第181話 【アクリの冒険➂】
海岸のカルカクで最も高い建物の屋上は、とても広くて殺風景な場所です。大きな風車、小さな石碑、そして数人の男たちが輪になって酒を飲んでいました。
そんなひらけた場所だからこそ、下の街並みや海の景色がよく見えます。
「あれが、海…」
青い空、白い雲…そんな空を映し出す広大な海原は、太陽光を浴びてきらきらと揺らめいています。果てのない青の景色に、アクリは圧倒され言葉を失っていました。
「随分と小さな客人が来たな」
するとお酒を飲んでいた年配の一人が、アクリに声をかけてきます。
「誰かを弔いに来たのか?」
「弔い…?」
「なんだ、何も知らずにここへ来たのか」
「えっと…その…」
「まあいい…この石碑を見てみろ」
年配の男は屋上の中央にある石碑を指差します。
「…名前がたくさん書いてありますね」
石碑には精霊言語で、多くの人名が刻まれていました。
「ここは戦場で亡くなった者たちを弔う場所だ。亡骸も形見も残らず、戦果だけを残した同士たちの名をこの石碑に刻んでいるんだ」
その石は慰霊碑でした。
そしてこの場所は、ソエルのために殉職した者たちを弔う場だったようです。
「ん、その酒…もしかしてお使いで来たのか?」
そこで年配の男は、アクリが抱えている酒瓶に気付きます。
「その果実酒は英雄の好物だったんだ。供えるならあっちだぞ」
年配の男が指差す先には、立派な男性の像がありました。
(誰だろう…クスタさんじゃない)
像となったその男はアクリの見覚えのない人物です。
「おい小娘、見たところ歳は十にも満たないだろ。ならこの英雄が誰なのか知らないんじゃないか?」
「は、はい」
「なら特別に教えてやろう。八年前に起きた大戦についてをな」
「いいんですか?」
「お前はクセ毛だから特別だ。この英雄も、ルーザも、俺もクセ毛だ。クセ毛に悪い奴はいない…これが俺の持論だ」
年配の男は少し酔っぱらっているようで、聞いてもいないのに昔話を始めようとします。
「あの~親っさん。まだ内乱対策会議が終わってないのだが」
すると一人の男が年配の男を親っさんと呼び、話を中断させようとしました。
「今はルーザの報告待ちだろ。会話に水を差すんじゃあない」
ですが親っさんと呼ばれる男はお構いなしです。
「また始まったよ…親っさんの語り」
「ほんと年寄りは昔話が好きだな」
「話に付き合わされる娘が気の毒だ」
他の面々は呆れた様子で親っさんのやりとりを眺めています。
(ここ…同盟反対派の人が集まる場所でもあるんだ)
その会話を聞いて、ここがどういう場所なのかアクリは分かってきました。この場所は反対派がたむろする拠点の一つでもあるようです。
「それではまず、この者が英雄と呼ばれるようになった戦争の経緯から語るとするか」
こうして親っさんの昔話が始まります。
※
「今から八年前、ロベリア戦争と呼ばれる争いが起きた。ロベリアってのはこの大陸の中央にあった国の名前だ」
親っさんは海とは反対方向の大陸に目を向けます。
「八年前…」
そんな親っさんの話を真剣に聞くアクリ。
「かつて四大勢力に数えられていたロベリア王国…この国は身分の低い者、異種族を奴隷のように虐げる最低最悪の国家だった。しかしロベリアは調子に乗って帝都フリムの怒りを買い、両国で大きな戦争が起きた」
「それが…ロベリア戦争」
「そうだ。両国の力の差は歴然、その戦争でロベリア王国が滅亡するのは明白だった。そこで、かの英雄はロベリアで虐げられていた民を救ってやりたいと画策した」
次に親っさんは英雄の像を見上げました。
「英雄はクスタと共闘し、奴隷に繋がれていた鎖を解放して自由を与えた。そして人間はソエル、異種族はセコイアに避難できるよう退路を確保し、避難が完了するまでの時間を命を賭して稼いだ…」
親っさんは辛い過去を思い返し顔を歪めます。
「俺もその争いでソエルに避難した者の一人だ」
「おじさんもロベリア王国出身だったんですか?」
「ああ…海岸のカルカクに住む民の多くはロベリアからの避難民だ。この海沿いで人生をやり直し、ソエルの一部となって街づくりを始めた」
避難民を受け入れ国の一部とする、その仕組みはハルカナ王国と同じです。
「ロベリア王国の知恵、物資、魔法を取り込みギルドの街ソエルは急成長した。おかげで滅んだロベリアに代わってソエルが四大勢力として数えられるようになった」
ロベリア戦争はギルドの街ソエルに多くの利益をもたらしました。この戦いで英雄となった像の男は、九人の英雄に負けないくらいの戦果を残していたのです。
「そういう戦争だったんですか…」
ロベリア戦争の詳細を知り、アクリは何やら考え込んでいます。
「何か質問はあるか?」
ひとしきり話して満足した親っさんは、アクリに感想を求めました。
「その戦争以外で、八年前に起きた争いってあります?」
「いや、目立ったものはないな」
「じゃあ…この戦争のことなのかな」
「どうかしたか?」
アクリの妙な反応を見て不思議に思う親っさん。
「…実は、お母さんから聞かされたんです。私のお父さんは、八年前の大きな戦争で亡くなったんだって。もしかしたらそのロベリア戦争で戦死したのかもしれません」
「…」
アクリがそう言った瞬間、親っさんを含む数人の顔色が変わります。
「…お前、歳はいくつだ?」
「えっと、九です」
「もしかしてハルカナ出身か?」
「そ、そうです」
ここでアクリは自分の身分を明かすべきか少し悩みましたが、素直に打ち明けることにしました。
「……名前はなんという?」
「アクリです。アクリ・フリーライト」
「…」
そう答えると、親っさんは言葉を失います。
会話がなくなるとアクリは手に持っていたお酒を思い出し、英雄の像にお供えしようとしました。その時、像に刻まれた英雄の名前が目に入ります。
“アーグ・フリーライト”