第154話 【四獣士アクアベール】
突然酒場に現れたその女性は、平然とした振る舞いで店の中に入ってきました。店内にソエルの英雄、総長と錚々たる顔ぶれが集まっているにも関わらずです。
川のように艶やかで長い髪に、まるで透き通った湖のような青い瞳を持つ女性。その神秘的な風貌は、誰が見ても人間ではない異種族であることが分かります。
「わーここが英雄の通っていた酒場ね~」
その女性は外見にそぐわず、仕草や声の調子は気の抜けるものでした。
(あ、オルドさん…鍵をかけ忘れてる)
閉店中は入口の鍵をかけていたのですが、オルドは鍵をかけずに出て行ってしまったのです。
「あの、すみませんがまだ開店していなくて…」
リリィがその来客者にお引き取り願おうとした、その時。
「ベルさん…!?」
咲楽は来客者を見て立ち上がりました。
「…はい?確かに私をベルと呼ぶ人はいるけど、どこかで会ったかしら?」
咲楽がベルと呼ぶその女性はきょとんとしています。
記憶封印は全てのプレザント人に施されているので、相手が咲楽を覚えているはずがありません。しかし、その人物は咲楽が選んだ記憶封印解除の対象者でした。
「私です、咲楽です!」
「さくら…?」
その女性は咲楽の名前を繰り返します。そして咲楽というキーワードは、すぐ彼女の記憶を蘇らせてくれました。
「あ、サクラちゃん!お久しぶりね~」
頭の中で世界の歴史が改変されたというのに、まったく動じることなくマイペースなままの女性。
「お久しぶりです~!」
嬉しそうに手を合わせる二人。
それはまるで、久しぶりに再会した友達のような軽いノリでした。
「どうしてベルさんがここに?セコイアの掟はいいんですか?」
「うふふ、こっそり抜け出しちゃった♪」
「四獣士の一人が掟を破っていいんですか?」
「英雄だって国を出てたんだし、私もエトワール様を見習って世界の見聞を広める旅がしたかったのよ」
「こっそり抜け出すのは感心しませんが、それは素敵な考えですね!」
咲楽はベルと呼ぶ女性と会話を弾ませています。
「えっと…サクラのお知り合い?」
「サクラを覚えているのか」
「綺麗な人…」
そんなやり取りについてこれず置いてけぼりのリリィ、総長、アクリ。
「なんでこいつがここにいるんだ?」
「はぁ…面倒なことになったな」
「……」
ですがナキ、クスタ、キユハはその女性と面識があるようです。
「あ、ごめんなさい。中には初対面の人もいますね」
咲楽は我に返り、コホンと咳払いをします。
「こちらは“多種族の国セコイア”を守護する四獣士の一人、人魚のアクアベールさんです」
※
様々な異種族が集まる多種族の国セコイア。
その歴史はプレザントの中で最も古く、外国にとっては謎の多い勢力でした。ドワーフやエルフといった人よりも身体能力が高い異種族が暮らす中で、特に戦闘力が長けた“四獣士”と呼ばれる四人の戦士。その実力は四大精霊にも引けを取らないと言わしめる精鋭。
その一人がこのアクアベールです。
「まだ再会は先だと思っていたので、会えて嬉しいです」
「私も久しぶりにサクラちゃんに会えて嬉しいわ」
咲楽とアクアベールは席に着いて再会を喜び合っていました。
(…またすごい有名人が来たね)
カウンターの向こうから二人の様子を見守るリリィ。他の面々もカウンター席から二人の様子を眺めています。
「あら?よく見たらクスタさんにナキさん、キユハさんまで揃ってる。かつての仲間たちが集まって何してるの?」
アクアベールはここでようやく英雄たちの存在に気付きました。
「私が一年ぶりに戻って来たのでみんな集まってくれたんです」
様々な事情を端折って説明する咲楽。
「へぇ~そういえばサクラちゃんは故郷に帰ってたんだっけ?よく覚えてないけど」
記憶封印解除により多くの疑問が生まれたはずなのに、アクアベールは何も追求しません。どうやら物事を深く考える性格ではないようです。
(セコイアの四獣士ってかなり厳格な人物だって聞いてたけど、この人は違うみたいね…)
能天気なアクアベールを見てリリィは安堵しました。セコイアの大物に内乱の現状を知られるのは、ソエルの住人にとっては冷や汗ものです。
「それで、ベルさんは世界を旅して回ってるんですよね」
咲楽はアクアベールがしてきた旅について尋ねます。
「ここの次はハルカナですか?」
「ううん、その逆。もうハルカナ王国には行ってきたよ」
「じゃあベルさんも私と同じ時計回りで旅してるんですね」
プレザントの四大勢力は北にフリム、東にハルカナ、南にソエル、西にセコイアと綺麗に分けられています。つまりアクアベールはセコイアから出発し、フリムとハルカナを通過してここにいるのです。
これは咲楽にとって、外国の情報を得るチャンスでした。
「唐突ですが、ハルカナに行った感想はどうですか?」
「そうね…楽し気な雰囲気で素敵な国だったわ。ちぇすっていうのが流行ってて、私も買えたのよ」
アクアベールは荷物から小さい箱を取り出します。それは咲楽が地球から持ち出した折り畳みチェスの複製品、ハルカナ特製チェスです。
(よし、ベルさんが娯楽作戦の後に来ててよかった)
心の中でガッツポーズをとる咲楽。
セコイアに住む人のほとんどは、外国に対して良い心象を持っていません。なのでアクアベールの知見は心象改善の良いきっかけとなるでしょう。
「じゃあ…帝都フリムはどんな様子でした?」
次に咲楽は恐る恐る、この旅で最後に向かうことになる勢力について尋ねます。
帝都フリムは四大勢力の中で最も多くの問題を抱えている国なので、咲楽は内乱中のソエルよりもフリムの方がずっと心配でした。
「フリムも平和だったよ」
「え?」
アクアベールからの意外な答えに咲楽は目を丸くします。
「戦いの跡はまだかなり残ってたけど、順調に復興してた。人々も過去に打ち拉がれることなく手を取り合って、前向きに頑張ってた。私が想像してた国と全然違ったからビックリよ」
「じゃあ…ピリピリしてたり、問題を抱えている様子もなかったんですか?」
「うん、フリムとハルカナは平和。今でもピリピリしているのはソエルとセコイアね」
「…」
自国ですら平気で酷評するアクアベールなので、嘘はついていないでしょう。
「そうですか、ありがとうございました」
頭の中の情報を整理する咲楽。
セコイアの現状も気になりますが、やはり不可解なのがフリムです。
(帝都フリムは平和なんだ…じゃあなんでテオさんに入国拒否されたんだろう)
咲楽はここに来るまでの道中、帝都フリムの軍師テオールと出会いフリムにはまだ来るなと言われています。何か大きな事情を抱えていると予測していただけに、フリムの現状に対する謎は深まるばかりでした。