旅立ち(3)
キャンプに着くと、目の前の光景にテラはおろか、他の隊員もその場から動けなくなった。それほどに、状況は悲惨だった。
兵士が駐屯するためのテントはそのほとんどが倒れ、幌布は黒い煙を上げて燃えている。ただでさえ暑いその場の気温を熱風がさらに上げている。テラは奥にある救護用のテントを見やる。こちらも火こそ出てはいないが、支柱が折れているのかぺしゃりと潰れてしまっている。中にいた傷病者や救護隊員は、フロウはどうなったのだろう。
先に隊員たちが動き出した。状況は絶望的だが、無事な者もいるかもしれない。隊員たちは声をかけながら手分けをしてテントの中を確認していく。
ようやく動けるようになったテラは、のろのろと一番大きな救護用のテントへまっすぐ向かった。脳のコンピュータはあまりにも多くの情報を一気に処理しようとしたせいか、容量不足で正常に作動してくれない。視界から入ってくる映像さえもピントが合わないのかモザイクがかかったようにぼやけている。それでもフロウを訪ねて何度か足を運んだテントにはたどり着くことができた。今や高さが半分ほどになってしまっているそのテントの前に立つ。熱と煙を感知したのか、コンピュータが警鐘を鳴らし始める。
「フロウ……」
頭の中でうるさく響く警鐘を無視してテントの幌布を上げる。そこに広がっていたのは。
傷病者の多くは、煙に巻かれたのか横たわったまま息絶えていた。爆風でも起きたのか、その多くがテントの隅のほうに押しやられたように折り重なっている。白い包帯で巻かれた身体は煤で真っ黒になっていた。
そして。テラが一番見たくなかったものが、目の前に転がっていた。
どこかから火の粉をかぶったのか、それともショートしたのか。合成樹脂でできたフロウの肌は焼け爛れ、中の金属の機械が露になっている。助けようとしたのだろうか。一人の傷病者が下敷きになって倒れていた。
「フロウ?」
その代わり果てた姿の前に跪き、呼びならした名前を口にする。傍目にももう動くことはないだろうとわかるその身体に向けて。
「フロウ」
頭の中で鳴り続ける警鐘とアナウンス。こんなものを聞いていたら心が壊れてしまいそうだ。
『フロウ制御異常。コンピュータにアクセス不能。ホストに重大な損傷あり。フロウ制御異常……』
こんなとき、生身の人間なら涙を流すのだろうか。それもできないテラは。
「うわあぁぁぁぁぁっ!」
頭を埋め尽くす警鐘とは別に、ガラガラと何かが崩れる音を聞いた気がした。
* * *
「おいしい……」
味見のための小皿から顔を上げると、ついそんな独り言が漏れた。今日のメインのおかずは肉じゃがだ。順一から受け取った幸枝のレシピ帳の中に書かれていたのをそのまま再現したのだ。これまでも肉じゃがは作ったが、こんなにおいしくできたことはなかった。レシピというのが料理にどれほど重要かということを身にしみて感じた。
理奈自身は、生前の祖母、幸枝の手料理を食べたことなどほとんどない。家族でこちらへ来たときは幸枝の負担になってもいけないので外食で済ませることが多かったからなおさらだ。それでも、このレシピで再現された料理には懐かしさが溢れていた。それはフロウが作った料理にも言えることだった。
「フロウたち元気かな。あ、アンドロイドだから元気も何もないか」
キッチンの上のほうに開けられた明り取りの窓から空を眺める。いくら遠く離れていても、この空とつながった異国にいる彼らを思う。
肉じゃがは、あとは少し冷ましながら味をしみさせておくことにして、もう一品に取りかかる。インゲンの胡麻和えだ。庭ではインゲンは育てていないのだが、先日しおりが運んできてくれた食材の中に混じっていたのだ。せっかくなので冷凍にまわす前に食べきってしまおうと、味噌汁に入れたり茹でて副菜として沿えたりとちょこちょこ消費している。ちなみに肉じゃがにも絹さやの代わりに色どりに加えている。胡麻和えなど理奈の発想にはなかったが、レシピ帳にはちゃんと載っていた。
そろそろ順一が帰宅する頃だろうか、と時計を見たそのとき。
ガラガラッ、と玄関の戸が乱暴に開けられる音がした。
「……おじいちゃん?」
普段穏やかな順一には珍しい荒っぽさだと思い、どうしたのかと玄関に様子を見に行った。ところが、そこにいたのは。
「あ……」
「じいちゃんは」
靴に手をかけてたたきへ上がろうとしていたのは、順一ではなく海斗だった。なぜかひどく慌てている様子だ。
「まだ帰ってきてないけど」
「クソ、行き違いか。まぁいいや」
海斗はまるで独り言のように呟き、理奈のことなどまるでいないもののように構わず上がりこむ。
「ちょっと。おじいちゃんに何か用?」
その態度に承服しかねた理奈は海斗の背中に言葉を投げる。しかし海斗は黙ったまま、居間のちゃぶ台の前に座り込んでしまった。こちらを無視して横柄さを崩さない海斗にいらっとし、理奈はどかどかとキッチンに戻る。
理奈はやはりこの従兄が苦手だった。二人とも順一の孫ではあるが、その立場は明らかに異なる。
順一の今の状況をまったく知らず、東京で暮らしていた理奈。この閉鎖区で暮らし、既に自衛官として働いている海斗。将来を決めかね、いまだにぐずぐずしている理奈。確固たる意思で己の任務を全うしている海斗。閉鎖区で研究をしながら暮らしている順一と近しいといえるのはどちらか。
明らかに異質なのは理奈のほうなのだった。
「はぁ」
声に出して大きなため息をつく。結局、理奈は海斗に嫉妬しているのだ。この場にいることが当たり前に許される海斗に。理奈にははじめから、海斗がここへ来るのを拒否する資格などない。
気分はふさぎこんだまま、理奈は海斗に出すお茶を入れた。決して親切心からではない。せめて今は海斗のほうが来訪者なのだと自分に言い聞かせるための行為だった。
耐熱ポットとグラスを持って居間へ入る。海斗はちゃぶ台に向き合ったまま、いらだたしげに机を指で叩いている。いらつきたいのはこっちのほうだと思ったが口には出さず、お茶を注いだグラスを前に置く。腹を立てたら喉が渇いたので、自分の分も注ぐ。
「おじいちゃんに話があったの?」
沈黙が気詰まりなので水を向けてみるが、うんともすんとも返ってこない。そう出るならば、こちらにも考えがある。
「なんで自衛隊になんか入ったの?お父さんも自衛官だったんでしょ」
「……なんでそんなこと知ってんだよ」
話題の方向を百八十度変え、身の上の話に触れる。意外なことを言われると人は反射的に返してしまうものだ。理奈は初めて海斗に勝った気分になった。
「フロウから聞いたの。ここを発つ前に」
「あいつ、余計なことを」
海斗は髪をくしゃくしゃと掻いた。そしてグラスに目を落とし、ぽつりと言った。
「知りたかったんだよ」
「へ?」
その目はしかしグラスなどではなく、遠いどこかを見つめているようだった。
「確かに、俺の親父は自衛官だった。他の基地との合同訓練中に事故で死んだ。そのとき俺はまだ小学生だった。ずっと泣いてるおふくろの隣で、俺は何の実感も持てなかった。生きてた頃だって、親父と一緒に住んでたわけじゃなかったし。家に帰るのなんて本当にたまにだけだったし。ずっと親父は適当な奴なんだと思ってた。本当はただ任務で帰れなかっただけなのに」
そこには微かに後悔が漂っていた。誤解したまま彼の父は逝ってしまった。
「そのときの事故の原因、まだ分かってねぇんだ。訓練は班でしてたのに、親父だけが死んだ」
「怖くないの?」
普通その状況で自分も自衛官になろうとは思わないのではないか。だが海斗は。
「俺はただ知りたいだけだ。なんで死んじまったのか。最後に一体何を見てたのか……家族って実感は薄かったとはいえ、血のつながった父親のことだ」
だからあえてその世界へ飛び込んだ。同じ目線で何が見えるかを確かめるために。
理奈にはわかるようなわからないような話だった。自分の家族のことだから、知りたいというのは当然の気持ちかもしれない。ただ理奈は今までそこまで切迫して何かを知りたいと思ったことがない。もし自分の家族に何かあったら、そのときは海斗と同じように思うのだろうか。
ガラガラ、と再び玄関の戸が開く音がした。今度こそ本当に順一だ。
「海斗、なぜここにおる」
その姿はやはり順一にも意外に映ったようで、さも不思議そうに海斗を見る。すると海斗は順一と向き合い、難しい顔で口を開いた。
「Y国の部隊から連絡があった。キャンプが襲撃されて、負傷者が多数出てるらしい」
「なんじゃと」
いきなりのことで話についていけない理奈をよそに、順一は険しい顔で海斗に詰め寄る。
「その『負傷者』の中に、テラとフロウも含まれるというのか」
テラとフロウ。その名前が出たときにようやく話の内容が飲み込めてきた。テラたちが派遣された部隊で負傷者が出ているということだ。
「そこまではまだ分からない。だがキャンプは一時撤退を余儀なくされたようだ。自衛隊も全面撤退。船はもう現地を出たそうだ」
「被害は相当大きいということか」
どうやら事態はかなり深刻なようだ。順一がさらに訊く。
「信号の受信状況は?テラとフロウの動向はモニタリングしとるはずだろう」
「信号は、受信できてない。だがその原因もまだ不明だ。あいつら自身の電源が落ちているのか、それとも何らかの原因で信号が遮断されてるのか」
歯切れの悪い海斗の応えに順一は唸る。開発者として、あらゆる可能性を考えているのだろう。
「とにかく、あいつらが帰ったら真っ先にここへ送るようにするから。多分週末までには着くはずだ。メンテナンスはここの方がいいんだろ?」
「当たり前だ」
「わかった。また何か分かれば連絡する」
そこまで言うと、海斗はそそくさと帰っていった。まるでいたたまれないというように。順一と理奈は不穏に重い空気の中に取り残された。
「おじいちゃん、今の話って……?」
沈黙を破ろうと、理奈が口を開いたことで、順一は深い思考の淵から戻ってきた。険しい表情を引っ込め、いつものやわらかい笑みに戻る。
「心配いらんよ理奈。ただテラとフロウがちょっと早く帰ってくるというだけじゃ」
「でも」
「さ、腹が減った。夕飯にしよう。今日も作ってくれたんじゃろ?メニューは何かな」
「えっと、肉じゃが」
「ほう、それは楽しみだ。さ、行こう」
順一は先立ってダイニングへと歩いていってしまう。それを止めるわけにもいかず、理奈も後に続く。
今の振る舞いが空元気だとわかってしまう分、理奈は苦しかった。テラとフロウに、一体何があったというのだろう。再会できるのは嬉しいが、海斗のもたらした情報からは不安しか生まれない。
夏の盛りに少しずつ翳りが出始めていた。理奈の夏休みが終わるまで、あと二週間を切っていた。




