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第十八話 神と銀狼と黒鉄と

「お待たせしました、()()()

 待ち合わせる様に立っていた黒鉄に、

 結った髪を揺らしながら駆け寄ると、

 少女は立ち止まるとほぼ同時に腰を折って頭を下げた。

 それに対し黒鉄、

 いや、

 レイジは、

()()()()()

 とだけ口にすると、

 彼女が下げた頭に柔らかく数度撫でる。

『まぁ、別に怒ってるわけじゃねぇさ』

 ほら、

『それじゃ、行くとするかね』

 何処か皮肉げに言うレイジに対し、

 しかし少女、

 ヒュンフは顔を上げると、

 微笑を浮かべ、

「はい、()()()!!」

 前に進むレイジの背を追うように、

 足を駆け、

 隣に着くや否や、

 歩を合わせようとする。

 が、

 レイジの歩く速さと、

 ヒュンフの速さが違ったのか、

 徐々に遅れ始める。

 故に、

 ヒュンフは少し早足気味になる。

 その事に、

 レイジは数歩進んでから、

 一瞬だけ彼女の方に振り向くと、

 速度を緩めた。

 レイジの対応に、

 少女は嬉しく思い、

 笑みを浮かべながら、

 歩を進める。

 その様子を遠目に眺める二つの影があった。

「くっ……!!! ()()()()が歩調を合わせるとか……っ!!!

 なに、あれ!!!! なんで()()()()が合わせるのっ!!!!?」

「い、いやな、()()? 少しは落ち着け?」

 な?、

「今回は、()()に任せるってことで声が掛かってるんだから」

「いや、だけど……っ!!!」

 流石に、

「流石に()()()()下手(したて)に着くってのはどうなのさ……っ!!!!」

「そこらは……、」

 な?、

「いくら()()でも、流石に分かるってことだろ?」

 違うか?、と言外で問い掛ける白髪の隻眼に問われ、

 黒髪の少女は声を濁す。

「でもさ……、」

 いくらなんでも、

()()()()があんなに下手にならなくてもいいんじゃないかな?」

「……いやな、お嬢?」

 あのな、

「いくら()()でも別に下手に出てねぇたぁ思うが?」

 ま、

「外から見てりゃ、そう見えるかもしれねぇがな」

 かははは、と隻眼の女性は笑う。

 そんな彼女を黒髪の少女は横目で見る。

 そんな彼女たちから少し離れた所で、

 二人の女性が会っていた。

 一人は損傷の目立つ上着を着た長い銀髪の女性で、

 もう一人は何処か神聖な雰囲気を漂わせている女性だ。

 彼女の手には長い紐のようなモノと、

 反対には長い槍が握られていた。

 けれども、

 そんな雰囲気を漂わせていようとも、

 彼女は銀髪の女性には強気に出ようとはしなかった。

 一見すると、

 彼女の方が高位だと思えるはずなのに、

 もう一人の女性の方が高位であるように、

 頭を下げている。

 彼女は銀髪の女性に紐を頭を垂らしながら差し出す。

「テュール様。

 こちらがご希望の品になります」

「うむ。ご苦労じゃった」

 ……で、

「一応訊くが、どれ程掛かったかの?」

「さほどは掛かっていません」

 そうですね、

「月の満ち引きを三回見た位でしょうか」

「成る程のぅ」

 ま、

「一先ずは預かっておこうかの」

 テュールと呼ばれた女性はそう口にしながら、

 頭を垂らした女性から紐のようなモノを受け取る。

「テュール様」

「あん? なんじゃ? まだあるかの?」

「いえ、そうではありません」

 ありませんが、

「近頃、巨人どもが騒いでおります。

 それに先立ち、オーディン様が英雄(エインヘリヤル)の方々を集めておいでです」

「……成る程のぅ」

 女性の言葉を聞いて、

 何処か合点したという様にテュールは頷く。

「……最終戦争(ラグナロク)、か」

()()()()()()、と」

 ですから、

「我々、戦乙女(ヴァルキュリア)には天上世界(アースガルド)に戻る様にと声が掛かっています」

 ですので、

「テュール様。用事が片付き次第にお戻りになられた方がよろしいかと」

 そう判断しますが、と言外に口にする彼女に、

 テュールは軽く手を振ることで応えた。

「なに、儂が戻ろうが戻るまいが関係なかろうよ」

 それに、

「儂が戻ったところで、ヘラの奴はそう気は短くなろ?」

 現に、

「フェンリルはここにおるし、ガルムのヤツは何も言うておらん」

 じゃから、

「戻ったところで意味などないと思うがの?」

「とは仰られましても、オーディン様が……、」

 先程と同じ言葉を繰り返そうとする女性に、

 テュールは鼻で笑った。

「ハッ。あの隻眼がいかな先を見ていようとも、

 未来とは先が分からぬ未知なもの」

 それに、

「儂ら神が未来を、

 先の道を極めるモノではない」

 そう、

「道を選ぶのは、それぞれが選び進んだ先故な」

「だから、戻らない、と?」

 女性の疑問に、

 テュールは再び軽く手を振って否定する。

「……なに。少し野暮用を片付けるだけの事よ」

 そう、

()()()()()()、な」

「分かりました」

 ですが、

「本当に危ない時には、ヘイムダル様がお通しになる手筈ですので」

「……あの門番か」

 あぁ、

「あい分かった」

 その時は、

「その時は、ガルム共々、ヘラの首を刈り取ってくれようぞ」

 任せておけと、言外で口にするテュールに、

 彼女はもう一度頭を下げると、

 刹那、

 その姿を消した。

 テュールは姿が消えたことに、

 別段疑問を持つことなく、

 振り返った。

「しかし、戦乙女(ヴァルキューリ)とは言えど、あやつはどうも真面目過ぎる」

 もう少し、

「態度が緩まんものか」

 確か、

「あやつの名はスコグルと申したか」

 うむ、

「せめて、シグルーン辺りの柔らかさがあれば、文句はないんじゃが」

 如何せん、

「頭が堅いのぅ」

 う~む、

「どうしたものかのぅ……?」

 そう言いながら首を傾げるも、

 数瞬後には、

 そんな悩みは脳内から消え、

「ま、フェンリルのヤツを捕らえてからで構わんじゃろ」

 と口にすると、

 彼女は歩き始めるのだった。




「では、()()()

 行って参ります」

『おぅ』

 頭を下げるヒュンフに対し、

 レイジは軽く手を挙げることで応える。

 返事を聞いたか、

 聞かなかったかはレイジには分からなかったが、

 レイジとしては、

 ……まぁ、大丈夫だろ。

 と確信には至ってない思いでいた。

 さて、どうするか、とレイジが考えていると、

「で? 彼の者が主の守りたいモノかのぅ?」

 のぅ、レイジや、と言いながら背に掛かる声が聞こえた。

 そちらに顔を向けてみれば、

 そこには、

『……()()

 片手に長めの紐……に近いモノを持った、

 予想通りの人物がいた。

 レイジの反応に彼女、

 テュールはただ鼻で笑って応える。

「なに、別に気にすることはないぞ?」

 そうとも、

「守りたいと思うことは、誰しも有ることゆえな」

 それに、

「それを指摘するほど、儂は暇ではないぞ?」

 うん?、と片目を閉じてこちらに問うその言葉を聞いて、

 レイジは彼女が勘違いをしてるのだと確信した。

『いや、()()

 あの、

『全然違うんですが、それ』

「違う?」

 驚く様に問う彼女に、

 レイジは言う。

『ヒュンフは別に彼女とか、家族とか、恋人とか、』

 えぇ、

()()()()()とは、全く関係なくてですね?』

「……違うのかの?」

『はい』

「……そう言うのとは全く?」

『えぇ、全く』

 レイジの返答に、

 テュールはようやく納得したのか、

 頭に手を置くと、

 時間を掛ける様にゆっくりと息を吐く。

 そして、

 息を吐き終わると、

 こちらに視線を合わせる。

「レイジ。主はこれから死に向かう、」

 言うなれば、

「死線に向かうのだぞ?」

 それを、

「それを、待ち人がおらんとは……、」

 主は、


「おまんは、覚悟も出来んかや……ッ!!!!」


 テュールは叱る様に咆哮する。

 レイジも一応は、

 その言葉を理解できなくもない。

 恋人か、彼女か、

 あるいは婚約者か、

 そんな女性がいれば、

 死ぬことが出来ないと、

 生きることに必死になるであろうことは理解は出来る。

 理解は出来る。

 出来るのだが……、

『いや、でも、()()

 あいつ、

『いや、ヒュンフはまだ子供なんですが……』

 歳の差を武器にするレイジであったが、

 そんな武器では神に対抗できるわけもなく、

「ああ、構わん、構わん」

 いいか?、

「そうこう言うておる内に歳の差なんぞ考える暇があるか?」

 うん?、

「向こうとて今は子供じゃ」

 じゃが、

「年月が経てばもう大人、」

 ほれ、

「考えてみれば、()()()()()ぞ」

『いや、まぁ、そうなんですが』

「それとも、なんじゃ?」

 主は、

「どこぞの馬の骨とも分からん奴に、

 横から取られるのが好みと申すかの?」

 それは、

「おまん、流石の儂とて何も言えんが……、」

 主は、

「おまんは、そうではなかろう……?」

『まぁ、そうですけど……』

 でも、

『死のうとするバカが、

 死と遠いヤツを残すってのは……、』

 流石に、

『残されたやつが可哀そうじゃないっすか』

「じゃから、主は言わんかや?」

『……』

 テュールの疑問に、

 レイジは何も返さずに、

 もう一度振り返って、

 ヒュンフが向かった方を見る。

 その反応を見て、

 しかし、

 テュールは何も言わずに、

 ため息を吐いてから、

 天を見上げる。

「これだから人という生き物は手間が掛かる」

 と口にすると、

 彼女は視線を下げ、

 レイジを見る。

 そして、

 言った。

「レイジや」

 良いかの?、

「主は人でないやもしれん。

 ……あの女子は人じゃがの」

 しかし、

「されど、主の心は人そのもの」

 であれば、

「主がどう思おうとも、

 それは人であれば誰しもが感じることじゃ」

 ならば、

「主が待たせようとも、好んでおれば、」

 ああ、

「主の気持ち位は言うても損はない、」

 と、

「儂は思うがの」

 うん?、と言外で呟く彼女の言葉を聞いて、

 レイジは、

『……()()()()()()ですかね?』

 訊いてみた。

 その疑問に、

 ただテュールは笑みを浮かべ、

()()()()()()よな」

 答える。

 彼女が何を言いたいのか、

 それ自体は分かる。

 現に、

 レイジは気持ちをぶつけられようとも、

 その気持ちには応えず、

 ただただ逃げるだけに終わっていた。

 その例として挙げるなら、

 恐らくは『ダガー付き』、

 彼女の他はないだろう。

 とは言えど、

 ……あいつには何も言えなかったからな。

 声を聞くことはおろか、

 ただの携帯でのメールが最後になってしまった。

 そんな最後を残されても、

 残った者としてはどうなのだろうか。

 だが、

 ……俺もまさか轢かれて死ぬとは思わなかったからな。

 作業中での事故死率が注意してても高いという、

 死から離れた平和な場所で、

 一番危険な職場に就いていたとしても、

 危険を承知している当の本人ですら、

 まさか危険がない市街地で事故に遭うとは、

 全く予想が出来なかったわけだが。


 ()()()()()()()


『……で、()()

 なんかありました?、

()()がここに来るってことは珍しい気が……、』

 ……って、

『まさか、フェンリルが来たんですか!!!?』

 慌てるレイジに、

 しかし、

 テュールは手を振ることで否定する。

「ああ、違う、違う」

 まだ、

「あやつめは、近くにはおらん」

 それに、

「そもそも、近くにおったら儂はこげな場所で話なんぞしとらん」

 じゃから、

「安心せい、レイジ」

『……えっ? 』

 じゃあ、

『何で()()はいるんですか?』

「近くで主を見たからの」

 なんじゃ、

「近くにおったら来たらいかんのかや?」

 何処か拗ねた様に話す彼女は、

 しかし、

 彼女の口元には笑みの形が浮かんでいる。

 それを見てみれば、

 ……一応、冗談なのかな?

 とレイジとしては思ってしまう。

 しかし、

 女性と男性とでは考え方が違う。

 故に、

 レイジが考えている通りとは限らない。

 それでも、

 ……ま、()()が言ってるのも確かと言えば、確かか。

 フェンリルの気配が分かるというのであれば、

 その彼女がここで自分と話している暇などないだろう。

 それが、ここにいるということはつまり、

 そういうことなのだろう。

 と思ってしまえば、

 何分、気にする必要はないだろう。

 であれば、

 気にすべきはそこではない。

 今、気にすべきは……、

『……そう言えば、()()。手に持ってる()()、なんです?』

 レイジはテュールの手に握られている長い紐を指差して、

 訊いてみる。

 そう言われた彼女は、

 一瞬、何のことかと考えた様だったが、

 指を差してみれば、すぐに気が付いた様で、

「あぁ、()()か?」

 いやなに、

「フェンリルのヤツを捕らえる物がなくてのぅ」

 ま、

「一応は出来上がった()()で試してみる他、ないんじゃが」

 かかか、と言外で彼女は笑う。

 彼女の言葉から推察するに、

 恐らくはこうだろう。

『つまり、それはあいつ捕らえる為のもんってわけですか』

「そういうことよな」

 レイジの質問に似た呟きに、

 彼女は笑顔を崩さずに応える。

「とは言うても、まだ使えるかどうかは分からん」

『……えっ? 分からないって……、』

 それ、

『……どういうことですか?』

「なに、試す暇がない故な」

 と言うても、

「あやつを抑えられるのであれば、」

 あぁ、

「別にさほどの時はいらんがの」

『いや、でも、時間は稼いだ方が良いんじゃ……。』

 その為にそれを使うというのであれば、

 レイジとしては何も言うことはない。

 ないのだが……。

 ……でも、試してないって言うしなぁ……。

 試していないのに、

 それが使えるか使えないのか、

 それを理解するための実験は必要だ。

 しかし、

 彼女は試していないという。

 であれば、

 レイジとしては難しい様に考えてしまうのだが。

 彼女としては、

「なに。別に構わんじゃろ」

 現に、

「あやつと出会うたおまんがおる」

 それに、

「負けたとは言えど、力を借りても構わんのじゃろ?」

 じゃったら、

「構わん、構わん」

 それに、

「次は勝つんじゃろ?」

 うん?、と言外で訊きに来ながら、

 そう言った彼女の言葉に、

 レイジは頷く。

 それを見るや否や、

「重畳、重畳。良きかな、良きかな」

 と口にすると、

 数歩進み出てレイジの肩に手を置く。

「外は儂が見とる。

 あやつが来おったら、合図を送ろう」

『了解です』

「さすれば、其処らでも見ておるかの」

 ではな、と片手を振って去って行くテュールの背を、

 レイジは見送った。

 誰も居なくなったことで、

 レイジは唐突に暇になってしまった。

 と、暇になれば暇になったで、

 今度は周りの声が聞こえてくる。

 曰く、

「なんだ、あれは? 一体誰が入れたんだ?」

 曰く、

「しかし、シヴァレース様も可哀想に。

 ヒュンフ様があのような人形風情に情けを掛けるなど……」

 曰く、

「然り。

 人であれば分かるが、あれは人ではないではないか。

 あのような人形風情に何が出来よう」

 口々に発せられる言葉を聞いてみれば、

 大半が自分に向けられた言葉だが、

 自分に向けられつつも、ヒュンフに向いていた。

 その事に、

 ……こいつら、ぶっ飛ばしていいかな……。

 と、レイジは思う。

 だが、ヒュンフがいない現状で暴れるとなれば、

 彼女に迷惑を掛けることになる。

 となれば、

 自分は何もせずにただ言わせたい様にしておいた方が良いだろう。

 とは言っても、

 ……暇だな……。

 することが何一つないという事実は、

 変わることのないただ一つの事実なわけだが。




 とりあえず、中の様子が見えないと意味がないかと考えた結果、

 中に新鮮な空気を送る為だろう、

 いくつかの開き戸が開けられていた。

 開かれていれば、誰がいても問題はないだろうと、

 そう考えレイジはそのうちの一つに歩み寄って中の様子を窺う。

 中を見れば、

 大きいミュージアムを想像させるように、

 それぞれの子供たちは床に座ることなく、

 誰もが、大人が座りそうな大きめの椅子に着座しているのが目に映る。

 そんな彼、彼女らの視線の先には、

 小さめの階段が左右に二つ設けられており、

 中央には、子供が弾くには大きすぎる様に思える鍵盤が置かれていた。

 その鍵盤を、

 一人の子供が弾いているのが目に映る。

 遠くではあるが、

 見た様子では少年の様に思えるので、

 恐らくはヒュンフではないだろう。

 それに、だ。

 ……これは全然違うな。

 ヒュンフに教えた曲とは全く異なるように感じる。

 では、彼女の出番はまだ後か、と結論付け、

 辺りの様子を窺う。

 見える範囲だが、

 緊張している表情でいる者、

 自信ありげにしている者、

 周囲をやたらに警戒している者、

 それぞれの様子が伺えた。

 まぁ、緊張はするだろう。

 レイジもその気持ちは分からなくもない。

 なので、自信ありげにしているのもまぁ、分かる。

 分かるが、

 その自信は何処から来るのか、

 レイジには全く分からなかった。

 そんなことを思っていると、

 いつの間にか演奏を終えたのか、

 壇上から数名が降りて来るのが見えるのと同時に、

 ……おっ?

 ヒュンフを含めた数名が壇上に上がっていくのが目に映る。

 彼らもしくは彼女らが頭が下げ、

 一人が鍵盤に着く。

 鍵盤に指を走らせ、

 音が流れ始める。

 生徒らしき者たちは音については、

 特に反応する者はいなかったが、

 教師と思わしき大人たちは、

 関心する様に首を上下に頷かせている。

 レイジも大人ではあるが、

 悲しいかな、

 音楽についてはそれほど博学なわけもなく、

 ……そんなに凄いのか?

 内心、首を傾げながら聴いていた。

 そうして一人が終わり、

 もう一人と続いていくが、

 先程とさほど変化がない様に思える腕だと思えた。

 とは言えど、

 他の大人たちは感激した様に涙を拭いていた様だが。

 と、

 三人目になった途端に大人たちの態度ががらりと変わった。

 先程まで感動したのか、

 曲の調べに感心したのか、

 曲調に合わせて首を動かしていたのが、

 急に減ったのだ。

 因みに、

 レイジの視点としてはさほど大きな変化はない。

 曲調に変化がないのに、

 態度に変化を出すということは、

 成る程、

 ……裏でなんか貰ってるな。

 教師に対して、

 うちの子の面倒を云々だかと言い、

 金を渡す。

 その文化は現代文化ではもう古く無くなってしまった悪しき文化だが、

 地球ではない()()では当たり前の文化なのかもしれない。

 となれば、

 ヒュンフには分が悪いのかもしれない。

 彼女の父親は節制に厳しいらしく、

 補助金を受けようものならどこの予算を削れば回せるのか、

 日々頭を痛めているとはミハエルから聞いたことがある。

 資金を出すのに何処から削れば捻出できるのか、

 そう考え実行する親と、

 子供の面倒が云々の為に金を使う親、

 どちらの親の言うことを聞きたいのか、

 想像するに容易いことはないだろう。

 現に、

 ヒュンフに使わせていなかったのがその証拠だ。

 そうなれば、

 彼女は敵陣に孤立している様なモノだ。

 一番は、

 レイジが助けに行ければいいのだが、

 ……あいつは何にも言わなかったからな。

 彼女が話していない以上は、

 勝手に行けば文句を言われるのは彼女で、

 助けには行くことは出来ない。

 いや、

 そもそもの話、

 救援要請がされていない以上は、

 彼女には何かしらの策があると考えるべきだろう。

 ……そんじゃ、のんびりとしてますかね。

 そうなれば、

 レイジに取れる方法はゆっくりとしている他ないわけだが。

 そう思い、

 レイジは開き戸の端に背を当てた。

 そうした直後、

 いつの間にか三人目の曲が終わっており、

 ヒュンフが頭を下げたのが、

 レイジの視界隅に映った。




 ……落ち着いて、落ち着いて。

 早く胸を打つ幻聴を耳にしたヒュンフは、

 下げた頭をゆっくり上げる。

 そうして上げてみれば、

 遠くの方で入り口の片側に背を当てている黒鉄の姿が、

 目に映る。

 ……()()()

 大丈夫。

 彼がいる。

 彼がいるのであれば、

 大丈夫だ。

 自分一人だけではない。

 彼がいるということは、

 彼の所にいる人たちもいるということで、

 彼が父親と呼ぶ男性もいれば、

 彼を自分と同じく兄と呼ぶ黒髪の女性もいる。

 昔、自分の家にいて自分の不手際のせいで片目になってしまった女性もいる。

 確かに、ここにいるのは一人だけだ。

 だが、

 彼には多くの、

 自分が知っている以上に多くの人が付いている。

 そんな彼が自分のことを見てくれる、

 気に掛けてくれる。

 ……だったら。

 気に掛けて見てくれるのだ。

 であれば、

 ……頑張らないと。

 その想いに応えなければならない。

 鍵盤の、

 その手前に置かれている椅子を手前に引いて、

 ヒュンフは腰を下ろすと、

 手の届く位置に椅子を動かし、

 鍵盤を見下ろす。

 ……えっ。


 違う。


 今まで練習に使ってきたモノと違う。

 外見はほとんど見劣りがない程まで、

 全く同じと言っても過言ではないが、

 中身が、

 鍵盤の位置、

 それと数が異なる。

 数が異なれば、

 当然の如く置いてある位置も異なる。

 練習してきたモノと異なってしまえば、

 使う際に何処を触ればどの様な音がなるのか、

 それ自体も分からなくなってしまう。

 そうなると、

 確かに何も出来ずに困ってしまう。

 だが、

 幸いなことにヒュンフは、

 ……でも、分からないから良いかな。

 何がどう違うのか、

 それが分からなかった。

 なので、

 とりあえず、

 指を置いてみる。

 高くはなく、

 低くもない。

 どちらかと言えば、

 丁度良い、

 程よい感じだ。

 続けて置く。

 イメージは彼が教えてくれた曲を、

 崩さずにただ弾くこと。

 ただ一つ、

 問題があるとすれば、

 ……これでいいのかな?

 ヒュンフにはそれが合っているのか、

 それとも合っていないのか、

 その違いが全く分からないということである。

 だが、

 そうした中でも分かることはある。

 それは、


 歌詞だ。


 正確には彼が歌詞だという歌詞らしきものと、

 彼が歌う速さ、

 その二つだけだ。

 たったその二つだけで、

 どうしろと言うのか、

 普通であれば難しい他ないと言えよう。

 そう、


 ()()()()()()


 確か、と思い出す様にヒュンフは脳内で歌詞を呟く。

 ……クム……、イストリア……、

 意味は全く分からないが、

 彼が言うのであれば、

 何かしらの意味はあるのだろう。

 そう思い、

 ヒュンフは教えてもらった歌詞通りに、

 指を走らせる。




『ラーズグリーズ』。

 その名が指し示すのは、

 戦乙女という、

 神ではあるが神ではない、

 ()()という存在だ。

 レイジがその名を知るきっかけとなったのは、

 とあるゲームだ。

 そのゲームの話は、

 ()()()()()()()()()

 だが、

『ラーズグリーズ』について、

 そのゲーム内で語られることを記すのであれば、


 ……歴史が大きく変わる時、『ラーズグリーズ』は目を覚ます。


 はじめは漆黒の悪魔として、

 悪魔はその力をもって大地に死を降り注ぎ、

 やがて死ぬ。

 しばしの眠りの後、

『ラーズグリーズ』は再び現れる。

 英雄として……。


 その名が示す意味、

『計画を壊す者』、

 それが指し示す様に、

 誰もが企てた物を、

 彼女は、

 ただ壊す。


 ヒュンフの調べが最初の一説に入った。

 その音を聞いて、

 レイジは鼻歌気味に呟く。

『クム……、イス……、トリア……、』

 Cum historia、

『ムタト……、ヴァル……、デ……』

 mutant valde。


 Cum historia mutant valde.


 歴史が大きく変わる時。


『ラーズ……、グリーズ……。』

 Razgriz、

『レヴェ……、アト……、イ……、プスム……』

 revelat ipsum。


 Rarzgriz revelat ipsum.


 ラーズグリーズは姿を現す。


 ……始めは漆黒の悪魔として。

 その力を以って、

 ……悪魔は大地に死を降り注ぎ、

 やがて死ぬ。

 ヒュンフが弾く曲調が変わる。

 何処でどのように変わるのか、

 その事について、

 レイジは彼女には何も言っていない。

 しかし、

 彼女は、目の前で曲調を変えてみせた。

 となれば、

 ここからは彼女なりのアレンジだろう。

 だが、

 その前まではアレンジを加えることなく、

 教えたテンポでやってみせた。


 ……いや。


 最初から彼女のアレンジだろう。

 レイジが教えたのは何となく覚えた歌詞と、

 何となく覚えていたテンポだけだ。

 それだけの情報で、

 ここまでのアレンジを加えるとは予想は出来なかった。


 ……それに。


 ミハエルの所に置いてあった鍵盤には弦はなく、

 ただ音が鳴らない鍵盤があっただけだ。

 何処を押せば、

 どの様な音が鳴るのか、

 彼が調べたそれをただ書いただけの、

 音が鳴らない鍵盤。

 その鍵盤を使った経験を生かして、

 彼女は弾いている。

 とすれば、

 ……頑張ったな。

 彼女は彼女なりに、

 想像して、

 それを出力して、

 音にしていることになる。

 その事を、

 レイジは感心することはあれど、

 馬鹿にすることは出来ない。

 周りで座っている子供たちも、

 それを理解しているのか、

 それとも……、


 ……いや。


 恐らくは理解していないのだろう。

 彼もしくは彼女らは、

 自分たちが耳にしたことのない音を聞いて、

 口々に何かを話し始めている。

 本来であれば、

 口を閉ざして清聴に努める様にと、

 大人たちが注意するところだが、

 それをしないで放置するということは、

 大人、

 いや、

 教師達でも予想していなかったことが起きており、

 その対応をどうするのか、

 ……それを決めてるってとこか。

 難儀なことだな、とレイジは、

 ヒュンフが曲の一説目を終え、

 二節目に入るまで、

 続けて弾く音を聞いた。

 一説目が無事に引けたのであれば、

 恐らくは大丈夫だろう。

 そう思って、

 レイジが身体の向きを変えようかした時、

「レイジ!!!! レイジや!!! 何処におる!!?」

 つい先程別れたテュールの声が聞こえる。

 彼女の焦る声からして、

 恐らくはただ事ではないな、と思いながらも、

 レイジは声が聞こえてくる方に視線を向けた。

 とすれば、

 当然の如く、

 こちらを探しているであろう彼女と自然に視線が合い、

 これも当然の如く、

「すまん!!! 力を貸してくれ!!!!」

 と言われた。

 普通は文句の一つや二つくらいは言いたくなるものだが、

 ……大丈夫だよな。

 室内に視線を向けると、

 一心に鍵盤で指を躍らせるヒュンフの姿が見える。

 懸命に弾いていることから推察するに、

 恐らくはこちらの事など気にしていないだろうが、

 頼まれ留守にする以上は何かしら伝えねばならない身として、

 とりあえず、

 レイジは片手を挙げておく。

 ……良くはないよな。

 用事が出来たから、

 急用が出来たから、

 そういうのは自分とは縁も遠い話だと思っていたモノだが、

 実際に後で何か話さないと納得しないだろうな、

 ……どうすっかな。

 そう思いながら、

 もう感じることのない胃の悲鳴を感じ、

 腹部を抑えながらレイジは、

 テュールの方へと向かって行くのだった。




 ……()()()

 レイジは気が付いていないだろうと思っていたが、

 実際にはそんなことなく、

 ヒュンフはしっかりとレイジが手を挙げて何処かに行くのを意識していた。

 だが、

 ヒュンフはそれについては、特に意識はしていない。

 彼がここを後にするということは、

 それは恐らく危ないことなのだろう。


 彼以外に対応できる者がいない程の。


 であれば、

 ここでヒュンフが何を言ったとしても、

 何も始まることはない。

 始まることがただ終わるだけだとしても。

 自分の知らない何かを、

 知っている誰かが終わらせる。


 ただそれだけの話だ。


 そして、

 それは力を持つ人間であれば知ることが出来、

 何も持たない自分にはそれが出来ないだけ。


 ただ、()()()()()()だ。


 ……だけど。

 それだけの話には、

 自分が見知って言葉を交わしたモノが関わっている。

 それだけの話だと言って終わらせていい、

 そんなことは全くない。

 何も知らず、

 何も関われない自分とは違い、

 何かを知って、

 何かに関われる知人がいる。

 であれば、

 ……せめて。

 彼を知る自分は、

 彼の無事を祈ろう。

 再び彼と言葉が交わせるように、

 再び自分が知らないことを教えてもらうために。

 だから、

 ……だから。

 だから、と。

 少女は彼から教えてもらったその曲を弾き切る決意をする。

 幼いながらも、

 誰から教わったわけでもなく、

 誰からも言われたまでもないのにも関わらず、

 命を削る様に、

 何か、

 何か大切なことを懸命に伝えようとするその姿に、

 誰も、

 彼もが、

 その場にいた全てのモノが、

 自らの音を断ち切り、

 懸命に記憶に残す様に静かに聴き始めた。

 何かがおかしいと思っていた者ですらも。



 Primum deamon scelestus est,


 始めには漆黒の悪魔として、


 Cum potentia sua,


 その力を以って、


 Deamon fundet mortem interran,


 悪魔は大地に死を降り注ぎ、


 Deinde moritur.


 やがて死ぬ。




「……なんじゃ、レイジ」

『……えっ?』

 唐突に振り向きながら問いかけてくるテュールに、

 レイジは理解できずに聞き返す。

 その問いに、

「いや、戦いに向かうもんがそげんな歌なんぞ歌う余裕なんぞ見せよっってからに、」

 なにか、

「なにか気にも障るか、と思ったのじゃが……」

 なんじゃ、

「問いに問いで返すとは……」

 おまん、

「そんなに気に触れよったか?」

 それじゃったら、

「やはりフェンリルとは、さしで向こうた方が良さそうじゃな」

『いや、別にそんなんじゃないです、()()

「……そうかの?」

『そうですよ』

「そうか、そうか」

 ならば、

「重畳よ。何一つ言う事なんぞあるまいて」

 カッカッカ、とテュールは笑った。

 そんな彼女に、

 レイジは静かに、

 ……気を遣わせたかな?

 申し訳ないと内心で頭を下げた。

 そんなことを思っていると、

 目の前にいた彼女が、

 こちらに向けていた視線をいつの間にか前に戻し、

 纏っていた雰囲気が唐突に変化した。

『……()()?』

 何故、と疑問するレイジを他所に、

 テュールは一言、

「来よったか、」

 えぇ?、

「……フェンリルや」

 と口にする視線の先には、

 いつか戦い、

 レイジを、

 厳密には、

 シュツルム・アインスを大破に追い込んだ銀狼が、

 フェンリルがいた。




『……てんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええ!!!!!』

 テュールが何か言おうかする前に、

 レイジは胸に湧き上がってきた感情の向くままに、

 銀狼に突撃する。

 しかし、

 レイジの動きはさほど早いものではないと思ったのか、

 余裕のある動きで避けると、

『……がッ!!!!!』

 レイジが姿を見失った直後に、

 彼の背に大きく尾を当て、

 テュールへと歯を向ける。

 その反応に、

 彼女はただ笑って、

「ハッ。なんじゃ、フェンリル。久々に儂と遊ぶかや?」

 あぁ、

「構わん、構わん」

 なに、

「儂もちと主とは拳で語りあいたかった故な」

 そう口にすると、

 彼女の両手の拳と、

 両足が突如として烈火の炎に包まれる。

「なに、いくら儂とて加減はするぞ」

 故にな、

「加減しとらんかったら、何か口にしてみぃ」

 ……いや、それ意味ないんじゃ。

 崩れた体勢をフェンリルに向けつつ、

 レイジは内心で言ってみる。

 言ってみたところでそれを気にする事はないと、

 そう分かっていたとしても、だ。

 と思っていると、

 唐突にして彼女は、

 自分から視線を外さない銀狼に、

 足を踏み出すと同時に、

 烈火の拳を打ち込む。

 だが、

 その動きは予想出来ていたのか、

 当たることはなかった。

 それでも、

「ハッ」

 彼女は動きを止めることなく、

 続けてもう一打、

 再び一打、

 もう一打と続けざまに両の拳を打ち出していく。

 時折、

 蹴りを入れるという変則的な動きを交えながらも、

 彼女は動きを止めずに拳を打ち出す。

 流石のレイジも、

 彼女の動きを見れば一度は受け止められたと言っても、

 これは身体がもつか怪しいな、と思っていられずにいられなかった。

 しかし、

 銀狼は動きを止めぬ彼女の攻めを、

 軽く、

 そして素早い動きで避けていく。

 その動きを見つつ、

 レイジはただ、

 ……早いな。

 と、

 銀狼の動きの速さを見ていた。

 そして、

 その動きに対して、

 一撃、

 一撃が重いであろう拳を打ち出す彼女にもまた、

 同じ速さがあるということに感心していた。

 目の前で展開される、

 めぐるましく切り替わる攻守の、

 その速さこそが彼女の、

 テュールが自身が神だと語る証明だと、

 レイジはそれだけを感じていた。

 それと同時に、

 ……やっぱりすげぇな、()()は。

 自分との手合わせをするときには、

 手を抜かれていたと感じると同時に、

 手を抜きながらも彼女自身が手を抜かずに、

 彼女なりの本気でレイジと、

 自身と当たっていたのだろうと、

 なんとなくレイジは感じていた。

 しかし、

 ……このままじゃ、きついよな。

 いくらめぐるましいほどの速さがあろうとも、

 その全てが避けられている現在では、

 決め手に欠けるということが察しられた。

 とは言え、

 ……俺でも()()ほど早くは動けんぞ。

 レイジでは彼女ほどの速さで動くことは不可能であり、

 フェンリルに追い付くのも無理であろうことは、

 想像するに容易いと言えよう。

 となれば、

 ……()()()()()、か。

 相手の動きを読んでその導線となる箇所を、

 そこを突くほかないと、

 そう考える他ないだろう。

 問題は、

 レイジがそう結論付けたことを彼女に、

 テュールにどう伝えるか、

 それが問題になる。

 だが、

 先程から銀狼に対して向かっている彼女に、

 どの様に合図を送ればいいのか、

 レイジにはそれが分からずにいた。

 とは言っても、

 ……のんびりしてるわけにゃ、

 なにも装備していない右腕を伸ばすと、

 軽く振ってから、

 ……いかねぇわな……ッ!!!!

 腕を折った。

 そして、

 攻撃の合間を見切ると、

 レイジは彼女と銀狼の間に入っていく。

 その動きを一瞬で悟り、

 レイジが何を考えているのか、

 それを理解するや否や、

 テュールは一瞬だけ、

 後ろに退き、

 人一人分は入れる空間を作り出す。

 ……すみません、()()

 彼女に対する謝罪を内心で呟きながらも、

 レイジは彼女がしていた様に、

 一打だけ銀狼に対して、

 打ち込む。

 されど、

 彼女ほどではない速さの拳を打ち込まれても、

 銀狼は気にすることなく、

 余裕の動きで避けてみせた。

 そのことに、

 レイジはただただ、

 ……こいつ……ッ!!!!

 強く今ではもう感じることない唇を噛み締めた。

 そのレイジの想いに応えるために、

 ではないだろうが、

 テュールは彼の間に入る様に脇から身体をねじ込むと、

 限りなく無理に近い動きで、

 銀狼に拳を打ち込んでみせた。

 その一手は強引ではあるものの、

 けれど避けきれなかったのか、

 銀狼の身体を捉えてみせる。

 たった一手。

 されど一手。

 銀狼の動きは僅かにではあるが、

 先程よりも、

 若干の、

 本当に僅かながらに分かる程度であったが、

 徐々に速さに乱れが見え始めた。

 恐らくではあるが、

 先程の一手が重く身体に届いたのであろう。

 それほどまでに考えてしまう乱れであり、

 ……イケるか……?

 レイジも自分も一手出せるのでは、と、

 ふと考えてしまう。

 それが油断に近いモノだと、

 そうとも考えずに。

 それ故に、

 一瞬、

 たった一瞬だけ、

 それだけのわずかな時間だが、

 それでも生まれた僅かな隙に、

 レイジは、

 ……穿ち(パイル)……、

 盾を取り付けた左腕を引き絞り、

 ……貫く(バンク)……ッ!!!!

 銀狼の胴を穿つ様に、

 左腕を打ち放った。

 レイジとしては、

 一寸の狂いもない、

 正確無比の一撃で、

 ほぼ完璧の一撃だった。

 それ故に、

 ……やった……ッ!!!!

 命中したと思ったその一瞬、

 その一瞬だけレイジは警戒に向けていた全ての気を緩めていた。

 そう、

 確実に命中したという確信が持てるまで、

 それまで緩めるべきではないものを。

 故に、

「レイジ……ッ!!!!」

 近くに居たはずのテュールが、

 こちらを気に掛ける様に、

 警戒しろという様に叫び掛けられた時には、

 銀狼は、

 身体を大きく外側に回し、

 先端部に取り付けられた突起物から自身の胴を避けると、

 今度はレイジにとっての内ではなく外側から、

 左の二の腕を咥え、


 噛み砕いてみせた。




「レイジ……ッ!!!!」

 先程まで気を張っていたにも関わらず、

 当てられるという予測から気を緩めた黒鉄に、

 テュールは声を上げる。

 だが、

 それをするには既に遅く、

 その言葉に反応するよりも早く、

 銀狼は黒鉄の左腕、

 その二の腕付近を咥えてみせると、

 さも当然の如く噛み砕いてみせた。

『……グッ!!!!』

 噛み砕かれた衝撃を受けて、

 レイジの足は地面に縫い付けることも出来ずに、

 その場から弾き飛ばされた。

 ……ちぃ、レイジがやられたかっ!!!!

 場から弾かれた以上、

 レイジがすぐに戻ってくるのは不可能。

 とすれば、

 すぐに対応できるのは自分のみ。

 であれば、

 ……あれを使うか……ッ!!!!

 少し前、

 戦乙女から渡された紐に似たモノを右手で握り締める。

 それを警戒してか、

 銀狼の動きが一瞬、

 いや、

 動きを止めた。

 銀狼の反応を見て、

 銀髪の英雄神は笑った。

「安心せい、フェンリルや」

 ああ、

「別に、主()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あぁ、

「……()()()()()()()

()()……ッ!!!!』

 距離を開けて背後から向けられる弟子の声に、

 彼女は軽く左手を上げた。

 そして、

「来んか、おんどれりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 咆哮と共に、

 テュールは身体を前に出す。

 銀狼も身体を動かすが、

 先程までの速さはそこには既に存在はせず、

 極めてゆっくりと、

 遅いモノだった。

 故に、

 テュールの動きはそれに反比例するように、

 より速さを増した様に錯覚させるモノだった。

 近付くや否や外側に、

 右側に大きく腕を放つと、

 すぐ内側に、

 左側に右手を戻す。

 そうすれば、

 紐のようなモノは、

 銀狼の首に結ばれた。

 そうしてみれば、

 銀狼は一回だけ、

 短く、

 けれども優しく喉を鳴らす。

 銀狼の反応に、

 テュールは頬を緩めると、

「言うたじゃろうが」

 あぁ、

()()()()()()()()()と、な」

 結ばれはしたが、

 されど未だに緩みが見られた紐と首との僅かな間、

 ごく僅かに生まれたその緩みに、

 彼女が右腕を突き刺す。

 その瞬間、

 紐がキュッと締まり、

 首との間が無くなった刹那、

 銀狼がいた場所に柱状になった光が突き刺さり、

 銀狼の身体が消え去った。




 銀狼の身体が消えた直後、

 周囲に音とという音が消え去った。

 レイジは片腕だけとなった右腕だけで上体を上げて、

 銀狼がいた場所に膝を着いてこちらに背を見せる銀髪の姿に、

 安堵した。

 が、

 ……血?

 彼女の足元に広がる赤の水溜りに視線を向けると、

 脳裏に浮かぶ一つの答えを疑問する。

 疑問に答える様に彼女の身体は、

 ゆっくりと、

 時間を掛けながら、

 ゆっくりと後ろに倒れていく。

 そして、

 地面に倒れた彼女の姿を目に映してみれば、

 レイジは驚愕した。

 何故なら、

 右腕の二の腕から先が、


 綺麗さっぱり無くなっていたからだ。


『……()()ッ!!!!!』

 腕一つで起こせぬことに苦労しながら、

 やっとのことで身体を起こすと、

 レイジは彼女の近くまで走り寄った。

 そうして寄ってみれば、

 彼女は笑みを浮かべながら、

「……なんじゃ、レイジ……」

 ゆっくりと声を掛けて来る。

『なんじゃ、って……、()()、腕が……ッ!!!!』

 地に着き、

 残った腕で身体を起こす。

 レイジの行動に、

 けれども彼女は、

「なに、心配はいらん……。儂とて神、故な……」

 あぁ、

「こんなことでくたばるなんぞなかろうが……」

『いや、でも、()()、腕が……』

 掛ける声に、

 彼女は、一回、ハッと鼻で笑ってから、

「腕なんぞあるなし関係なんぞなかろうて……」

 言ってのけた。

 出会ってからまだそれほど日は経っていない。

 しかし、

 そういう彼女の言葉は、

 レイジにとっては実に彼女らしいと思えてしまった。

 故に、

『じゃあ、心配しなくても……』

「たわけ。

 おまんなんぞに気など使われおったら神の名が泣くわ……」

 あぁ、

「英雄神なんぞどこぞにも言われんしの……」

 じゃから、

「別に気にせんでよかろう……」

 と言った彼女の言葉を、

 信じることにする。

 と、

「しかし、フェンリルもやられたのぅ……」

『えっ? 何がです?』

「あのロキの(わっぱ)に、焚きつけられよってからに……」

 まったく、

「世話が焼けるわ……」

 誰に対して言ってるのか、

 それは、レイジには分からない。

 ただ、

 彼女は全てが理解できたという様に、

 安堵の表情を浮かべていた。

 そして、

 ふと思い出したように、

「レイジや……」

『なんです?』

「いや、なに……」

 ちと、

「身体を見せい……」

 動きずらい状態ではあったが、

 何とか彼女に見える位置まで移動する。

 すると、

 彼女はレイジの胴に、

 残った左手の、

 人差し指を当てると、

 何か字のような、

 記号に似たモノを書き始める。

「なに、主は人の身ではない故な……」

 故に、

「ちいとばかし、()を貸してやる……」

『力……、ですか……』

「あぁ……」

 とは言え、

()()があるがのぅ……」

『条件……?』

 何かしらの制約が付くということだろうか。

 いや、

 それなら現状だけでもある意味では制約付きなのだが。

「ほれ、これで良かろう……」

 彼女が描いた記号のような、

 文字のようなモノは、

 レイジがどこかで見掛けたことがあるものだった。

 たしか、

『これって……』

「『()()()()()』……、」

 と、

「そう呼ばれるモノじゃな……」

 ほれ、と声に出しながら、

 彼女は指で押す。

「文字の読みは、()()()()()……、」

 もしくは、

()()()()……」

 あぁ、

「どちらで読もうが、読むまいがかまわんがの……」

 彼女が話した、

 その呼び方で、

 レイジは思い出した。

 たしか意味は、

「『素直さ』、『勝利』……、」

 そして、


『……「()()」』


 彼女の先を読む様に発したレイジの言葉に、

 テュールは一瞬、言葉に詰まる。

 が、

 それも一瞬のことで、

「なんじゃ、知っておったか……」

 まぁ、なんじゃ、

「主が己の『正義』を抱き……、」

 そして、

「己が『正義』を貫く限り……、」

 あぁ、

「主の傍には『勝利』がおる……」

 ま、

「『素直さ』があれば、より強きものが約束されるが、……の」

 と口にした途端、

 彼女はだらりと左腕を寝かせた。

「すまん……」

 儂は、

「ちと寝る……」

 あとは、

「あとは、主に任せる故な……」

『……分かりました、()()

 えぇ、

()()()()()()()()()()()()

 そう言いながら、

 レイジは、

 彼女の身体をゆっくりと下ろした。



 Cum historia mutat valde,


 歴史が大きく変わる時、


 Razgriz revelat ipsum.


 ラーズグリーズは姿を現す。


 Primum deamon scelestus est.


 始めは漆黒の悪魔として。


 Cum somus Cum somus finit,


 しばしの眠りの後、


 Razgriz surget surget interm.


 ラーズグリーズは再び現れる。


 Margnus heros est.


 英雄として現れる。




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