どこにもない。
探す価値もないとわかっていながら、ゴミ箱や浴場まで見て回った。
それでも見つからない。
だが、犯人だけはすぐに思い当たった。
──表へ帰った藤宮創一。
大尉の階級章さえ胸に付けていれば、裂け目の付近で兵士に呼び止められることもない。
あれは明らかに「裏の藤宮創一」として行動するための準備だった。
その推測に行き着いた瞬間、胸の奥に嫌な感覚が浮かんだ。
あのぎこちなさの理由が、ようやくわかった気がした。
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裂け目に向かう前から、自分にはもう居場所がないと悟っていた。
表にも、裏にも。
どちらの世界にも、自分を待ってくれる人間はもういない。
それでも復讐だけは、しなければならなかった。
あの頃の自分
──幼い藤宮創一を殺しかけた“あの二人”に、終止符を打ちたかった。
表に戻ったあと、まず向かったのは元いた家。
だが、そこには誰もいなかった。
ただ、かつての生活の残り香と、散乱した古い紙切れだけが残っていて……
それらを拾い集め、必死に読み解く中で、親が現在暮らしている地域を特定できた。
復讐の準備は、その瞬間から淡々と進めた。
上等兵の階級章と予備のライフルだけを部屋に置き、
“表の藤宮創一はここで蒸発した”と見せかけた。
そして──
自分の胸には”大尉章”をつけ、裏で使っていた軍服をまとった。
もし捕まっても、「裏の人間です」と言い張れば処理は軍へ回される。
いつか必ず裏に戻される。
その頃には、きっとこう報じられているだろう。
『春坂智上等兵は、表の世界の人間だった』
その真実が世に出た頃、自分は軍法会議で裁かれ、
死刑か、それに近い処罰でこの人生を終える。
それでいい。
復讐さえ果たせれば、もう十分だ。
そう結論づけた藤宮創一は、静かに裂け目へと歩みを進めた。
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親の居場所を示す断片は、どれも古くかすれていた。
それでも読める範囲を繋ぎ合わせれば、一つの地名が浮かび上がる。
——昔、親が仕事で出入りしていた工事現場の仮設住宅。
放置されたゴミ袋、傾いたポール、風で軋む金属の音。
そのどれもが、かつて家族だった場所の延長線のように見えた。
藤宮創一は、ゆっくりとその前に足を止める。
扉を開いた瞬間、空気が変わった。
狭く、荒れた部屋にふたりの大人がいた。
親だ。しかし、彼らは藤宮を見て最初は誰か分からなかった。
表の生活の中で、彼はずっと「子ども」から離れていたからだ。
だが、名乗る必要はなかった。
大尉の制服を纏った創一の表情だけで、相手は凍りついた。
言葉は荒れ、叫び声が飛び交う。
責任のなすりつけ、過去の記憶の否定――
何ひとつ、創一が求めた「謝罪」の形ではなかった。
でも、彼がこの場所に来た理由は、ひとつ。
この長い時間を引きずったままでは進めない。
終わらせなければならなかった。
「……もう、いい」
創一は静かにそう呟き、親の動きを封じた。
どういう形だったのか、誰にも分からない。ただ、ふたりがそれ以上動かなくなったのは確かだった。
ほどなくして、通報を受けた警察のサイレンが近づいてくる。
かつて恐怖の象徴だったその音を、今の創一は静かに受け止めた。
逃げる理由はもうない。
すべてを終えた自分を、そのまま引き取ってくれる音だ。
創一はゆっくりと息を吐き、現場から動かず警察を待った。




