後生畏るべし
◆痛恨のミス
弱視になって鍼灸マッサージ師に転職する前は、編集屋だった。小さなプロダクションであり、何でもやらなければならなかった。
どんな仕事にもミスはつきものだ。これは大前提ながら、編集の世界では「校正ミス」という用語がわざわざ作られ、使われてきた。
今、思い返しても、忸怩たる気分になる校正ミスを犯した。
ある団体の広報も担当していた。印刷物を発行後、会員から電話で指摘を受けた。選りによって、記事の見出しが間違っている、という。
「『二一世紀の蛇取り』って何なのよ!」
舵のつもりが蛇になっていた。
◆犯人捜し
急いで原稿を見た。舵と書いてある。
どこで蛇がまぎれこんだのだろうか。
レイアウト(割付)用紙を引っ張り出した。やはり、舵と書いてあった。
後の可能性は、印刷屋の写植(写真植字)オペレーターの勘違いだった。
しかし、オペレーターの責任にはできない。最終段階で見逃したのは、自分である。
仮に、原稿でも、レイアウト段階でも、蛇取りになっていたならば、もう引退・廃業しよう、とさえ考えていた。ゾッとするほど、ショッキングなミスだった。
◆見直しは意地悪く
とかく他人に厳しく、自分に甘くなりがちだ。
文章も他人のものは目を皿にして読む。したがって、校正ミスを発見することが多い。
これが自分の文章になると、読み飛ばしがちだ。特にハイテンションで書いたものほど危ない。延長線上で、酔って、読み返すと、チェックがおろそかになる。
経験から、自分の文章を見直す時は、読まないことだ。一字一句、見ていく。他人になったつもりで、見直すのが肝要だ。もう一人の内なる自分に任せるのが良い。いろいろな発見をしてくれること請け合いだ。
◆マルチタレント
校正ミスと言っても、もはやピンと来ない人も多いだろう。
ワープロが普及する前は、原稿執筆→版の作成→初校→再校→校了などといくつかのプロセスに分かれていた。
原稿を印刷屋に渡し、校正があがるまで一息つく。校了になり、何日か後にめでたく印刷物が納品、居酒屋で打ち上げ——などいうのは幻の光景になった。
最近の出版事情には疎い。エッセーや小説をネットに投稿したり、たまに電子出版あるいはペーパーバックを出してみて、一人で何役もこなしていることに気付かされる。やりがいがあるが、けっこう疲れる。
ワープロでは「かじとり」と入力したものが「蛇取り」に変換されるミスは絶対に起こらない。しかし、誤字・脱字には、相変わらず気が抜けない。
かつてどこかで「校正恐るべし」と書かれた編集マニュアルを読んだ。説得力がある。その筆者も苦い経験があったに違いない。




