プロローグ シエル
宮川翔悟は実家では数匹の猫と暮らしていた。
翔悟が中学生のある日、雨上がりに小さくて真っ白な雌の子猫が家の玄関に迷い込んで来た。周りを見渡しても親猫の姿は見えないため、仕方ないかと新しい家族の一員として迎えた。
丁度雨上がり、初夏の通り雨だった為すぐに透き通るような青空が広がり、一筋の綺麗な虹の架け橋がこの出会いを祝福してくれているようだと柄にもなく思ってしまった。
その空と虹から連想し、白猫は『シエル』と名付けられた。
シエルの毛並みは来た当初こそ、子猫だったためふわふわの綿あめのようだったが、成長するにつれて元々の真っ白さと相まって、艶のある極上の絹のような、それでいて光を反射する銀糸のように美しくなっていった。
シエルは子猫の、それこそ家に来た瞬間から翔悟にとても懐いており、何処に行くのも後ろから着いてくる始末だ。
しかし、成猫に近づいて来たある時を境に、シエルは急に態度が変わってしまった。
名前を呼んでも近づいてこなくなった。でも構おうとしなかったり、家に居た他の雌猫たちと遊んだりしていると、私に構えと言わんばかりにシエルは翔悟に近づいてきて甘えだすのだ。
雄猫で茶トラのトラジとじゃれていても何もそんな事はないのに、雌猫と遊ぶときだけ不満たらたらなのだから、所謂ツンデレ100%なのだろう。でもそこがシエルの可愛いところでもあったため、翔悟はありのままの彼女を受け入れていた。
高校を卒業して大学に行った後、特にやりたいこともなかった為、就職せずにフリーターとなった。
しかし流石にフリーターのまま実家に居るのも気が引けるので、実家を出て一人暮らしをすることにした。
その時シエルが自分も連れて行けというかのように、「にゃーふにゃー!!」と今まで聞いたことのないような鳴き声で猛抗議してきたのだ。
猫の話す言葉なんて普段ははっきりとはわからないのだけれど、この時の彼女の言いたいことだけははっきりと伝わって来たので、新居にはシエルも連れていくことにしたのだった。
時は経ち、翔悟も20台後半に差し掛かった、肌寒さが強くなってきたある日の事。
朝に出勤する時にはギリギリまで布団の中で過ごし、目覚ましが鳴っているのにも関わらず起きない為、シエルが音に反応して抗議するかのように起こしてくれていた。
冬場はいつも翔悟の布団の上で寒くならないように丸くなって寝ていた。
それなのにその日に限って起こしてくれなかった。布団の上にも中にもいない。
1LDKのマンションなので隠れられる場所は限られているはずなのに。
そう、この日の前日シエルは突如として失踪したのだった。
マンションで飼っていたのだが居なくなった。鍵を掛けていたはずなのに何故か開いていたのだが、部屋の中は荒らされたような形跡はなかった。
でもシエルが自分で窓や扉を開けられるはずもない。
本当にシエルだけがその場から忽然と消えていたのだ。まるで元々居なかったかのように。
しかし、シエルの為に用意していたご飯と水、トイレだけがシエルはここに居たんだぞと教えてくれる。
シエルが消えた日、すぐに部屋の隅から隅まで探した。
町中を出来る限り捜したし、警察にも届を出した。
その後も当てもなく町の中をうろついて、白い猫を見ると反応してしまうくらいになってしまった。
それはもう心底可愛がっていたためにそれはもうショックだった。
ひと月経った頃になってもシエルの事を考えていて、シエルのために毎日ご飯と水を用意していた。
頭の中ではそんな都合のいい話あるわけないと思いつつも、その内ひょっこり、いつものように「にゃ~」と泣きながら、あの白くて艶のある毛並みの頭を使ってスリスリと甘えて来てくれるのではないかと、淡い希望を抱いていた。
このひと月の間、仕事も中々思うようには進まず、就業中によくぼーっとしては怒られることもしばしばあった。
でも、今の自分の姿をシエルに見られたら笑われそうだなと思い、何とか自分を奮い立たせ出勤していた。
「ただいま…っと」
その日もいつものように町中を見て回ってから帰路につき、玄関の扉を開けた。誰に聞かせるわけでもない素っ気のない挨拶をする。
ひと月前までは扉を開けると同時に、奥の方からトトトッと嬉しそうに駆け寄ってきていたシエルの姿は今はもうない。
一抹の寂しさを覚えつつも軽い食事をとり、シャワーだけを浴びる。ここ最近食事も睡眠もまともにとれていないせいか、鏡の中に写る自分は少しやつれているようにも見えた。
特になにもやる気が起きず電気を消して横になる。
今まで好きだった漫画やアニメにを手に取ることなど無くなっていた。確かにそれに時間を割くと、その瞬間は楽しめるのかもしれないがそれ以上に、座っていたら膝の上、寝そべりながらだと腕の間と、読書やゲームをしているとシエルは必ずと言っていいほど構ってほしそうに近寄ってきた思い出がある。
次第にうとうとしてきたので眠気に任せ意識を手放した。
◇◇◇◇◇
窓なんか開けていたか?少し肌寒い頬にあたる風に眠りから起こされた。
「ん…」
目を覚ますと目の前に広がるのは、見慣れた自室の天井などではなく満天に輝く星空だった。
暗闇に慣れていたのか、視界に映る星々が妙に眩しい。
朦朧とする頭を押さえつつ立ち上がる。
「なんだよここ」
踏みしめているのは芝生のような草なのだろうか、足の裏が少しくすぐったく感じる。
周囲を見渡せども頭上の星のみで他には何一つない。
「まぁいいか」
なんでこんなところに居るのかと若干の戸惑いはあったものの、どうせ夢だろうと思い彼は再度横になり目を閉じた。
突如、星の中の一つが一際大きく輝いたかと思うと、そのままこちらへと徐々に向かってくる。
その光は北極圏で稀に観測されるオーロラのようにも、雲間から差し込む天使の階段のようにも見えひどく神々しい。
自身に向かって近づいてきたかと思っていたが、彼の数メートル目の前へと繋がると一段と眩い光に包まれ人の形を作っていった。
もし彼が起きてその光景を見ていたのなら、あまりの眩さに片手で光を遮り、目を細めながらも眼前の光景に心奪われていただろう。
数瞬の後、発光が収まった場所には天を仰ぎ両手を広げた絶世の美少女が立っていた。
触れれば折れてしまうような華奢な体躯、月の光すら透き通るような白い肌、肩までかかった金の髪は絹糸のように細く艶があり、薄紅でも引いたかのような唇、身にまとったシンプルな白いワンピースまでもが美しさを助長しており、更には薄っすらと開かれた瞳は空の青さを模しているようでいつまでも見つめていたくなるような、まごうことなき美少女である。
否、美少女という言葉では言い表せられない、神話の中の女神のような神々しさすらあった。と言うよりも女神なのだが…
しかし今ここにはその神々しい姿を見ているのは誰一人としていないのであった。
プロローグあまりにも長すぎたのでふたつにわけました。
翌日投稿します。




