第三話 Duck 2/4
「──胸は大きい方が良い」
「バカ言え。そうとは限らないだろ」
その日の五時過ぎ。下校中、高田ダイキと鈴木ヨシアキが大声で話を始めた。
「巨乳は良い。柔らかい、弾力がある、そして何よりエ──」
「大きいのは下品だ」
「なんだと」
はぁ、と僕はため息をつく。
僕が殺し合いに巻き込まれようと、たとえどんなに身近な人が死のうと、学校では変わらぬ日常が続く。いや、学校に限らずこの街、この国、そしてこの世界は、『殺し合い』の事など露ほども知らず今日を生き、これからも生きていくのだろう。
日本という、世界でも屈指の法治国家において、僕は今、無法地帯に投げ入れられているも同然なのだ。人を殺しても罪に問われず、僕を殺した人も罪に問われない。
たとえ僕がこの殺し合いで命を落としたとて、伊藤先生と同じように「行方不明」として扱われるだけだ。
そう考えると、僕は伊藤先生の家族の事を考えずにはいられなかった。
親、奥さん、そして子供……。いつまでも帰りを待ち、いっそ「伊藤コウタロウは死んだ」と直接伝えられた方が幸せなほどに、長い時間悲しみ続けるのだろう。
そんな事を考えるうち、僕は自分を伊藤先生と、いつしか重ね合わせていた。そして僕が「行方不明」になった時、悲しんでくれる人の事を考えた。
「爺ちゃん……」
僕は自分でも気づかぬうちに、ぽつりと呟いていた。
「──ん? 何か言ったか、マナブ」
「えっ?」
僕はいつの間にか下を向いていた顔を上げる。そこには、僕の前で立ち止まっている高田ダイキと鈴木ヨシアキの姿があった。
僕の左側でポケットに手を突っ込んで立っているのが高田ダイキ。短く切り揃えた髪と、足を広げて立つその姿から分かるように、いわゆる体育会系の男。ゲームが特別上手いワケではないが、嫌がらせ行為──いわゆるポーキングが上手い、どちらかと言うと自分だけが楽しめれば良いという人間。
そして僕の右側でカバンに手を添えながら立っているのが鈴木ヨシアキ。男にしては髪が長く、その大人しい風貌から分かるように、いわゆる文系の男。ダイキとは正反対に、ゲームはかなりやりこむタイプ。でも初心者のダイキには手加減を忘れない、どちらかと言うと皆で楽しみたい人間。
そして僕、岩橋マナブ。特に言う事なし。
いつも一緒の三人だが、趣向や特技などはてんでバラバラ。言うなればダイキが酸性、ヨシアキがアルカリ性、僕が中性と言ったところか。こうして一緒に下校しているのも、考えてみればなんだか不思議だった。
「──だからさ、揉み心地なんだよ結局」
「ちげぇよ。揉まれる為に胸はあるワケじゃない」
……ご覧の通り。ダイキが巨乳派、ヨシアキが貧乳派。こういった類の口論は今回が初めてではない。
「──貧乳なんて男と変わんねえだろが」
「そんな事ないだろ。自分の平らな胸見て興奮できるか、って話」
ダイキが歯ぎしりをする。端的に言ってしまえばコイツは馬鹿なので、基本的にヨシアキに口論で勝つことはない。そういう時は決まって──
「マナブはどう思うんだ」
──と、僕に助けを求めてくる。いつものパターンだった。
「えぇ……と」
──マジでどうでもいい
と思いつつも、僕は
「小さい方が……良い、かな。多分」
と言った。
ちなみにコレは本心ではない。単純にダイキを裏切ったら面白いかな、と思ったのだ。
僕が答えると、途端、ダイキが膝から崩れ落ちた。絶望を包み隠さず顔に出し、僕の顔をまるで親の仇と言わんばかりに睨んだ。
「嘘……つくなよ……」
「嘘じゃないって。あんまり大きいのは嫌なんだ」
「なんで……」
「大きいと、目のやり場に困るし……」
「お前とはトコトン趣味が合わねぇなぁ、マナブ」
ダイキが泣きそうな顔になりながら言う。僕は「はは……」と苦笑いをした。
そこから三人で三つほど交差点を横切り、駅前のレストラン街を抜け、駅に辿り着いた。
「じゃ、また明日」
ヨシアキがそう言って、駅の奥へと姿を消す。方向で言えばヨシアキの家が駅の西側、僕とダイキのアパートが駅の東側になる。誰かの家でゲームでもしない限り、ここで別れるのが普通だ。
「よし、行くか」
「うし」
そう言ってダイキと僕は9番ホームに降り、ちょうど停車していた湘南新宿ラインに乗り込んだ。
さすがに帰宅ラッシュの時間だけあって、席は全て埋まっている。僕とダイキはドアの近くに立ち、隣り合わせの吊り革を掴んで立った。
電車が発車してからしばらくして、ダイキが「なあ、マナブ」と声をかけてきた。
「なんだ?」
「お前、好きな子とかいるのか?」
ダイキは真面目な顔で訊いてきた。
随分と唐突な質問だな、と思いつつ、僕は「いや」と答える。
「クラスの中で、って事だろ? いないよ。なんなら同級生以外にも、好きな人なんていない」
ダイキは決して僕と顔を合わせようとせず、「そうか」と言った。
「お前が貧乳派なのは分かったが……」
「言ってない」
「この際胸はどうだって良いや。好みのタイプは?」
「おいオイ、どうした」
僕は大げさにのけぞってみせる。「男子高校生が二人、電車の中で恋バナか? 気持ち悪ぃ」
ダイキは何も言わない。それを見て『しょうがないなぁ』なんて思いながら、
「──大前提として」
と、僕は滔々と自分の好みのタイプを列挙し始めた。
「優しい子が良い。あとは……背は低いほうが良いかな。目が大きくて、鼻は小さめ。肌が白くて綺麗で、目の下にほくろがあると良い。髪は短めのボブが良いかな。あ、あと、良い匂いがする子が好きだ」
目の前に座っているサラリーマンが僕の方を見て、すぐに視線を逸らした。僕は気まずくなる。
ダイキは「髪の色は?」と僕に訊く。
「黒一択だね」
僕は答えた。「カナダでいろんな色の髪を見てきたけど、結局黒が一番だ」
「胸は?」
「さっきも言ったように、大きすぎなければ良い」
「性格は?」
──性格? と僕は訊き返す。
「色々あるだろ。元気とか、クールとか、お姉さん系とか、甘えん坊とか」
「あー……。頼りになる子、かな。僕の事を守ってくれて、全肯定してくれるような、そんな子が好きだ」
自分でも気色の悪いことを言っているという自覚はある。公の場で、それも電車の中という閉鎖空間において、こんな公序良俗を犯すような発言をしてもいいのだろうか。間接的な痴漢と言われても言い逃れが出来ない、度を越えた変態発言だ。
──と、そんなことを考えているうち、大船駅が近づいてきた。
僕の住んでいるアパートは大船駅から歩いて15分ほどの位置にある。そしてダイキのアパートは大船駅からさらに二駅行った、鎌倉市にある。
大船という場所は特筆すべき点も無い、至って普通の土地なのだが、ダイキのアパートにすぐに遊びに行ける、というのは嬉しいポイントだ。
そうこうしているうち、電車は大船駅で停車した。僕はダイキに「また明日」と告げ、電車を降りた。
電車の外も中と変わらず、人でごった返していた。僕はなんとか人波を抜け、人がぎゅうぎゅうになっているエスカレーターを横目に、比較的空いている階段を上ってホームを出た。
西口から外に出ると、空はまだ橙色のままだった。夏の始まりを実感しつつ、僕は階段を下りて駅を出る。
左側には西口と駅をつなぐ連絡通路があり、右側には柏尾川が流れている。そのまま川の上を見上げると、山の奥に悠然とそびえる大船観音が見える。
『大船観音』とは、大船駅を出て一秒で目に入る、真っ白で大きな観音様の事である。街と駅を見下ろすように鎮座している「大船名物」は、夕日に照らされてオレンジに染まっていた。
僕はほほ笑みながらこちらを見ている観音を背に、家路についた。
*
街から少し外れたところにある、古いアパート。その二階の二番目の部屋が僕の城だ。
ドアを開け、玄関に荷物を投げ捨ててから服を脱ぐ。汗で濡れたシャツや下着を洗濯機に投げ込み、制服をハンガーにかけ、消臭スプレーをかけた。
「全裸になっても怒られないのが、一人暮らしのいいトコ」
僕はそう呟き、道中のコンビニで買ってきたパンを食卓にならべると、シャワー室へと駆け込んだ。
10分ほどでシャワーを終え、その日はそのまま、沈むような眠りについた。