第六話 白の少女と黒鉄の再会
光がある。
優しく、
温かい、
そんな優しさがある暖かい光、
そう、
陽の光だ。
そんな光の中を走る黒が、
黒鉄が一つあった。
その黒鉄の背中から火が噴いて、
僅かな間だけ宙を浮かび、
すぐに地を踏みしめてると、
黒鉄は走り出す。
『あ~……、ブースターはそんなには吹かせはしないのは格闘型の特徴だけど、出来れば一秒、』
いや、
『二秒弱は欲しいかな?』
でも、そんなに長くは吹かせないよなぁ、と、
黒鉄は、
レイジは言外で呟く。
今のレイジの手には得物は何もない。
何もない以上は、
何かがあれば対処することが出来ないと思われるであろうが、
残念ながら、
レイジにとっては何もない方を得手としていた。
とは言っても、
あくまでもそれは、
……人間とかの野郎相手にしか使えないんだよなぁ。
というモノであった。
そう、
レイジの得手、
柔道の基本となるのは、
あくまでも対人、
人に対する時の対処手段でしかないのだ。
それを、
化け物に使おうと言っても、
……化け物相手には無理な話で、そうは問屋が卸さないんだよなぁ~。
上手くいくわけもないのが当然の話であった。
昔、
ふと疑問に思ったレイジが技の師である彼女に訊いて、
その事に笑って答えたのを思い出す。
それは、
「師匠。ちょいと訊きたいんですけど、いいですか?」
「うん?どうした、松田?」
レイジの疑問の声にそう振り返ると、
何を疑問に思ったのかを察した様に、
彼女は笑ってみせ、
こう言ったのだ。
「ああ、言っとくが中間テストの範囲は教えんぞ? 私とて教師なんだからな。分かってはいるだろうが、お前がいくら私のことを『師匠』、『師匠』と呼んでみたところで教えはせん。テスト範囲を教えるのであれば、せめて私から一本を取るくらいの腕が無くてはな」
そう言うと、
ま、無理だろうがな、ワッハッハッ!!
と豪快に笑ってみせたのを覚えている。
あの時は、
……いや、貴女、女性だし、そうやって笑うの男だけなんじゃ……、
と思っていたモノだったが、
内心での思いを口にする事はなく、
それには何も言うこともなく、
こう訊いたのだ。
「俺が入部してすぐの頃でしたっけ? 師匠が『悪いことは言わんから技をかけるなら人にだけにしておけ。くれぐれも人を助けようなどと考えて車や電車の進路上に出て技をかけようとするな。いいか、松田?』って言ってたじゃないですか。……なんであんなこと言ってたんですか?」
「うん? いや、技を教えられたら一回はやりたくなるのが人間というモノだろ? となるとお前も一回はバカをやるのではないかと思ってな。そしたら、先に言っておこうかと思ってしまったんだ」
実際には、
そう言った直後に、
他にいた部員数名が逃げる様に辞めていったのだが、
彼女はその事に関しては特に気に掛けていない様だったので、
レイジは、
あえてその話題には触れずに、
避ける様にしてそう言った彼女の言葉に少し突っ込んでみることにした。
「まぁ、そりゃバカの一つや二つをするってのが人間ってもんなんでしょうけど、いくら何でも車とか電車とかに技かけてまで止めようとかは考えはしないでしょう」
何言ってるんですか、という様に、
そう言ったレイジの言葉には、
彼女は何も言わなくなった。
その事に疑問を持ったレイジは、
彼女の何かに衝撃を受けたという顔を見て、
何となくではあるが、
全てを悟った。
いや、
悟ってしまったと、
そう言うべきか。
何故なら、
「……まさか、車か電車に技かけたんですか」
「……、……一回な」
一回、
そう言った彼女の言葉に、
……いや、一回って技かけたんですか、貴女。
とレイジは思いないながらも、
……なんで、生きてるんだよ、あんた!!!!
とツッコミを入れたくなる気持ちをグッと堪え、
言葉を促す様に黙って彼女の顔を見た。
その動作に促されてるのだと思ったのだろう、
彼女は恥ずかし気に話し始めた。
「いやな? 車が走ってる通りに出てた女子生徒がいてな? 轢かれそうになっていたから、その女子生徒と車の間に割って入ったんだが、どうしたものか分からなくてな? 咄嗟のことだったのでつい『巴投げ』の要領で投げてしまったんだ」
はは、恥ずかしいな、と、
そう笑いながら話す彼女に、
何故巴投げなのかというよりも早くに、
……だから、何で生きてるんだよ、あんた!!!
とレイジは心の中で、
大きな声でツッコミを入れていた。
因みに、
『巴投げ』とは、
その名の通り柔道投げ技の一つであり、
区分的には捨て身技とされている技のことだ。
それがどんな技かと言えば、
相手を前に崩した状態で、
真後ろに己の身を捨てながら、
片足を相手の胴もしくは腿の付け根に当てながら、
押し上げる様にして相手を投げるという技である。
これをしたとある柔道家曰くは、
『前隅に崩す事で、相手は片足に体重が乗った状態になるため、この崩しが完璧なら、スピードが無くても簡単に投げる事が出来る』らしい。
この技の恐ろしい所は、
応用の種類が多く対処が取りずらいことにある。
基本の型で四種類、
相手との差し手が同じ場合の相四つ、
ケンカ四つのパターンなどを合わせると、
計八つのパターンが存在することにある。
一つの技で八つの型がある技もそうあるわけでもなく、
『背負い投げ』や『一歩背負い』などと言った一つの技から派生して出来たものではない。
一つの技で八つの型があるのだ。
それが『巴投げ』の恐ろしい所であると、
レイジがそれを知るのはこの話をした後の話である。
閑話休題。
と笑っていた彼女は顔を引き締めると、
こう言った。
「だが、いくら『巴投げ』で投げることが出来たとはいえ、完全に投げられたわけではない。形としては不完全のモノで投げたはずの車が片輪で走行していたのには驚きを隠せなかったし、後で気付いたんだが私も腕一本食われてしまってな。……あの時は無傷とはいかんか、と悔しく思ったモノだが後で思ったよ。流石に人ではなくモノに技をかけるとはいかなかった、とな」
だから、
「松田。くれぐれも技をかけるなら車や電車には技をかけるな。技をかけるなら、人にしろ。そうでないと腕一つでは済まんぞ。下手をすれば、命一つ食われる。これは実際にやった私が言うのだから間違いはない」
彼女からそう言われたレイジだったが、
……いや、師匠。流石に技かけて生きてるって、それ人としておかしいんじゃないですかねぇ……。
と思ったモノだった。
まぁ、そう思っていたからこそ、
車に技をかけてまで生きるなら轢かれる方がマシと、
死ぬまでの間そんなことはしなかったのだが、
……でも、実際に死んでから師匠とのやり取りを思い出すとは、ね。俺も年を取ったかねぇ~……。
ま、師匠には破門されたから良かったのかな、と、
言外で呟きながら、
……いや、そんなこともないのか?
と思ってしまうレイジだったが、
せめて、車を投げれるくらいには……、
いや、
……それはそれで人間を止めてる気がするんだよな……。
そうなると、轢かれて亡くなる自分は、
人間らしいと言えるのだはないのだろうか。
と言ったとしても、
……今は全然人間してないけどな。
そんなことを考えながら、
レイジは陽が当たる明るい道を、
駆けていくのだった。
そうして走ってしばらく経った辺りだろうか、
「おい、そこの黒いの!!」
背後からそんな声がレイジに掛けられる。
だが、レイジは反応することなく、
そのままの速さで駆けていく。
そして、
背後からレイジに向けて駆けて来る音と共に、
「そこの黒いヤツ!! 止まれ!!!」
と大きな声が掛けられるが、
レイジは反応することはなく、
先程と同様に、
そのままの速さで駆けていき、
「止まれと言っているだろう!!!!」
さらに声を張り上げてそう掛けられた声に、
『……、……あっ?』
後ろを振り返る。
首だけを背後に回して。
だが、
そんなレイジの様子に騎士風の、
甲冑姿をした男性は悲鳴を上げることなく、
言ったのだった。
「……、……あっ? ではない!! 止まれと言っているのが聞こえんのか!!!?」
『……あぁ、ちと考え事をしてたんでな。全然聞いてなかったわ』
どれ、と言外で呟く様に言いながら、
頭を元の位置に戻しながら徐々に速度を緩めていくと、
レイジは足を止めたのだった。
そのレイジから少し離れた位置から徐々に速度を落としていくと、
レイジの傍でその男性は止まった。
「止まれと言ったら止まるのが普通だろうに、全く何を考えているんだ」
『……、……あ~、すみません』
男の言葉に、
レイジは頭を下げ謝罪の言葉を口にするが、
……いや、だって知らない人に止まれと言われたら逃げろってのが普通だし、俺、ここに来たばかりで何も知らないし。
と心の中で不満の言葉を言っていた。
と言ったところで、
それを知る由もないのだから仕方ないのだから仕方ないものなのだろう、
そう思うことにしたのだった。
「まぁいい。貴様に礼をしたいと言っておられるお方がいる」
まぁ、
「まだ地位もなく、幼いが故に公の場にはできないがな」
不満げにそう言った男の言葉に、
『はぁ』
そう返事をし、
レイジは思考する。
……地位がないってことは貴族とかそういうのか? いや、でも、俺そんなのに心当たりがないんだけど。
気のせいなんじゃないかな……、
と口にすることなく黙っていると、
「ヒュンフ様!!! こちらです!!!」
男の呼び声に、
レイジは誰? と訝しげに思いながらも、
こちらに向かってくる小さな足音が聞こえると、
そちらに顔を向けるのだった。
するとそこには、
何処かで見掛けた白い髪を後ろで結った幼い少女がいた。
切れ切れになる息を整え、
服装を正す少女の言葉をレイジは待った。
そして、
息を整えると、
少女は大きく息を吸って、
レイジを見た。
「えっと、……はじめまして」
『あっ、どうも。初めまして』
初対面ではないのだが、
初めて会ったように挨拶する二人に甲冑姿の男は、
訝しげな視線を二人に向けるが、
レイジも少女もその事には何も言わなかった。
少女が口を開く。
「えっと、きょうはちがうからだをしているのですね」
そう言われた言葉に、
……ああ、あの時会ったちびっ子か。
声には出さずに、
心の中でそう呟くと、
『えぇ、まぁ。ちょうど調整の方が終わったので、こっちの身体を慣らしているところです』
「……なるほど」
レイジの言葉に、
ふむ、と考え込むようにした少女に、
……あれ。今、俺変なこと言ったっけ?
あれ?、とレイジは心の中で悩むのだった。
……ならす、為らす、鳴らす?
何を鳴らすの?とヒュンフは自問しながら、
……もしかして、慣らす方?
と自答した。
そう言えば、館に通う騎士たちが話しているのを聞いたことがある。
怪我をすればその治療に行わなければならず、
職務に復帰する為には休めた身体を職場に慣れさせるために、
何と言ったか、
色々しなくてはならないことがあるということを。
となれば、
……この前のは、身体を直してたから?
と考えれば筋が通るが、
となれば、
……なんで動けるの?
と何も知らない少女にとっては思ってしまうのも仕方ないと言えるだろう。
何故なら、
動けないから治療し、
動けるようにして、
動く様になってから復帰するのが普通なのだと、
少女は、
ヒュンフは思っていたのだから。
しかし、
身体を慣らすために動かすというのは分からなくもない。
分からなくもないが、
そのために走るというのはどうなのだろうか。
それに、
遠目からでしかないが、
何やら背中から火が出ていた様にも見えなくもなかった上に、
首が回ってはいけない方向に回って、
元の位置に戻る様に見えた気がしなくもなかった。
それを見て、
果たして身体を慣らすために、というのはどうなのだろうか。
……もっと悪くなってる……よね。
良くなったと、
そうは言えないだろう、と、
ヒュンフはそう思っていた。
しかし、
目の前の男、
男かどうか分からないがたぶん男、
男ではないかもしれないが恐らくは男、
となれば男ではなく彼、
そう、
彼がそう口にした以上は恐らくはそうなのだろう。
たぶん。
きっと。
恐らく。
だとしても、
彼は言ったのだ。
『調整の方が終わったので、こっちの身体を慣らしているところです』
と。
調整が終わったという言葉が何をどう意味しているのか、
それはヒュンフには難しく理解は出来ない。
しかし、
聞いたところでは、
彼は腕が砕かれても頭が砕かれても動いたとの事だった。
だとすれば、
その調整とやらに時間が掛かっていたのも、
まぁ、
分からない話ではない。
と考えれば、
彼は人間の身体とは違うと考えるべきなのだろうが、
ヒトとは違う存在、
言うなれば、
魔物等と言ったモノとは違う様にも思わなくともない。
もし魔物であれば、
つい数日前に出会った時に、
ヒュンフ達を助けようとはせずに、
命を奪おうとしていただろう。
だが、
ヒュンフ達の命には興味がない様子であり、
更には、
襲ってきた男たちの命も無事だったのだ。
となれば、
魔物ではないと、
そう結論付けるべきなのだろう。
少なくとも、
ヒュンフとこうして言葉を交わしているのだから。
そう考えれば、
感謝の言葉を掛けるべきなのだろう。
いや、
そもそもそのつもりで待っていたのだ。
数日前から走り回っている鉄人形が目撃されている所に、
ヒュンフ一人だけでは何もできないからと手が余っている一人を傍に付かせ、
待っていたのだが。
にも関わらず、
声を掛けても止まることはせずに走って行った時は正直戸惑った。
普通は声を掛けられば止まると思っていたからであり、
止まらないとは思わなかったからだ。
そうして、
止めて声を掛けたのだが、
……どうすればいいんだろう……?
どうすればいいんだろうかと、
ヒュンフが悩み始めると、
先程から考え込んでいる時間が長いせいでか、
それを気にした彼が、
お供の騎士見習いの男性に顔を向けるのが視界隅に映り、
お供の騎士見習いの男性がヒュンフに心配そうな声が掛けてくる。
「ヒュンフ様……? あの、気分が優れませんか?」
「……えっ? あっ、いえ、大丈夫です」
そう言うと、
咳を一つしてから、
彼の方に身体を向け、
顔を上げる。
「えっと……。あなたのことは、シュバリエさんからみみにしています。こんかいは、このまえのれいをいいたくて、しつれいではありますが、このようにさせていただきました」
すみません、と彼に頭を下げる。
それは父に礼を言いに来る人たちの真似をしただけでしかなかったが、
……上手くできたでしょうか……?
上手く出来たかどうか、
それをヒュンフは心配していた。
だが、
そんなヒュンフの内心を読み取った様に、
彼は、
膝を折って身体を屈める様にすると、
ヒュンフの頭を撫でる様に優しく手を置いてから、
『気にするな』
そう言って、
言葉を続ける。
『見た所、君はまだ子供で俺は……、』
いや、
『お兄さんは君より年が上の大人だ』
となれば、
『大の大人が小さな子を助けるのは当然だし、別に君が気にする事でもない』
何故なら、
『君たち子供を助けるのが大人の仕事だからな、』
って、
『少し上から言ってるなこれ』
ハハハ、と、
そう笑う彼の言葉に釣られて、
ヒュンフは顔を上げる。
その顔には冷たいものは何もなく、
温かな笑顔があった。
その笑顔を見て、
『そうそう、子供は笑ってるのが仕事だ。難しいことをいちいち考えるのは大人の仕事ってな』
そう言いながら、
彼はヒュンフの頭をポンポンと優しく叩いて、
手を離し身体を離す。
「あっ……」
離れていくことに、
ヒュンフは寂しさを感じて、
声を出してしまうヒュンフであったが、
……名前、聞かなくちゃ。
誰からの口でもなく、
彼の口から彼の名前を聞かなくてはいけない、
そう思ったヒュンフは彼の名前を訊く様に、
口を開いた。
「あっ、あのっ!! なまえ!! なまえはなんとおっしゃるのですか!!!?」
名前を訊かれた彼は、
あれ、俺言ってなかったっけ? と、
そう口にしながら、
ヒュンフを見る様に、
上げた身体を再び降ろして、
ヒュンフの目線に合わせる。
そして、
『俺の、』
いや、
『お兄さんの名前はレイジ、松田レイジって言うんだ』
まぁ、
『「ヌル」なり「グレート」なり、「ヌルグレート」なり好きに呼んでくれても構わないぜ?』
と言った彼の言葉を聞いて、
「わ、分かりました、おにいさま!!!」
『……えっ、お兄様?』
「はい、おにいさま!!」
お兄様と呼ばれたことに、
彼は誰のことを言っているのか、
それが分からなかったようでヒュンフに訊いてくる。
それを知ってか知らずかは分からない様だったが、
ヒュンフは彼を再び『お兄様』と呼んだのだった。
彼はそう呼ばれたことにどうすればいいのか、
それが分からないという様にお供の顔を見るが、
「……っ、っ。では、ヒュンフ様。あまり時間を掛けますとシヴァレース様がご心配為されます。今日の所はこの辺に為されては如何でしょう?」
「えっ。……そうですか。そうですね、あまりおそいとおとうさまにごめいわくをかけてしまいますし」
名残惜しそうにそう言いながら、
ヒュンフは顔を彼に向ける。
「そういうことですので、おにいさま。きょうのところはこのあたりでしつれいさせていただきます。おあいできてうれしくおもいます。またきかいがありましたら、そのときにでも」
幼いながらも礼儀正しくそう言ったヒュンフは、
スカートの裾を持ち腰を落としながら頭を下す。
そして、
再び顔を上げて彼の顔を見る。
その視線の先には顔という顔はなく、
ただの平面があるのみで誰にも彼がどの様な表情をしているのか、
それは誰にも分からない。
だが、
ヒュンフには何となく分かった気がした。
彼が笑みを浮かべているのが。
それを示すかのように、
彼はヒュンフに笑う様に言葉を返す。
『ああ、そうだな。あんまし遅くなると心配かけちまうだろし、ゆっくりとするのはまたの機会ってことにしとくか』
「ええ、すみませんね」
『気にするな』
そう言葉を交わすと、
お供の男性が手招きをしてくる。
それに従う様に、
ヒュンフは彼に一礼をしてから、
きすびを返して離れていく。
離れていく幼い少女をレイジは見る。
時折思い出したかのように、
振り返っては手を振る彼女に、
レイジも手を振り返す。
そうして姿が見えなくなると、
レイジは降っていた手を下し、
一度手を開いて、
力強く握ってみた。
その動作は相も変わらず少し遅さが感じられるモノだったが、
レイジの想いを表すのには十分すぎた。
何故なら、
『負けらんねぇな』
ああ、
『負けられないとも』
来るであろう次の機会、
気たるべきあの龍との再戦に備える様に、
レイジは思いを新たにした。
決着が付かなかったあの時よりも、
勝たなくてはならない、
負けられない理由が今出来たが故だった。
だからこそ、
『今度は、俺が勝つ』
待ってろよ、
そう言外で言う様に、
レイジは未だに明るい空を見上げた。
それから時は経ち、
夜となり、
暗闇が支配する外を幼子は、
ヒュンフは見ていた。
夜になれば、
もう起きているのではなく、
寝る時間だというモノなのだが、
この日、
いつもなら寝ているはずの彼女は、
胸騒ぎを感じ起きていたのだった。
しかし、
起きてみたところでまだ幼い少女にする事など限りがあり、
少女が動けば他の者たちの迷惑になりかねない。
故に、
屋敷の外に出歩くことなど出来るはずもなく、
こうして、
ただ闇が支配する外の様子を見る様に眺めていたのだった。
もしかすれば、
この闇夜の中を彼が戦っているかもしれかったが、
屋敷にいる者たちは龍が現れたことや、
黒い鉄が立ち向かっている等と、
その様なことは何一つ話しておらず、
いつもの様に夕食の時を過ごした記憶がある。
となれば、
昼間に会った彼が戦っているということはないとは思うのだが、
どうにも、
先程から胸騒ぎが収まる気配はない。
心配するのであれば一刻も早く彼の元に行って確かめるべきなのだろうが、
心配性の父がいる現状では難しいと言えた。
それ故に彼と共に居たいと、
そう思うのは出来ても実際にする事は出来ないだろうと、
少女はそう結論付ける。
ではどうすべきか。
それを悩んで、
「う~ん……」
唸る声を出す。
共に戦うとは言っても、
戦い方も分からない上に、
剣を未だに持ったこともなかった。
そんな自分が行ったところで意味はあるだろうか、
いや、
恐らくはないだろう。
八つ裂きにされるか、
燃やされるか。
その二択しか思い浮かばないが、
それよりも悲惨な目に遭うかもしれない。
だが、
そう考えてみたところで、
分かっていることは一つある。
それは、
「でも、おにいさまなら……」
彼ならば、
戦えないから等と言えども、
立ち向かおうとするだろう。
どうしてそう思うのは分からないが、
確信を付いてそう断言できる。
そんな彼に何か、
何か贈れないか。
気持ちでも、
願いでも、
何でもいい。
またもう一度、
またもう一度彼に会うために、
彼の無事を願うために、
何か出来ないだろうか。
少女は考える。
そして、
僅かな時間で、
ふと思い出したことがある。
確か、
騎士たちへの贈り物やらで何か、
何かを貰ったなどと聞いたことがある。
それは戦いには必要なモノ、
剣を握るために必要なモノだった、
そんなモノだったはずだ。
少女は考える。
必要なモノ、
絶対になくてはならないモノ、
それは一体何だろうか、
そう考えながら、
室内を見る様に部屋に視線を向ける。
そうすると、
部屋の隅に重ねられた箱から、
剣に似せた小さな木と、
斬るにしては小さすぎ、
少女にしては鋭利な刃物が目に映った。
それを見て、
「あっ」
少女はそれが何なのかを思い出した。
そうして、
少女はそれを手に取ろうと隅へ移動すると、
布切れのようなモノと、
糸と針も手に持って元の位置に戻る。
その様なモノをどうするのか、
それを示すかのように、
布切れのようなモノと糸と針を机の上に置いて、
少女は木を左手に、
刃物を右手に持つと、
木を彫り始めた。
「いそがないと。……まにあわせないと」
急げと、
急げと、
そう己を叱責しながら、
少女は急ぐ。
まだ、夜はまだ明けない。




