第103話 【キユハのお引越し】
ハルカナ王国、産業区の長い道のりを歩く三人の少女。
「そういえばキユハちゃんの研究所って近くに村がありましたよね」
先頭を歩く少女が産業区の景色を眺めながら呟きます。
伸びきった前髪から覗かせる、女神の魅力あふれる平凡な顔立ち。女神様に選ばれた地球からの使者にして、かつて世界を救った忘れされし英雄。それがこの田中咲楽です。
「あったな、村の名前忘れたけど」
ぶっきらぼうに言葉を返すのが、この世界の歴史に名を残す英雄“女神の子”キユハ・カーネットです。
咲楽と共に世界を救った“八人の英雄”の一人。一見すると小柄な男の子にも見える短い髪の少女。その目つきの悪さと気だるげな表情からは、英雄としての風格が見られません。
「その村って…避難集落の一つだよね」
そんな英雄二人の後について行く小柄な少女、アクリ・フリーライト。
短い白髪が特徴的で、短剣、盾、軽装備と身なりは絵に描いたような見習い冒険者です。アクリは英雄でもなんでもありませんが、修行のため咲楽の旅に同行することになりました。
「避難集落って確か…戦時中にハルカナ王国を頼った、少数国家のことですよね」
咲楽は過去の知識を引っ張り出します。
ハルカナ王国内の産業区にある村、それはハルカナの傘下にあたる集落です。
戦時中、帝都フリムの進軍に耐えられない少数の国家は、ハルカナ王国の防衛力に頼るしか生き残る手段がありませんでした。国王は来るもの拒まず去るもの追わず、全ての国家を受け入れハルカナ王国の力としました。
終戦した後。
かつての故郷に戻る民族もいましたが、約八割は産業区に残りハルカナ王国を構成する柱となっています。
「ご近所ですし、引っ越しの挨拶が必要ですね」
これからキユハは研究所ごと移動という大規模なお引越しをすることになります。キユハの生活を支えてくれた村なので、少なからず恩があるはずです。
「不用」
しかし咲楽の案を即拒否するキユハ。
「なんでです?」
「大して面識ないし、義理もない」
「…相変わらずですねぇ」
不愛想なキユハを見て咲楽は苦笑を浮かべます。
魔法研究以外に興味がなく、他人には無関心。咲楽との冒険を得て精神的に成長したキユハですが、根本的な性格は変わらなかったようです。
※
歩いて数十分、目的地であるキユハの研究所に到着した咲楽一行。後はこの研究所を、西の平原まで移動させるだけなのですが…
「さて」
キユハはEランクの精霊石を取り出し、放り投げました。
“運べ”
パリン
キユハの一言で精霊石は砕け散ります。
すると地面から巨大なゴーレムが立ち上がり、ゴーレムは右手で研究所の建物を掬うように持ち上げました。
「あんな短い詠唱でこんな大きなゴーレムを…」
ゴーレムを見上げながら呆気にとられるアクリ。
「運び終わった頃には、部屋の中めちゃくちゃになってますね」
キユハのゴーレムを見慣れている咲楽は呑気な感想を述べています。
「どっちにしろ、乱雑」
「それにわざわざ犠牲魔法でゴーレムを呼ばなくても良かったのでは?もったいない…」
「いいんだよ。低ランク精霊石の在庫処分だ」
「…」
丁寧とは程遠い仕事をするキユハは、ゴーレムの空いている左腕を下ろさせ腕に飛び乗ります。
「西の門まで距離あるし、サクラたちも乗ってけば?」
ゴーレムの構造は人が乗る前提の乗りやすい形になっていました。大きなゴーレムの移動速度なら、お昼前には目的地である西の平原に到着するでしょう。
「はーい」
「し、失礼します」
咲楽は遠慮せずゴーレムに乗り込み、アクリも咲楽の後に続きます。
“進め”
二人の搭乗を確認したキユハは雑な詠唱でゴーレムは歩かせました。
「キユハちゃんのゴーレムなら魔物に頼らなくても、移動拠点みたいなのができたんですかね」
ゴーレムとはこの魔法の世界を発展させる要です。その大きな巨体は労働力になり、人を守る盾にも、戦争の武器にもなります。
「不可能」
しかしキユハはあっさりと否定。
「燃費が悪い、安定性がない、注意力も皆無。ゴーレムを乗り物として利用するには、僕みたいな一流魔法使いが意識を集中させないといけない。それは頭脳の無駄遣いだ」
「へぇー…見た目以上に難しんですね、ゴーレム操作って」
ゴーレムは便利ですが欠点も多く見られます。なのでプレザントでの移動手段は魔法を用いるよりも、馬や牛の魔物を利用する方が主流なのです。
「おやキユハ様。ついにお引越しですか?」
ゴーレムの騒ぎを聞きつけ、キユハの研究所近くにある村の住人がキユハに向けて手を振っています。
「今までありがとうね。前にキユハ様が修理してくれた水道魔具、あれから絶好調よ~」
「…!」
予想外の言葉に驚く咲楽。
「いつでも帰ってきていいですからね」
「また生活用魔具が壊れたら頼むわ!」
「キユハ様!たまには遊びに来てくださいよー」
道行く村人の全員が、キユハに温かい言葉をかけてくれました。
「…」
キユハは不愛想にそっぽを向くだけですが、それが不器用なキユハなりの応対であることを咲楽は知っています。
「んふふ…」
「お~」
咲楽とアクリは感心しながらキユハの顔を覗き込みます。
なんだかんだ言いつつもキユハは咲楽から学んだ、他人を思いやることの大切さを無下にしていませんでした。
かつてのキユハの忌み名“悪魔の子”はもう存在しません。咲楽はそれが嬉しくて仕方がないのです。
「こっち見んな」
そんな二人の顔面にチョップを繰り出すキユハ。
「いた」
「ふぐっ」