第3話 【地球の生活】 □
咲楽がプレザントから地球に帰還し、一年が経ちました。
ピピピ!
けたたましい目覚ましアラームが、咲楽に一日の始まりを知らせてくれます。
「ん~」
咲楽は目覚ましを止めますが、体は起こしません。
地球のお布団の魅力に気付いたのは、咲楽が異世界生活で最初に泊まった孤児院の時でした。堅い木の上で薄い布切れを被る感触は今でも鮮明に思い出せます。地球の寝心地を追求した布団とでは比べ物になりません。
コンコン
「おーい咲楽、今日は月曜日だぞ~」
部屋のドアから咲楽のお母さんの声が聞こえます。
「はーい、起きたよ~」
その声で咲楽は無理矢理体を起こし、半開きな目のまま窓のカーテンを開けました。気持ちの良い朝の日差しと鳥のさえずりが、目覚まし時計よりも優しく咲楽の目を覚ましてくれます。
「…起きますか」
咲楽は学校の制服に着替え、お母さんのいるリビングに向かいます。
「おはよ」
キッチンに立つお母さんの姿。
咲楽が異世界で過ごした約一年、離れ離れになっていた家族と再会した時の喜びは言葉では表せないものでした。咲楽は勢いよくお母さんに抱きつき、溜まっていた涙を吐き出しました。
お母さんからしたら咲楽の一年は一日の出来事。娘がボロボロの服装で、しかも少し成長した姿で帰ってきた時は驚きでした。
「おはよ~…朝ご飯はなに?」
「サンドイッチ作ったから、適当に食べて」
「わーい」
咲楽のお母さんは調理師免許をもっている主婦なので、料理の味は格別です。咲楽はたまごキュウリサンドを幸せそうに頬張ります。
「ん~…」
卵のまろやかな触感とほど良い薬味の香りが絶妙です。
「相変わらず美味しそうに食べるね」
咲楽の幸せそうな顔を見て満足げなお母さん。
「あっちの料理がアレだったから」
「あっち?」
「ううん、なんでもない」
咲楽は異世界冒険での食生活を思い出します。
戦争のことしか考えていない異世界プレザントでは料理に対する味の追及が全くされていません。保存性と栄養価を第一とし、咲楽が異世界で食べた料理は固い干し肉、黒パン、野菜の塩スープ、無味無臭の謎の塊…
ただでさえ味に肥えた咲楽には、どれも絶望的な不味さでした。
異世界から帰ってきた咲楽が最初に食べたお母さん特製クリームシチューの味は、二度泣きするほど美味しかったのです。
「今日は帰り遅い?」
お母さんが食器を洗いながら咲楽に尋ねます。
「どうかな、特に予定はないよ」
「そう言っていつも帰り遅くなるよね」
「ついつい学校の友達と話し込んじゃって」
「ま、それはいいことだけどさ…ちょっとのんびりしすぎじゃない?」
お母さんは時計を指さします。
気付けば咲楽がいつも家を出る時間を過ぎていました。
「むふぉはぁふぁいと」
時計を見て慌ててサンドイッチを口に詰める咲楽。
「食べながら喋らないの。はい、お弁当と水筒ね」
咲楽は忘れずお母さん特製お弁当を鞄に詰め、身支度を整えて玄関に向かいます。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
※
咲楽の通う中学校までは電車で向かいます。
自宅から駅まで歩いて10分、電車で20分、電車を降りて歩くこと10分。少し遠いですが、咲楽は望んでこの中学校に進学しました。
「ふう…」
少し小走りで駅に向かったので、いつも乗る電車に間に合うことが出来ました。咲楽は座席には座らず、手すりに掴まり窓の景色を眺めます。咲楽は電車の中から流れゆく風景を眺めるのが好きなのです。
「………」
そんな電車内では、周りの乗客が咲楽を見てざわざわし始めます。
「?」
不思議に思いながら、念のため咲楽は手の甲を確認しました。
手の甲には女神の証が刻まれていますが、しっかり包帯を巻いた上にセーターの袖で隠しているので周りには見えません。それなのにどうしてなのか?
このざわざわの内容が気になり、咲楽は耳を澄ませて周囲の会話に聞き耳を立てます。
「なにあの子、可愛くない?」
「知らないのか?この時間に乗る女神ちゃんだぞ」
「ほんと、不思議な魅力があるな」
「…!?」
咲楽は我に返り鞄から伊達メガネを取り出し装備、前髪を下ろして顔を隠しました。これが咲楽のいつものお出掛けスタイルなのです。
(忘れてた!…本当に女神様の力はやっかいです)
これは咲楽が授かった女神の権能の副産物。
今までモテたことのない咲楽なのですが、女神様の力により咲楽からは人を惹き付ける魅力が湧き出ているのです。
今までずっとショートヘアーだった咲楽は、異世界に帰ってから髪を伸ばし続けています。少しでも目立たず地味にしようという微かな悪あがきです。
そんな容姿なので、告白されることもしばしば。
ですが咲楽は持ち前の話術で相手を傷つけないように断っています。告白されても女神の権能で相手を騙しているように感じ、咲楽は申し訳ない気持ちにしかならないのです。
他にも女神の権能によって様々な魔法を使うことが出来ますが、咲楽は地球に帰ってからほとんど使っていません。
その魔法は平和な地球には必要のないものだからです。