第121話 【拠点での過ごし方(キユハ)】
次に咲楽はキユハの研究所を訪ねます。
キユハの研究所は倉庫の裏側に設置されており、キユハらしいひっそりとした佇まいです。
「キユハちゃーん」
ノックもせず研究所に入る咲楽。
「ん…なに?」
本が散らかって足の踏み場もない室内で、キユハは不思議な魔道具を利用して精霊石の研究をしていました。
「様子を見に来ただけです」
「ふーん…」
「それにしても、部屋は片付けないんですか?」
「これで配置は完璧、便利」
「ならいいですけど…地球で借りた本、失くさないでくださいよ」
「………どこやったっけ」
「え…」
※
「女神石の研究は進んでますか?」
咲楽は床に落ちている本を整理しながらキユハに話しかけます。
「ん…実は今、女神石の研究はしてないんだ」
「じゃあ何を?」
「魔力についてだ…サクラの世界の“化学”を知ってから、僕はある知見を得た」
キユハは地球から借りてきた理科の教材を手に取りました。
「チキュウの水を分解すると水素と酸素という元素が生まれるだろ?でも僕らの世界にある水の魔力を分解すると、まったく違うものが生まれた。この生まれたものを魔素と呼称する」
講義のように解説しながら、二つの精霊石を魔道具に並べるキユハ。
「水から摘出した魔素と、土から摘出した魔素。この二つを合わせると……“固まれ”」
パキン
そう唱えると、二つの精霊石から透明の塊が生まれます。キユハはその塊を手で掴み、咲楽に投げ渡しました。
「わ、冷たい。氷ですか?」
二つの魔素を合わせて生み出した物、それは氷です。
「“失伝した魔法”の一つ、氷の魔法だ…ようやくここまで到達した」
キユハはハルカナ王国魔法研究会から借りてきた古びた本を開きます。
「この“クロノ写本”の失われたページに何が書かれていたのか分かった…かつて初めて魔法を生み出した賢者クロノも魔素の存在に気付いていた」
地球の科学をヒントに、キユハは失われた賢者の魔法理論を解き明かしてしまったのです。この研究成果を魔法研究会に提出すれば、世界中の魔法文化に変革をもたらすでしょう。
「へぇ…じゃあその魔法を利用して、冷蔵庫みたいなのって作れますか?」
それがどれだけの偉業なのかを理解していない咲楽は呑気に提案します。
「あの冷たい箱か……残念、無理」
キユハは首を横に振りました。
「魔素の調整が緻密、至難。氷魔法を維持する魔道具を作るのは不可能に近い」
「キユハちゃんでも難しいってことは相当ですね…」
世界一の魔法使いが無理と断言してしまったら、本当に無理なのでしょう。
「氷の精霊石が作れれば可能なんだがな」
魔力の入っていない精霊石を見つめながらキユハは愚痴をこぼします。
「それは女神石を作れたキユハちゃんでも作れないんですか?」
「うん…氷の精霊がいないから無理」
「氷の精霊?」
聞いたことのない精霊の名称を繰り返す咲楽。
プレザントに存在する精霊は土、水、火、風の四体だけです。
「精霊石に魔力が定着するのは、この世界に精霊が存在するからだ。原理は精霊石にサクラの神力を定着させて女神石を作ろうとした時と同じ」
「じゃあ女神石は、私がいないと作れないってことです?」
「そうだよ…サクラがチキュウに帰って一年、女神石の研究はまったく進まなかった。それも当然、この世界の地上にサクラがいなかったんだから…」
記憶封印により咲楽を忘れていたキユハは、この原理に気付いていながらもずっと女神石の研究を続けていました。約一年間を棒に振り、やり場のない不満を抱えることになったでしょう。
「氷の精霊石を作るにはその属性に対応する精霊が必要。氷の精霊が存在しないからクロノは氷の魔法を使えないものと軽視し、歴史からも抹消されてしまったんだ」
自分の見解を話し終えたキユハは一呼吸置きます。
「つまり氷の精霊石は作れないってことですね…残念」
キユハの解説をなんとなく理解した咲楽は口惜しく思います。もし氷の精霊石で冷蔵庫が作れれば、食料の保存問題が解決していたでしょう。
「…サクラは作れないのか?」
不意にキユハがそう囁きます。
「何をです?」
「精霊を」
「精霊をって………私が精霊を作れるんですか?」
「女神の権能を持ってるなら可能なはずだ」
驚きの情報を口にするキユハ。
「適当な魔物に精霊としての役割を任命するんだ。歴史書ではそうやって四大精霊が生まれたと書いてある」
「そんな簡単に精霊様を作れるんですか?」
「知らない…その辺りはもうサクラの方が詳しいだろ」
咲楽が女神様の権能を得て二年、女神様事情に関してならプレザント人よりも物知りです。
(そういえばノームくんも、元は普通の魔物だったんですよね。魔物同盟で強い魔物は揃ってるし…クロウさんとかを精霊に進化させられるのかな)
これは検討に値する案件でした。精霊の増員が実現できればキユハにとっても、魔物同盟にとっても大きな利点があります。
「…わかりました、この話は女神様と精霊の皆さんが揃った時に相談して見ますね」
女神様も精霊も咲楽も多忙の身です。
精霊を生み出したいという大それた提案、軽々と精霊たちの前で口には出来ません。話し合うタイミングは慎重に見定める必要があるでしょう。
「頼んだぞ…サクラはアホだから忘れないか心配だ」
「…」
さらっと咲楽の悪口を言うキユハ。
その時、咲楽は魔が差しました。
「てい」
手に持っていた氷をキユハの背中に放り込みます。
「ひゃあ!?」
「おー可愛い声」
「はやく取れ!」