旅立ち(2)
祖父の順一と二人暮らしとなって、理奈は最近、料理を始めた。ずっとフロウに任せっきりだったので、最初は大変だった。しばらくは保存食にとっておいてあったインスタント食品でしのいだが、そうすると庭で育てている野菜を消費できない。夏真っ盛りの今、ナスやピーマンは今だとばかりに実をつけている。食べずに腐らせてしまうのはもったいないので、そのうち順一が料理をするようになった。しかしなにせ研究漬けだったものだから、順一も料理がうまいとは言えなかった。凝ったものを作ろうとして失敗している感じがある。これではもたないと思い、理奈の出番となった。
とはいえ理奈もここに来るまで料理などまったくしていなかった。そこで最初に試みたのは、インターネットを使ってレシピを検索することだ。結局ずっと電源を落としっぱなしにしていた携帯を、このときばかりは使わざるを得なかった。順一の家にはインターネットにつなげるようなパソコンはなかったのだ。背に腹は代えられない。
あまりにも時間が経ってしまったので、再起動はかなり勇気のいることだった。意を決してボタンを押す。
携帯はあっけなく立ち上がった。肝心の不在着信なども入っていない。あまりにも平然とした画面にちょっと拍子抜けした。
しかし、とても重大な問題が発生した。いくらやってみても検索のアプリが開けないのだ。よくよく見ると、通信状態は「圏外」になっていた。後で順一に確認してわかったことだが、この閉鎖区内では外部に情報を漏らさないため、基本的に外との通信はできないようになっているそうだ。自衛隊が演習に使用している以上、この中のことは基地と同様、国家機密という扱いになっている。順一が理奈の父である康介に連絡したのは衛星電話という特殊なもので、それ以外で外部と連絡を取ることはおろか、インターネットを使った検索もできないのだという。パソコンがないのも道理というものだ。
仕方がないので、理奈は調理実習で作った料理を記憶を頼りに再現することにした。和食でなんとかレシピを思い出すことができたのは肉じゃがや鯖の味噌煮くらいだったので、夏野菜は味噌汁の具にするくらいしか使えなかった。
そんなつたない料理でも、順一は喜んで食べてくれた。
「まさか孫の手料理を食べられる日が来るとはなぁ」
そう言って顔をほころばせる順一があまりにも嬉しそうなので、理奈も張り切って料理を続けた。
そんなある日、理奈は順一にあのプレハブへと呼ばれた。テラとフロウが旅立ってからも、順一はここに籠って何かをしていることが多かった。理奈には立ち入れないことなので、そういうときは一人で夏休みの宿題を片付けながら過ごした。おかげで問題集も少しずつ進みつつある。
プレハブに足を踏み入れるのは、皆が留守のときにこっそり忍び込んで以来だった。ちょっと気まずい気分で順一の後に続く。中を見るとあのときよりも若干散らかった印象を受けた。
順一はたくさんの書類が納められているスチールラックから、一冊のファイルを取り出した。そこに納められているのは明らかにテラとフロウの研究資料だったので、理奈は難しい話が始まるのかと身構えた。
父の康介にしても、母の光にしても、家族はどちらかというと理系の人間だった。それなのに理奈はそういった素質をまったく受け継いでいない。そんな理奈が機械工学の難しい話など到底理解できるはずがない。
しかし順一はお構いなしに、理奈の目の前でそのファイルを開いてみせる。その内容は想像していたものとはまったく違った。
「これ、何?……レシピ?」
そこにファイルされたのは、ノートを一ページずつコピーしたものだった。それもだいぶ年代物らしく、紙がやけた色まで写りこんでいて、肝心の書かれた内容はかなり頑張って目をこらさないと読めなかった。ペンで書かれたと思しき文字も退色してしまっているのだ。そして、よくよく読んでみると、それは和食の定番料理について書かれたレシピ帳なのだった。分量から手順まで、生真面目そうな文字で細かく丁寧に書かれている。そのレシピ帳のファイルを見せながら、順一は懐かしむように言う。
「これは、理奈のおばあちゃんである幸枝が残したものだ。わしは料理などできんかったんでな。最初は自分で作る用に書いていたようだが、病を得てからはわしに残そうとしてくれてたようだ。自分が先に逝っても困らんように」
見れば、そのレシピ帳には何度も書き直した跡や、追加で説明を加えたような箇所がいくつもあった。それは自分で使う覚書としては充分でも、後で誰かが見てわかるようにするには説明が足りないと感じたところを付け加えたという感じだ。祖母の幸枝はよほど順一が心配だったのだろう。
「でも、何でこんなところに?」
「そのレシピのデータはすべてフロウに移植してある。そのプログラミング用にノートをコピーしたんじゃ」
ここに初めて入ったときに見た、若い頃の幸枝の写真。やはりフロウは幸枝をモデルに造られたのだ。見た目だけでなく、中身ごと。
「じゃあこのノートを見れば、フロウと……おばあちゃんと同じ味が作れるんだね」
そこに書かれていたのはほとんどが定番料理だったが、漬物や揚げ浸しなど、夏野菜を使ったメニューもたくさん書かれていたので、理奈にはありがたかった。
「あいつはわしの好みを熟知してたからな。フロウがいなくなってみて、改めて気づいたよ」
なんだか時を越えた惚気を聞いたような気もするが、そこはさらりと流しておいた。とにかくこれでさらに料理の幅が広がるので理奈は嬉しかった。
* * *
『総員一旦退避せよ!防衛線まで戻れ!』
指令室長の無線連絡の直後、二度目の爆発音が響いた。後方から見守っているテラの目にも砂埃があがったのが見える。ここからそう距離はない。前線にかなり食い込んだ場所であることは明らかだ。
今回はどれだけの被害が出たのだろう。犠牲者の数は?もう既にそれらの現状を把握するのは難しい。隊列は数刻前からじりじりと後退を余儀なくされている。
今日の戦闘はこちらへ来てから一番といえる激しさだった。その引き金となる出来事があったのは昨夜のことだ。政府軍側はずっと探りを入れていた反政府組織側の武器入手ルートをついに見つけ出し、その武器庫を昨夜のうちに襲撃したのだ。ところがそこに詰めていたのは一般市民の子供たちだった。武器庫から組織に横流しをしていた輩は、巷から兵士に憧れを抱いている少年たちを集め、ここを守りきったら少年兵にしてやると焚きつけたのだ。そんなこととは知らないまま子供を失った親たちは悲しみ、怒った。そうした一般市民が反政府側へ寝返り、今もこの砂埃立つ市街地で戦っているのだ。
一体、何を恨めばいいのか。悪意はどこからやってきたのか。戦っている当人たちにはもうそれがわからない。
テラは歯がゆい思いでそのさまを見守ることしかできなかった。後方支援とは名ばかりで、実際には何もできていない。指令室長も今回テラが起用された理由は知っているので、はじめはもっと前線へ送り込む予定だったのだが、あまりにも戦闘が激化してしまったので見送らざるを得なくなったのだ。しかしこのままでは埒が明かない。テラは自ら志願することにした。自分を前線へ送ってくれ、と。
テラのいる場所からさらに後方に、自衛隊の部隊を率いている隊長が詰めている軍用車がある。そこで指令室長と連絡を取ったり、情報を集積したりしている。その車両のドアを開け、テラが乗り込んだ。
だがこのとき、事態は思わぬ方向に転がっていた。
「隊長」
「わ!テラじゃないか。今お前を呼びに行くところだった」
直談判をしようと声をかけたのに、出鼻をくじかれてしまった。
「俺に用があったんですか」
「あぁ。テラ、落ち着いて聞いてくれ……」
「?」
落ち着けと口にする隊長のほうがよほど余裕がないように見える。普段の冷静さを知っている分、その動揺した様子に嫌な予感がよぎる。
「我々の駐在キャンプが襲撃された。被害はまだわかっていない」
「……え?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。襲撃という言葉を聞いた気がするが、それは一体どこの誰が襲われたことを指すのか。被害がわからないということは、つい今しがたのことなのだろうか。
事態をうまく飲み込めていないテラを急かすように隊長は続ける。
「テラ。悪いが一旦キャンプに戻って現状を把握してくれ。小隊を一隊つける。とにかく情報が欲しい」
キャンプという言葉を聞いて、ようやく事の重大さに気づいた。今キャンプにいるのは。
「フロウ」
救護班としてテントで働くフロウの姿が目に浮かんだ。無意識に口からこぼれたその名は低く響いた。
「第一報が入ったのはつい先ほどだ。その後こちらから通信を試みているが通じない。ひょっとしたらかなりひどい状態かもしれん」
「なぜそんなことに……」
「わからん。反政府組織の暴走か、あるいは、後方支援に入っている多国籍軍の誤爆かもしれん。状況がわからんと何とも言えん」
頭の奥がびりびりとしびれるような感覚。あらゆる可能性がぐるぐると駆け巡る。無駄に情報をあげつらう自分の脳であるコンピュータを断ち切りたい気分だった。
「私が今ここから離れることはできない。だができるだけ早く折り合いをつける。辛い任務になるかもしれんが、行ってくれるか?」
「わかりました」
とにかくフロウのことが気になった。テラは数名の隊員を連れて小さなワゴン型の車両に乗り込んだ。




