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帰還(2)

「なぁ、博士」

 プレハブの中。いつもフロウと二人でメンテナンスを受けていたそこに、今はテラだけが座っている。作業台を机代わりにして資料に目を通している順一はテラの方を見向きもしない。

「なんで俺だけ助けたんだよ」

 呟くような声で順一を責める。聞こえてはいるのだろう。順一の眉がぴくりと動く。だが応えることはしない。まるで何かを振り切るように資料に意識を埋没させる。

 顔向けなどできなかった。今回のテラたちの派遣を誰よりも悔やんでいるのは順一自身だ。戦地へ派遣される以上、ある程度の損傷は覚悟していたが、ここまでとは思わなかった。しかし今、それをテラに言っても始まらない。

「理奈のためか?」

 テラの口から孫の名を聞いて、順一は諦めたように首を回した。テラの目には、順一を責める色だけでなく、迷いも浮かんで見えた。

「まだ子供だからなのか、女だからなのか、理奈は俺に……いや、俺たちに感情移入しすぎている。だから俺が消滅することを許容できない。こんなに苦しいのに、諦めるなと言う」

 それは順一も感じていたことだった。彼らを送り出すまではそれを無邪気な愛情として微笑ましく見ていたが、今こんな状況になってしまって、少し危惧している。

「あの子がいなかったら、博士は迷わなかったんじゃないか?俺も一緒にスクラップにして、最初からやり直すことを」

 対としての宿命。それを真っ先にテラたちに説明したのは他ならぬ順一だ。共に生き、共に倒れる。そんな複雑でコストのかかるシステムをあえて作ったのも、順一に考えがあってのことだったのだが、結局はこうしてその当事者を苦しめることになってしまった。

「わしは」

 ずっと沈黙していた順一がふいに口を開く。その口ぶりはひどく重い。

「こんなことを今さら言っても信じてもらえんだろうが、お前たちのことはわが子のように思っていた」

 身を切るような告白。それを今まで告げなかったのは、それこそ己が感情移入してしまうからだ。開発者として彼らと距離を置くために。あくまで彼らは自衛隊の要請で生み出されたアンドロイドなのだ。

「お前だけでなくフロウも助けてやれればどんなによかったか。だがそれにはホストコンピュータの損傷が激しすぎた。それを入れ替えてまでフロウを復活させることにどれだけ意味がある?それはもはや以前のフロウではない。まったく別の、新しいアンドロイドだ」

 姿形だけなら、いくらでも再現することはできる。しかし彼女が二年かけて構築した思考や感情までも完璧に再現することなど不可能だ。まったく同じ環境で、まったく同じ経験をさせてやらない限り。

「お前は、耐えられるか?姿は同じでも中身の違うフロウを受け入れられるか?」

 まっすぐに、その対に問う。同じく二年間、独自の思考を構築してきたテラ。もはやその情報は複雑すぎて順一にもすべてを読み解くことはできない。感情を持ったアンドロイドはいまや、開発者の手を完全に離れてその存在を確立しつつあった。

 二人の間の張りつめた空気を、遠くで鳴くヒグラシの声だけが震わせていた。


      *      *      *


 その夜、理奈は夢を見た。

 テラとフロウがアンドロイドではなく、普通の人間として生きている夢だった。皆で一緒に食卓を囲い、ご飯を食べる。テレビを見て談笑し、「おやすみ」のあいさつを交わして眠る。何気ない日常の風景。

 やがて二人の間に子供が生まれ、父と母になった二人は初めての子育てに悪戦苦闘しながらも幸せな家庭を築いた。時は流れ、年老いた二人は天寿を全うしてこの世を去った。

 すべて、アンドロイドの二人には叶わぬ未来だった。

 彼らの人生を見届けた理奈は、「よかったね」と呟いて……目が覚めた。いつの間にか泣いていて、目尻から耳のほうへ涙が流れ落ちる。

「人間だったら、よかったね」

 夜明けはまだ遠い時間。暗い天井に向けて呟いた言葉は、叶わぬとわかっていても願わずにはいられない想い。それはどこへも届くことなく、夜の闇に霧散していった。


 結局その後よく眠れなかった理奈は、朝からぼんやりしていた。もう宿題も終えてしまったし、携帯は圏外だしですることがない。人が生活することを前提としていないので、この閉鎖区内には何もない。かろうじてテレビが映るくらいだ。

 そのテレビで気だるい情報番組を見るともなく見る。そこに映されているのはごくありふれた、しかしこの閉鎖区内には存在しない日常。たった一ヶ月とちょっと離れただけなのに、その生活はとても遠い存在に思えた。

 改めて、日本は平和な国なのだと思う。そしてその平和は、何かを代償にして成り立っているのだとも。そしてそのことに、失ってから気付くのでは遅いのだ。

 ガラッ、と玄関の引き戸が開く。もう聞き慣れたその音。この音の感じは、海斗がやってきたのだ。

 基本的に海斗はここへ来ても理奈とは話さない。理奈もこちらから積極的に話しかけたりはしない。お互い顔を合わせても気まずい思いをするだけなので、それが当たり前になっていた。海斗が訪ねてくるのはもっぱら順一に用があるからで、それでも別に問題なかった。

 あれから順一は自衛隊の研究所には行かず、ほとんどプレハブに篭りきりになっている。たまに理奈と一緒に庭の家庭菜園の世話をしたりもする。しかしその間もずっと冴えない顔をしていて、相当参っていることがうかがえた。フロウのことでは理奈でさえ心を痛めているのだ。開発当事者である順一の心情は推して知るべしというところだ。

 ぼんやりしていたらもうお昼時が近いことに気付き、理奈はキッチンへ移動した。昨日のうちにそろそろ終わりのミニトマトをあらかた収穫したので、今日の副菜はサラダにする。

 メニューを考えながら調理器具を用意し、冷蔵庫を開けようとしてぎょっとした。キッチンの入り口に海斗が立っていたのだ。

「何?」

 こちらを黙って見ているので、幽霊でも見たように気味悪がる声で問う。すると海斗は不本意そうに顔をゆがめながら、言いにくそうに訊いてきた。

「じいちゃんはお前の言うことなら聞くと思うか」

「は?」

 何が言いたいのかわからない。意味が分からないので黙っていると、苦みばしった顔でさらに言う。

「可愛い孫の言うことなら、聞く気になるんじゃないかって話だ。俺はじいちゃんには嫌われてるからな」

「はぁ……」

 なんとも返答しがたい話だ。海斗だって順一の孫なんだから、孫可愛さというなら条件は同じだろう。

「何が言いたいのかわかんないけど、話なら聞いてくれるんじゃない?」

「……じゃあお前に頼むことにする」

「何を?」

「お前に、じいちゃんを説得して欲しい」

「はぁ?」

 さっきから何度「はぁ」と言っているか分からない。海斗の言いぶりはとても歯切れが悪く、要領を得ない。

「はっきり言いなさいよ。何について説得するの?」

「テラ―フロウ型アンドロイドの量産計画に、開発者として参加することだ」

「なんですって?」

 この男は一体どれだけこちらの度肝を抜くような発言をすれば気が済むのだろう。今海斗は確かに「量産」と言った。いまや失われたと言っていいフロウと、今も傷ついたままのテラのような存在を?こんなに心を痛める出来事があったばかりだというのに?

「まさか、そんな計画おじいちゃんに話してないよね?」

 顔につられて声が引きつっている。しかし海斗は憮然として応える。

「そんなのとっくに話してるに決まってるだろ。俺がどれだけ説得してもうんと言わないから困ってるんじゃないか」

「あんた、馬鹿?」

 思わず年上だということも忘れて馬鹿呼ばわりしてしまった。そう言わずにはいられなかった。

 海斗は相手の気持ちを斟酌するとか共感するとかいう心は持ち合わせていないのだろうか。今の順一の心情を思えばそんなことは告げられないはずだし、そんな話は断られて当然だ。

 しかし海斗は冷ややかに理奈を見下しただけだった。

「お前のほうが何も知らねぇ馬鹿じゃねぇか」

 その言の厳しさに理奈は身をすくませた。

「テラとフロウの開発はそもそもこの計画の前段階だ。じいちゃんはそれを承知の上であいつらを開発したんだ。今回の戦地派遣は、自衛隊にとっては一定の成果として評価できるものだった。だがじいちゃんはそれを認めない。それで」

「ちょっと待って。成果って何?」

 海斗は性急に話をまとめようとするので、まったくこちらの理解が付いていかない。それでまだ話している海斗の声に被せるように、浮かんだ疑問を投げかける。成果?そんな言葉は順一からは一言も出なかった。そもそもフロウを損なっているのだから、成果ではなくて被害だろう。

 海斗は途中で話を遮られたことにいらいらした調子で続ける。

「成果は成果だ。ときに命を落としかねない危険な戦闘地域であっても、代えのきくアンドロイドなら任務を遂行できる。そうすれば隊員の命を無駄にせずに済む。そもそもそのために開発されたのだから、これが成果でなくて何だって言うんだ」

「代えがきくアンドロイド……」

 その発言にひどく違和感を覚えた。順一は本当に、そんな思いでテラやフロウを生み出したのだろうか。

――テラやフロウに搭載されたホストコンピュータは、人間でいえば脳と同じだ。

――それを取り替えるということは、他人の脳を移植するようなものだ。

――理奈が接してきたフロウと同じものをもう一度復元しようとするなら、この二年間をまるっとそのままやり直すしかない。そんなことは不可能だ。

 絶対に違うと理奈は思った。

 それからも海斗は開発資金がどうとか、自衛隊での役割がどうとか説いていたが、理奈の頭にはさっぱり入ってこなかった。その代わりに口をついて出たのは。

「ひどい」

「は?」

 もう嫌だった。自衛隊が何だというのか。失ったものへの悲しみをも否定されなければならないほど偉い存在だというのか。

「おじいちゃんは今、苦しんでるんだよ。フロウを助けられなくて。私だって……。そんな思いをこれからもしろって言うの?かわいそうなテラやフロウみたいな存在を造り続けて、失い続けて、それでおじいちゃんが平気だとでも言うの?」

「じゃあお前は、フロウの代わりに誰か隊員が死んだほうが良かったっていうのかよ?それがお前の大事な奴だったとして、同じことが言えるのかよ」

 胸が痛い。それを言われてしまえば反論などしようがない。だからと言って、海斗の言に賛同することなどとてもできない。理奈にはどちらも選べない選択肢だった。

 目頭からあっという間に涙が流れた。最近精神が弱っているのか、感情の制御がうまく利かない。まだ海斗に言いたいことはあったが、とても言葉にはならなかった。

 海斗は頭をぐしゃぐしゃ掻き、言い捨てた。

「もういい。お前に頼んだ俺が馬鹿だった」

 そのまま玄関から出て行く海斗を見送ることなく、理奈はその場に泣き崩れた。突きつけられた現実が重過ぎて、理奈の心を粉々に砕いていくようだった。

 一度沈んでしまった気分は午後になっても回復することなく、理奈はぐるぐると考えていた。

 海斗が冷たく感じるのは、彼が身を置いているのが厳しい環境だからなのだろう。実際に自衛官として働き、過酷な訓練を日々受けている身からすれば、まだ高校生で大人に庇護されている立場の理奈など幼稚に見えるだろう。海斗と理奈では見ている世界が違うのだ。シビアな現実を知っている者は厳しくならざるを得ない。でなければ自分の命も、ときには仲間の命をも落としかねないから。頭では分かっているつもりでも、顔を突き合わせればどうしても感情的になってしまう。ぶつかった意見は平行線のまま、どちらかが折れるということもない。

「理奈」

「ぅおわ、はい」

 深く考えに耽っていたので、急に名前を呼ばれて声がひっくり返った。声のしたほう、居間の入り口を見ると、そこにはテラがいた。その光景にデジャヴを感じて理奈は身を硬くする。またテラのフロウをさがす、あの発作のようなものが起きるのだろうか。

 だがテラは理奈の名を呼んだ。そしてその隣に神妙な顔つきで座る。

「どうしたの?」

「理奈に相談したいことがあるんだ」

「私に、相談?」

 理奈の頭の上にはたくさんのはてなマークが飛び交った。アンドロイドで高性能なコンピュータの脳を持つテラが、ただのしがない高校生でしかない理奈に、相談?

 どういうことだろうと聞く体勢で待っていると、テラが言ったのは意外なことだった。

「フロウのことについて。俺にはどうしたらいいかわからないから」

「フロウ??」

「俺の新たな〈対〉として、フロウを再構築する。その是非を博士から託された」

 言われたことがよくわからなかったが、つまり。

「もう一度、フロウに、会える?」

「一応、そういうことになる。元のフロウとは別の存在だけど」

 それはもはや今まで接してきたフロウとは違う。それでも〈対〉を必要とするテラのために、もう一度フロウを造り直す。テラが順一から打診されたのはそういう話だった。

「なぁ、俺はどうするべきだと思う?どういう答えを出せばいい?」

 真剣な問い。テラは理奈に助けを求めているのだと思った。〈対〉に関することだから、思考が迷宮入りしてしまっているようだ。テラにとっての〈対〉に関する情報はすべて順一によってもたらされたものだ。そのシステムを構築したのは順一で、外部の情報から答えを導くことはできない。誰も予想していなかった今のようなパターンに対する明確な答えなどどこにも存在しない。

 大きな迷いの中で身動きがとれずにいるテラとは反対に、理奈は小さな光を見出した気がした。それが希望の光なのかどうかはまだ分からない。だが何かの糸口にはなると予感した。

 理奈の夏休みはこのとき、残り十日を切っていた。

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