第190話 【アクリとオルドとルーザ】
咲楽たちが鬼の雫でのんびりしている、その頃。
「それでは、お世話になりました」
アクリは親っさんを含める海岸のカルカクの住人たちに深々と頭を下げました。
「もう行っちまうのか」
「またこっちに来てくれよー」
「今度うちの店に来てくれ、もてなすぞ」
住人たちは名残惜しそうにアクリを見送ります。
(…疲れた)
ようやく大人たちから解放され安堵の息を吐くアクリ。
「ようやく終わったか」
「英雄の娘は苦労するわね」
そんな疲れ切ったアクリを迎えるオルドとルーザ。
「それじゃあ帰えるか」
「鬼の雫までは、私たちが護衛するから」
二人はアクリを挟むようにして並びます。
「ありがとうございます」
アクリは二人の気遣いに感謝しつつ、崖下のカテンクに向けて出発しました。
「…」
「…」
無言で歩を進める三人。
その間、オルドとルーザは悩んでいました。
(何から話せばいいのか…)
(どう向き合ったものかしら…)
今の今までずっと慌ただしかったので、二人はまだアクリとちゃんとした会話をしていません。アーグには返し切れない恩があることや、預かっている指輪のこと、ハルカナ王国にいる母親のことや、どうして旅をしているのかなど、話したいことは山のようにあるはずです。
ずっと会いたいと思っていた恩人の忘れ形見を前に、二人は緊張していました。
「そういえばオルドさんとルーザさん、お父さんと仲がよかったんですよね」
すると意外なことに、アクリから話を切り出してくれました。
「ああ…まあな」
オルドが冷静に対応します。
「端的に言うとアーグは俺たちの命の恩人というやつだ」
「お父さんって本当にいろいろな人から感謝されてるんですね」
「ああ、もっと誇ってもいいんだぞ」
「そう…ですよね」
曖昧な反応を見せるアクリ。
「まだ実感が湧かないんでしょ」
そこでルーザが口を挟みます。
「自分の父親の経歴を知ったのが、ほんの数日前だからね」
「はい…今まで、身の回りのことだけで頭がいっぱいになっていたので」
お母さんのこと、将来のこと、そして咲楽のこと。常に目の前のことで必至になっていたアクリは、いなくなってしまった父親のことを考えている余裕がありませんでした。
「あの…お父さんのこと、いろいろ聞かせてください」
ですがこのギルドの街ソエルに来て、知らなかった父親の背景を知ったことで興味が湧いていました。
「いいだろう。俺たちとアーグの最初の出会いはだな…」
「そこから始める必要ないでしょ。もっと抜粋しなさいよ」
こうして三人は昔話をしながら、崖下のカテンクに向かうのでした。
※
アーグが残した歴史は、とても数時間で語れるようなものではありません。気がつくとアクリたちは崖下のカテンク昇降機前に到着していました。
ここから上の階に行けば、鬼の雫は目前です。
「もう到着か」
「やっぱり短いわね…」
カルカクでアクリを見送った住人たちと同じ気持ちになるオルドとルーザ。
「あ、そうだ」
昇降機に乗り込んだアクリは、あることを思い出します。
「あの、よければお二人も華護庭に所属しませんか?」
「がーでん?」
「サクラお姉ちゃんを守るための組織です。私も総長も、リリィさんも参加していますよ」
アクリは華護庭の会員証を二人に渡します。
「あの娘の護衛組織か」
「へぇ、悪くないじゃない」
二人にとってそれは好都合の提案でした。
アクリと同じ組織に所属すれば、再会の機会を作る口実が作りやすくなります。今後も恩人の忘れ形見とは長い付き合いになる予定です。
「それとハルカナ王国のリンゼガード様と、ナスノさんも参加してますよ」
「…」
「…」
アクリがそう付け加えると、オルドとルーザは引きつった表情を浮かべます。
「ど、どうかしました?」
失言があったのかとアクリは不安になりました。
「いや…俺たちは各勢力の主戦力とは因縁まみれなんだ」
気まずそうに腕を組むオルド。
「セコイアの四獣士はともかくとして…ハルカナの騎士隊長、フリムの五将とは戦場で何度もやり合ってるからね」
ルーザは遠くを見つめながら過去を思い返しています。
(…英雄さんが仲良しだったから忘れてたけど、ここって一年前まで敵国だったんだよね)
改めて考えてみれば、それは至極当然のことだとアクリは気付きます。争いの裏で構成された英雄と違って、表で戦争を指揮してきた者同士が仲良しなはずがありません。
(英雄共との繋がりにも驚かされたが、まさかハルカナの騎士連中まであの娘を気にかけているとは…サクラとは何者なんだ?)
そして二人は謎多き咲楽に驚かされてばかりですが、今は深く考えないことにします。
「だがまぁ…これも平和への第一歩だ、参加してやろう」
「そうね…いずれは乗り越えなければいけないことだし」
そう言って二人は華護庭の参加を受け入れ、会員証を懐にしまいました。
「っと…そうだ。これを忘れていた」
すると今度はオルドがあるものを取り出します。
「アクリ、この指輪を受け取ってくれ」
「指輪?」
「アーグが妻に贈るはずだった婚約指輪だ。いずれ俺たちが直接会って届けようと思っていたが、代わりにアクリが母君に渡しておいてくれ」
「…」
アクリはその指輪を受け取ろうか迷います。
「あの…この指輪を受け取っても、オルドさんとルーザさんはお母さんに会いに行ってほしいです」
「どうしてだ?」
「お父さんの話を一番聞きたいのは、お母さんだと思うので」
知らなかった父親の過去を知ったアクリは、その全てを母親に知らせるべきだと思いました。そして伝える役割は自分ではなく、実際に肩を並べて戦ってきた二人が相応しいと判断したのです。
「…確かにその通りだな」
「やっぱり私たちの口から全てを伝えないと、筋が通らないわね」
オルドとルーザの返事を聞いて安心したアクリは、指輪を受け取りました。
「ありがとうございます!」