第7話 夢の中の母
パチパチと暖炉で薪がはぜる音だけが、静かな部屋に響いていた。
そして私は、その赤い炎をぼんやりと眺めていた。なんだか、懐かしい気がしたから。
ふと、不意に白くて細い腕が視界を遮るように伸びてきて、私をそっと抱き上げた。
見上げれば、さらさらと揺れる綺麗な金髪。
その隙間から、口元に柔らかな笑みを浮かべたお母さまの顔がのぞいた。
まぶしくて、大切で、大好きな、私のお母さま。
その顔に、一心に手を伸ばした。
お母さまは、私の小さな手のひらを人差し指で受け止めて、鈴のような声でころころと笑った。
「……ぁ、ぃ……ぁ…………」
顔立ちはぼんやりしてよく見えない。でも、唇が動いて何かを話しかけてくれているのは分かった。
もっと近くへ行きたくて、起き上がろうともがく。
すると、お母さまはそんな私の頭を優しくなでてくれた。
「お前は一体、どんな子なのかしらね。早く会いたいわ……」
そう言うと、お母さまは私を抱いたまま立ち上がる。
どこに行くのかな——
そう思った瞬間、お母さまの腕から体が離れた。
ふわりと、宙に浮く感覚。
その感覚が落ちていく恐怖に変わって、私は叫んだ。
「お母さまっ!!」
瞬間、視界が暗転し、目の前にベッドの天蓋が唐突に現れた。
遅れて、硬い床に叩きつけられた衝撃が全身に鈍く響いた。
しばらくもがいているうちに、意識がようやくはっきりしてきた。
——夢だったのね……お母さまは、どこにもいない……
背中が痛い。 みぞおちの奥が、焼けるようにひりついている。
ベッドに掴まり、なんとか体を起こした。
薄暗い部屋——天蓋付きのベッド、ウォールナットの化粧台、美しい木目のキャビネット、羊毛の赤い絨毯。
どれも質の良い調度品なのに、掃除がされておらず埃っぽい。
なんだか変な感じがして、ふらつきながら化粧台の鏡の前に立った。
鏡の中にいたのは、紫紺色の瞳を見開いた、三歳くらいの金髪の少女。
その少女の震える唇が、私とまったく同じタイミングで微かに動いた。
——ああ、そうか……この顔は私だ。あの鏡の中の少女は私なんだ。
当たり前のはずの事実が、どうしてか鮮烈な印象となって胸に突き刺さる。
瞳が鏡の中の少女を離さなかった。
同時に、重大な事実に気が付いた。
——私は一体誰で、ここはどこなのか?
昨日までの一切の記憶が無いということに。
何か手がかりは無いかと、化粧台の隣にあるキャビネットの引き出しを開けてみた。
中には、木炭と、絵が描かれた手漉き紙が数枚。
つたないその絵には、夢で見たお母さまの似顔絵や、真っ暗な中に少女がひとりで立っている様子が描かれていた。
胸のざわつきと、胃のあたりの痛みと空腹感が混じって、吐き気がしてくる。
とにかく、ここから出たい。
その一心で、壁に手をつきながら歩き、木の扉にたどり着いた。
扉に取り付けられた鉄のリングハンドルを引き、そして押す。
しかし、扉はびくともしない。
何度繰り返しても結果は同じだった。
ハンドルをガチャガチャと揺さぶっても、力任せに扉を押しても引いても、ガタガタと虚しい音が鳴るだけ。
その扉を前に呆然と立ち尽くし、私はようやく悟った。
——閉じ込められているんだと。
震えるような悪寒が走り、体が鉛のように重くなっていく。
どうしようもない気持ちと一緒に、また激しい空腹がこみ上げてきた。
——ああ、そうか、あの絵は……
ひとつ、思い出した。
私はずっと、この暗い部屋で、深い孤独の中にいたのだ。