第十四話 死闘と言う名の異世界交流
「……っしゃ!!!」
気合を入れる様にそう声を出すと、
男は、
まつ……なんとかは舞台に上がった。
……ほぅ。
あの一瞬。
されど一瞬。
一瞬という僅かな間で、
先程までの雰囲気を変えたことに、テュールは感心した。
服装もだが、
それを変えた上で、舞台をも変えた。
自身が戦いやすい、戦場に。
……であれば。
相手は自分の言葉で意識を変えた。
となれば、
……下手に取り組むべきではないのぅ。
元々がただの気まぐれだ。
フェンリルを追って来てみれば、
普通であれば死んでいるはずの男がいた。
ほぼ瀕死だから助けても意味はないだろうと思ったが、
フェンリル相手に退かずに戦ってみせたその度量、
そこは評価されるべきだろう。
自分よりも強く、
自分よりも速い相手に立ち向かう。
普通なら背を向けて逃げるだろう。
だが、
彼は立ち向かってみせた。
たった一人で、だ。
たった一人で戦うなどロクな精神ではない。
そう、
言うなれば、
英雄だ。
己が正義を信じ立ち向かう。
例え無理だろうとも諦めずに、
膝を折らずに、
地に身体を付けようとも戦い抜く。
成る程、
……愚かじゃのぅ。
しかし、
正義を信じ、戦い抜く、
その精神は、
……儂は認めるがの。
他が認めまいが、
他がバカにしようが、
それは関係がない。
正義の天空神と言われているテュールには、
彼女には全く。
だからこそ、
……ああ。
ああ、
……そうじゃ。
そうだ。
……儂は、
彼女は、
……気に入ったんじゃな。
彼を気に入った。
そして、
いま改めて覚悟を決めたであろうその態度、
そこも気に入ってしまった。
故に、
……ならば。
そうであれば、尚更、
……救ってやらんとな。
そう思った自身に、
テュールは苦笑するように頬を歪め、
「……一応、訊いておこうかの」
「なんです?」
男の戦場である部隊を指差して訊く。
「ここには、素足で上がるモノなのかの?」
畳に土足で上がることは普通であればありえない。
許されもしないだろう。
しかし、ここは普通ではない。
であれば、
そんなことは気にするべきではないはずだ。
……ま、そんなことよりも、だ。
レイジは彼女の動きを見る。
両腕を軽く、
いや、
大きく回した後に首も大きく回す。
準備運動としては運動にもなっていない動きだが、
彼女は、
こちらに視線を向けると、
「?」
どうした?
「掛かって来んのか?」
「えっ? いいんです?」
レイジがそう訊いた直後、
彼女は先程までの気配を変え、
両の拳を前へ、
レイジに向けて構えた。
その動作を見て、
成る程、と。
やはり先程感じた予想は外れていなかったらしい。
であれば、
とレイジはもう一度、気合を入れるために両襟に両手を添え、
襟を正す。
そうして、
両腕を放してみれば、
次の瞬間、
彼女はレイジの目の前にいた。
……やっぱりか!!!
このパターンは知っている。
世界も違えば、
勿論、人も違う。
だが、
戦い方は知っている。
そう、
これはかつての師、
彼女と同じ戦い方だ。
相手が構える刹那の瞬間、
ごく僅かの間だけ、相手の意識は無に、
無くなってしまう。
それは限られた人間ではなく、
全ての人間に共通する事らしい。
それはどういうことなのかと訊いてみれば、
「スイッチってあるだろ?」
あれな、
「スイッチを切り替えても瞬間、」
そう、
「ごく僅かな間だけ反応が遅れるんだよ」
だからな?
「そこを突けば、まずは負けんぞ?」
そこを突けと言われても、
まず普通の人間の時点でそれは無理であって、
それが出来るのは限られた人間だけだと、
そう当時は思ったわけだが、
卒業してから絡まれる様になってから出来るようになると、
成る程、その通りだなと思ったわけだが。
……六年以上ブランクがあんだぞ!!!
まだ一年や其処らであれば、
問題はないが、
ここ最近はまずそうした相手と会う機会がなかったのもあってか、
レイジは反応が遅れてしまう。
……踏み込まれる!!!
踏み込まれてしまえば、
相手の距離だ。
相手を掴むことも出来なくなってしまう。
だが、
……だったら……!!!
レイジはその対策を知っている。
それは、
……弾けばいいだけだろうが!!!
相手の拳を左へ、
左側に向けて右手を広げ弾く。
そうすれば、
「……ほぅ!!」
相手の胴が、
大きく開いた状態で、
ぶつかる様に入って来る。
防御は間に合わない。
ならば、
……掴むのみ!!!
弾いた右手を後ろに引いて、
相手の左襟に、右の親指を差し入れるイメージで、
右肩を固める。
動きはそのまま止めることなく、
……投げるだけ!!!
左足を軸に、右足を回す。
そうして止まってみれば、
……足払いってな!!!
普通ならば、そこで投げれれば相手は背を地面に着けるほかない。
だが、
相手がかつての師と同じく、
普通ではないことをレイジは失念していた。
そう、
普通であれば、地面に着く。
普通であれば。
しかし、普通ではないことを証明するように、
相手は投げられ自由の利かないはずの両足で踏ん張っていた。
「……なっ!!!?」
……師匠と同じ、対応しやがった!!!!
普通であれば、投げれてしまえば自由が効かないわけだから、
そのまま床に背を付けて一本が取れるのだが、
普通とは決して相容れることがないかつての師は、
どんな状態でも両足で踏ん張ることで背を着けないという、
非常識をやってのけた。
そのせいで柔道部の投げても意味がない化け物等と呼ばれていたわけで、
時々それをレイジのことだと勘違いしたバカがいてその被害に遭ったりしたが。
まぁ、その度に返り討ちにしていたのは言うまでもない。
しかし、
今までそう対応するのが、
自分の師である彼女、ただ一人だったのだが、
……まさか、もう一人現るとか……、
そんなの、
……そんなの無理だろ!!!!!
どうやっても無理ゲーです、本当にありがとうございました。
というレイジの意識は宙を舞うことで綺麗に消えていた。
……しかし、な。
「中々しぶといのぅ、若いし」
もう何度目になるのかは分からないが、
少なくとも、十回かそれ以上か、
それほどまでに投げられていても、
松田という男は諦めずに這い上がる。
事実、
「……ハッ。こっちはそう柔な鍛え方してないんで」
立ち上がりながら、そう口にすると、
口元に拳の付け根、
手首近くを下顎に付けると、
擦る様に弾いてみせた。
成る程、どうやら諦めとは縁が遠いらしい。
としても、
……ここまで意地が悪ければ、もうそろそろかの。
何回かやり合えば、普通であれば、諦めるモノだが……。
そうではなく、ここまでやれるのであれば、
もうそろそろ負けてやっても良い様な気もしなくもない。
が、
……それは許さぬだろうな。
手を抜かれたと気付いてしまえば、
意味がない。
これは人の生死が掛かっているのだ。
ここで彼が諦めるのであれば、彼は死に、
諦めずに彼女から一本を取れば、彼は生き返る。
戦う意思失くして生きる意味などはない。
それが戦士と言う生き物であり、
同時に英雄と呼ばれる生き物なのだ。
そう、
これは言わば、
……格が上げられるか、上げられないか、それだけじゃのぅ。
己の人としての格を上げられるか、上げられないか。
それを見定める、
試練のようなモノだ。
今、彼は英雄になる為の階段を上り始めている。
そんな人材は貴重であり、神自ら会おうと思って会えるモノではない。
会ってみたところで、もう死んでいるか、
引退してるか、
そのどちらかの場合が多い。
成り始めていて、更にまだ、
既に一度、死んでいるが、
生きている。
生きている状態で会えるのであれば、
そんな人材の格を上げてやるのが、
……神の役目、じゃろうが!!!!
何回目からか、受け身ではなく、
攻めに回り始めた彼の攻撃を弾きながら、
テュールは考える。
……にしても、この若造の攻め手は、
向こうが掴もうとしてくる手を弾き、
逆にこちらが掴もうとすれば弾かれ、流される。
攻めであろうが、受けであろうが、
全く変化がない攻防に思う。
……面白いのぅ!!!
神や、半神といった人外の存在であれば、
槌や槍などといった道具に頼る戦いをする。
下界の人間たちの戦いもそこは変わらない。
テュールの様に、武器に頼ることなく、
己の身一つで戦おうとするのは探してみたところで滅多にいない。
だが、目の前の人間はどうか。
彼女の様に、この身一つで武器に頼ることなく戦っているではないか。
そして、
何度投げられようと、
何度倒されようと、
決して諦めることなく、立ち上がり、
立ち向かってくる。
成る程、
……その点は評価してやらんといかんのぅ!!!!
「……っ、しつこい男じゃのぅ!!!!」
「へっ、そこまで褒められるのは久しぶりです、よっと」
弾き流す。
「……ま、こっちももう何年もやり合ってないんで、だいぶガタが来てますけどね」
ハハハッ、と笑いながら攻めてくることに、
……何を言うておるんじゃ、こやつは!!!!
ガタが来ていると言いながら、先程からより一層攻めと受け、
攻防の勢いが増しているのに何を口にするのか。
……ちと小細工でもしてやるか。
場の流れが変わり始めたことをテュールは察した。
このまま互いに攻められずにいれば、
先に参ってしまうのはこちらだろう。
であれば、
ここで先手を打って流れを変えた方が良いと考えるのは当然とも言えた。
そう考え、
テュールは一瞬、息を止めると、
前に向かって、両の手を弾き出す。
刹那、
「……っ!?」
何が起きたのか、理解できずに松田は外に弾き出された。
だが、
……今のでも、外に出せんか!!!!
瞬間的なモノだったとはいえ、
流れの隙を意図的に作ったのだ。
そこに反応する事など出来るはずがない。
大抵のモノは一瞬の変化で命を落とす。
変わることがないやり合いの中で変化など起こるはずなどないと、
妙な一手で勝負を仕掛けるなど思うはずがない。
故に、
その油断を突かれるわけだが……。
しかし、
この男は、
……油断も隙も無い、か。
油断をさせようと思ってやってやれば、
そこには一切の油断がなく、
隙を突いてみれば、
実は隙でもないという。
……こやつ、何故死におった?
死に至る理由がないと、その時テュールは思った。
油断も隙も突いたのに、実は故意的に作って突く様にしてみせる、
そうやれる人間が死ぬ理由がテュールには分からない。
としても、
テュールは一手を打ったのだ。
だとすれば、
……次で勝負を決めに来るか。
……は?
レイジは一瞬、起きたことが理解できなかった。
相手の拳を弾き、流して、胴を掴もうとすれば、
逆に掴まれ、
逆手に流してみれば、掴めない。
打ち手がない状況でいきなり息を吸ったと思えば、
吐くと同時に両の手が突き出され、
気が付いてみればぎりぎり内側にいるというこの状況。
……何が何だか分からねぇ。
相手の手を掴んで投げれそうだと思ったとか、
今度こそ一本取れると思ったとか、
そんな次元の話ではない。
気が付いた時にはあと一歩の寸前の場所まで飛ばされていた。
何をどう言おうとしても、
訳が分からない。
そうとしか言い様が無かった。
ここがレイジの中の世界であったとしても、
彼女がどんな手を打ってくるか、
どう動くか、
そこまでは決めることなど出来ようがないし、
出来るはずもない。
しかし、
……ってなると、だ。
自分には理解の出来ない手段を取って来た、
そうとしか表現できないだろう。
彼女がそんな手を出してくるということは、
恐らく、これは、
……奥の手、ってことか。
一手、攻め手を打てば、
現状に変化を出せると思ったのか、
それか、この現状、
互いに攻めに、
互いに受けに回るこの現状に、
なにか危機意識を持ったのか。
それはレイジには分からない。
レイジは人であって、
神ではない。
しかし、その神が変化を起こそうとしたということは、
現状に何かしらの一手を打つべきだと思ったからだろう。
であるのなら、
レイジも今までの攻撃ではない一手を打つべきだと考えられる。
が、
……んな急に妙な一手を打とうって言ってもな……。
まず投げ技の効果がない。
いや、
一応、投げ技としては機能している。
だが、
投げてみたところで両足を支えにされては、
どうにも手が出せない。
片腕は取っているのだからどうにか出来るだろう、
そう思って十字固めに腕を挟もうとすれば、
今度はこちらが投げられる。
それが投げらない姿勢にも関わらず、だ。
片腕を取って十字固めには出来ず、
押さえに向かえばまた投げられる。
このパターンは、
かつての師との一戦以来だ。
あの時も投げては両足で畳を踏みつけ、
一本を防がれ、
逆にこちらが一本取られるという、
本当に、訳が分からないとしか言い様が無い一戦だったわけだが。
それでも、
奇跡的に、
その文字通り、本当の奇跡的に、
なんとか一本を取れることが出来た。
……そうだ。
なんとか一本は取れたのだ。
自分の、
超えられない、
超えることが出来ない絶対的の大きな壁を、
自分の手で、
崩すことが出来たのだ。
とは言っても、
あれは、何憶分の一の低確率を引き当てただけだ。
そして、
彼女は、
師は、自分と同じ人間だ。
神ではない。
そして、目の前にいる人物は神だ。
彼女自身の言葉を信じるとすれば、だが。
……いや。
そう言う前に、自分は何と言ったか。
彼女が自分は神だと言った言葉を信じたのではなかったか。
とすれば、
彼女はそもそもの立ち位置が違う。
人間ではない、
人を遥かに超えた存在、
人類を超越した高次元的存在、
そのはずだ。
その存在から一本取る、
それがどれほど困難なことか、
レイジは今更ながらにその困難をうすらながら理解し始めた。
とは言ったものの、
……打てない手がないわけじゃねぇ。
レイジは諦めていなかった。
師と打ち合っている時、
あの時は絶望しかなく、
希望と呼べるものすら何もなかった。
しかし、
今はあの時とは違う。
確かに、現役から退いて早六年弱、
その間、レイジは柔道と呼べるものは打ち込んではおらず、
打ち込めていても、山仕事、
ただそれだけだ。
まぁ、
仕事に打ち込みつつ、
仕事終わりに山を下りては、
其処らで屯している不良たちを相手にしていただけだ。
それも、素人に毛が生えた程度の、
不良と呼んでいいかよく分からない、
一般人と不良との間を行き来しているだけの、
その程度の。
しかし、そんな相手でも、
相手は武器で、
自分は無手で、
しかも相手が自分よりも何人も連れているという、
そんな絶望的な状況を何度も、
それを何度も繰り返したのだ。
現役時代よりも、
何倍もの激戦を、
いや、
何倍ものぬるま湯の様に温い戦いを。
そう、
一応、現役とは程遠いが、
しかし、
現役よりも動いているのだ。
であれば、
少なくとも、現役時代よりかは動けるはずだ。
そうなれば、
打てるはずの手がなくなるというのは、
……あり得ねぇわな。
そりゃ、そうだわな、とレイジは考える。
そうだ、
手はあるにはある。
だが、
それが有効ではないと分かった時、
その時は、
自分には手がなくなってしまうわけだが、
……やってみねぇと分かんねぇか!!!
そう思うと同時に、
レイジは再び息を吸い込む。
そして、
吐き出すと同時に、
彼女に、
目の前にいる自身の敵に向かって、
静かに、
しかし、大きく踏み込んでみせた。
……来るか!!!
打てる手をどう打つのかを考えていたのか、
暫く動かなかったわけだが、
唐突として動き出したレイジの動きを、
しかし、
テュールは気の流れを読んで悟った。
……突っ込んでくるのか?
動きとしては先程と同様ではある。
だが、
先程と違うのは、
こちらが主に動き、
向こうは動かずにいたということだ。
それはそれで、
なんで有効打になり得なかったのか、
その一点が疑問に残ってしまうわけだが……。
とは言え、
動かずにいた男が動いて見せる、
ということはつまり、
事態が大きく動こうとしているということで、
……先の一手が通じた、というわけじゃな。
簡単に言えば、
そういうことだ。
いや、
そういうことなのかもしれない。
しかし、
テュールはそうは受け取らなかった。
と、
相手に注視してみれば、
先程よりも若干ではあるが、
やや前より、
前傾姿勢を取っている様に窺える。
……? なんじゃ?
先程までは傾くことはなかった。
向こうが傾きはせずとも、
こちらを傾かせはした。
ならば、
先程と同様に傾かせに来ると考えてしまうが、
今度は相手が傾きながら来る。
ということは、
……別の得手があるか……?
テュールはそう考え、
打ち消す。
いや、
それは違う、と。
……奴の得手は先程と同様の筈。
そうでなくては、
先程までに出しているはずだ。
互いが互いに手を出し尽くす寸前で。
それを出さなかったということは、
……こちらの手を見るためか、
或いは、
……そもそもの手がないか。
そのどちらかじゃな。
こちらの手を見るためというのはあるやもしれん。
が、
向こうは向こうで察しておったじゃろう。
さすれば、
手がないというのはなかろうて。
とすれば、
……儂と同様に搦め手で来ると見た方がよかろ。
搦め手、
こちらと同じく魔法を使うか、
或いは、
向こうの世界で使われる奇手か。
しかし、
そのどちらとしても、
……面白いがの!!!
テュールは独りでに頬を歪めた。
気配が変わった。
こちらが先程とは動きが違うことに、
何かを察したのかもしれない。
それでも、
……やってみねぇと……っ、
もう一歩、
踏み込む。
……分からねぇわな!!!
こちらが捉えるのは、
相手の胴ではない。
胴を取るという選択にはあった。
しかし、
それでは先程と同じく弾き、
弾かれを繰り返してしまう。
であるのなら、
……腰……っ!!!!
正確には腰下、
右太ももの側面だ。
そして、
捉えるというのも手で掴み取るのではなく、
腕と脇腹、
つまりは、
脇で足を挟み込むイメージだ。
そのイメージで、
レイジは相手の射程に踏み込んだ。
刹那、
「……そう容易くはさせんぞ、若いの!!!」
上半身に拳の連打が来る。
弾くことも、
流すことも、
何も出来ないままにレイジは耐え進む。
そうすれば、
……捉えた!!!
彼女の足を右脇で挟み込んで、
腕を太ももの後ろから下に、
膝下にかけて、
自身から離れない様に固定する。
……あとは……っ、
固定をしてしまえば、
後は容易なことで。
反対側の足裏に右足を引っ掛ければ、
……ベクトルをそのままに倒せるってな!!!
前に掛かる力がそのままであれば、
そして、不安定であればあるほど、
その運動を止めることはまず出来ない。
運動の力が掛かるのは、
レイジの進行方向、
つまりは、
「……ちぃ!!! 謀ったか!!!!」
彼女の背中、
倒れるだろう地面だ。
「……ちぃ!!! 謀ったか!!!!」
動けぬ両足を動かそうとするテュールだったが、
その甲斐も虚しく、
身体はただただ後ろに傾いていくのみ。
一応、
脱出する手はあるにはある。
しかし、
流石にそれをしてまで抜け出そうとは思わなかった。
何故ならば、
……この一手は読めんかったのぅ……っ!!!
悔しくはあるが、
同時に嬉しくもある。
出そうと思えばいつでも出せる、
その一手を最後の最後まで、
そう、
最後の一手、
切り札として伏せていたのだ。
その切り札を自分が出させた、
出さなければ、
勝てない状況にまで追い込んで、だ。
口では謀ったとは言えど、
心の中では、
……ならばこの一手は受けてやらんといかんのぅ!!!
嬉しく思っていた。
どの道どうやっても長引いてしまう、
これ以上手を出し合ってしまえば、
攻め手が無くなってしまうのはこちらではなく、
間違いなく、
向こうのはずだ。
なにせ、
向こうは人間で、
こちらは人外の存在、
神なのだから。
天と地ほどの差があるとは言え、
その存在に立ち向かってきた。
テュールとしてはその段階で評価には値するだろうと思える。
しかし、
……こやつは納得はせん。
納得できない勝利を得るのであれば、
死んだ方がマシだと、
そう言うだろうと簡単に予想は着く。
ならば、
最後の最後まで、
出せる手がなくなるまで出し尽くしたとき、
その時がこの男の真価だろう。
そして、
それはテュールの予想通りだった。
今、
こうして最後の一手を出してきたのだから。
だとすれば、
自分に出来ることは、
……起こしてやるだけじゃ。
その文字通り、
ここではなく、
現実の方で意識を覚醒させるだけだ。
内心でやれやれと肩を竦めながら、
テュールは背中に衝撃を感じると同時に、
意識を手放した。
「……ふぃ。ようやく一本とか、」
いやほんと、
「師匠と同じくらいきついのなんのって」
彼女を倒して、
レイジは立ち上がると、
荒く息を吐きながら、
額を拭った。
汗をかいた感触はない、
だが、
身体が無意識的に動いたのだ。
汗をかいたわけではないのに。
とすれば、
この一戦はかなり厳しかったのだろうと、
レイジは考える。
最後の一手、
あれは、『小内刈』という技だが、
国際柔道連盟では正式な技としては認められてはおらず、
認められているのは『小内巻込』と呼ばれるモノである。
しかし、
正確な技として意識したと言われれば、
どちらかと言えばこちらなので、
先程の技は『小内刈』ではなく、『小内巻込』と言った方が良いだろう。
かつての師との一戦で、
彼女に掛けたのがこの技ともう一つ、
彼女の十八番である、
『巴投げ』。
通用したのは結局、
その二つだけだった。
そして、
何故テュールには『巴投げ』をせずに、
『小内巻込』を繰り出したのかと言えば、
……『巴投げ』だと隙がデカいんだよなぁ……。
『巴投げ』であれば、
まず最初に相手と組み合わなければならず、
更に組んだ状態で一歩下がって姿勢を下げ、
片足を相手の腰上に当て、
受け身を取る様に地に背が触れた状態で投げなければならない。
手順が少ないように思える技であるが、
どちらにしてもまず相手と組まなければならないのだ。
……組めねぇと技じゃねぇからなぁ……。
技として成立させなければ、
技ではないというのはかつての師の言葉だ。
しかし、
相手が本気で向かってくる以上は、
技は技として成立させなければならない。
レイジはそう思っていた。
そう考えれば、
『小内巻込』は公式の技として認められている。
それに、
……組み合わなくても突っ込むだけだもんなぁ、アレ。
他の技と比べれば、
『小内巻込』は手順が限りなく少ない。
相手の太ももを脇で挟み込んで、
右足で反対側の足を刈る、
ただそれだけだ。
細かい条件はあるにしろ、
大まかなモノはたったその二つだけだ。
正式な試合となれば、
帯より下を掴むことは違反と言えば違反だが、
連続した動きを繰り返している状態で、
それを見分けるのは難しく、
だったらいいかと実は判断基準が緩めになっているとは、
かつての師が言っていたことだ。
正確には、
「『小内巻込』をやるんなら、徹底的に大外なり背負いなり、」
いろいろやって、
「状況をかき乱して相手が疲れてからにしろ」
くれぐれも、
「体力がない状態でやるんじゃないぞ」
と言われたわけだが。
とは言え、
……師匠に通じたのがそれだけだからなぁ……。
あの人、基本投げ技封じしてくるし、
投げたら投げたで関節決めようとすると、
逆に決めてくるんだよなぁ……。
いや、ほんと訳分かんねぇよ、あの人。
と思うレイジの耳に、身体を動かす音が届く。
その音を聞いて、あぁ、と思いながら、
……この人も訳分かんねぇ人だわ……。
音がする方を向く。
すると、
「くは」
くくくくくっ、
「はっはっはっ、綺麗に投げられてしもうたわ!!」
はっはっはっ、と豪快に笑いながら立ち上がると同時に、
で、と言葉を切る。
「初めに言うたが、儂は主に投げられたわけじゃが」
一応、
「これが一本取られたという解釈で構わんかの?」
「……はっ?」
彼女の言葉が理解できずに、
レイジはぽかんと口を開いてしまう。
……一本。……一本?
柔道での『一本』とは、
基本的に投げ技で相手を投げた時に、
背を付くか付かないか、
その二つで区別される。
まぁ、受け身を取れたか、
受け身の姿勢には問題はなかったか等、
そういった細かい部分があるわけで、
そのせいで『技あり』や『効果』といったものがあるのだが。
今は気するべきはそこではない。
気にするべきは『一本』かどうか、
その一点に限られるだろう。
であるのなら、
「……だと思いますけど」
「そうか、そうか」
いやなに、
「人とこうして争うのは久方ぶりでの」
故に、
「下界で言う決まりなどにはあまり知らんのじゃ」
軽く手をレイジに向けて、
頭を下げる。
「すまんの、若いし」
「いえ、別に構いませんけど」
えっと、
「そしたら、自分はどうなるんでしょうか……?」
「おっ? なんじゃ、そんなことか」
それじゃったら、
「主の意識を覚醒させて起こしてやろうぞ」
「え……っと」
一応、
「一応訊いておきますけど、元いた世界じゃないんですよね?」
「元いた……?」
レイジの質問に、
テュールは何のことか一瞬分からなかった様だが、
改めて周りの景色を意識したようで、
「ああ、そういうことか」
そういうことなら、
「すまんのぅ。儂の力では元いた世界には戻してはやれん。」
せめて、
「ヘイムダル辺りなら道をつけてやらんことも出来るやもしれんが……」
というと、もう一度、頭を下げた。
「すまん!!」
いくら、
「いくら神だとは言えど、元の世界に返してやることは出来んのじゃ」
「……そうですか」
……そうか。
向こうには『ミラー』とか、『ダガー付き』がいるんだよなぁ……。
そうなると、
あいつら二人にはもう会えないってことだよなぁ……。
……って言っても、
こっちの戦場はリアルの戦場だし、
そうなったらなったであいつら戦えないだろうし。
……あっ。
でもなんだかんだですぐに順応するよな。
『ミラー』の奴はともかく、
『ダガー付き』は俺がやってるって話を聞いた途端にやり始めて、
気付いたら『サラマンダー改』乗れるようになってたし。
おかげさんでスレッドとかで『0G』と『ミラー』ってヤツ、
それとなんか名前の最初と終わりに『†』付いてるヤツがいる時には、
基本そいつらがいない所にいないと巻き添え喰らうから気を付けろって言われたんだよなぁ。
そのせいで、
攻撃サイドに着いた時には相手側が救難信号である赤の信号弾を、
防御サイドであれば味方側から救難要請を、
上げられたり出されたりしたわけだが。
……それに。
帰ったら帰ったで、
仕事が林業っていう、
事故死率が頭一つどころか飛び抜けておかしいところしかないもんな。
それに比べれば、
……こっちはこっちで壊れたら修理できるからな……。
機体が死ぬということで言えば、
最悪どんな状態でもどうにかなっている。
全壊に近い状態でも、
一応、
心臓部が無事ならば、
何度でも戦うことが出来るのだ。
……その点で言わさせてもらうと、まだこっちの方が楽だよなぁ……。
楽ではないのだが、
死の恐怖と戦いながら毎日山に向かうか、
修理して強敵を倒すか、
そのどちらを選ぶのかと訊かれれば、
当然、後者を選ぶ。
まぁ、
そんな仕事を選んだのは自分なので、
文句を言う権利はないのだが。
だからこそ、
「ま、別に構いませんよ」
それに、
「あの犬っころをどうにかせんと困りますからね」
「おっ? 」
なんじゃ、
「フェンリルの対応策でも浮かんだかや?」
「一応は、ですけど」
って、
「なんですか、師匠。その、フェン……、」
「フェンリルかの?」
「イェス、フェンリル」
えっ、
「なんですか、あの犬っころ。そんな名前とかあるんですか?」
「おいおい、若いの」
いいか?
「主が犬っころと呼ぶのは構わん」
じゃがな?
「あやつは、儂の友。……親なる友よ」
それを、
「儂の目の前で犬っころと呼ぶのはちと居心地が悪うて敵わん」
じゃからな?、と続けて言おうとする彼女の気持ちを、
レイジは察し、頷いた。
「分かりました」
そういうことなら、
「貴女の前では出来る限り言わない様にします」
それで、
「それで構いませんか、師匠?」
「おぅ。すまぬが、そうしてくれ」
手を払う彼女に、
レイジは無意識的に頭を下げる。
そして、彼女はふと思い出したように、
「……で、一応訊いとくが、その『師匠』とは誰のことじゃ?」
「いや、貴女のことですけど」
えっ、
「もしかして、そういうのとかダメだったり……?」
「あぁ、いや、構わん。構わん」
ただ、
「ただの。そう呼ばれるのは久方ぶりでのぅ」
何分、
「近頃は、人と関わらんようにしておっての」
それに、
「関わるとは言うても、酒場じゃなんじゃで、話すことなどない故な」
「……成る程」
それじゃあ、そう呼ばれるのが無くなるわな、と、
そう思うレイジに、
しかし、彼女は訊いてくる。
「因みに、その意味はあるかの?」
「……へっ?」
あっいや、
「昔、自分に技を教えてくれた人に雰囲気が似てるっていうか、」
なんとなく、
「身体に纏ってるオーラが似てると言うか……」
「ほぅ? そげん似てると申すかや?」
「似てるというか……」
……似すぎてるんだよなぁ……。
誰も寄せ付けず、
寄ってくれば叩き潰す。
そうしていれば、寄り付く教え子など付くはずもなく、
気が付いた時には彼女に教えを受けていた時には自分だけになっていた。
とは言っても、
別に彼女が厳しかったわけではなく、
ただ単に周りが付いて来れずにいて、
自分が付いていただけに過ぎないだが。
……別にそこまできつくはないと思うんだけどなぁ……。
どうなんだろうなぁ、とレイジは独りでに考える。
そんなレイジを他所に、
「そうか。……そうか、儂を師と呼ぶか」
うむ、
「ならば、許そう」
そうじゃ、
「儂のことは師匠と、そう呼ぶがよい、まつ……、」
「あっ、レイジで大丈夫です」
「そうか、レイジ」
「あっはい」
そう口にすると、
テュールとレイジ、
神と人は互いに手を出し、
互いの手を握り返したのだった。