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祖父と〈対〉の二人(2)

「理奈って可愛いね。博士にあんな可愛い女の子のお孫さんがいるなんて」

 その夜。蛍光灯が煌々と光る、無機質な部屋。そこはテラとフロウのメンテナンスルームだ。フロウはうっとりした口調で言うが、相手のテラは逆に渋い顔をする。

「フロウは現場にいたわけじゃないからな。本当にびっくりしたんだぜ?心臓が止まるかと思った……あ、俺心臓なかった」

「ふふ。でもそれは助けなきゃって思ったからでしょ?」

「そりゃああんなところに生身の人間がいりゃ誰でもそうするよ」

「誰でも、ねぇ」

 からかい続けていたらテラが不機嫌になってきたので、そのくらいにしておくことにした。

 二人は並んで巨大な機械に近づく。それにはたくさんのボタンや配線がくっついていて、中央に人が座れそうなスペースが二つある。蛍光灯の冷たい光を反射する特別無機質な物体。そのスペースに二人は並んで座る。

 するとその巨大な機械はヴ……ンと音を立てて作動した。LEDのライトがあちこちでピカピカ光る。

『二体の収容を感知。充電およびオートメンテナンスを開始します』

 二人の、いや二体のアンドロイドは目を閉じ、睡眠状態に入る。今日一日の彼らの行動から集められたデータはこの巨大な機械によって抽出され、蓄積されていく。さらに問題のある箇所を吸い出し、自動的に修復していく。そして明日の朝になれば、二人は再び動き出す。

 矢月 順一が生み出した、世界初の「感情を持つアンドロイド」として。


      *      *      *


「朝ご飯できたよ、理奈」

 翌朝。パジャマ姿の理奈はまだ寝ぼけたまま、居間からダイニングに移動する。

 昨日の朝が早かったからか、いろんなことで疲れてしまったのか、昨夜は布団に入るとすぐに寝こけてしまった。理奈にあてがわれたのは客間の一室で、そちらも和室だったのではじめは寝られるか心配だったが、順一が用意してくれた薄掛けの布団をかぶったとたんに記憶が途切れた。それからは朝まで爆睡である。体は疲労に正直だったようだ。

 ぼんやりした頭のまま席に着くと、そこに並んでいたのは純和風の朝食だった。梅干と海苔、わかめの味噌汁、魚は焼き鯖だった。

「博士は今日朝が早いから先に食べちゃったし、理奈はゆっくり食べて」

 アンドロイドであるフロウは自分が作ったご飯を食べない。「いただきます」を言って食べ始めるまでのわずかの間にさっさと流しを片付けると、フロウは理奈の向かいに座った。そのまま食べる様子をまじまじと見ている。正直ちょっと食べづらい。

 仕事のためとはいえ、順一が朝からいないのはなんだか残念というか、肩透かしな気分だった。自分勝手に押しかけた自覚はあるので文句は言えないが、それでも理奈は順一にいろいろ聞きたいことがあったのだ。

 テラやフロウに聞いた話を整理すると、このF市一帯は今、自衛隊の特別演習地になっているということだった。そのために一般人は立ち入り禁止となり、市民はみんな他の地域に移住したのだそうだ。もっともそんな状況になったのはテラやフロウが造られる前のことで、彼らはその辺のことを順一から聞かされているということだが。

 全然知らなかった。あまつさえ自分の祖父が住んでいる場所のことなのに。

 市内全域を自衛隊の演習地にするなどという大変なことが起きているというのに、なぜ順一はそれをうちの家族に知らせなかったのか。そもそもいつからこんな事になっていたのか。こんな大規模なことがあれば、たとえ地方の話とは言ってもニュースにぐらいなっていそうなものだ。

 つまり、今のこの状況は理奈にとって謎だらけなのだ。だから順一に直接この疑問をぶつけたかった。

「難しい顔してるけど、おいしくないの?」

「え?いや、おいしいです」

 考えすぎて眉間に皺を寄せながら鯖をつついていたようだ。問うてきたフロウは「おいしい」の一言で安心したようで、顔をほころばす。

「よかった。あと、私に敬語使わなくていいんだよ。私のことは気軽にフロウって呼んで。私たち、家族みたいなものなんだから」

「はぁ」

「だってそうでしょ?私たちを造ったのは博士で、その博士は理奈にとってはおじいちゃんなわけなんだし。私はもっと理奈と仲良くなりたいよ」

 思わずキョトキョトと目をしばたかせる。つくづく目の前にいるフロウを不思議な存在だと思う。

 動作どころか、言葉の使い方も、表情の機微も、感情があるような振る舞いも、すべて本当に人間にしか見えないほど自然なのだ。だがその言葉の端々には、自分がアンドロイドであることを固持するような台詞が混じっている。それもまた、ごく自然に。はじめ、理奈はこのフロウにしても、テラにしても、何らかの理由で自分をアンドロイドだと思っているだけで、本当は人間なのではないかと思っていた。だがそう思うのもちょっと無理があるくらい、彼らのアンドロイドとしての振る舞いには揺るぎがなかった。夏も盛り、エアコンなどほとんど効かない蒸し暑さの中、彼らは食事はおろか水の一滴も摂らない。しかも身に着けているのはいかにも暑そうな迷彩服だというのに、汗をかいている様子もない。食事なら隠れて摂ることもできるだろうが、生理現象まではどうにもならないだろう。

「ねぇ、理奈はどうして博士のところへ来たの?」

 そういえば、家出云々の話をしたのは順一だけで、フロウはそのときは夕飯を準備していたのだった。どう説明したものか、なかなか口が重くなる話題だ。

「えっと、お母さんとケンカして」

「お母さん?」

 こてん、と首を傾げて聞き返す。そこに引っかかるのか、と不思議に思っていると、フロウは意外なことを訊いてきた。

「ねぇ、お母さんがいるのって、どんな感じ?理奈にはお母さんと、あとお父さんがいるんだよね?」

 まっすぐな、純粋な目。そこには何の衒いもなく、本当にただ疑問に思ったことを口にしたような調子だ。

 彼女が本当にアンドロイドであるなら、確かに「母」はいないはずだ。生みの親は順一であり、それもその手で造られたということだから。いかにもアンドロイドらしい問いではある。

「うーん、なんて言えばいいか……ちょっと面倒くさくて、でも、温かい、って感じかな」

 フロウに伝わったかどうか微妙な言い方になってしまった。言葉を選び直す。

「えぇっと、ずっと一緒にいるとね、ケンカしたりもするんだよね。別に嫌いなわけじゃなくても。お母さんの言うことが、うっとうしかったり、お節介だと思ったり。でも、いなくなっちゃえばいいとは思わないし、それなりに、大切だとも思ってるし……」

「つまり、大好きってこと?」

「へぇっ?」

 フロウが置き換えた言葉が唐突過ぎて、変な声をあげてしまった。頬に血が上ってくる。顔が熱い。

「ふふ、ごめんね。理奈の話聞いてたらそうなのかなって。私も『大好き』っていう感情ならわかるから。私がテラに対して抱くのがそういう感情だから。いつも一緒にいて、お互いのことを思ってる。たまに合わないこともあるけど、それも全部含めて、私はテラが大好き」

 頬がさらに熱くなった。こんなにさらりと誰かのことを「大好き」と言える人は、周りにもあまりいない。自分だってそうだ。それはなんだか気恥ずかしくて、言葉にして伝えることのできない感情のように思っている。それをフロウはいともたやすく口にする。生身の人間なんかよりずっと大胆に、堂々と。

 それが少しだけうらやましかった。


 朝食を終えて着替えると、初めてフロウがエプロンを外した姿を目にした。そのフロウはなぜかすまなそうな顔をしている。

「ごめん、理奈。昨日の今日で悪いんだけどお留守番頼める?今日は私も出勤しなきゃならないの」

「出勤?」

 エプロンの下に着ていた、迷彩柄の服が今は晒されている。肩にかけている鞄もごつくて重そうなものだ。

「そう。私も一応自衛隊所属なの。救護班だけどね。お昼は冷蔵庫に入ってるから適当にチンして食べて。あ、鍵はこれね。博士の家の周辺は安全だと思うけど、あまり外は出歩かないようにね。何かあると大変だから」

 理奈に言うべきことを言って鍵を渡すと、フロウは颯爽と玄関から出て行ってしまった。引き戸の閉まるガラガラ、という音を聞いたが最後、家の中はしん、とした無音の空間となった。どこか遠くから蝉の鳴く声がぼんやりと聞こえる。

 思えばここへ来て、一人になるのは駅周辺をうろうろしていたとき以来だ。そのときの光景がフラッシュバックして、理奈は急激に不安になった。

 もし、あのときみたいなことが起きたら、どうしたらいいのだろう。

 いや、さっきフロウはここは安全だと言ったではないか。無駄に恐れていても仕方がない。

 たった一人で残されると、祖父の家は異様に広く感じられた。順一が生まれる前から建っている、築百年を越える古い日本家屋。上空から見るとL字型をしているこの家は、広い玄関を入って正面左側がダイニングキッチン、そのさらに左奥にバスルームがある。この辺りは随分前にリフォームされていて、その前は土間に竃が据えられた純和風の台所と、風呂は釜炊きの五右衛門風呂だったそうだ。どちらも実物を見たことはないので、教科書に載っていた図だか写真だかの記憶から想像することしかできないが。その反対側の、一番手前が居間で、奥に仏間がある。理奈が寝起きをしている客間は玄関の端の廊下をまっすぐ進んだ先にある。そこからは玄関とは裏手になっている庭を見渡すことができる。今、その庭は家庭菜園の場所になっていて、きゅうりやナスなどの夏野菜が盛大に実をつけ葉を広げている。フロウがつくる食事はここでとれる野菜がふんだんに使われている。

 その菜園の奥に、理奈がここへ来てからずっと気になっていたものがあった。純和風の日本家屋にはとても似つかわしくない、真っ白で無機質な、四角いプレハブ小屋。夜になるとテラとフロウが入っていった、謎の建物。少なくとも最後にここへ来た五年前にはなかったはずのものだ。なんとなく近寄りがたい雰囲気のあるその建物に、理奈はちょっと勇気を出して近づいてみることにした。

 廊下と庭の間は縁側になっていて、大きなガラス戸を開くとそこから石畳に降りることができた。降り口には野菜を収穫するときに使うサンダルが置いてあるので、それを履いて庭に降り立つ。柔らかな土の匂いが鼻をかすめた。

 トントンと石畳を歩き、プレハブの扉の前に着いた。アルミの一枚扉で、これ以外には窓なども何も付いていない。

 理奈はそっとドアノブを握り、回してみた。カチャ、と音がしてドアが開いた。鍵はかかっていなかったようだ。

 中はひどく暗かったので、まず電気のスイッチを探した。ドアのすぐ横にあったのでパチッと点ける。

 そこにあったのは大きな作業台と、壁に寄せたメタルラック。そして一番奥にひときわ存在感を放つものが鎮座していた。

 それは何かの操作盤のようだった。中央になぜか二つ、椅子のように腰掛けられるスペースがある。たくさんのボタンや小さなLEDのライトが付いているその物体は、灰色に近いマットな銀色をしていて鈍く光を反射している。理奈は昔何かで見た「電気椅子」を連想した。どこかの国で処刑に使われていたという、あのおぞましい造形物。ちょっと気分が悪くなって、理奈は意識してそこから目を逸らした。

 作業台の上にはたくさんの書類が散乱していた。何かの設計図のようなものや、英語で書かれた書類、どこかから送られてきた封書……。テラやフロウが「博士」と呼びならす祖父、順一の一面を垣間見た気分だ。一体順一はいつからこんな生活を送っていたのだろう。

 中をしげしげと見廻していると、作業台の端にその場にそぐわないものが置かれていることに気づいた。それは写真立てだった。中に挟まれている写真はかなり年季が入っているようで、だいぶ色あせてしまっている。そこには一人の女性が写っていた。庭の植木をバックに、はにかんだように少し首をかしげて佇んでいる。その女性の面影に見覚えがあるような気がして、理奈はまじまじと見つめた。

「あ……フロウだ」

 その正体に行き着いて、理奈は思わず呟く。その写真の人物は、フロウとよく似ていた。

 ということは、フロウはこの人をモデルにして造られたということだろうか。だとすれば、この女性は誰なのか。

 順一がさも大事そうに写真を飾っておく人物。そんなのは一人しか思い浮かばない。

「おばあちゃんか」

 それは理奈の祖母、幸枝と思われた。あまりに若い頃に撮られた写真なので確信はないが、それでもどこか生前見ていた祖母の面影と重なるような気がする。つまり順一は、自分の妻である幸枝をモデルにしてフロウを造ったということだ。

 祖父は、寂しかったのだろうかと思った。最愛の妻を失い、たった一人でこの家に残って。

 昨日突然訪ねてきた孫の理奈に驚きながらも快く迎えてくれたのも、本当は少し嬉しかったのかもしれない。自分に都合のいい解釈かもしれないが。

 プレハブを出て家のほうに戻ると、何やら玄関のほうから音が聞こえてくる。まるでトラックがたてるエンジン音のような……。

「あれ、開いてる。じいさーん、いるのー?」

 次の瞬間には玄関の引き戸をガラッと開けて呼びかけるような声。理奈はおっかなびっくり、玄関へと顔を出した。その声に聞き覚えがあったからだ。

「しおりさん……?」

「!あぁーっ、あんた昨日の」

「昨日は大変お世話になりました」

 ぺこりと頭を下げた。そこにいたのは、驚き顔のまま固まった葛城 しおりだった。



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