水晶の間
・今回はかなり長くなってしまいました。
・フローレンスのキース、シリアに対する呼び方を変更しました。
・キース、シリアのフローレンスに対する呼び方を変更しました。
・確認作業ができていないので、間違っている箇所があれば指摘していただけるとありがたいです。
「リード、フローレンスさんとお茶をしたいから、水晶の間をセッティングしなさい。」
皇女様は私と皇女様しかいないはずの廊下で小さな声で囁いた。
皇女様専用の隠密でもいるのだろうか。
場面だけで見てみるとまるで皇女様が独り言をつぶやいているようだった。
「フローレンスさんは…シオン・リルヴァインの妹さんなのよね?」
「え?」
私は皇女様の言葉に耳を疑った。
何故急にお兄様の名前が出てくるのか。訳が分からなかった。
「シオン・リルヴァインの家族なのよね?」
「っ!……はい。」
私が苦々しく頷くと、皇女様はニコリとほほ笑んで「よかった」とつぶやいた。
何がよかったのか、私には見当もつかないけれど私にとっていいものでないことだけは確かだった。
「アナスタシア様、水晶の間のセッティングが完了しました。転移なさいますか?」
「ひぇ!?」
廊下を再び歩いていると後ろから急に超高身長の学生が話しかけてきた。
この謎の男性はこう慎重なうえ目元に怪しげなマスクを着けていたのでとても胡散臭い感じがした。
口ぶちからして、アナスタシア様が先ほど呼んでいた「リード」という人物だろう。
「…こちらのご令嬢は?」
リードさんは私のほうをちらりと見て温和そうな声でアナスタシア皇女にそう聞いた。
何を考えているのかわからない不思議なトーンの声だ。
「この方はフローレンス・リルヴァインさん。リルヴァイン公爵のご息女よ」
リードさんは「この方が…」と一瞬こちらに目を向けたけれどすぐに皇女様に視線を戻してしまった。
「今回も…例の用事よ。彼女の転移の補助をしなさい。」
「かしこまりました。」
リードさんは一瞬沈黙したが、口元をにやりと釣り上げると皇女様に深々とお辞儀をした。
例の用事とは何だろう。それにこの人たちは私が自分の転移用魔晶石を持っていないことをりかいしているのだろうか。
「すみません。私自分の魔晶石を持っていないんです。従者がもったままになっていて。」
「お嬢さん、それなら心配はいりませんよ。水晶の間へは専用の魔晶石もしくは、許可された人物しか入ることができないので。」
リードさんは私ニコリとほほ笑みそういうと、「失礼しますね」といって急に私の体を担ぎ上げた。
いうなればお姫様抱っこ状態だ。
「え、あ、その……!?」
私が急な他人の接近にしどろもどろになっていると、私の少し先を歩いていたアナスタシア皇女はクスリと笑って振り返った。
「急にごめんなさいね?こうするしか皇族関係者以外を水晶の間に招待することができないの」
それにしても近いだろう。せめて手をつなぐとか、キース様のように引き寄せるとかほかにも方法があるはずだ。
「少し…少しの間だけ辛抱してください」
リードさんが少し困ったように言った。思わずリードさんのほうを見てしまったので自然とリードさんと目がぱっちりと合ってしまう。彼の吸い込まれそうなほど綺麗な深い青の瞳に不意にみとれてしまう。
「いきますよっ!」
リードさんが冷や汗を伝わせながらそう言うと、彼を中心にアナスタシア皇女様まで複雑な魔方陣が広がった。
「水晶の間へ」
リードさんがそう口にすると間もなくキース様と転移した時にも感じたあの何とも言えない浮遊感と強烈な赤い光があたりを包んだ
そして次の瞬間目を開けるとそこはアフタヌーンティーを楽しむためであろうティーセットが美しい水晶で飾り付けられた部屋の中にポツンと存在している部屋になっていた。
「…ここが?」
「ええここが皇族専用の部屋のなかの一部屋。通称“水晶の間”。
部屋の装飾が美しいでしょう?私のお気に入りなの。」
皇女様はうっとりと部屋を見回しながら自慢げに語った。きっと彼女にとってこの部屋こそが学園の中での安息の地なのだろう。
「リード、そのままフローレンスさんを席に案内して頂戴。」
「かしこまりました」
私は皇女様がリードさんに命じた言葉で初めて私がまだリードさんに担がれっぱなしだということに気が付いた。改めてこの姿勢になっていることを意識してしまうと勝手に頬がほてってしまう。
リードさんは私を担いだまま中央のテーブルの前まで移動して、私をおろして椅子に座らせてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「お気になさらず。」
リードさんはニコリと笑って皇女様にお辞儀をすると、再び青い光に包まれて、どこかへ転移してしまった。
「さ。私たち二人だけになったことだし、そろそろ本題に入りましょうか」
急に空気が変わった。ゆるゆるとした時間の流れが無理やりピンと張らされたような緊張感が私を襲う。皇女様はこちらの心情を知ってか知らずか、ゆっくりと私の向かいの椅子に腰を掛けると華奢な手でセットに乗っているブラウニーを自身のさらに載せ始めた。
「本題とは…何でしょうか」
「あら、とぼけないで頂戴?あなたも分かっているはずよ。」
皇女様はわざとらしく笑って見せると先ほどの温和な風に見えるまなざしとは全く違う、冷たい宝石のような目で刺すように見返してきた。
つい力んでしまう。皇族がほかの貴族とはどこか違うということはお兄様やお父様の話で何となく知ってはいたけれど、よもやここまでとは思わなかった。
「私の…教室での立ち振る舞いに関係するお話ですか?」
「よくわかっているじゃない。やはりシルヴァイン子息の妹というだけあって、人の心を察するのが得意なようね。あなた、あの平民に優しすぎるわよ。いくらこの学園内が身分関係一切撤去と言ってもあなたは公爵家の血を引いているのでしょう?それくらいの自覚を持ってもらわないと。
あんな薄汚い平民、だれもかまわないほうがクラスのためなのよ。所詮何もできない無能の分際なのだから。」
「…」
「あまり納得していないようすね?リルヴァイン公爵はフローレンスさんにどのような教育を施したの?とてもまともな教育をうけていたようにはおもえないわ。
私たちは、選ばれた人間なの。それも私は皇族、あなたは公爵家。選ばれた人間の中でも特に特別なのよ。あなた本当にその意味が分かってないの?
あ、そうだわ。あなた私の付人になりなさい?そうしたら付き合うべき人間とそうじゃない人間の区別の仕方くらい教えて差し上げるから。幸いあなたは見た目も小奇麗だから私と並んでいても多少見劣りするだけで済むはずよ。」
身分という制度がなければいいのにとこんなに強く願ったのはこの時が初めてだった。
私が公爵家の娘ではなくて、皇女様が皇族ではなくてお互いにただの町娘ならどんなに良かっただろう。そうしたら皇女様の美しい顔に魔力の刃を突き立てても誰も文句は言わないのに。
アレンのような非のない帝国民が虐げられて何も言えないあの教室のような社会なんておかしいに決まってるのに、背負っている物があるせいで何も言えない自分が憎かった。
「あら、公爵令嬢ともあろうものがそんなに魔力を溢れ出せるほどあからさまに殺気立っていていいと思っているの?それに貴方がいくら優秀な治癒術師だとしても、私にはかすり傷一つつけられないわよ?最も、ついたとしたら貴方のお父様・・・リルヴァイン公爵がどうなるのかわかっているでしょう?そうなったとしたらそれはそれで見物ね」
皇女様はそういうともう一つケーキを口に運ぶとニコリと美しい弧を描いて寸分の狂いもないほほ笑みを私に見せつけた。
「なら、これでどう?あなたのお兄さん、シオン・リルヴァインをわたくしのお兄様の補佐官につけるように手配してあげるわ。どう?これ以上ない名誉でしょう?」
「っ!」
「…あの、皇女様、一つお聞きしても宜しいですか。」
「あら。何かしら?」
「皇女様は、なぜ其処までして身分にこだわるのですか?確かに私たちは貴族です。でも私たち貴族の生活は帝国身全員の日々の暮らしに支えられています。それは聡明な皇女様ならば理解していらっしゃるはずです。それならなぜ、そのようにアレンを・・・平民をないがしろにするような言動をとられるのですか?」
私は身を切る思いで皇女様に質問をした。もしかしたら子質問のせいでお兄様やみんなに迷惑をかけてしまうかもしれない。後から考えてみるととても愚かな行動だったと思う。だけど、質問せずにはいられなかった。こんな考え方をしている人が大半だなんて信じたくなかっただけかもしれない。
「甘いわね。私たちは確かに平民の生活の上で自身の生活を成り立たせているわ。だけどだから何?私たちは選ばれた人間、ヒエラルキーの上に立つべき人間なのよ?最底辺の人間に構っているほうが愚かだわ。
そんなもの貴族として常識でしょう?」
「っ!…すみません、一日だけ、時間をください。明日の放課後までには答えを出します。」
正直言って、今転移用魔晶石と一緒に杖もルールーが持っていてくれて本当に良かった。私が杖を持っていたら、今頃思いつく限りの呪いを皇女様にかけていただろうから。
私が一日待ってくれというと皇女様からは美しい笑顔が消え去りその大きな瞳をすっと細めた。
「即決しないのね。あなたにとってはメリットしかないというのに。まあいいわ、あなたの望む通り一日だけ猶予を与えましょう。ただし一日後には必ず結論を出すこと。」
「わかりました。」
以外にも皇女様はあっさりと了承してくれた。
よほど私が自身の側につくという自信があるのだろうか。
「リード、フローレンスさんがお帰りになるそうよ。お送りして差し上げて?」
「かしこまりました」
皇女様がまた誰もいないところにリードさんの名前を呼ぶと、リードさんは不思議な声とともに皇女様の背後に現れた。
「それでは、失礼しますね」
そしてリードさんは来た時と同じように私を担ぎ上げると魔方陣を発現させてわたしが何も理解しないまま「ディアンケル寮へ」と言葉を紡いで転移した。
「うっ…」
転移したようなので目を開けるとそこはキース様やシリア様と一緒にいたディアンケル寮についていた。私とリード様が転移したのはちょうど談話室だったようでたくさんの寮生やシリア様もいた。
みんな突然転移してきた私をみて目を丸くしている。
しかし、一日に何度も転移するのはそんなに気分が良いものではない。貧血が起きた時のようないやな不快感が私を襲う。
「…ああ、これをどうぞ」
私が抱きかかえられたままあまりに醜い顔になっていたのかリードさんはほぼ無言で私の口に突然何かを押し込んだ。口に入れられた瞬間何とも言えない甘美な香りが私の口いっぱいに広がった。
口に含んでいるだけで勝手に気分がよくなってしまう。
「ムグッ!?…こりぇは?」
「ご心配なさらず、ただの飴ですのでお嬢さんの顔色が優れていない様子だったのでまことに勝手ながらお召し上がっていただきました。お気に召されませんでしたら申し訳ありませんでした。」
リードさんはそういって私にニコリとほほ笑むと私をようやく地面に下ろしてくれた。
今までずっと抱えられっぱなしだったので、ようやく足をつけられた安ど感にホッと胸をなでおろす。
「リードさん、ここはディアンケル寮ですよ?セイクレッド寮所属のアナスタシア皇女様の従者がなぜここに?まさかとは思いますが転校初日のフローレンスさんに何かしていませんよね?」
私がリードさんから離れるとそれまでこのやり取りを唖然として見ていたシリア先輩が最初に聞いた時とはだいぶん違う、ひどく低い声でリード先輩に問いかけた。
きれいな顔には笑顔を称えているが私が見ても分かるほど怒りと嫌悪感をあらわにしていた。
「おやおや…ディアンケルの副寮長は相変わらず僕を毛嫌いしているようですね。
まあ、もともとディアンケル寮自体が閉塞的な団体なので致し方ないのかもしれませんね。
心配なさらずとも、そちらのお嬢さんに危害など加えておりません。わが主のアフタヌーンティーに少しばかり付き合っていただいていただけです。」
「信用なりませんね。あなたの言っていることの九割は嘘で塗り固められているでしょうから。」
リードさんがどんなにへりくだった言い方をしても、物腰柔らかく話をしてもシリア先輩は警戒の姿勢を崩す気はないらしい。むしろ先ほどよりも眼光が鋭くなっているような気さえする。
「…あなたのその何物も信用しない姿勢は称賛に値しますが、そのような疑心暗鬼を続けていればいつか足元をすくわれますよ。」
「何を言っているのか理解に苦しみますね」
リードさんは再びシリア先輩の答えを聞くとすっと柔和な表情を消し去って私のほうへ真顔で視線を向けた。
「私はこの場所ではあまり歓迎されていないようです。なのでこれくらいでお暇するといたしましょう。お嬢さん本日はわが主に付き合っていただきありがとうございました。お嬢さんが賢明な判断をすることを祈っていますよ」
「え…あ、ちょっ!」
私やシリア先輩が瞬きもしないうちにリード先輩は言うことを言って私に軽く会釈をすると青い光をまたたかせながら転移して居なくなってしまった。
「………」
私たちが転移してくるまでにぎやかだったであろう談話室は一瞬にして静かになり、あたりを気まずい沈黙が漂う。
「フローレンスさん…」
「ひっ…は、はい!」
シリア先輩はリードさんに話した時と同じ唸るような声のトーンで私に話しかけてきた。初対面の時のキース先輩の保護者感はどこへやら。必死に抑えているのだろうけれど、リード先輩への嫌悪感をそのまま引きずっていることは明らかだった。つい声が上ずってしまう。
「あの方たち…アナスタシア皇女に何かひどいことをされませんでしたか?」
「い、いいえ…」
本当は今日あったことをすべて話してしまいたかった。だけど今ここはことを話すには人が多すぎる。それになりよりシリア先輩本人がとてもこの状況に対応できそうな状態ではなかったのだ。
言わないほうが賢明な気がする。幸いまだ猶予は一日ある、休み時間の間にでもお兄様に相談すれば何か良い解決策が浮かぶかもしれない。
「おい!フローレンスが帰ってきたってホントか!?」
「キース先輩!」
私が何を次に発しようと困っているところにキース先輩が赤い光とともに転移してきた。
衣服はかなり乱れているし、瑠璃色の神はぼさぼさになっている。かなり慌てているようだった。
それにふとキース先輩の後ろを見るとなぜかルールーがいた。ルールーに至ってはメイド服のスカートの端が切れてしまっている
「キース先輩、それにルールーも…何かあったんですk…「「何かあったんですかじゃないだろう!」」
キース先輩が急に大きな声で私に怒鳴ってきた。
これには私を含めるその場にいた寮生全員が息をのんだ。
普段温厚なキース先輩のこんな姿を見るのは初めてだったから。
「今までどこに行ってたんだよ…。授業が終わってフローレンスがいる教室に行ってもすでにお前は皇女に連れていかれたと聞くし…そこのお前の従者も主人の居場所が分かっていないようだったし。俺が、俺がどれだけ心配したと…」
「あっ…」
キース先輩もルールーも心底疲れ切っていた。
きっと私のことを探しすためにこの時間まで校内に残ってくれていたのだろう。
自分のことに精一杯になっていて周りの迷惑なんてちっとも考えていなかった。
自分がしたことの愚かさにめまいがする。せめて、誰かにことずてを頼んでさえいればふたりにこんなに心配をかけずに済んだのに。
「すみませんでした…本当に、ごめんなさい…」
私がそういってみんなの前で謝るとキース先輩はハッとした顔になって先ほどまでの気迫のある顔から瞬時にいつものやさしそうな顔に戻る。
「俺こそ…ごめんな。急に怒鳴ったりして、俺もここまで怒るつもりじゃなかったんだ…。怖かったよな、ごめんな…。とりあえず、どこかに移動しよう。ここで話せないこともあるだろう…」
キース先輩はそういうとついてきてほしいといわんばかりに私のほうを見てこくりと頷くと、奥の扉のほうへゆっくりとゆらゆらとした不安定な足取りで歩いて行った。
「フローレンスさん、行きましょう…。そこの…フローレンスさんの従者の方も一緒に来てください。」
「わかりました。」
シリア先輩が私とルールーにそっときずかうような声色でおそるおそる話しかけてきた。
先ほどのやり場のない怒りは今の衝撃で吹き飛んでしまったようだ。
シリア先輩は「歩けますか?」と私の手をそっと握ると私に合わせるようにして、先ほどキース先輩が向かっていった部屋へと歩き出した。後ろからは青ざめた顔のルールーがついてくる。
そして扉をあけるとまるで空き部屋のような埃っぽい部屋にたどり着いた。
そこにはうなだれるように悲しそうな横顔をさらけ出しているキース先輩が一つの椅子に腰かけて私たちの到着を待っていた。
これから何をはなされるのかはおおよそ予想がついた。
けれど私の頭の中はアレンとアナスタシア皇女のことと、キース先輩とルールーのこととですでにキャパオーバーしていて、もう何も考えられていなかった。