祖父と〈対〉の二人(1)
装甲車の窓から、見覚えのあるような気がする街並みが見えてきた。思考が停止して何かを考えることができなくなっている理奈はその景色をただぼんやりと眺める。そうしているうちに、車は一軒の家の前に停まった。祖父、順一の家だ。
玄関を見れば、遠い昔の記憶もよみがえった。以前は最寄のバス停から歩いたので、祖父の家にたどり着いた喜びはひとしおだった。そんな大した距離ではなかったはずだが、子供の足には辛かったのだろう。だから、この佇まいは覚えている。
装甲車を降りると、先ほど自分はアンドロイドだという爆弾発言をした男はスタスタと玄関へ近づいていく。その様子があまりにも自然で、理奈は戸惑いながらも付いていく。
重々しい引き戸をガラッ、と勢いよく開ける。
「ただいまぁ」
「あら、テラ。お帰りなさい」
祖父の家に入るのに平然と「ただいま」と言う男にも驚いたが、それ以上に理奈の足を止めさせたのは、中から返ってきた声だった。それはとても若い女性の声だった。おそらく理奈とそれほど年頃も変わらないような。
そんな女性の声が、なぜか祖父の家の中から聞こえるのだ。足も止まるというものだ。
しかし、次の瞬間目の前で起きた出来事に、今度は完全に固まってしまうことになる。
「フロウ~♪」
先ほど女性から「テラ」と呼ばれていた男が、姿を現したその女性に思いきり、がばっ、と抱きついたのだ。勢い余って女性が少しよろめいている。
「今日は早かったのね」
「うん。フロウに会いたくて帰ってきちゃった」
「もう、テラったら。仕事は真面目にするものよ」
「わかってるって」
理奈にかけていた声とは比べ物にならない、甘えたような猫なで声で女性の肩に顔を埋めながら喋っている男。それを別段驚いた風もなく受け入れている女性。理奈は目が点になった。ある意味今日一番の衝撃映像だった。
「あら?テラ、お客さん?」
女性のほうが理奈が突っ立っている戸口を見た。それでようやく我に返った理奈はあわあわと慌てる。
「あ、あの、えっと」
「この子、博士の孫なんだって」
ようやく女性から離れた男、テラが説明してくれる。他人の、しかも自分のことをよく知らないはずの者に自分の紹介をさせるのがいたたまれないので、なんとか振り絞るように自己紹介をする。
「矢月 理奈です。あの、矢月 順一の孫です。東京から来ました」
ぺこり、と頭を下げると女性が笑った気配がする。顔を上げると目の前に女性がいる。
「博士のかわいいお孫さん。はじめまして。私はフロウ。こっちはテラ。よろしくね」
「よろしくお願いします……」
手を差し出されたので、その手を取って握手をした。色白でひんやりとした手だった。
この女性は、一体誰なのだろう。先のテラと同じく、祖父を「博士」と呼びならすこの人は。
そんな理奈の疑問が通じたのか、フロウは自分の紹介を補足した。
「私も、このテラも、この博士の家で生まれたの。私たちは、〈対〉のアンドロイドなの」
「えぇっ??」
再び目が点になってしまった。まさか自分がアンドロイドだと名乗るものがさらに出てくるとは思ってもみなかった。
本人たちは何の不思議もないようにさらっと言ってのけるが、受け止める側としては大変判断に迷う発言だった。これをそのまま真に受けていいものなのか、それとも単にからかわれているだけなのか。
正直言って、二人ともとてもじゃないがアンドロイドなどには見えないのだ。どこからどう見ても人間にしか見えない。本当にアンドロイドであれば、もっと機械っぽい動作や言葉使いが出るものではないか。ちょっとした違和感であったり、何かしらの引っかかりであったり。この二人には、そういったものがまるで感じられない。生身の人間だとしか思えないのだ。
それにもう一つ引っかかるのが、祖父の順一がこの二人を造ったということだ。遠い記憶ではあるが、順一の職業はアンドロイドをどうこうするようなものではなかったはずだ。一体どうしてそんなことになっているのか。そこをぜひとも順一本人に問いただしたい気分なのだが。
「博士はまだ研究所から帰って来てないし、中で待ってはどう?博士に用があるんでしょ?」
「はぁ、まぁ、そうですけど……」
「ふふ、じゃあ上がってくださいな。あ、でもお孫さんってことはここがあなたの実家ってことになるのか。私が偉そうに上がってなんて言う立場じゃないわね」
フロウは笑いながら「今お茶を入れるね」と言ってキッチンのほうへ消えていった。
あまりのことにぽかんとしてしまったが、彼女の言うとおり、ここで突っ立っているわけにはいかないのでとりあえず中に入ることにした。順一がいないということが引っかかったが、もうここまで来たら四の五の言っていられない。「お邪魔します」と小声で言って、玄関で靴を脱ぐ。持ってきたボストンバッグはとりあえずあがりがまちの端に置いておく。
キッチンと地続きになっているダイニングにお菓子とお茶を用意しているフロウと、その様子を椅子に座って見つめているテラ。その二人が先ほどの顛末について話している。
「演習場に?」
「そう。普通そんなところに生身の人間がいるわけないじゃん。実弾で演習するわけだし。だから直接訊いたんだよ。お前、人間?って」
「あはは。テラらしい」
「だってびっくりするじゃん。一般人立入禁止だっつうの。……そういえば、何で駅まで来れたんだ?どっから来たんだよ」
急に理奈に水を向けられた。二人の視線が理奈に集中する。
「あ、えっと……」
見つめられて言葉が出ない、というだけでなく、これを喋ってもいいものなのか躊躇したために言葉が続かなかった。それでも二人が聞く態勢を解かないので、沈黙に耐えられなくなった理奈が小さくこぼす。
「トラックに、乗せてくれた方がいて。葛城 しおりさんという方に……」
「げっ、やっぱりあいつかよ」
テラがまた天を仰いだ。理奈が順一の孫だと言ったときもこのリアクションだった。
「確かにしおりなら区域内に入れるしね」
フロウは鷹揚に応えているが、一方のテラは渋い顔だ。
「ちょこちょこやるんだよ、あいつ。何か知らねぇけど一般人連れ込んでんの。まぁ今日みたいに演習場ど真ん中ってことはないけどさ」
責めるようなテラの口調に理奈は内心ひやひやした。やはり言わない方がよかっただろうか。とりあえず話題をそらそうと試みる。
「しおりさん、お知り合いなんですか?」
その問いに応えたのはフロウの方だった。
「しおりは、閉鎖区の中に必要な物資を運んでくれる運送屋さんなの。いくら一般人立入禁止って言っても、物を運んでくれる人がいないとここで働いている人たちが生活できないからね」
「ここで、働いている人たち?」
「主に自衛隊の関係者と、博士みたいな研究者ね」
確かに理奈がF市に入ってから会ったのは、このテラを含めても自衛官という身なりをした人物ばかりだった。しおりと別れて以降、ここへ来るまで装甲車以外の車両とすれ違うことも、普通の身なりをした人と出会うこともなかった。強いて挙げれば目の前のフロウのエプロン姿がそうと言えなくもないが、その下に着ているのはなぜかテラと揃いの迷彩服だし、第一彼女もまたアンドロイドだと名乗っている。
「じゃあ、今F市で生活しているのは、そういう人たちだけ、てことですか」
「多分ね。一般の人は生活しようにも生活物資が届かないでしょうし。一般家庭はガスも水道も電気も供給されてないはずだから、住むのは困難なはずよ」
「だいたい何のために立入禁止になってると思ってんだよ。全区域が演習場になってて危ないからだろ」
また話がそこに戻ってしまった。よほど腹に据えかねるようだ。理奈は身が縮む思いだ。
そのとき。ガラガラ、と玄関の引き戸が開く音がした。
「ただいま」
それに続くのは、理奈にとってはひどく懐かしい声だった。「お帰りなさい」とダイニングからフロウが応えると、戸口からすぐにその姿が見えた。そしてその人物は戸口で固まった。
「……わしは幻覚を見とるのか」
理奈の姿に目をやったまま、独り言のように呟く。そう思うのも無理はない。本来なら理奈がここにいるはずはないのだから。
「おじいちゃん」
がたん、と音を立てて椅子から立った理奈は、よろよろと近づいていき、祖父、順一に抱きついた。緊張の糸が切れたのか、そのまま声をあげて泣き出した。
「おおぅ?理奈。どうしたんじゃ」
その重みに幻覚ではないと悟ったようだが、やはり順一は戸惑っていた。しかし涙は一向に収まらず、しゃくりあげるまま何も説明することはできなかった。
「私、家出したの」
ようやく話せるようになったのはフロウが夕飯の準備を始めた頃だった。この家の炊事担当はフロウということで、いつもキッチンに立っているのだという。ダイニングにそのままいると邪魔なので、理奈は今順一とともに居間でちゃぶ台を囲んでいる。
「それはなかなか穏やかでないな。何があったんじゃ」
「うーんと、その、ケンカして」
「康介と、か?」
「ううん」
「じゃあ光さんか」
「……うん」
康介は理奈の父で、つまり順一の息子。そして光は理奈の母で、順一からすると息子の嫁ということになる。順一に言わせると、理奈は幼い頃から母の光にそっくりだったそうだ。
順一はひとつ息をついた。頭をかきながら「どうしたものか」と呟いている。
「とりあえず康介に一本連絡を入れにゃならんな。理奈はもうちょっと大人にならんとな」
そこに叱責するような響きはない。あくまで優しい好々爺といった風情だ。
順一が電話のために外すと、ひとりになった理奈は居間をぐるりと見渡した。幼い頃、順一の家を訪ねたときはこの居間が遊び場だった。派手なおもちゃはないが、折り紙をしたり、古い絵本を読み聞かせてもらったりしていた。その頃はまだ祖母も生きていたので、昔ながらの遊びでいろいろ相手をしてくれた。病を得てからはひどく口数が少なくなってしまったが、それでも理奈に向けられる笑顔は優しかった。そんな祖母は五年前に亡くなり、葬儀のために訪れたのを最後に今までこちらには来ていなかった。
東京の理奈の家にはない、畳の部屋。なじみが薄いはずなのに、なぜか落ち着くその部屋。
「心配しとったぞ。康介も光さんも」
順一が電話を終えて戻ってきた。理奈の隣に座り、やはり頭をぽりぽりとかく。
「だが、まぁあいつらも居場所が知れたから多少安心したようだな。わしとしては、理奈の気が済むまでここにおっても構わん。今は夏休みの内なんだろう?」
なぜか順一は少し照れているように見えた。
そこにひょっこりとフロウが顔を見せた。
「ご飯できたよ。理奈も食べるでしょ?」
「あ、はい」
その一言で、なし崩し的に理奈のこちらでの生活が始まった。夏休みとともに幕を開けた、それはとても不思議な共同生活だった。