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本当に恥ずべきこととは②

 ここでの恥ずかしいことというのは、女の子に助けられたことによる屈辱的な意味ではなく、覚悟を決めた矢先に出鼻をくじかれ、あろうことか決め顔をしてまで立ち向かったのに、結局は情けない表情をしながら尻もちをついてしまったことである。

 そしてもう一つは、僕のことを助けてくれた彼女の隣で共に戦える存在になりたいと思っていることだ。


 前屈みになり、右手を差し出した拍子に左側に少し乱れた透き通るような白髪を耳にかける彼女は、エリン・H(ヘザー)・ギヴァーで、僕の憧れであり想い人である。

 たった一連の動作だけをとっても、余りにも美しく。それだけで僕に限らず全ての人類が彼女に魅入ってしまうだろう。


「‥‥‥あ、ありがとう‥‥‥ござい‥‥‥ます」


 差し出された右手を借りて立ち上がろうと思った時、ふと自身の手が土で汚れていたことを思い出し、そそくさと着ている服で拭き、手を取った。

 いざ立ち上がろうと顔を上げた一瞬、青緑色の宝石のような瞳と目があった。すぐさま僕の方から目を逸らす。永遠のようにも感じるその一瞬で、心の中のすべてを覗かれたような気分になったからだ。

 急いで手を離したこととぶっきらぼうに顔を逸らしたことに疑問を持ったのか、あどけない顔を少し悩むよう眉を顰め、口に指を当てて何かを考えるように可愛らしく首を傾けるその姿が純粋な人であることを証明している。


「そ、その、エヴァーさん。改めて、助けてくれてありがとうございます」


「いいよ、気にしないで、当然のことだから」


 ()()()()だからか‥‥‥。


 この言葉は今の彼女と僕の立ち位置を正確に表現していると思う。彼女は物語に出てくるような英雄に最も近い人だと思うし、実際に世間からは若き才能のある貴族の娘として評価されている。


 僕の憧れた彼女を初めて見たのは、まだ6歳の頃だった。


 ――――たった一人の家族である姉とほんの些細なことで喧嘩をした。子供ながらとでもいうのだろうか、いつもなら決して入ることがないような森の中、喧嘩した腹いせに姉を心配させたくて、奥深くまで迷い込んだとき時のことだ。


「ぐすん」


 僕は鬱蒼と木々が茂る暗闇の中で泣いていた。泣いていたのは大好きな姉に対して心無い言葉を向けて、この後どうしたら良いのかを全く考えつかなかったからではない。

 というのも、物心がついた時から森というものが嫌いだった。鬱蒼とした木々は上を向けば大木の葉が隙間なく茂り陽の光を通すことはなく、まだ昼頃だというのに仄暗い森が不安な気持ちをかたちづくる。


 村にいた頃はおそらく晴れ晴れとしていた空を見上げても、自然の檻のように覆い隠す木の枝は、僕の心をどこか閉じ込めているようで息苦しい気分にさせ、そこに住む動物たちの鳴き声は、森の中に入り込んだ人々を惑わすが如く、四方八方から聞こえてくる。

 そして特に脳の記憶にも村の記録にも残ってはいない、ましてや姉がこの話題を僕の前で出すこともないので実際の出来事なのかは定かではないのだが、とある事件によって森に入ろうとすると肉体が微かに震える。その現象を見るたびにその事件が実際に起きたということを、記憶は不確かだがこの肉体が確かに証明している。


 それは、幼かった僕にとっては恐怖以外の何ものでもなく、例え喧嘩して自暴自棄になっていたとしても、入るべきではなかったと後悔するには十分であった。

 まぁ、すでに森の奥深くまで迷い込んでいるという事実を考えると、感じていた恐怖心というのはその程度の事であるのだと思う。


「……!? 早く帰らなきゃ!!」 


 そう呟きすぐさま森の出口であろう方向に急ぎ足で向かった。

 それはいま現在、自分の部屋の中で恐らく僕以上にダメージを受けているであろう姉が、あの弟の為なら何をしても良いのだと断言し、自分で言うのもなんだが子供の身でありながら、大人が許容できる範囲のギリギリまでを実行する台風の目ような姉が、何をするのか心配になったからなどではなく、聞こえてしまったのだ。


 遠くからでも心臓を撫でられたかのようなひやりとした感覚というのを、実体が見えずとも再び震えだしたこの肉体が確かに憶えている。

 この謎の焦燥感と同時にまるで目の前に災害が迫りくるような絶望を告げる正体は魔獣の声だ。

 身を隠すように羽を休めていた鳥たちが慌ただしく一斉に飛び去り、動物たちが僕と同じように声の聞こえてきた方角から逃げるように走っていく。


「う、うわぁぁぁ!!」


 その場で最も異質な存在となった全身から黒い瘴気を放つ異形の熊はなんの前触れもなく、瞬間移動をしてきた。


 ‥‥‥間に合わなかった。


 遥か遠くから聞こえていたと思っていた自分の感覚は魔獣という存在を甘く見ていたと痛感した。思えば当たり前の話で、人間の歩幅と魔獣の歩幅は種族による特性の違いから見れば全く異なることは明らかである。

 つまり、声が届く範囲というのは魔獣にとって一瞬で移動できるほどの距離でしかないのだ。


「た‥‥‥助けて‥‥‥ください」


 目の前に現れた異形の化け物に為す術もなく、ただへたり込む僕は誰もいないこの場所で届くことのない言葉を呟いた。

 それに気が付いたのか、あるいは見当をつけていたのか、魔獣は殺意に満ちた眼でこちらを向くと二ヤリと笑い、僕の方へとゆっくりと歩いてくる。

 向けられた明確な殺意によって、様々な情報が脳内を駆け巡る。その中で一番印象強かったのは、僕の言葉でひどく傷ついた姉の顔だった。


 に‥‥‥逃げないと。早く!! こいつから離れた場所へ!!


 ここでようやく本当にするべきことを理解する。一度諦めた身体に喝をいれ、立ち上がり全力で引き返す。

 どうやら、魔獣はすぐに走り出しては来なかった。いや、正確には来れなかった。遠巻きで見ることで魔獣の全容が明らかになったことでそれがわかった。


 異形の熊は大きな火傷の跡と複数の切り傷によって身体がボロボロになっていたのだ。

 魔獣の実態についてはあまり詳しくはないが、基本的に空気中や鉱石などに含まれる魔素を摂取することで回復及び生命活動の維持を行っているとされている。

 これほどの傷はすぐには回復することはできないので、あの時に魔獣が向けた視線とわずかな行動は満身創痍の状態だったことを悟られないためのものだと理解した。


「‥‥‥だとしても、ここでするべき行動は戦うことじゃないよね?」


 実際に魔獣がそれ程のダメージを受けていて、本当に一撃を与えるだけで死ぬとしても、それに賭けるには僕の身体は弱すぎる。

 であれば、一度このまま村まで戻った後に、冒険者ギルドにこの情報を伝えることで問題は解決するだろうと考えるのが妥当である。


 ‥‥‥なんで、あの魔獣はあんなに傷ついていたんだろう?

 当然の疑問である。最初はあの魔獣が僕の存在に気づき、殺しに来たのだと思っていたが、あの状態を見るにそうではないことは明らかだ。

 であれば、どうしてあの魔獣はこちらに来たのか、あの傷は誰から受けたものなのかをはっきりさせたいと思うのは必然だった。

 なんてことを思うのは自分が死ぬ目に遭いながらも、何とか逃げ出し安全という希望が僕の心を包んだからだ。

 

「君、大丈夫?」


 しかしそんなものは、耳にべったりと張り付いたように聞こえる甘い少女の声によってまやかしにすぎないだとすぐに知ることになる。

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