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再始動(1)

 命の境界は、一体どこにあるのだろう。

 生命活動をしているかどうかだけがその基準であるならば、アンドロイドであるテラやフロウに命はないと解釈できる。

 でも、それは本当に妥当な基準なのだろうか。

 いまやAIもそれぞれが独自の自我というべきものを持っている。そこに人間と同じ感情の動きが加わったら?もはやそれは人間と同じように活動する新たな生命体のようなものと捉えられるのではないだろうか。

 今一度考える。命の境界は、一体どこにあるのか。


      *      *      *


 テラに相談されてから、理奈はずっと考えている。朝起きてから夜眠るまで、今までこんなに真剣になったことなどないというほどに。フロウを、どうするのか。どうすることが最善なのか。

 フロウはテラの〈対〉だ。そのことを一番重要だと考えるなら、もちろんフロウが存在するほうが望ましい。というより、フロウがいなければテラが本来の機能を発揮することができない。彼は事実上自衛隊の所有物であるので、「使えない」と判断されれば最悪の場合、廃棄ということになりかねない。そんなことは順一がなんとしても阻むだろうが、そうするとその後のテラの処遇について考えなければならない。人間でいうなら、仕事も生きがいも何もないのにただ生きながらえされているような状態だ。それがテラの幸せだとはとても思えない。つまりテラのことを考えれば、フロウの存在は絶対に必要ということになる。

 だがそうすると、もうひとつの問題と向き合わなければならない。たとえそうしてフロウを再び存在させたとしても、それは今まで一緒に過ごしてきたフロウとは別の存在になってしまうということだ。テラにとっても、理奈にとっても、もちろん順一にとっても。こういうとき、記憶というのは厄介だ。どうしたって「今までのフロウ」と「新しいフロウ」を比較してしまう。特に問題なのがテラの中にある記憶だ。元々〈対〉というのは唯一絶対的なものとしてプログラムされている。そうすると代替はきかないということになる。仮にフロウを再構築したとして、それをテラが正式に〈対〉として認識できるかどうかは未知数だった。ならばその「今までのフロウ」の記憶を抹消してしまえばいいと考えられるが、テラの記憶のほとんどはフロウと結びついている。そんなことをすれば、テラのホストコンピュータもほとんど初期化に近い状態になってしまう。テラのことを考えれば、本当はそのほうがいいのかもしれないとも思う。過去のフロウの記憶も、〈対〉を失うという壮絶な体験もすべて忘れて新たにやり直すほうが楽なのではないかと。

 だが、それこそテラとフロウである意味が完全に失われてしまう。だったら新たなアンドロイドを〈対〉として造ればいい。そのほうが圧倒的にコストもかからない。

 その道を選べるなら、とっくにそうしているだろう。

 このような事態になるまで、理奈はどこかでテラとフロウの存在は半永久的なものだと考えていた。なにせ二人はアンドロイドだ。身体のどこかを損傷しても、修復すれば簡単に元に戻せるのだろうと。あまつさえここには開発者本人である順一がいる。少なくとも順一が生きている限りは完璧な修復が可能なのだろうと。

 しかしその思考がどこからきているのかといえば、それは彼らがここを発ったときにさかのぼる。当時、理奈は二人のことを案じるあまり情緒不安定になっていた。不安と心配にすべてを支配されていた。彼らに何かあったら、と考えると胸がきしんで、自分の精神を正常に保つことができなかった。だから必死に「何があっても大丈夫」と自分に言い聞かせた。とにかくそう思い込むことで、何とか日常生活を送れる程度には心を落ち着けることができた。つまり最初からそこに確証などはなく、すべては理奈の思い込みに過ぎなかった。

 何をするときもずっと考えているので、いろいろなことが疎かになった。料理をすれば、手元が狂う。風呂に入れば、入り口でつまずく。怪我をしそうなこともあって順一から何度も注意を受けた。だがこれだけは真剣に考えなければならない。テラの未来のために。もちろん順一や理奈のためにも。

 そして。

「おじいちゃん、ちょっといい?」

 満を持して理奈は、プレハブのドア越しに順一に声をかける。

「……理奈か。どうした?」

 ドアを開けた順一は不思議そうに理奈を見た。ここを訪ねるのは順一から祖母、幸枝のレシピノートを見せられたとき以来だ。

「ちょっと話したいことがあって。入ってもいい?」

「ああ、もちろん」

 順一は穏やかに言ったので、理奈はほっとした。

 ずっと考え事で頭が一杯だった理奈に言えたことではないが、最近の順一は何かに追い込まれているように、ずっとこのプレハブに篭っている。ちゃんと食事は三食とっているし、睡眠もとっているようなので極端に体調を崩したりはしていないようだが、精神的にはずっと落ち着かない状態なのだろうと思う。今も海斗の例の「アンドロイド量産計画」についての説得は続いているし、順一は順一で考えなければならないことがたくさんあるのだった。それは作業台の上の散らかり具合からも察することができる。再三届いている自衛隊本部からの書面。テラとフロウの開発関係の書類。アンドロイド量産計画の草書などなど。紙だけで何キロあるだろうと思うほどの書類が乱雑に広げられている。

 メンテナンス中だったのか、テラは奥の大きな機械の椅子状の場所にすっぽり収まり、目を閉じている。まるでうたた寝しているようだ。

 順一はプレハブにひとつだけ置いてある椅子を理奈に譲ってくれる。自分は作業台に寄りかかるようにして理奈と向き合う。順一が聞く体勢なので、理奈はひとつ大きく息を吸った。

「おじいちゃんに、お願いがあるの」

「理奈からお願いとは珍しいのぅ。何だ」

 すっかり孫のおねだりをきく好々爺という風情の順一。その様子に勇気を得て一気に言ってしまう。

「フロウを生き返らせて欲しいの」

 一瞬、順一が息を呑んだ。努めて穏やかな表情を繕ってはいるものの、その一言で心が揺れたことをその目が語っていた。

「……それは難しいと前に話したはずだ」

「分かってるよ。元のフロウを修復することはできないってことだよね。そうじゃなくて、再構築でいいからもう一度フロウを存在させて欲しいの」

 それが理奈の出した答えだった。

 本当は最初からわかっていた。テラを救える可能性はその道にしか残されていないのだ。

「私ね、テラに言われてずっと考えてたんだ。どうするのが最善なのか。最後に考えたのは、私自身がどうしたいかってこと。自己満足って思われるかもしれないけど……でももうあんなテラは見ていられないから」

 最初から〈対〉というシステムの中で存在していたテラが、これからも機能するためには、とにかくもう一度〈対〉を構築する必要がある。

「テラにはフロウが絶対に必要なんだよ。それに、おじいちゃんにも」

 理奈は順一をまっすぐに見る。そこにはもう取り繕えないほどはっきりと迷いが浮かんでいる。

 理奈の祖母である幸枝をモデルに造られたフロウ。順一にとっては、最愛の人を二度失ったようなものだ。その順一が深い悲しみから立ち直るためにも、やはりフロウの存在は必要だと思った。

 おそらくそれは、「また失うかもしれない」という恐怖との戦いになるだろう。それでも順一には側で支える存在が必要だと思った。この閉鎖区でたった一人で生活することは容易ではない。だがそのことに順一自身が気付いていない。精神的な負担が日々積もっていっても、それを解消する術のないこの場所で、順一はこれからも生きていく。その生活の負担を少しでも和らげる存在となりうるのがフロウなのだ。自衛隊がどうとか、量産がどうとかいう話はひとまず置いておく。

「テラから相談されたとき、思ったんだ。このことへの答えはテラ自身には出せない。そしてきっと、おじいちゃんにも。だから私からお願いすることにした。私がそうして欲しいから」

「理奈は本当に、それでいいんだな?」

 迷いはこのプレハブの外に捨ててきた。それができない二人のために。理奈ははっきりとうなずいた。

「……わかった。やれるだけのことはやってみよう」

「ありがとう、おじいちゃん」

 これでやっとひとつ、大きな肩の荷をおろすことができた。理奈は何日かぶりに心からの笑顔を浮かべた。その笑顔につられたのか、順一もいつもの好々爺然とした穏やかな笑みを見せた。


「それが理奈の出した答えなんだな」

 メンテナンスを終えたテラに、フロウのことを話した。テラは少し考えるような表情で聞いていた。

「うん。勝手におじいちゃんに頼んじゃってごめんね。だめだったかな?」

「いや、何というか……ありがとう」

 テラにこんな風に頭を下げられたのは初めてだった。ちょっと恐縮してしまうのと同時に、これでよかったのだとほっとした。

 もしこれが人間のケースだったら、問題はもっと複雑でシビアなものだったかもしれない。本人の尊厳にも関わるし、周りの人間との関係性も重要になる。結局今回はその辺りのことをあいまいにしたまま答えを出してしまった。アンドロイドである彼らの尊厳という問題はこれからも考えていかなければならない。

 そして、その日が来た。


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