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再始動(2)

 これからプレハブでフロウのホストコンピュータを起動する。テラに請われたこともあって、理奈もその場に同席する。

 フロウはいつかのテラと同じように、あの機械の椅子状の部分に座らされていた。まぶたを閉じたその顔も身体も以前目にしたのと寸分違わない。

 見た目はすっかり元に戻っているフロウを前にして、やはりテラはどこか不安そうだった。このときを待ち望んでいたのは確かだが、果たしてこのフロウを本当に自分の〈対〉として認識できるのかがわからず、手放しで喜ぶことができないのだ。そのときに何が起こるかわからないから、テラは理奈にも付いていて欲しいと頼んできた。理奈がこの場にいたところでただ見守ることくらいしかできないが、フロウの修復を正式に順一に頼んだ身としてはその結果をちゃんと見届けたいと思った。

 機械のスイッチや配線などを確認していた順一はおもむろにテラと理奈のほうを向く。

「心の準備は、いいな?」

 理奈はテラと目配せし、神妙にうなずいた。それを確認すると、順一は再びフロウと向き合う。

 ヴーー……とコンピュータの起動音がする。ちょうどパソコンを立ち上げたときのような音。順一が離れると、まぶたを閉じたままのフロウの姿が見える。

 三人から見つめられているフロウは、やがてそのまぶたをゆっくりと開いた。ガラスの目が、正面に立ったテラの姿を捉える。

「……」

 二人は黙って見つめ合う。今しがた目を開いたばかりのフロウは不思議そうな顔で見上げている。一方のテラはといえば、その視線をただじっと受け止めている。二人の間の空気は緊張をはらんで張りつめている。

 そのままどれだけの時間が経っただろう。見守る側は二人がまったく動かないので不安になる。一体二人の間で今、何が起きているのか。状況が分からないままただ待つ時間というのはひどく長く感じる。

 そんな膠着状態を破ったのはテラだった。おもむろにフロウに近づくと、目線を合わせるように膝をつく。

「初めまして。俺はテラ。君の〈対〉だよ」

 その台詞に理奈はどきりとした。初めまして。そう、今現在フロウの中にテラの記憶はないのだ。もちろん理奈や順一の記憶も。

 フロウはまるで生まれたての赤子がそうするように、入ってくるあらゆる情報を貪欲に飲み込んで、状況をいち早く把握しようとしているようだった。ホストコンピュータの処理が追いつかないのか、ぼんやりしたような状態のフロウ。テラはその前で根気よく待つ。

「テラには今フロウに起こっていることがわかってるんだ。自分も経験したことだから。最初の起動のときは処理しなければならない情報が多いから、どうしても初動が遅くなる」

 順一が二人を邪魔しないように小声で理奈に説明する。だが理奈はそのことよりも今のテラの心情が気になった。

 まっさらな記憶のフロウに対し、これまでの記憶を有しているテラ。それでもまるでフロウに今初めて会ったように振舞わなければならない。それはとても痛々しく映った。

 〈対〉という言葉がようやく浸透したのか、フロウはテラに向けてゆっくりと笑んだ。

「初めまして。私はフロウ。〈対〉としてよろしくね」

「ああ。こちらこそ」

「私の〈対〉があなたみたいな優しそうな人でよかった」

 破顔するフロウ。それにつられたようにテラも笑おうとして、失敗した。

 その手を取り、顔をうずめる。苦しそうに強くまぶたを閉じ、フロウの両手をまとめて握る。

「フロウ……」

「テラ?どうしたの?」

 あくまで無邪気な様子でそんなテラを見守るフロウ。テラは腰が抜けたようにその場にうずくまって動けないようだった。

 堪えるつもりでいたのに、やはり理奈は泣いてしまった。最近本当に泣き虫になってしまって自分でも嫌になる。その一方で、今だけは仕方ないとも思う。

 その涙は本当ならテラが流したかったものだろう。いくら感情表現が豊かとはいえ、アンドロイドであるテラには流すことのできない涙。アンドロイドであるがゆえに受ける制約。唯一無二である〈対〉を失い、今再び得るというのは、本来ならしなくてもよかったはずの経験だ。その心情はテラにしかわからない。だが想像することはできる。その痛みや苦しみを。

 支えたいと理奈は思った。そのために自分ができることを、早急に見出さなければならない。こんな風に苦しむテラを見ているのは理奈も辛かった。

 テラが落ち着いた頃を見計らって、順一はフロウに語りかけた。それはフロウがどういう存在なのかということや、造られた目的といった話だ。テラにとっては既に聞いている話なので、今度は理奈とテラが傍観するような形になる。

 話を聞く中で、理奈はあのテラとの会話を思い出していた。

――俺たちは使い捨てされる兵器なんだから。

――理奈には俺が生きてるように見えてんの?アンドロイドなのに。

 自分たちがアンドロイドとして生み出されたこと。存在することの意味。ひとつひとつを順一はフロウに噛んで含めるように言い聞かせる。その様子は学校に入ったばかりの幼子に社会のルールを言って聞かせるのと似ていた。まっさらなフロウの脳に、絶対的なものとして書き込まれる最初の記憶。これからずっと、それを背負っていくのだ。

 生きる意味を負うということは、未来の選択肢がひとつだけということだ。そのたった一つの選択肢の先に待ち構える末路を、ここにいる者たちは一度経験してしまっている。

 それは、残酷な何かの儀式のようだった。

「最後にひとつ、お前たちに知っておいてほしいことがある。フロウにも、テラにも」

 話が一段落したと思ったとき、順一はおもむろにそんなことを口にした。ずっとフロウの方を見つめていたテラが順一に目を向ける。

「わしはある考えから、お前たちの精神構造を〈対〉という複雑極まりないプログラムで構築した。その目的のひとつは、お互いに補い合うことで仕事効率を高めることだ。役割を分担することでより高度なプログラムを組むことが可能になる。だが、本当に大切な目的は他にある」

 この話は以前には聞いていなかったようで、テラは怪訝そうな顔をする。順一は自分から言い出したわりには口が重い。何かをためらっているようにも見える。

「どちらか一方がいなければうまく機能しないプログラムなど、生産性という面から見ればはっきり言って効率が悪い。役割を分担させるだけなら、他に方法はいくらでもある。だがそうして効率を優先させて造られたものは、おそらく脅威的な兵器となるだろう。そんな兵器が大量に生産され、消費されれば、下手をすればその兵器自体が人類を滅亡させかねん。わしはお前たちをそんな存在にはしたくなかった」

 もしかしたら順一としては、意趣返しのつもりだったのかもしれない。F市を閉鎖区として奪い、巨大な演習地を作り上げた自衛隊への。順一は決して協力的にテラたちの開発を進めているわけではない。それはいわば順一の意地ともいえるものだった。故郷を一般人が住めない土地に変えた自衛隊に、どうしたら好感を持てるというのだろう。

「〈対〉のシステムは、わしにとってはひとつの保険だ。お前たちを使う側の人間が、ぞんざいに扱わないように。だから感受性の部分に特化したこのシステムを採用した。人間は感情を持っているものには弱いから」

 その保険は今回、功を奏さなかった。

「こんなことでしかお前たちを守ってやれん自分が情けない。この通りだ。すまん」

 順一は二人に向けて頭を下げた。フロウは驚いたように目を丸め、テラは耐えるように口を引き結ぶ。

 沈黙の中、順一は長らく頭を上げなかった。


 何はともあれ、再びフロウを迎えての生活が始まった。それぞれ複雑な思いを抱えているとはいえ、それは明らかな前進だった。この数日間、心を乱されすぎて一歩も動くことができなかった、順一、テラ、そして理奈にとっての。もうここからは、くよくよと悩んでいても仕方ないのだ。新たなフロウとの生活を営んでいかなければならない。誰もが手探りの状態で常に緊張感を保っていたので、ちょっと気が抜けるとどっと疲れに襲われたが、他でもないフロウの屈託のない笑顔に救われる。フロウはまるで心臓のようにこの家の中心となり、周りの者たちを動かす原動力となった。

 以前と同じように幸枝のレシピをプログラムされているフロウは、再びキッチンに立つ。約一ヶ月ぶりのその光景に、以前とは変わったことが一つあった。

「手伝うよ、フロウ」

 それはその隣に、理奈が並ぶようになったことだ。フロウはやはり無邪気に笑う。

「ありがとう。理奈も料理するの?」

「うん。始めたばっかだけどね」

 決して広くはないシステムキッチンの前に二人で並ぶ。フロウが料理する後ろ姿を眺めていたのが遠い昔のことのようだ。他愛のないお喋りをしながらフロウと隣り合ってする料理は、なぜだかひどく郷愁にかられるものだった。

 理奈には祖母、幸枝と過ごした思い出などほとんど残っていない。そもそも今までの滞在は長くても二、三日だったから、こんなに長く順一の家で過ごすのは初めてだ。その分幸枝と過ごした時間も短かったからそれも仕方ないことかもしれない。今回家出でF市を目指した一番の理由は、東京の家から離れていたということだ。母方の実家は都内にあるので、家出先には不向きだったというのもある。逆に言えば、順一ともそこまで馴染みがなかった分、無鉄砲にここまで来れたというのもある。

 かすかに理奈に残っているのは、以前のフロウがいたときのように、その後ろ姿を眺めていた記憶。それなのに今こうして隣に並んでいるほうが懐かしく感じる。不思議な感覚。

「ねぇ、フロウ」

「うん?」

「テラとはうまくやれてる?」

「そうね。テラは優しいから、いつも私の考えを優先してくれてる感じがする。他に私たちみたいな〈対〉はいないから比較はできないけど、きっと私たちは最高の〈対〉だと思うわ」

 以前に比べると、テラは丸くなったというか、落ち着いた感じがする。今はどちらかというとフロウのほうが前のテラのような積極的な性格になったように見える。二人を常に観察している理奈には、テラの思考が透けて見える気がした。おそらくテラは、いまだに恐ろしいのだ。もう二度と愛しい〈対〉を失いたくはない。そのためのにどうしたらいいかをずっと模索している。少なくとも今までと同じではいけないのだと、彼は彼なりに変わろうとしているのだ。

「いいね。うらやましいな」

「あら、理奈はテラと私みたいに仲良くなりたいの?」

「え?いや、そういう意味じゃなくて」

 つい言葉を選ばずに「うらやましい」などと言ってしまったことを後悔した。それではまるで以前のように、テラに思いを寄せているようではないか。その一件はテラのモデルが自分の父だと聞かされて懲りている。今は単純に「自分にもそういう存在がいたらなぁ」と淡く夢想したに過ぎない。

「やだ。理奈ったら顔が赤いよ」

「だから、違うって」

「ふふ、もう理奈ったら可愛いなぁ」

 フロウの台詞に、理奈は冷や水を浴びせられたような気分になる。以前にも同じような会話を交わしたことがある。今の光景とそのときの記憶が重なり合わさったことで、理奈は唐突に気付いてしまった。

 フロウは何かにつけて理奈を「可愛い」と褒めそやす。普段そんな言葉を言われ慣れていない理奈にとってはむずがゆいような妙な気がしていたのだが、フロウがそう繰り返すのにはちゃんと理由があったのだ。

 昔、幸枝が生きていた頃に一度だけ「可愛いね」と言われたことがあった。今まで忘れていたが、それはおそらく初めてここを訪ねたときだ。その後は病を得て口数が減ってしまったので、直接言われたのはその一度だけ。

 フロウは、祖母の幸枝をモデルに造られた。料理のレシピまでプログラムされている。それは外見だけでなく、中身も幸枝に似せて造られたということを意味する。そんなフロウが何度も口にするこの「可愛い」は、だから、本当は幸枝が理奈に言いたかったものなのだと。

 時を越えて、その想いが理奈に届く。おそらくそれは、愛情と呼んで差し支えないもの。

 今までどれだけフロウにそう言われてきただろう。短い間だったはずなのに、数えることもままならない。気付いてしまえば心が震えるほど大きな愛を与え続けていた当のフロウは、しかしそのことを覚えていない。

「理奈?」

 理奈はフロウを思いきり抱きしめていた。腕の中でフロウが戸惑ったように身じろぎする。

「フロウ、ありがとう。私あなたのことが大好き。忘れないでね。大好きだからね」

「うん、忘れないよ?私も理奈が大好きよ」

 なだめるように背中を優しく撫でられ、理奈はフロウの肩に顔をうずめて声を殺して泣いた。

 そうして、理奈の夏休みが終わる。

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