ディアンケル寮
「ようこそ!ディアンケル寮へ!」
私が再びあまりの眩しさに目を瞑ると、次の瞬間私の体をわれんばかりの嬌声が包み込んだ。
「へ?!…ってうわっ!!」
私が思わずバチッと目を開けるとそこには私と同じくらいの男女がざっと50人ほど私の方をみてニコニコとしていた。
「フローレンス嬢は俺たちディアンケル寮が頂いたぞー!」
「「うぉーーーー!!!」」
私が呆気に取られてぽかんと立ちすくんでいる間も目の前に学生らしき男女らはやんややんやと盛り上がりを増していた。
「えと…あの…?」
私がボソッと声を漏らすと先程まで大声で盛り上がっていた人達は一斉に静まり返り、私の方をまた見てきた。
「あ…いや…その…なんでもないd…「ようこそ、我がディアンケル寮へ!」
私が慌てふためいていると先程まで学生の先頭にたって1番盛り上がっていた男子学生がニカッと笑ってそう言うとスタスタと糸を縫うように人混みを分けてこちらへやってきた。
「あの…貴方は?」
「あれ?覚えてないのか?
俺はキーストン・バスティオールだ。ほらシオンの友達の。フローレンス嬢はほとんど部屋にいたからあんまり会えなかったけどなー。俺はしっかり覚えてるぜ。俺があったどの令嬢よりも飛び抜けて背が小さかったからな!」
「へ…?」
確かにキーストン・バスティオール様の事は知っている。お兄様より1歳下の私と同い年のご学友で時折貰う手紙にもチラチラと名前が出てきていたから。それに、幼い頃に何度かあったことがあるというかれの瑠璃色の髪や黄金の瞳に、私は多少見覚えがあった。
きっと彼が言っていることは嘘では無いのだろう。
それにしても人の身長を躊躇いもなく言うのはあまり感心できないけれど。
「俺はディアンケル寮の寮長なんだ!だから俺がしばらくフローレンス嬢のサポーターになる。気軽にキースとでも呼んでくれ。周りからはそう言われているからな!」
「は、はぁ…」
あまりの勢いに気圧されそうになる。
お兄様はこんな元気な人と毎日過ごしているのか…考えただけでも尊敬する。我が家はあまりキース先輩のように活発な性分では無いものが多いから。私もお兄様も例外なくそれにあたる。
だけど、私が気圧されている様子を他の寮生らしき学生たちはさも当たり前の光景として眺めている。
中には少し哀れみの目を向けてくる人もいるみたいだけど。
きっと今のこれがキース先輩の素なのだろう。
それに、みんな呆れてはいるけれど、微笑ましいというような顔でキース先輩を眺めている。恐らく、このキース先輩の素を知った上で尚寮生達はキース先輩のことを寮長として信頼しているのだろう。
「キースさん?また…新入りに考え無しに話しかけているのですか?」
「げ」
急にキース先輩の後ろから凛々しい女性の声がした。
寮生のみんなは密かにくすくすと笑い出しているが、名前を呼ばれたキース先輩だけは顔を一瞬にして青くして表情筋を強ばらせていた。
「言いましたよね…?あなたのその勢いは人によっては重荷にしかならないと…。我が寮生はあなたのその態度に慣れていますが、フローレンスさんは少なくともココ最近はあっていないのでしょう?
あまりに無遠慮すぎますよ。」
その鈴がころがるような可憐な声は私が言いたいことを全て代弁してくれた。もしかしなくても、この声の主がキース先輩のお守りを普段からしているであろうことは明白だった。
「フローレンスさん、我が寮生が大変失礼しました。どうかお許しください。」
私はその声の主を見た瞬間思わず見とれてしまった。それは彼女が、その声の主が女の私から見てもあまりに美しく写ったからだ。
身長はキース先輩程高くはないが華奢な四肢の割にはその皮膚にはきちんと筋肉が張っている。
オマケに美しい中性的な顔立ちとそれを彩るかのような鮮やかなアイスブルーの髪が余計に彼女の神秘性を増長させていた。
「あ…えと…はい…。貴方は…?」
「あぁ…申し遅れました。私はシリア・ルコードと申します。
ディアンケル寮の副寮長を務めています。3年です。これから、よろしくお願いしますね。」
聞いた瞬間納得した。確かに彼女は役職に着くべきだとすぐに思えた。立ち振る舞いは言わずもがな、その佇まいから崇高な知性と気品すら感じられるからだ。
「あ…こちらこそ、よろしくお願いします!!」
私が必死にお辞儀をするとシリア先輩はニコリと微笑んで部屋の奥へと消えていった。
「なんつーか、嵐みたいなやつだよなー。あいつって。」
シリア先輩が去ったことを確認すると途端にキース先輩が私の隣にたってぶつくさと言い始めた。
キース先輩がそれを言っていいものなのかとも思ったけれど、そこはあえて突っ込まないことにした。
「あいつさー、実は貴族じゃないんだよ。」
「へ?!」
キース先輩が寮生達が少なくなったことを確認するとひとりでに小さく呟いた。
「あいつ、ああ見えて平民の出なんだ。本人は特に気にしてないようだけど。でも、そのせいで周りにはうるさく言うやつらがいてな。あいつの実力は学校では指折りなのに…。
だからさ、フローレンス…1つ頼みがあるんだ。」
「はい?」
「あいつの…友人になってくれねーか?この学院、一応身分差関係は一切ないんだけど、それでも平民が通ってることって少なくてさ…。だからあいつ少し浮いてるんだ。」
「…」
キース先輩が勝手にシリア先輩の出自を暴露したのはひとまず置いておいて、キース先輩の言うことに一理あると思った。
私やお兄様は特に気にしていないけれど、他の貴族のご子息、ご令嬢の中には未だにその身分概念に囚われている人も多くいたからだ。
「私なんかで良ければ…ですが、何故私なのですか?他にもふさわしいご令嬢は沢山いるでしょう?」
当然思いつく疑問だった。確かに私は公爵家の娘で貴族階級の中でもかなり上の地位にいる。けれど、この学園には私よりも優秀で、地位が高い人間はいくらでもいるはずなのに、なぜ私なのか本当にわからない。
「ん?俺の勘がお前に任せとけって言っていたからに決まってるだろう?」
「なっ…勘…ですか?」
「おう!勘だ!」
空いた口が塞がらなかった。
この人は私と、シリア先輩の学園生活を左右することを己の勘ひとつに委ねて決めようとしているのだ。
「俺、こういう時の勘は外れたことがないんだ。
シオンのダチとして付き合い始めたのも、俺の勘がピンと来たからだしな。アッハッハ」
「…まあ、その…私は構いませんが…その事をシリア先輩本人に確認は取られているのですか?」
「……」
キース先輩はハッとしたような顔になり途端に私から目を逸らし始めた。
「取られていらっしゃらないのですね…」
「アッハッハ。まあそこはどうにかしてくれ!俺はフローレンス嬢の学習面のサポートを頑張るからさ!」
キース先輩はそういうと清々しいまでの笑顔を称えて私の頭を撫でてきた。
なんという楽観主義。呆れてものも言えなくなる。
けれど、本当にシリア先輩のことを大切に思われていることはほぼ初対面の私にも伝わってきた。
私は、この時これはもしや…と思い咄嗟に思ったことを聞いてしまった。
「あの、キース先輩はシリア先輩のことを好いているのですか?」
「へ?」
私がそう聞くとキース先輩はぽかんと口を開けて硬直してしまった。
「あの…キース先輩…?」
「アッハッハ。フローレンスは面白いことをいうなー!
フローレンスも例外ではないが、俺たちは貴族だ。思い思いの恋愛なんか、できるわけが無いだろう?
俺は幼少期から恋愛感情なんか一片たりとも感じたこともなかったな…あぁ、フローレンス今は何時だ?もうそろそろ始業のチャイムだ。フローレンスが遅刻したら俺まで院長から怒られてしまう。もう行こう。」
「は、はい…」
キース先輩は急に、慌てたようにそういうとポケットから来る時にルールーが握っていた移動用魔晶石を握っていた。
「あっ!私の魔晶石…ルールーが、私の従者が持ったままです!!」
そういえば、聖門の間でルールー、お兄様、ポドモアさんと別れたままだ。
「困ったな…個人の従者なら許可証を発行しないと入れさせてやれない…今からしてたら絶対間に合わないぞ…。
しょうがないな…よし!」
キース様は何かを思いついたようにガバッと顔を上げると急に私の腕をグイッと引っ張って自信が羽織っていたジャケットをふわりと私にかけるとグイッと体を引き寄せた。
「え、ちょ、えぇ?!」
近い。とにかく近い。私の視界はキース先輩の胴体で埋まっているし、頭には微かにキース先輩の息が当たっている。
「済まないな。2人とも遅刻しないようにするにはこれしかないんだ。行くぞ!」
「え?って…きゃぁぁぁ!!」
次の瞬間、私とキース先輩の体を柔らかい緑色の光が包み込み、謎の浮遊感が私を襲う。
私は思わずキース様の胸ぐらにしがみついてしまう。
キース先輩はそんな私の心情を察してか、肩を強く抱き寄せてくれる。
「もう大丈夫だぞ。フローレンスは何組だ?」
「え…?」
未知への恐怖で思わず閉じてしまっていた目を開けると、そこはディアンケル寮内ではなく、2年生の教室への入口が並ぶ廊下になっていた。その時、今の光や浮遊感は転移用魔晶石を使用したものによるものだと理解した。
どうやら、キース先輩は元々1人用の魔晶石なのに私を含む2人で移動するという離れ業をわざわざしてくれたようだった。
「俺は2-α組だ。フローレンス、ポドモアさんから紋章を貰っただろう?それを見せてくれ」
私は言われるがまま先刻ポドモアさんから頂いた紋章を見せた。
そして取り出した紋章を見て私は自身の目を疑った。貰った時には確かに何も描かれていなかったはずの紋章に今はしっかりと十字架と百合の花の紋様と2-βという文字が刻まれていた。
「残念だ…どうやら隣のクラスらしい…。β組は奥から2番目だ。
俺はこのα組だから一緒には行けない。1人でも、頑張れよ!」
「はい…っ!あの!」
「ん?どうした?」
私がお礼を言ったのを確認し立ち去ろうとしたキース先輩を私は腕を掴んで引き止めた。
「あの、送ってくださってありがとうございました!!」
「……おう!寮生が困った時に助けてやるのが寮長だからな!」
キース先輩はニカッと笑うと手をヒラヒラとさせながらα組へと入って行ってしまった。
私もそれに習ってその先にあるβ組へと歩を進める。
…一瞬、キース先輩の耳先が赤らんで見えたのは気のせいだろうか。
転移用魔晶石は使用する度に持ち主の魔力を微量だけど吸い取ってしまう。私と一緒に転移したことが負担になっていなければ良いけれど…。
私はそんな不安を抱えてβ組の扉の取手に手をかけたのだった。




