第166話 【行方不明のアクリ】
アクリが行方不明。
その言葉を聞いて咲楽の血の気が引きます。
「ど、どういうことですか…?」
それでも慌てずにいられるのは、世界を救った経験の賜物でしょう。
「…ハトさんとハツメさん、ここまでの旅で疲れたでしょう。上の階に宿があるのでゆっくり休んでください」
そこでリリィが機転を利かせ、関係のない二人を酒場の宿へ案内しました。
「は、はい。行こうハツメちゃん」
ハトも何かを察して、ハツメを抱えて酒場の奥に消えます。
「…サクラの活動の助けになれるようにと、あの娘は食材の買い物に出かけたんだ。俺が食材の豊富な店を紹介して地図も渡した」
二人がいなくなったことを確認してから、オルドが状況説明を始めました。
「それでいつまで経っても帰ってこないから、不審に思って探しに行った。だがアクリは俺が紹介した店には行っていない上、痕跡が不自然に途切れていた」
もしただの迷子なら、オルドが痕跡を辿って確実に見つけることが出来ます。つまりアクリは、人為的に行方を眩ませたということです。
「それと同時刻、カテンクに常駐していた同盟反対派が妙にざわつき始めてな」
次にクスタが集めた情報を伝えます。
「さらに南門を監視させていた部下が、反対派の姿を確認している。恐らくだがアクリは反対派の拠点である海岸のカルカクにいる」
「反対派がどうしてアクリちゃんを?」
「俺たちの妨害をしたかったのだろう」
「妨害…」
「この酒場は監視されていたんだ。そこで俺たちが何か企んでいると危惧し、一番弱そうな小娘を攫って混乱を起こそうとした。ハルカナから来た人間ならここでの身分はない…攫うにはうってつけだ」
まるで全てを知っていたかのように語るクスタ。
そしてその推測はほとんど当たっています。あらゆる物事を見透かしたように推測できるのが“空漠たる英雄”クスタの長所です。
ですがクスタはこの時、重大な見落としをしていました。
「あの…」
咲楽は控えめに手を上げます。
「アクリちゃんの身分、あるんですよ」
「…どういうことだ?」
「だってアクリちゃん、ここで一夜を過ごした時にナキちゃんから家来として認めてもらってます」
「…」
それがクスタの盲点、咲楽という存在が生み出す想定外の事象です。
「ほう…ついに一線を超えたのだな、あいつら」
もちろんナキはその会話をしっかり聞いていました。
※
今回の旅の中で、英雄たちは誰も真の実力を見せていません。
リアが模擬戦を行った時も、キユハが汚れた魔物を退治した時も、本気で戦おうとはしませんでした。それだけ英雄の実力は生物の中でも一線を画しているのです。
もし彼らが真の実力を出そうとすれば、その闘志は空気を震わせます。
「私の家来に手を出すとは…奴らめ、知らなかったでは済まされんぞ」
そして今、酒場の店内に漂う空気が震えていました。
ナキは相手が弱かろうが、悪意がなかろうが、無自覚であろうが、家来に危害を加える者は許しません。戦場で死ぬことを選んだ家来たちとは違い、アクリは反対派によって自分の望まない目に遭っているのです。
「反対派だけではない、カルカクの連中も匿っているなら同罪だな」
酒場の外に出ようとするナキ。
何をするつもりなのか、答えは明白でした。
「待て、ナキ姫」
クスタがナキの腕を掴んで静止させます。
「アクリの身は安全だ。何故なら反対派リーダーのルーザは間違っても子供に危害を加えない」
「安否だけの問題ではない。これからのサクラの活動で、アクリは必要な存在だ」
「人手なら孤児院の援軍で足りているだろ」
「アクリにはアクリにしかない個性がある」
ナキの家来を思う気持ちは生半可ではありません。いくらクスタが正論を並べても納得させるのは至難。
「それともクスタ、この私を力ずくで止める気か?」
「…」
並外れた実力者である英雄クスタでも、ナキがもつ鬼の力は抑えきれません。
ただしそれは咲楽の支援がなければの話です。
「ナキちゃん、落ち着いてください」
“強化魔法(中)”
「…!」
ナキはクスタの手を力で振り払うことが出来ませんでした。
咲楽がもつ女神の加護の一つ、身体強化魔法。
今のクスタは加護により身体能力が三倍となり、ナキがもつ鬼の力を抑え込むことに成功していました。
「…サクラはいいのか?アクリが連れ去られたのだぞ」
「よくはないです…けどナキちゃんがここで暴れたら、私の目的達成も不可能になります」
昔の咲楽なら今のナキのように、仲間の救助を優先していたでしょう。しかし今の咲楽には冷静でいられる精神力、状況を見極められる判断力、そして信頼できる仲間がいます。
「それにクスタさんも言ってましたが、ルーザさんが子供のアクリちゃんに酷いことをするとは思えません。ナキちゃんもそう思うでしょう?」
「ぐ…だが」
「それに意見がぶつかったら多数決。それが私たちの約束でしたよね?」
「…」
咲楽と共に世界を救った八人の英雄たちは当時、仲良しとは程遠くいつも口論が絶えませんでした。もし口論が起きたり重大な選択に迫られた時は、多数決で決めると九人の中で約束していました。
「キユハはいいのか、アクリが大事だろ?」
それならばとナキはキユハに意見を求めます。
「野蛮、無益…暴れて解決する事柄じゃないだろ」
感情的なナキの案に乗るはずがなく、あっさり拒絶するキユハ。
「むぅ…」
味方のいない状況になったナキは肩の力を抜きました。
「あーあ…まさかこの私がまた我慢することになるとはな」
クスタの手を振り払ったナキは、不満げに酒場の隅の席に腰かけます。