私の答え
今回はこのエッセイを見に来ていただき、ありがとうございます。
私の作品を見てくれている方は、
もうすでに承知の上かもしれないが、
私は、私自身の思いを誰かに伝えることに関しては相当頑固だ。
私は、私が信じるものに関しては、自分の心を、
例え、相手との争いを避けるために枉げることになったとしても、
自分の方が相手より劣っているだとか、相手の方が賢いなどという、
そんな馬鹿らしいことで、
へし折れる気など、一切、さらさらない。
ようするに、もの凄く自分勝手なのである。
でも実は、自分がこれだと納得したいと思うもの以外には、
中途半端だし、すぐ折れる。心底どうでもいいとさえ思っている。
そこに正しさや社会が、他人がどうこうだなどということは、全くの皆無だ。
どうぞどうぞ、あなたのやりたいと思うようにやっていただいて結構です。
私は、私が書くエッセイを読んでくれている人がいる。
それだけでいいのだ。
だから、今、あなたがこのエッセイを読んでくれただけで、
こちらとしては噛みしめるほど、最高に、幸せなのである。
なので、あなたの好きなように読んでほしい。
肌に合わないのなら無理して読む必要などないと私は思っている。
そして、何より、私は誰でも信じているわけではない。
私が信じているのは、
いつだって私にとって大切な人達が笑顔になれる、
幸せな未来を、幸福な自分を思い描く、
自分自身なのだ。
…と、何ゆえ、理解不能な自己紹介をし出したんだこいつは…?と驚かれた方もいるかもしれない。
実は、これから語る物語は、
おそらく誰のためにもなることはないであろう物語であるということを言っておかねばならない。
そして、今回、このエッセイを書いたのは、
単刀直入に言うと、
自分勝手な私が、凄くデリケートな問題に関して突っ込みたいという自分勝手な理由からなのである。
なので、もし、この物語を読んで、
・読者の方々の心が抉れた
・もしくは真っ二つに折れた
としても私は一切責任をとらないし、とれない。
読者の方々を意識して書いたつもりはないので…。(という言い訳)
以上を踏まえた上で読んでいただけると、
私としては感謝しきれないほど猛烈にありがたい。
では、それらを踏まえた上で、
よろしいですか?
…では、自分勝手に書き記していくとしよう。
私は誰かの口から、
正義と言う言葉が出てきたのを聴いて、
ふとこう思ったのだ。
もしかしたら、私にとって、
万人にとっての平和や、人類にとっての正義などは、
私にとって信じるに値しないものなのではないか。と、
そう思った。
だって、そうだろう。
万人にとっての平和なんて言葉は、
多数派の意見に耳を傾ければ、
必ず少数派の意見はゴミ屑の如く扱われる。
大多数が幸せになれるのなら、個人の意志など、塵も同然だ。
人類にとっての正義という言葉なんぞ、
人類なんて恐ろしい言葉を頭につけて、
個人が信じる正義を踏みにじり、
すぐに誰かを愛するものから暴力へと変えようとしてしまう。
そして、偉そうなことを言う私自身、
全ての人の話に耳を傾け、
全ての人の願いを叶えようとするには、
あまりに小さく、あまりに弱い。雑魚と言っても過言ではない。
私にとって、
万人にとっての平和や、人類にとっての正義は、
平和と呼ぶにはあまりに多数派にとって都合が良すぎる。
正義と呼ぶにはあまりに犠牲となるものが多すぎる。
だから、万人にとっての平和や人類にとっての正義などは、
私にとって信じるに値しないものなのだろうと思うに至ったのである。
ただし、私がもし、この世に、本当に、
万人にとっての平和が、人類にとっての正義があるのだと、
信じられるようになったとすれば、
それはどのようなものなのだろう。
今度はこの問いが、私を苦しめた。
自分自身に確固たる平和や正義と言えるものがなくして、
誰かの言葉を安易に否定するのは、
私の中ではあってはならないことであると、
そう教えてくれる人が身近にいたから。
だから、ここに、自分勝手な私が、
一生懸命考えた、自分なりの答えを書こうと思う。
万人にとっての平和、人類にとっての正義、
それは、
あなたが握りしめる剣が、刃物が、
誰かのペンを切り裂き、意見を言わせないように喉元を切り裂くものではなく、
温かい料理を作るために使われていることだと思う。
それは、
銃を握りしめたあなたの人差し指が、
あなたと向かい合った相手の人差し指が、
引き金を引いた瞬間、
銃口から出てくるのがお互いを殺す弾丸ではなく、
その後に目に飛び込んでくる光景が、
誰かが血飛沫をあげて倒れ伏すその姿ではなく、
相手の意志を少しでも尊重しようと、
誰かを愛する大輪の花束を銃口から咲かせ、
あなたも、相手も、
生きて、抱き合って、
笑っていることだと思う。
それは、
戦車の主砲から出てくる砲弾が、大勢を殺すものではなく、
戦車で歩兵を轢き殺すのではなく、
戦車の主砲が洗濯物を干すための物干し竿と化し、
戦車の砲弾はマシュマロかおもち。
戦車は歩兵を轢き殺すことはなく、
人が歩くことの出来ない道を、人が歩くことの出来る道を生み出すために、
踏み固めるために、走り続けること。
それは、
核弾頭がお互いを殺し合うために発射されるのではなく、
牽制し合うための道具としてではなく、
その弾頭に核など詰めることなく、
目いっぱいのお菓子を詰め込んで、
空にそのお菓子をこぼしていくことだと思う。
陸地に落ちれば、
人間か、はたまた鳥か、
それとも違う動物たちの餌に、
そして、海に落ちた瞬間に、
魚たちの餌に変わるのだ。
私にとっての平和は、
誰かの居場所を奪い取って生まれるものではなく、
今、そこにいる誰かを想って、自分の居場所を、大切な誰かの居場所を、どんな荒野からでも自ら創り出していくものでなければならないのだと思う。
私にとっての正義は、
誰かを犠牲にするものではなく、
誰かに、きちんとあなたが犠牲になることはないと、示してあげることの出来るものでなければならないと思う。
私を信じさせてくれる、
万人にとっての平和は、
人類にとっての正義は、
多分、中途半端な私とともに、
幻のまま、私が生きている間に叶えられることは無いだろう。
だが、私達の可能性は、常に私達の本気を待っているのだと、
今日もどこからか、
私の耳に、前を向いて全力で歩く人々の足音が響き渡る。
私の思う平和や正義が叶えられることなど叶いそうにないこの世で、
でも、この音を信じて生きていたいと、
私は今日も大切な誰かと自分にとっての幸せを探し続ける。
このエッセイを、最後まで読んで頂き、誠にありがとうございます。
ここまで読んでくれた素敵なあなたに、一つだけ、お尋ねしたいことがあるのです。
『あなたにとって平和とは、正義とは、何ですか?』