我儘で幼馴染な御主人にクビにされたので…
執筆活動自体が1年以上ぶりで、このサイトに投稿するのは本当に何年ぶりやら…
一度は書いてみたかった悪役令嬢ものを、リハビリがてらに短編としてひとつ。
追記・誤字報告ありがとうございます
「今日から彼女が君の主人だ」
育ての親がそう言って自分に会わせたのは、彼が仕える貴族の男と、その娘。
僕と同い年らしい彼女は、とても綺麗な女の子だった。
雪のような白い肌に白銀の髪、エメラルドのような翠の瞳。
自分は褐色の肌に黒髪で金の瞳だから、並ぶと一層対照的だ。
儚くも美しい、その顔に微笑みを浮かべ、彼女は何も言わずにそっと手を差し伸べてきた。
ゼロから教育されたとは言え、自分は貧民街出身で、かつては溝鼠呼ばわりすらされていた身。
そんな僕に手を差し伸べた彼女に、僕だけでなく、二人の親もギョッと目を剥いた。
だけど僕は戸惑いながらも、恐る恐るその手を取った。
そして、僕が手を取ったことを確認した彼女は、女神のような笑みを浮かべて…
「今日からあなたの御主人様になる『アリシア・レインハート』よ。役に立たなかったらすぐ捨てるから、肝に銘じておきなさいね?」
女神なんかじゃねぇ、むしろ女王様だコレ
◆
---それから十年---
「クロノ!!」
「はい、お嬢様」
エルフィーネ王国という名の国がある。他の国よりも一際長い歴史を誇り、広大な領地には海も山も砂漠も存在し、四季にも恵まれている。産業革命を迎えてからは魔法と科学の融合が計られ、より一層の発展を見せており、大陸随一の強国として認識されていた。
「クロノ!!」
「紅茶でございますね、お茶請けはスコーンをご用意してあります」
そのエルフィーネ王国を支えるのは王族と、多くの貴族達。
しかし、王族も貴族も所詮は人、生まれた時は誰も彼もが身分に関係なく無力な赤子で、無知な子供。ただ貴族の血を持って生まれただけでは、この国にとって必要な存在にはなれない。
「クロノ!!」
「本日の夜会はスペンサー伯爵家からの招待になります。レインハート家にとって利になる要素は皆無、伯爵の人柄もお嬢様の好みとはかけ離れているかと。故に、お断りの返事を既に」
故に『王立貴族学園』は、将来を有望視される貴族の子息達が知識と社交を学び、この国を支える人材へと成長し、己の価値を高め、同時に知らしめる為の場所とされる。
限られた時間の中、より良い成績を出し、より多くの友人を作り、如何にして自分の糧にするか。それは大人になってからも成績が成果に、友人が人脈に変わるだけ。
つまり、この学園で上手くやれない者は、貴族社会に入ってもやっていけない。少なくとも、この国の中枢に君臨する大人達はそう思っている。
「…クロノ!!」
「ご夕食は子牛肉のワイン煮をご所望ですね。そう言うと思ってシェフには指示を出しておきました」
エルフィーネ王国において爵位という肩書きは、その貴族が残した功績の大きさの証であり、生まれの良さを示す。爵位が高ければ高い程、目上の人間として扱われ、敬意を払い尊重されるが、その分期待の目は多くなり、要求される実力も高くなる。一度悪い意味で不釣り合いな実力を示せば、より多くの泥を被るのは本人より、そんな無能を育てた家そのものになる。
それが分かっているからこそ、この学園に通う子供達の大半は周りの期待に応えるべく、家名に恥じぬよう斯くあるべしと、常に全力だ。
「……クロノ…!!」
「やっぱりオマール海老のフライが良い、と。では本日の昼食用に取り寄せておいたのですが、それを夜に回します」
とは言え、やはり例外って奴はどこにでもある。この学園に通う人間はその例外…少数派を含め、大きく三つに分類できる。
一つは、実家での教育が失敗したのか、絵に描いたような七光が何人か現れる。そういった奴に限って無能で、何事も家の力でどうにかなると思い込み、周りに迷惑をかけながら好き勝手に過ごしているので、当然ながら周囲から凄い嫌われやすい。
尤も、大抵は在学中に現実を思い知らされて更生するか、最後までバカやって実家から勘当されるかして、いつの間にか居なくなるけど。
「……ク、クロノ…!!」
「先日の領内視察の際に足を運んだ店で物欲しそうに見つめていたアクセサリーなら、ここに」
二つ目は、所謂天才って奴だ。何をやらせても人並以上にこなしてしまい、与えられる要求にも期待にも片手間で応えられてしまうので、他の生徒達が必死こいて勉強してる中、退屈そうに昼寝したり遊んでたりする。
七光と違うベクトルで嫌われやすいが、あちらは嫌悪、こちらは嫉妬に近い感情が根底にありそうだ。向こうも向こうで、感覚や価値観が周りと合わないと分かっているのか、あまり進んで人と関わろうとしないので、探さなくても存在感アピールしてくる七光より見つけるのに苦労する。
「……………………クロノ……」
「まだ勤務時間内ですので、ご容赦を」
そして三つ目。貴族の子供故に、周りからチヤホヤされるのに慣れてしまい、それ相応にプライドが高く我儘で、けれど学園に通う前から英才教育を受け続け、更に努力を怠らないから成績は安泰、むしろ優秀過ぎて将来が既に確定している奴。
ぶっちゃけ、これが一番多い。
「主人の命令、あと幼馴染の特権」
「……他の奴が居ない間だけだぞ…?」
因みに俺の主人、アリシア・レインハート公爵令嬢もこれに該当する。しかも、その筆頭だ。
王家に次ぐ権威を持つと言われるレインハート公爵家、その一人娘である彼女は誰もが認める才女だった。この学園に首席入学を果たし、成績は常に学年トップ。貴族の嗜みは一通り習得しており、特に剣と狐狩に関しては教師すら凌ぐ腕前だ。
現在、学園生活三年目。あと数日で卒業式を迎える予定だが、やるべきことは全てやり終えており、ここ最近は学園の中庭にあるテラスで俺を引き連れながら、のんびりティータイムを楽しむのが日課になっていた。
「なんなのアナタ、人の心でも読めるの?」
「お前の我が儘に十年も付き合い続けてたら嫌でもこうなるわ」
「十年…そうか、もうそんなに経つんだ……」
アリシアが染々と呟くが、主従関係を結んでからの十年、彼女には本当に様々なことに付き合わされたものだ。
これで遊びたい、あれが食べたい、あそこに行きたい、だから一緒に来てと、俺の手を握って、引っ張るように連れ回す彼女は、本当に躊躇と遠慮が無かった。時には彼女の親である公爵、そして俺の育ての親である執事長に万が一バレようものなら、確実に俺の首が飛ぶような内容も多く、胃がキリキリした回数は数え切れない。
今やってる敬語外しなんてまだマシだ、『公爵領の治安維持に貢献する』とか言って盗賊退治と魔物狩が日課になった時なんて本当にどうしようかと思った。まぁ、やんわりと止めたら一人で行こうとしやがったから、結局俺も行ったけど…
(とは言え、それを踏まえても最近の我儘は、ちょっと度が過ぎてるような気が…)
アリシアを『淑女の規範』と呼んだのは、どこの節穴野郎だろうか。大半の奴が上辺しか見てなくて、彼女を全てそつなくこなす天才と思っているが実際は違う。こと学業とマナーの才能に関しては殆ど人並で、それを幼少の頃から続けている教育と勉強で補っているだけだ。彼女の才能は、むしろ淑女と真逆の分野に極振りされている。
性格だって、完全に外面を取り繕ってるせいで気付いて無い奴が殆どだが、実態は御覧の通り。最近は我儘と無茶振りに拍車が掛かって、『隣国の特産品が今すぐ欲しい』とか、『料理が気に食わないからシェフを変えて作り直せ』とか、気付いたら随分と難易度が上がったもんで、その我儘に応えきれずに解雇された同僚も何人か居る。俺はクビになるのは嫌だったから、凄ぇ頑張って今も彼女の従者を続けられてるが、果たしてどこまで持つやら…
「……もう、このままで良いかしら…」
「何が?」
「っなんでも無い、アクセサリーありがとね。ついでにクロノ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど…」
「北部方面行鉄道の時刻表なら持ってきたぞ」
「だからなんで分かるのよ…」
「アリシア・レインハート!!」
直後、俺でもアリシアでも無い第三者の声。視線を向けると、この国の第一王子にしてアリシアの婚約者、エドワード・エルダート殿下が数人の取り巻きを引き連れ、肩を怒らせながらこっちに歩み寄ってきた。しかも、取り巻き達の腰には、王子の護衛用として学園が特別に許可を出した剣が下げられている。
いつにも増して剣呑な雰囲気が漂っていたから立ちはだかろうとしたけど、アリシアに目で『下がれ』と言われてしまったので渋々下がる。
「これはエドワード様、ご機嫌よう」
「アリシア、この悪女め、今日という今日は許さんっ…!!」
おっと、相変わらずのようで逆に安心する。この顔だけは良いバカ王子…もとい、アリシアの婚約者である殿下は、昔からアリシアのことを嫌っている。理由は至ってシンプル、優秀な彼女を前にすると、とんでもない劣等感に晒されるからだ。
学業、礼儀作法、ダンス、乗馬、剣、射撃、狩猟…殿下自身、どちらかと言えば優秀な方なんだけど、残念ながらアリシアに勝てる分野は一つも無い。なまじ王族の肩書きがあるからプライドも高く、その事実がどうしても受け入れられないのか、婚約者同士となって割と早々に殿下はアリシアのことを拒絶し、顔を合わせる度にこんな露骨な態度を取るようになってしまった。
「いきなり随分な物言いですわね、いったいどうなされたので?」
「どうかした、だと? ハリエットのことに決まっているだろうが!!」
「ハリエット…マリーメイア伯爵家の令嬢でしたわね。彼女が、どうしたと言うのです?」
そんで、そんな殿下の最近のお気に入りがハリエット・マリーメイア伯爵令嬢。元は庶民だったが後にマリーメイア伯爵の愛人の子だったことが分かり、母の死後に引き取られて貴族の仲間入りを果たした。ただ、庶民生活からいきなり貴族になったもんだから、どうも感覚が生粋の貴族達と比べてズレている。だが実家の身分に関係なく、誰とでも仲良くしようとする彼女の振る舞いは、自由が一際制限されている一部の上級貴族の子息達に受けが良いようで、殿下とその取り巻き達もそれにやられた口だ。アリシアに対する劣等感と王族としてのプレッシャーで凹んでるところを、随分と甘やかされたのか、今ではすっかり骨抜きになっている。
因みに、そんな殿下の現状に関してアリシアは何も語ろうとしない。仮にも婚約者、あまり放置し過ぎても後々国家規模の問題に発展しかねないと進言するも、彼女は『放っておけ』としか言わない。
「そうか、あくまでシラを切るつもりか。なら、もう良い」
その放置し続けたツケが、今になってやってきた。
「彼女の平穏の為にも、貴様はここで報いを受けろ」
殿下の言葉と共に、彼の取り巻き達が一斉に剣を抜いて斬りかかって来た。彼女に向ける視線には、分かりやすいくらいに殺気が籠められている。これは、どう見ても本気だ。
「クロノ」
にも関わらず、彼女は目で語る。
手出し無用、と。
仕方なく殿下が来た時点で念のために用意しといた模擬剣をアリシアに渡すと、彼女は即座に抜き放つ。
そして、一閃で取り巻き達の剣を弾き飛ばし、返す一閃で全員の意識を刈り取った。
キンッと音を立てて剣が鞘に戻されると同時に、取り巻き達は一人残らずその場に崩れ落ち、その場に立っているのは息一つ乱していないアリシアと俺、そしてこれでもかって言うくらいに忌々しそうに顔を歪めるエドワード殿下のみだ。
「……相変わらずの化け物め…」
「これも全て、貴方の為を思えばこそ」
彼女は優等生だ、学業も礼儀作法も完璧だ。しかし、その成果の大半は日頃の努力の賜物であり、彼女の得意分野では無い。
彼女の才は、祖父譲りの『武』にある。剣を握らせれば全て一刀両断、銃を握らせれば百発百中、手綱を握らせればロバですら名馬に代わる。それでも努力と研鑽を続けるものだからとんでもない実力になってしまい、教師ですら教えられることが無くなってしまった今では、周囲に『生まれる時代と家と性別を間違えてる』と言われる始末だ。
「何が私の為だ、所詮貴様も王妃の座に目が眩んだ俗物なのだろう。どうして貴様のような奴が私の婚約者なのだ、こんなの何かの間違いだ…」
そして、王族である前に男である殿下にとって、そのことが何よりも気に食わない。殿下の最後の盾になる為という名目でアリシアが鍛え続けたそれは、女に護られる未来というのは、座学の成績で勝てないことよりも、彼のプライドを余程傷つけたようだ。
いつしかアリシアのことを『野蛮人』だの、『脳筋令嬢』だの貶すようになり、ことあるごとに『未来の王妃に相応しく無い』と言って婚約破棄を試みている。
だが、少なくとも表向きは絵に描いたような優等生で人格者、能力的に問題無い上にそもそも政略色の強いアリシアとの婚約。そんな理由で破棄を許すほど、王家は甘くなかった。だから今も尚、マリーメイア伯爵令嬢との逢瀬で現実逃避して、アリシアと顔を合わせて現実に引き戻されるを繰り返す日々を送っている訳なんだけど。
「そうだ、間違いだ。間違いは、正さなければならない。ハリエットも、そう言っていた。だから…」
だからって、こんなことで俺の主に銃口向けるんじゃねぇよクソ王子が。
「間違いは、消えろ!!」
薬決めたような虚な表情で懐から取り出しやがったのは、軍が制式採用した六連発式拳銃。因みにこの学園、授業で使う猟銃以外は持ち込み禁止だ。この時点でもう、既に2アウト。にも関わらず、引金に指掛けた状態で力込めやがったな?
3アウト、退場だこの野郎。
「やめなさい、クロノ!!」
ごめんアリシア、状況的にも精神的にもちょっと無理。こういう時に限って狙いバッチリな銃口を逸らすべく、さっきまで使ってたティースプーンを投擲。拳銃に直撃して一瞬だけ狙いが外れるけど、殿下はすぐに銃口をアリシアに向け直す。
が、その一瞬があれば充分。その一瞬で距離を詰め、拳銃を握った腕を掴んで捻り上げ、脇腹に拳を叩き込む。そして、痛みで銃を取り落とし、崩れ落ちたところにトドメとして顎を殴り飛ばして失神させた。
叫ぶ暇もなくピクリともしなくなったが、一応息はしてる。実に腹立たしいが、これでも王族、流石に殺すような真似はしない。
「さて、お怪我はありませんか?」
「……クロノ…」
殿下を拘束したまま、無いとは思うが念のため怪我の有無を確認しようとアリシアの方を振り向いたら、彼女は何故か俯いていた。やけに低い声を出したなと思っていたら、顔を上げた彼女に浮かんでいた表情は、完全な無。
今ではすっかり彼女の思考を先読みできるようになった俺でさえ、全く感情を読み取れない。そんな、いっそ冷たささえ感じる能面のような表情のまま、口を開いた彼女はこう言った。
「貴方を、解雇します」
◆
貴方を従者にしたのは、私の人生最大の過ちだった
私は『やめなさい』と言ったのに、貴方はやめなかった
私の大切な婚約者を、貴方は傷つけた
主人の簡単な命令一つ聞けない従者なんて私には要らない
今日中に荷物を纏めて、すぐに出ていきなさい。そして、二度と私の前に現れないで
この汚らわしい溝鼠め
上記の言葉をぶつけられた後、別れの挨拶もそこそこに、すぐに俺は屋敷を追い出された。
公爵夫人と執事長が死んで、公爵閣下が酒と薬に逃げるようになって、後妻とその連れ子が好き勝手するようになってから、あの屋敷に貧民街出身の俺とまともに言葉を交わす人間なんて、それこそアリシアしか残っていなかったから当然と言えば当然だった。
それから暫く、日雇いの仕事で食扶持を稼ぎながら過ごしていたら、世間を騒がす二つのニュースが耳に届いた。
王立貴族学園の卒業式にて行われた、アリシアとエドワード殿下の婚約破棄騒動。
そして、レインハート公爵家のお家取り潰し決定。
聞いた話によれば、アリシアが殿下のお気に入りである伯爵令嬢を日常的にいじめていた上に、暗殺計画まで企てていたのが原因とか。
レインハート家自体も横領だの闇取引だの、国に仇為すような真似を色々とやっていたようで、アリシアが理不尽な理由で解雇した元使用人達が証人として現れ、そして匿名で王家に届けられた証拠の数々により、それらの悪事を全て白日の元に曝す羽目になったそうだ。
結果、アリシアに向けられていた羨望の眼差しは全て失望に変わり、殿下の根回しもあって彼女は貴族社会から追放され、レインハート公爵家の没落が確定した。
そして、あの理不尽な我が儘令嬢に長く仕え続け、その有能さを日頃から見せつけていた俺を欲しいと思っていた方々が、レインハート家が潰れたことを機に『是非、我が家に』と声をかけてきた。
彼等曰く、優れた人材として当初から目をつけていたものの、当のレインハート家が俺を嫌っており、そんな俺を解雇された直後に雇ったら、かの家に目をつけられるのではと思い、今まで声をかけられなかったんだと。
「クロノさん」
てな訳で現在、解雇された当初と打って変わって引く手数多な身になった俺は、連日のように色々な場所からスカウトされまくっている。その中には、今声をかけてきた、エドワード殿下のお気に入りである彼女も含まれていた。
「今日こそ色良い返事を頂けると、嬉しいのですが…」
「残念ですが、この身に次期王妃の従者なんて肩書き、荷が重過ぎます。申し訳ありませんが、他を当たって下さい」
そう、彼女…ハリエット嬢は例の婚約破棄騒動の後、アリシアの後釜としてエドワード殿下の婚約者となった。そして、レインハート家が没落して以来、彼女もまた俺を専属従者として頻繁にスカウトしにくる方々の一人だ。宿を変えようが野宿しようが、必ず俺の居場所を探し当てて毎日のように会いにくるんだけど、エドワード殿下のツテでも使ってるのだろうか。
「荷が重いだなんてそんな。クロノさんが優秀で、誰よりも努力していたことは皆知ってます。私だって、ずっとクロノさんのことを見ていたんですから」
おっと、いけないいけない、今はそんなどうでも良いことに時間を使ってる場合じゃ無かった。そろそろ出発しなきゃ汽車に間に合わなくなる。
「私も平民の出です、貴族社会に突如放り込まれた人間の苦労は誰よりも知っています。自分の生まれに負けず、レインハート家の人達に…特にアリシアさんみたいな意地悪で酷い主人に負けず、ずっと頑張ってきたクロノさんがどれだけ凄いのか、本当の意味で理解できるのは私だけです。だからクロノさん、お願いです、どうか私のもとに…」
「マリーメイア様、これでも私は、貴女にはとても感謝しているのです」
現時点で用意できる荷物はきっちり纏めた、旅行鞄二つ使っても収まんなかったから背嚢まで使う羽目になったのは予想外だったけど、一応は許容範囲内の筈。昼食のサンドイッチと紅茶も準備万端、しかも最高傑作だ。あと必要なものを途中で購入して、そのまま駅に向かえば調度良い頃合いだろう。
「レインハート家の没落は、私の悲願達成の為に避けては通れない道でした」
いやぁ、本当に長かった。最悪の場合、実力行使も辞さない覚悟だったのに、まさかこうも上手く事が進むとは。俺が思い付いて、尚且つ取れる手段はどれも荒っぽくて、怨恨悔恨因縁の類が必ずと言って良いほどについてくる。
だから彼女の存在を使った、彼女の計画に便乗することにした訳なんだけども、結果は期待通り。
「仮にも育ての親が忠誠を誓っていた家、故に中々踏ん切りがつかなかったのですが、貴女は良い切っ掛けになってくれた。これで俺達も、ようやく手に入れることができる。だから本当に、ありがとうございます。それを踏まえた上で、敢えて言わせて下さい」
彼女らしく不器用で、随分と回りくどい計画だったのは否めない。正直、何度か我慢の限界を迎えそうになった。尤も、そうなった原因の一端は俺にもあるんだけど。
とは言え、最早目障りにすら感じたレインハート家は消滅し、煩わしい王家の鎖も外れた。俺の目の前に立つ彼女は何も知らずに、アホ面を晒している。
そして俺と、今頃一人で駅に向かっているであろう彼女は、遂に念願の自由を手に入れた。
全てはこの日の為にと、あらゆる事にずっと耐えてきた。この道こそが最善であると信じて、何も知らないフリをしながら、彼女の知らないところで、こっそり手助けもした。その全てが、今日報われる。だから、これぐらいは許されるよな?
「いい加減に黙らねぇとブチ殺すぞ、阿婆擦れが」
ずっと見ていた?
たかだか3年、それも学園でアリシアの我儘に応えてる姿だけだろが。
俺の頑張りと苦労を理解できるのは私だけ?
いいや、お前は何一つ理解していない。俺が何の為に頑張ってきたのか知っているのなら、間違っても俺の前でアリシアを『意地悪で酷い主人』だなんて言ったりしない。
俺が生まれた日も、産まれた場所も知らず
俺の好物も、趣味も知らず
俺が大切にしているモノが、何なのかも知らず
俺がこの3年間を、どんな思いで過ごしてきたのかも知らず
股開いて男共を手玉に取ることしか能の無い節操無しが、知った口を利くな
俺の主を、大切な幼馴染を侮辱するな
「い、今、なん、て…?」
「おっと失礼、少々取り乱しました。今のは忘れて下さい」
いかんいかん落ち着け俺、どうせこの女も既に用済み、顔を合わせるのは今回限りだ、立つ鳥跡を濁さず精神だ、頑張れ俺。バカ王子共をけしかけてアリシアを殺そうとした件があるから、今でも殺意を抱く程に嫌いだけど、目障り且つ耳障りで存在自体が不愉快だけど、流石にここで俺が直接手を下せば、今までの苦労が水泡に帰す。
「お詫びと言ってはなんですが、二つばかり助言を。遠出をなさる際は、ご準備は早めに始めた方がよろしいかと。土壇場になって始めますと、間に合うものも間に合わなくなりますからね」
だから今だけは耐えろ俺、どうせコイツ、色々な意味でもう終わりだから…
「貴女の広くて淫らな交友関係が殿下達のお耳に入るのも、既に時間の問題だと思いますよ。それでは、これにて私は失礼させて頂きます。どうか、お元気で」
◆
十年前のあの頃、本当に欲しかったのは、同い年の友達だった。
辺境伯である母方の祖父は、かつては凄腕の冒険者だった。
そんな祖父の思い出を母に寝物語のように聞かされて育った私は、その生き様と、彼が駆け巡った広い世界に憧れた。
そして祖父が最も大切にしていたと言う、互いに苦楽を分かち合い、心から信頼し合える対等な関係…仲間と友人達の存在は、羨ましいとさえ感じ、自分にもそんな存在が欲しいと心から思った。
けれど王家に匹敵する権威を持つとまで言われた、レインハート公爵家の令嬢である自分にとって、それは実に難しい話だった。
大抵の者は萎縮して近寄って来ないし、逆に親しげに寄って来るのは下心と打算にまみれた汚い奴ばかり。
だったらもう、自分で理想の友達を育て上げてしまおう。当時八歳の今よりバカな自分は、そんなアホな結論に至ってしまった。
故にあの時の自分は、クロノという少年との出逢いを、またとない絶好の機会に感じた。
初めて顔を会わせた際は、思わず握手して丁寧な自己紹介と、普通に『友達になって下さい』と口にしそうになった。
手を差し出した時点で父の表情に気付き、咄嗟に傲慢な態度と口調で誤魔化してしまったのは、今でも黒歴史の一つだ。
まぁ、とにかくその日、彼は私の従者となった。
この関係がある限り、彼は私が望むように振る舞わなければならない。
つまり理想的な友人として接しろと命じれば、彼はそれに従うのだ。
そして案の定、彼は自身も従者として学び、鍛えられている最中であるにも関わらず、私の願いに全て応えてくれた。
一緒にお話がしたい、出掛けたい、遊びたい、ご飯が食べたい…
私がそう言えば、どんな内容であれ、彼は私の気が済むまで付き合ってくれた。
暫くして、幼馴染と言っても差し支えが無くなった頃、敬語も無しにするよう頼んだ。
不敬にも程があるとして最初はもの凄く渋られたが、幼馴染の特権として許可すること、そして他人の目が無いところでという条件付きでやっと受け入れてくれた。
その後も互いに多くを学び、成長しても、私は彼とこの関係を続けた。
エドワード殿下との婚約が決まってからも…
私の母が流行り病で、彼の育ての親であった執事長が老衰で亡くなって、お互い涙が枯れるまで泣いてからも…
母と執事長の死を切っ掛けに、父が変わってからも…
悲しみを紛らす為に、より一層勉学と稽古に打ち込むようになっても…
後妻が新しい母として、そしてその連れ子が義理の弟としてレインハート家の一員になっても…
領地のことを顧みなくなった父に代わり、治安維持の為に夜な夜な魔物と賊を狩りに出掛けるようになってからも…
彼以上に気を許せる相手なんて、一人も現れなかった。
けれど、貴族令嬢として学園に入学した頃、ふと私はひとつの不安に苛まれた…
いや、本当はもっと前から薄々感じてはいたけれど、敢えて気付かないフリをしてきた。
けれど、お忍びで治安維持に繰り出すようになってからは、領民達の日常を目にし、時には触れ合ったりもしてきた。
だから、周りと比べられるようになって、漸く『普通』というものが分かった。そして今までの自分が『普通』とかけ離れていたことを自覚し、同時に気付く。
私とクロノの友人関係は、あくまで主従関係の延長線の上で成り立っている紛い物、だと…
どこの世界に対等と嘯きながら、主人の肩書きをチラつかせて我儘を押し通す友人が居ると言うのだ。
いつも相手の意思なんて微塵も考慮せず、常に己のことしか考えていなかった自分。
『友人として、幼馴染として』だなんて都合の良い言葉を並べて十年、十年も私の我儘に付き合わせてきた。
何が『心から信頼し合える対等な関係』だ、そう思っていたのはきっと私だけだ。
主人と従者という関係がある限り、どんなに不満があろうと、彼は文句一つ言うことも出来ず、ただ従う以外に選択肢が無かったというのに、馬鹿な私はその事に長い間、気づけなかった。
いったい彼は、どんな気持ちで私と一緒に居たのだろうか。
どんな気持ちで、私の『幼馴染』をやっていたのだろう。
少なくとも、良い感情は持っていないと思う。
散々我儘に付き合わせて、振り回したんだもの、もしかすると恨まれているかもしれない。
そして、ふと思い至る。
じゃあ、もしもこの主従関係が無くなったら、彼は…
一度その事に気付いた途端、酷く恐ろしくなった。
一度そう思うと、もうダメだった。
あれだけ気を許していた筈なのに。
いつまでも一緒だと思っていたのに。
自身の未来を懸けた今回の計画に、彼を誘う勇気が微塵も湧いてこなかった。
これ以上、自分の我儘に彼を付き合わせる気になれなかった。
それにクロノを連れてきて、育てたのは執事長だ。
彼の忠誠が私じゃなくてレインハート家にあった場合、全てが水の泡と化す。
私の為にも、領民の為にも、この計画は失敗出来ない。
そして、何より…
私にとって、大切なあの日々が、思い出の数々が…
クロノにとっては仕事の一環に過ぎず、我儘な主人のごっこ遊びに仕方なく付き合っていただけだった。
その事実を、彼自身の口から告げられるのが何より怖かった
だから、彼を計画から遠ざけることに決めた。
クロノをこの私、アリシア・レインハートから解放することに決めた。
勝手に信じて、勝手に疑って、勝手に後悔して、つくづく私は、主人としても幼馴染としても、どうしようも無い女だと思う。
それでも、クロノが私にとって大切な人であることは本当で、クロノと友達になりたかったのも本心で、今でもそれは本気で思ってるの。
だからクロノ、これだけで今までのこと全てを償えるだなんて思ってはいないけれど、せめて…
せめて、こうしてあなたの幸せを願い、行動することを、どうか許して下さい。
◆
(あ、雪…)
王国の北部には街が少なく、それに比例して停車できる駅も少ない。一度中央部から発車すれば、汽車は殆ど停まることなく最北端を目指して突き進むため、客車の窓から見える景色も心なしか、普段乗り馴れたものよりも流れるのが早く感じた。そして、王国で最も寒い地域に近付いている証なのか、先程から白いものがチラチラと視界に入ってくる。
(とうとう、ここまで来ちゃったか。今頃、王都の方はどうなってるかなぁ…)
客車の窓からその光景を眺めつつ、男性用のスーツを身に纏い、一見すると紳士のような格好をした元レインハート公爵令嬢…アリシアは、ふと今までのことを思い返していた。
母達の死後、酒と薬に逃げた父は早々に腐っていった。唯一の娘が王家に嫁ぐことになっていた為、縁のあった貴族の未亡人を後妻として、その連れ子をレインハート家の後継ぎとして迎え入れた後は、仕事は殆ど部下たちに丸投げしていた。そこに付け込む形で側近や後妻達が好き勝手し始め、レインハート公爵領は荒れに荒れた。領内を暴れ回る賊や魔物の討伐も碌にせず、災害の対策も対処もしない上に、違法な闇取引にも手を出し始めた。その癖して領民からは税を多過ぎるくらいに徴収し、まるで奴隷のように虐げる。
自分なりにどうにかしようと努力はしたが、無駄に強いだけの子供にできることなんて、たかが知れていた。何せ相手は、王家に次ぐ権威を持ったレインハート公爵家。明確な証拠や大義名分が無い限り王家ですら安易に口を出すことはできず、その機会を易々と与えるほどあの側近たちも甘くは無い、外部から悪事の証拠を手に入れるのはほぼ不可能だ。第一王子の婚約者の身であるが故に、予定通り王妃となれたらとも思ったが、やはり難しいだろう。何せ当の次期国王は煽てられれば木にも登るタイプ、そういった輩を懐柔するのは、あの側近共が一番得意とする分野だ。
何より、あいつらは遂に領民を奴隷のように虐げるだけに飽き足らず、本当に奴隷として売り払おうとした。悠長に王妃になる日を待っている暇なんて、とっくに無かったのだ。
(それでも、決意してから3年も掛かったけどね…)
学園のある王都では側近達の取引相手と接触し、公爵領に帰省した際には屋敷に隠された闇取引の書類を証拠として3年間コツコツ集め続け、エドワードを介さず直接王家に渡し続けてきた。側近達と後妻に義理の弟、そして腑抜けた父諸共レインハート家に引導を渡す準備が整った頃には、国王陛下から随分と信頼される身となっていたので、公爵家潰しの後のことは随分と融通して貰った。没落後の公爵領は王家が責任を持って直接管理してくれることになったし、エドワードとの婚約破棄も認めて貰えた上に、幼い頃に憧れ、一度諦めたかつての夢を叶えることに関しても可能な限り便宜を図ってくれた。
因みに、バカ長男にはもう国を任せられないということで、兄と違い温厚な第二王子が新たな王太子…つまりは次期国王として指名された。その話が決まった際、エドワードとの婚約を破棄した後はその第二王子との婚約を打診されたが、やんわりと断って貴族籍も返上した。
レインハート家は没落した、領民は救われた、バカ王子との縁も切れた、煩わしい貴族籍も捨てることに成功し、今はこうして昔の夢を叶える為に目的地へ向かっている。もう既に、充分過ぎる。
「……クロノ…」
強いて言うなら、自分の隣に彼が居ないことが、ただただ寂しい。
側近と後妻がレインハート家を牛耳って以来、貴族至上主義と化した屋敷に、貧民街出身の彼の居場所は無いに等しかった。これまでのことのせいで嫌われているかもしれないが、それでもクロノという少年が自分にとって大切な存在であることに変わりは無い。だから、レインハート家潰しの計画に直接巻き込むことはやめ、早々に彼をあの屋敷から遠ざける決心をした。
つまり計画を企てた3年前から、既にクロノを解雇することを決めてはいた。決めてはいたのだが、これが中々上手くいかなかった。大した理由も無く解雇すれば無駄に鼻の利く側近達に、何よりクロノ本人に不審に思われ、計画のことを嗅ぎ付けられてしまうかもしれない。なので昔から続く我儘を悪化させ、無理難題を突き付けて応えられなかったら解雇する、という方法を取った。幸い、後妻がそれと同じことをして何人も昔馴染みの使用人を屋敷から追い出していたので、その方法で信頼できる使用人を先んじて屋敷から穏便に逃がすことができた。
だが、こと自分のことに関して、クロノは優秀過ぎたのである。
長年の付き合いからか、自分の言いたいこと、考えてることを口に出さなくても察してしまう彼は、自分の我儘に先回りして応えてしまう。そのせいで3年間ずっと、解雇する口実がずっと手に入らなかった。
なので、仕方なく…そう仕方なく、公爵家没落後にクロノが再就職先に困らないよう、『理不尽な命令に応え続ける優秀な従者』を周囲に見せつけて宣伝する方針に変えた。ついでに、王家に図って貰う便宜の一つに『公爵家の没落後、彼の希望を可能な限り叶えること』も加えておいた。
まぁ、正直に言うと、この期に及んでクロノと別れるのが嫌で、無意識の内にズルズルと先延ばしにしていた面もある。もう、レインハート家が没落するまでは一緒に居ても良いかな、とさえも思ったりした。
あのバカ王子と取り巻きによる、殺人未遂の件が無ければ。
どうせ家が没落すれば貴族籍は返上し、婚約関係も無くなる。頭が悪い上に口が軽いから国王陛下同意の元、計画のことは知らせず、ハリエット嬢に誑かされても放置していた訳だが、その結果あんなことになるとは思わなかった。本当はあんなタイミングで、あんな理由でクロノと別れたくなかった。けれど、あそこで彼を『悪質令嬢を守る従者』にしたら、女々しい上に粘着質なエドワードのことだ、ほぼ確実に逆恨みされた挙げ句、目をつけられる。それに、きっとあれが、甘ったれな自分が幼馴染離れをする、最初で最後の機会だったのかもしれない。だから私は彼を、『主人の命を守ったにも関わらず、理不尽にも解雇されてしまった哀れな従者』に仕立て上げた。結果、エドワードがクロノを目の敵にすることは無くなった。周囲からの同情も、より一層彼に集まった。これでもう、レインハート家が没落した後も、彼が路頭に迷うことは無いだろう。
だからもう、良いじゃないか。自分も彼も、これからは自身の好きなように生きられるんだから。自分で手放すことを決心して、それを実行して、今更悲しむなんて、我ながら図々しいにも程がある。そもそも、もう充分過ぎるくらいに分かっている筈だろう、彼の人生と幸せに、自分の存在は邪魔にしかならないって。
なのに、なんで、どうして…
「呼んだ?」
何の前触れもなしに開かれた客室の扉の前に、クロノが立っているのだろうか…
◆
鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔をするアリシアに構わず、彼女の向かい側に座ったクロノは大きなトランクからティーセットを取り出し、長年かけて身に着けた慣れた手つきでそれらを広げ始めた。
水筒に入れてあったお湯をティーポッドに注ぎ始めた辺りで、ようやく我に返ったアリシアだったが、それでも驚きが勝るのか体だけでなく、口の動きすらぎこちない。
「なん、で…?」
「あ、紅茶よりハーブティーの方が良かった? んじゃ、こっちやるよ。あとサンドイッチ作ってきたからホラ、食え」
「あ、ありがとう……って、そうじゃなくて…!!」
いつもの習慣か、クロノに手渡されたものを反射的に受け取ってしまうが、途端に我に却って思わず叫ぶ。受け取ったサンドイッチは、しっかりと両手に握ったままだが。
「なんでここに居るのよ、あなたこの汽車がどこに向かっているかぐらい知ってるでしょ!?」
「そりゃあ勿論知ってるさ。王国領の最北端、雪と魔物が蔓延るフロリア地方。その治安維持の一角を担う『北方義勇兵団』の本部だろ。いやぁ、楽しみだなー」
「楽しみってあんた、そんな場所に何しに行くのよ。て言うか、仕事はどうしたの?」
「何しにって、そこが新しい就職先なんだよ」
その言葉に、思わずアリシアは固まった。あまりに衝撃だったのか、両手からサンドイッチが零れ落ちるが、床に落ちる前にクロノが拾い上げ、もう一度アリシアの手に握らせた。
クロノの顔と、手にあるサンドイッチを何度か交互に見て少し悩んだ素振りを見せた結果、アリシアは取り合えず手にあるものを先に始末することにした。30秒ほどで片付いたが、美味だった。
そして、折角なので淹れて貰った紅茶を一杯飲んで、気持ちを落ち着かせてから再度訪ねた。
「ごめん、耳がおかしくなったみたい。もう一度言ってくれる?」
「俺、義勇兵になる、因みに従者業は辞めた」
「なんでよ!? あなた程の人材なら上級貴族どころか王室だって喉から手が出るほど欲しがったでしょうに、ましてやレインハート家が潰れた今、スカウトだってそれこそ山のように…!!」
「来たけど全部蹴った」
「だからなんでよおぉぉ!?」
北方義勇兵団…この国で最も魔物が多く生息する極寒の地を拠点とし、その土地柄故に未開の地が多い王国北部を開拓することを主な生業とする、王家公認の独立組織。かつての冒険者ギルドを母体としており、国と行政の発展と共に数多くの冒険者ギルドが廃れた今、国民達からは王国最後の冒険者ギルドとも呼ばれている。
そして何を隠そう北方義勇兵団の母体となった冒険者ギルドは、アリシアの祖父が若かりし頃、冒険者時代に所属していたギルドなのだ。
アリシアの夢、それは祖父のように冒険者として、自分の腕と仲間を信じ、未知の世界を冒険する日々を送ることだった。
当然、貴族社会での生活と比べたら毎日が危険と隣り合わせ。周囲から天才だ何だのともてはやされてはいたが、自分の実力がどこまで通用するかなんて分からない。それでもアリシアは、かつての祖父のような生き方をしてみたいと、幼い時から思っていた。だからレインハート家を没落させると決めた時、貴族籍を捨てて、その道に進むと決めた。
「なぁアリシア」
「な、何よ…」
だから猶更、そんな日々に自分の我儘でクロノを付き合わせる訳にはいかないと、アリシアは彼を自分から突き放すことに決めた。しかしクロノは今、こうして彼女の目の前に現れ、同じ場所に向かっていると言った、同じ場所で生活すると言った。
「レインハート家も、王子との婚約も、全部無くなったんだ。貴族籍を返上した今のお前はただの平民、それがなくても俺は既に解雇された身。もう、お前との面倒くさい主従関係はとっくに終わっていて、今はただの幼馴染なんだ」
ジッと彼女を見つめながら、ほんの少しだけ困ったような笑みを浮かべながら、そして少しだけ寂しそうな目をしながら、彼は言った。
「だから、こういう時ぐらい、本音を口に出してくれないか」
その言葉にアリシアは一瞬だけ目を見開き、そして力なく俯いた。その姿を、クロノはただ静かに見つめていた。暫く部屋に沈黙が流れたが、やがて呟くような弱々しいアリシアの声が聴こえてきた。
「でも、私、クロノにあんな酷いこと言って…」
「アリシア」
「それに私が行こうとしているのは、見方によっては貧民街よりも危険な場所よ。貴族達の庇護を受けられる今の立場を捨ててまで来るような場所じゃないわ…!!」
「アリシア」
「そもそも、あなたは充分過ぎるぐらい私に尽くしてくれた。だからこれ以上、無理して私の我儘に付き合う必要は…」
「……アリシア…」
ひと際穏やかな声音で名を呼ばれ、アリシアは恐る恐る顔を上げた。すると、懐かしい顔が見えた気がした。『僕』が『俺』に変わった今はすっかり大人びて、頼もしい青年となったクロノ。けれど心なしか目の前にいるのは、我儘なアリシアに困ったような笑みを浮かべながらも、差し出された手を握ってくれた、出逢った頃のクロノがそのまま現れたようだった。
「分かってる、全部分かってるから。分かった上で僕は今ここに居る、君の元に来ることを選んだ」
そして、その顔でそんなことを言われたら、もうダメだった。
「それでもさ、やっぱり本人の口から聞きたい言葉って、あるんだ。だから頼むよ、たまにはちゃんと言葉にして伝えて」
酷いことを言ったことも、これから向かう場所についても、これまでの仕打ちに関しても、レインハート家が没落して命令に従う理由が無くなっても、それを全部踏まえた上で、ここに来たと、クロノはそう言った。
主従関係が無くなっても、私の元に来たと、言ってくれた。
「クロノ…」
「うん」
勝手に舞い上がって、現実に気づいて絶望したんだと思っていた。けど実際は逆で、勝手に思い込んで勝手に落ち込んでいただけだった。そう思うと、悲しいのやら嬉しいのやら、胸が熱くなって、視界がぼやけてくる。
「貴族の責務より夢を優先するぐらい身勝手で、婚約者に毛嫌いされるほど可愛いげが無くて、その上我儘でどうしようもない、主人としても幼馴染としても駄目な私だけど、それでも、それでもどうか…」
そっと、あの時のように手を差し出した。けれど自分にとってこれは、ずっとやりたかった、十年越しの仕切り直し。今度は父の目も身分差も無いから、ちゃんと言葉にする。そして…
「これからも私について来て、クロノ」
「お望みとあらば、世界の果てまで」
今度はちゃんと、何があっても最後まで離さない。心の中で、そう誓った。
◆
全部分かっている、その言葉に偽りは無い
彼女が祖父のような冒険者になることを夢見ていたことも
彼女が変わってしまった父と、腐ってしまった公爵家に引導を渡す決意をしたことも
悩みに悩んで、その計画から俺を遠ざけようとしたことも
レインハート家が潰れた後のことを考えて、周囲から同情の目が集まるように、敢えて我儘な主人に振り回される従者を見せつけていたことも
彼女が俺を解雇した日、一人部屋に引き込もって、泣きながら『ごめんなさい』と繰り返していたことも
俺は全部、知っている
(嗚呼、やっとここまで来れた)
僕は知っている
あの日、彼女が欲していたのは従者でなく、友達だったことを
あの日、手を差し伸べた彼女は、親の視線に気付いて、無理矢理言葉を傲慢なものに変えたことを
あの日、彼女は、僕と友達になろうとしていたことを
僕は、全部知っている
(幾ら仕事だからって、好きでもない女の我儘と無茶振りに、十年も付き合い続ける訳が無いってのに。そこら辺のこと、本当に鈍いんだよなぁ…)
アリシア、君は知らないだろうけど、誰かに手を差し伸べて貰ったのは、君と出逢ったあの時が初めてだったんだ
あの頃、僕を育ててくれた執事長でさえ、僕のことを将来性のある駒程度にしか認識してなかった
当然、他のレインハート家の人達も同じ、むしろもっと露骨な態度で接してきた
『ごみ溜から拾われてきた、薄汚い溝鼠』ってね
そんな中、初対面にも関わらず、僕を一人の人間として見てくれたのは、君が初めてだったんだ
(……でも、まぁ良いか。今までのことを考えると、自覚が無いだけで、一応脈はあるっぽいし…)
君は悪い意味で考えているみたいだけど、そもそもこの主従関係が無ければ、溝鼠の僕は貴族の君と顔を合わせることさえ許されなかった
君が気にしている我儘だって、言う程大したものじゃなかった。むしろ、僕を遊びに誘ってくれたことが嬉しかったし、その時も不器用ながらも君は君なりに、僕を従者ではなく一人の友人として対等に接しようとしてくれた
それに、君が我儘になるのは僕と居る時だけだった。家族や婚約者の前では弱音の一つすら吐かない君が、僕と居る時にだけ我儘に…素直に甘えてくれる、そう思うと逆に嬉しかった
だから、そもそも君の我儘を苦に思ったことは殆ど無い。数少ない渋った時の理由だって、公爵や執事長にバレたらクビにされかねない内容だったからだ
クビになったら、君に会えなくなるから、嫌だったんだ
(一番面倒だった身分差が無くなったんだ、焦らず、ゆっくりやっていこうかな…)
頭は良い筈なのに、不器用なせいで時折おバカになる。誰よりも努力家で、誰よりも優しい、僕の可愛い幼馴染
あの日、君が差し伸べた手は、これまでも、これからも、僕だけのもの
絶対に、手放してやるものか
〇クロノ
出逢ってから十年、幼馴染でもある主人に忠誠と恋心を捧げてきた忠犬。
公爵家の執事長に才能を見出され、貧民街から半ば拉致される形で引き取られ、従者として育て上げられた。執事長のスパルタ教育と、アリシアの我儘に付き合い続けた結果、彼自身も相当なハイスペック従者と化しており、主人のお世話は勿論のこと、アリシアの全力戦闘に同伴できるぐらいには強い。
因みに、仕事中は『私』、そうでない時は『俺』となり、素になると『僕』になる。初めて敬語外しを所望された際、冒険者に憧れているアリシアを子供なりに配慮して、少し荒っぽいものを意識した結果そうなった。今さら『僕』に戻すのも照れ臭いので『俺』と『私』を使い続けてるが、根っこの部分は変わってないようで、たまに本人が無意識の内に戻る。
アリシアに『従者関係が無くなれば見捨てられる』と思われていたことは地味にショックだったが、その思い込みを正すために、そして波風を立てず、穏便に彼女を手に入れるために最も邪魔だった身分差をなくすため、彼女の計画にこっそり便乗して公爵家の没落と、婚約破棄を裏で支援していた。アリシアは気付いて無いが、彼女の集めた証拠の半分は彼の貢献によるもの。
邪魔者が居なくなった今、アリシアの心をゆっくり溶かしていく所存。
〇アリシア
ハイスペック武闘派悪役令嬢。
元冒険者にして辺境伯でもある母方の祖父の血を色濃く受け継ぎ、公爵令嬢とは思えない戦闘力を有するお嬢様。荒れてしまった生まれ故郷を少しでも良くしようと、夜な夜な領地に繰り出しては、有り余る武力でクロノと共に害獣(賊含む)駆除をこなしていたので実戦経験も豊富。クロノ曰く、ペンより剣を握ってる時間の方が、ピアノより猟銃の引き金を引いてた時間の方が長かったとか。とは言え勉強は出来るので、本人が思ってるほど苦手な分野は無い。強いて言うなら性格的に不器用な面があり、そのせいで損をしやすいことか。因みに、記念すべきクロノに対する我儘第一弾は、『私と一緒におやつ』。
後妻を母と呼んだことはない、義理の弟を身内に思ったことはない、ことの元凶である側近どもに慈悲はない、変わってしまった父は…父、は……何でもない…
最終的に直接の協力関係となった国王陛下とは茶飲み友達と呼べる仲になったが、婚約者だった筈のエドワード王子には基本的に『面倒くさい男』以上の感情を抱かなかった。なので毛嫌いされても特に思うことはなく、むしろハリエットが現れてラッキーぐらいに考えていた。レインハート家の問題やクロノの存在が無かったら、もう少し真剣に向き合っていたかもしれないし、自ら軟弱な根性を叩き直すぐらいしたかもしれないが、所詮はもしもの話である。
余談だが、ハリエットが目をつける程度にはイケメンな筈の婚約者にアリシアが一切ときめかなかった理由は、エドワードの性格に加え、彼女が男性の理想を無自覚でクロノを基準にしており、結果クロノ以外の異性に対してアウトオブ眼中と化しているから。本人にその自覚はまだ無いが、その内にクロノ本人に否が応でも自覚させられる。
〇エドワード
顔は良い第一王子。
優秀ではあるが、婚約者が更に優秀過ぎて否が応でも劣等感を抱く羽目になり、悔しさのあまり『頭で勝てないなら力だ』と、剣で勝負を挑んてしまったのが決定打となった。
そして、婚約者の女に勝てない王子の自分と言う現状に対し、彼は向き合って自分なりに成長することよりも、目を背け相手を貶しながら虚勢を張ることを選んでしまい、結果アリシアとの関係は早々に破綻した。
婚約破棄騒動の後、『人を見る目が無さ過ぎる』として王位継承権を剥奪された上に、その切っ掛けともなったハリエットが自分以外の男、それも複数と関係を持っていたと知って問い詰めに行ったが、彼女はとっくに王都から逃げ去っており、尽くを失った今、取り巻き共々途方に暮れている。
〇ハリエット
傾国のビッチ姫になりけかけた女。
母が死に、自分だけが伯爵家に拾われた結果、『父が母をもっと愛していたら、正妻よりも愛していたら、母が死ぬことは無かったのでは』と思うようになり、それが時が経つにつれて歪んだ結果『女の幸せは、どれだけ男に愛されるようになるか』に変わり、そう振る舞う内に手当たり次第男を引っ掛けるような節操なしと化した。
王都から逃げ去った現在、身分を隠して潜伏した田舎町で、親切にしてくれた笑顔の眩しい青年と出逢い、今までとは違うときめきを感じて暫くそこに滞在しようと思っている。
〇レインハート公爵
アリシアの父。
妻を、アリシアの母を心から愛しており、そして先代の頃から仕えてくれた執事長を父のように慕っていた。そんな大切な二人をほぼ同時期に失ったせいで自暴自棄になり、喪失感を誤魔化すように酒と薬に逃げた。それ以来、妻の血筋と面影を色濃く受け継いだアリシアのことも避けるようになり、跡継ぎ問題が浮上したにも関わらず、王家との縁談を敢えて継続させることによって意図的に遠ざけようとしたぐらいである。
それを好機と見た側近共が好き勝手し始め、公爵領は荒れ果てた。何が起きても無関心で、側近と後妻の悪行も殆ど黙認状態に等しかったが、そんな彼でも妻以外の女は後妻含めて一度たりとも抱かなかった。そういった一途なところや、まともだった頃を知っているが故に、アリシアは王家に図って貰う便宜の一つに『公爵の助命』を加えていた、その事実を後に知って公爵は泣いた。
没落後、身分を失った後に一文官としてとある貴族の元に出向することになったが、国王陛下直々に告げられた出向先が辺境伯領…義理の父の領地だったのは何の冗談だろうかと思ったが、到着早々顔面に飛んできた鉄拳共々、甘んじて受け入れた。幾分マシになった顔つきは再び歪んだが、本人としてはどこかスッキリとした面持ちに変わったと言う。
〇国王陛下
実は先代国王と辺境伯は親友同士で、その縁もあって辺境伯とは昔からの顔馴染み、そしてアリシアがエドワードの婚約者に選ばれた一番の理由もそれ。ただ彼女の優秀さが予想以上で、途中からは血筋抜きで王家に相応しい人間と認識していた。
最近のレインハート領の異変には薄々気付いてはいたが、曲がりなりにも相手が公爵家とあっては迂闊に手を出せず頭を悩ませていた。そこに未来の義理の娘が、公爵領の現状とその証拠を手土産に現れた時は、元々予想以上だと思ってた少女が更にその上をいきやがったと、開いた口が塞がらなかった。互いに協力してレインハート家潰しの計画を進め、その過程で何度か交流している内に、『うちの息子もこうだったらなぁ』と何度思ったことか。エドワードがアリシアを殺そうと知った時はその時点で婚約破棄を認め、王位継承権を剥奪した後に牢屋へぶち込もうとしたが、計画を予定通りに進めたいとして当のアリシアが彼との一件を水に流すと言ったので、渋々ながらも処分を保留にした。
行動を共にする内に湧いた情と、様々な問題に付き合わせた罪悪感からか、公爵家の取り潰し成功の際は褒賞として彼女の望みを可能な限り叶え、貴族籍の返上も認めた。しかし本音を言うと、やはりアリシアを娘と呼ぶ日が来なくなるのは王家にとっても大きな損失で、何より寂しかった。
〇側近達と後妻と義理の弟
大体こいつらのせい。
妻と執事長が死んで腑抜けた公爵を見限り、領地を好き勝手に荒らした元凶たち。『アリシア様が王家に嫁ぐと決まった今、後継ぎが必要です』と言って後妻を招き入れたのもこの側近達。
この後妻の女は貴族の娘にして未亡人、そして典型的なお嬢様気質で、夫が死んでから贅沢ができなくなってイラついてたところに声を掛けられ、今まで以上に贅沢できると知って喜んで話についてきた。当然ながら頭は悪く、側近たちは公爵が死んだ後、名ばかりの公爵夫人として適当に煽て、小金を貢げば良い傀儡になると思って選んだ訳だが本人にその自覚は無い。そして、自覚しても多分贅沢ができれば気にしない。
そんな母を見て育ったせいか連れ子の方もロクデナシで、領民を見下すだけに飽き足らず平気で傷つけるような奴。一度それを目撃した姉にボッコボコにされて骨と心を折られてからは大人しくなったが、それでも腐った性根を完全に治すには至らなかったようで、第一王子の取り巻きの仲間入りをしてからは調子が戻ってしまう。因みに、例の斬りかかって返り討ちにされた取り巻き連中の一人にさりげなく混ざってた。
現在は全員牢獄にぶち込まれており、毎日言い渡されるであろう処遇の内容を想像しては怯えて過ごしている。
そのうち、義勇兵団に所属した二人の日々をハイファンタジーとして書きたいと思ってます。