第十二話 魔狼との会敵
「しっかし、そりゃ困っちまうなぁ、おい」
どうすんだよ?、と飲みかけのグラス片手に振り向きながら、ゼクスが問い掛けてくるのをレイジは肩で受け止める。
そして、肩を竦めながら、参った、という様に両手を上げるとレイジは彼女に言葉を向けた。
『俺に言うな、ゼクス。どうにかしてはやりたいが、こちとら畑が違う。
……楽器に関しちゃ全く知らん』
と言ってから、横で話を聞いていたであろうミハエルに視線で問う。
レイジからの視線を受けて、ミハエルは一回咳払いをしてから、
「えっと、一応確かめていいかな?」
と訊くが、
『確かめるも何も……。今言ったのが全部なわけだが』
「あぁ、うん。そうだよね。……うん、ごめん」
レイジに冷たく返されたことにミハエルは何も言えなくなってしまう。
だが、
「えっと。要するに、演奏会をやるんだけど、練習に使う楽器を持ってないから買おうかどうしようか、」
と、
「それを悩んでるわけだね?」
『まぁ、端的に言えば、そうなるな』
で、
『なにか策はあるか、親父殿?』
改めてレイジは、ミハエルに策を問う。
その疑問に、
「なくはない……、かな?」
疑問符を上げながらもミハエルは答えた。
なくはない、ということはつまり、一応策としてはあるが、場合によっては策として機能しないのかもしれない。
つまりは、
……そういうことか。
成る程な、とレイジはそう結論付け、
『で、その策ってヤツを俺は手伝えるか?』
と訊いてみる。
役には立てない可能性がかなり高いが、それでも役に立ちたいと考えてしまうのが男という生き物である。
それを理解しているのだろう、レイジの言葉にミハエルは困ったという様に苦笑いを浮かべ、
「あ~、うん。多分、今は大丈夫」
でも、
「後で手伝ってもらう時にはぜひ力を貸してくれないかな?」
と訊かれ、
レイジは、
『了解した』
と言葉を返しておく。
そうして三人で会話をしている所に、扉が開かれた。
そこにいたのは、
「あれ、ティアナはここではないんですか?」
いかにも宗教関係者といったシスター服に身を包み長い銀の髪を揺らす女性がいた。
その女性を見るや否やミハエルが彼女に声を掛ける。
「ルーティア!! ……どうしたんだい? 来ない様にしていた君がなんで?」
と訊くのに対し、
『おっ。母上殿、久方ぶりであります』
「おっ、女将じゃん。……あれ? なんで女将来てるんだ? ティアナ嬢は?」
レイジとゼクスはさも当たり前という様に会釈をしながら口々にする。
まぁ、ゼクスだけは疑問を口にしていたが。
その問いに引っ掛かりを覚えただろうレイジは、改まって疑問をぶつけた。
『母上殿。ティアナは何処に行かれましたか?
貴女がここに来るのであれば、彼女が声を掛けに来ると思っていたのですが』
と言った言葉に、
「あぁ、レイジさん。お久しぶりです」
そうですね、
「孤児院の方ですが、手が空きましたので今夜の支度をしようと買い物をティアナに頼んだのですよ」
と応えてみせる。
彼女、ルーティアは先の言葉通りに孤児たちの面倒を引き受けている。
ティアナも孤児の一人で、普段はルーティアの手伝いをしていたのだが、ミハエルと結ばれてからというものの、孤児院の面倒を見たり、ミハエルの方に顔を出したりと二足の草鞋を履かせる状態になっている。
更には、レイジの手伝いをする様になったおかげで彼女はより一層忙しくなっているわけだ。
だがそれでも、とレイジは考える。
普段は優先順位を付けて動いているはずのティアナが孤児院を留守にした挙句に、研究所の方にも顔を出していないというのは少し妙だと感じられた。
とするのなら、
……途中で何かが起きたか、あるいは何かに巻き込まれたか。
と結論付ける。
だったら、という様にレイジは口にする。
『外の様子なら、俺が見てきますよ』
まぁ、
『ティアナもティアナで、そんなに危ないことに首を突っ込もうとはしないと思いますので』
そう言うと、レイジはゼクスに目配せする。
その視線を受け、
「了解だぜ、大将」
まぁ、と言いながらゼクスは鞘に入った剣を肩に担ぎながら立ち上がり、
「オレもオレで出来る範囲には限界はあるが」
『ハッ。……どの口が言いがやる』
ゼクスの笑おうにも笑えない冗談にレイジは鼻で笑った。
そして、
両の手で『サブマシンガン』に似たモノを掴むと器用に回してから、
『それじゃ、ちょっくらコンビニ行ってるぜ』
と言ってみせた。
その言葉を聞いて三人は、
……コンビニってなんだろう?
と思ってしまうのだった。
「で、大将ティアナ嬢が買い物に出かけるとして、だ。何処をどう行くと思う?」
外に出てから数分と経たない間にそう訊いてきたゼクスに、
『おいおい、ゼクス。そういうのはいちいち人に訊くんじゃねぇよ』
とレイジは返した。
しかし、それから間もなくして、
『まぁ、俺が考えたところで大体は外れるだろうし』
だからま、
『言ったところで意味がなさそうなんだよな……』
「意味がない? どういうこった?」
いいか?、と前置きをしてから、
『ティアナが戻って来ないってことは普通はない。あいつはあいつで考えて動けるからな』
「ってこたぁ……」
レイジの言葉に理解を示したであろう、そう口にしたゼクスにレイジは肯定を口にする。
ああ、と口にして、
『つまりは、その逆。……ゼクス、逆に考えるんだ』
「逆?」
『そうだ、ゼクス。逆に考えろ。……戻って来ないんじゃない』
一呼吸を置く。
『戻って来れないんだ、と』
「戻って来れない? それって……」
と口にしてから、合点がいったという様に手を叩く。
「どこぞのバカがお嬢を拉致ったってことかっ!!!!」
ああ、クソッ!!!、と地団駄を踏む彼女に、落ち着けとレイジは手で制してみせる。
『落ち着け、ゼクス。まだそうと決まったわけじゃない』
とは言っても、
『大まかにはそうだろうがな』
そう口にしたレイジに、ゼクスは怒りを向ける。
「そうは言うがな、大将っ!!!
今もこうしてる間にお嬢がどうなってるか、分からねぇんだぞっ!!!?」
『だからこそ、だ』
だからこそ、
『落ち着け。その怒りをぶつけるのは今じゃない』
ああ、
『ティアナを見つける時まで取っておけ』
手で制すレイジに、ゼクスは怒りをぶつけようとして、
……ちょっと待て。なんで大将は怒ってないんだ?
今ゼクスが怒っているのなら、レイジも怒って当然だ。
何故なら、ティアナとの付き合いはゼクスよりも長いはずなのだから。
その彼が、今、全く怒る様子を見せていない。
何故、
なぜ怒らないのか?、とゼクスは疑問する。
そうして彼を見ている間に、怒りが静まってくることを自覚しながら、同時に分かることがあった。
……ああ、怒ってないんじゃない。オレの比にならない位怒ってるわ、これ。
彼の身体を見ると、体内の空気を吐き出すためにあるであろう噴射口から勢いがついて空気が漏れていた。
それもただの空気ではない。
熱気だ。
近くに居るだけのゼクスでさえも汗をかきそうなほどの猛烈な熱気が、彼の身体から吹き出ている。
これほどの熱い空気を外に出しているのに、出している本人が普通なわけがない。
こうしてみれば、彼は如何に怒りを感じているのかが感じられた。
というやり取りをしていると、
「おいっ!!! 応援はまだかっ!!! 」
「応援? おいおい、またか? 」
「いや、流石にあんなのじゃないが……」
そんなやり取りをしている兵士の会話が聞こえた。
その会話を耳に入れたゼクスとレイジは、互いに目を合わせてから、
「おい、大将……」
『……かもしれん』
と言うや否や、ゼクスがそちらに身体を向ける。
そして、
「おい、あんた」
「あっ? ……なんだ、貴様?」
疑問に思ったのかそう訊いてくる兵士だったが、もう一人の兵士がゼクスの近くに居たレイジの姿に気が付いたようで、
「お、おい」
「あっ? なんだよ、いった……」
こちらを指差す様にしていた指先を見て、何があるのか訊こうとした兵士は口を半開きにする。
そして、何が聞きたかったのか、それを悟った様子で、
「む、向こうです!!! 向こうで数人が足止めしてます!!!」
ですが、
「仲間がやられました!!! 」
そう言われた言葉に対し、レイジは片手を挙げることで応え、兵士が指差す方へ身体の向きを変え駆けて行く。
それに遅れる形で、
「ったく、相変わらずこういう時だけは早いな、大将っ!!!」
文句を言いながらゼクスも駆けて行く。
二人の様子を見て、残された兵士たち二人は互いに目配せをし、
「……どうする?」
「流石に二人だけじゃきつくないか?」
「だよな」
仕方ない、
「応援を呼んでくる」
「じゃあ、警備の連中に声掛けて来るぜ」
「遅れるなよ?」
「そっちこそ」
互いの手を叩いて、二人の兵士たちはそれぞれの役目を果たすため、
走り出すのだった。
「ちぃ……!!! こいつ、なんて動きを……っ!!!」
「クソっ!!! そっちは無理だ!!! こっちに来い!!!」
「了解!!! ……おいっ!!!」
「ダメです!!! そっちに行けません!!!」
一匹の狼を囲む様に何人かの騎士たちが囲いを作るように円となるが、その円の中で囲われ様が気にしない様に一つの旋風が巻き起こっていた。
その様子を少し離れた所で、彼らを眺めている一人の少女がいた。
「とりあえず、気になったから見に来たけど……」
もしかしなくても、
「これ、ちょっとまずかったりするかなぁ……」
まずいなぁ、とティアナは独り言を呟く。
元を辿れば孤児院の経営をしているルーティアの手伝いをしようと考え彼女に訊ねたことから始まらなくはないのだが、正しくは騒がしくなり始めた騎士たちの声に興味でここまで来てしまったことになるだろうから、
……これ、自分のせいだよねぇ。
興味に赴くままに来てしまった自分自身のせいになるだろう。
まぁ、戦えなくもないか、と野菜なりが入った買い物袋を離れた位置に置くと、腰の鞘に挿してある自身の剣、その柄を撫で、息を一つ吐いてから、騎士たちの声が聞こえる方へ体の向きを変えた。
刹那、
数人の騎士たちが吹き飛ばされる音と、激しい風が吹き荒れる音が聞こえた。
直後、
……っ!!!
鋭い視線と殺気をティアナは身体に感じた。
その殺気を受け、ティアナは手で掴む剣を落としそうになる。
だが、
……でも、ここで退いたら。
ここで下がれば、彼の横で戦うことは出来なくなってしまう。
それについて自分は関わることは出来なくなってしまうだろうし、そもそもの話が、
……それは嫌だな。
そう考えるのは嫌だった。
守られるのは弱いのであれば仕方がないだろうが、今の自分には戦える力がある。
ならば、その戦える力を今発揮しないで、何時発揮するというのだろうか。
と考え、
ああ、
とティアナは理解した。
ああ、そうだ。
ああ、その通りだ。
私は逃げたいんじゃない。
彼の隣にいたいから、
「……それじゃ、出来る限り頑張るかな」
戦いたいんだ。
と思い、踏み込もうとした刹那、
豪風と共に、
一つの声が隣を駆け抜けた。
それは、
『イエェェェェェェェェェェェェェェェェェェィィィィィイ!!!!
ウィィィィィィ、アァァァァァァァ、オォ、ディ、エス、
ティィィィィィィィィィィ!!!!
イエェェェェェェェェェェェェェェェェイ!!!』
という掛け声だった。
『イエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェィィィィイ!!!!
ウィィィィィィ、アァァァァァァァ、オォ、ディ、エス、
ティィィィィィィィィィィィ!!!!
イエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェィィィィイ!!!!』
両手に持った『サブマシンガン』の引き金を握り締め、目の前にいる少し大きく見える狼に向け、斉射する。
銃口から出る弾丸は一発だけではない。
一発、一発と連続して打ち出されるその数は、
六発。
……ま、一発だけの単撃ちじゃないだけまだマシか。
しかし、その六発は、打ち出される度に次の六発が吐き出されるまでに、少しの時差が生じてしまう。
それを考えれば、一発だけの単発撃ちではなくなっただけマシとも言えなくもない。
とは言え、
……命中率低いな、おい!!!
一発たりとも命中弾はなく、全て狼の数歩前の地面を擦るだけに終わってしまう。
それでも、
『止まるわけには……っ!!!!』
……っ、
『……行かねぇんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』
咆哮と共に、左足を前にしてから、右足を軸にし、
レイジは身体の勢いをそのままに左に身体を回す。
足を外側突き出した状態で回るということは、振り子を回す状態と同じだということだ。
そのため、シュツルム・アインスは勢いを増して、回転が掛かる。
しかし、いくら勢いがあるからとは言え、来ると思っているモノがそのまま当然という様に来れば、避けるのは容易だと言えよう。
事実、レイジの蹴りが当たる数舜前、狼は当たって当然だと言える軌道上から逸れてみせた。
だが、
『いの一番で、とっておきを出してたまるかよ!!!』
回し蹴りの振り足をそのままに、軸足も振ることで、レイジは虚空で全身を回してみせる。
流石に、そこまでは読めていなかったのか、落とされる形で狼の身体は、振り下ろされた右足に地面に胴体を縫い留められることなった。
その様子を少し離れた形で見ていたティアナに、
「無事か、お嬢!!」
と、声を掛けるゼクスの声が聞こえる。
それを予想してなかったのか、
「ゼクスさん?!」
ティアナの驚く声が聞こえる。
「大丈夫か!!! ケガはしてない……みたいだな」
「は、はい。私は何とも。だけど、義兄さんがっ」
「大将?」
こちらを気遣う様に言葉にしてる二人の方に向け、レイジは立ち上がりながら、片手を挙げる。
その動作に、
「大将なら問題ねぇ」
「……えっ?」
「問題があるとすれば、オレたちだ。
オレらがここにいたら、大将が戦いにくくて仕方ないだろ」
だから、
「ここは大将に任せて、オレらは下がろう」
と口にする。
その言葉に、納得がいかないと言うような態度だったが、
渋々と言った具合で、
「……分かりました」
とティアナが頷く声が聞こえる。
その為か、
「よし。 ……大将!!! ここは任せた!!!」
その言葉に、レイジは片手をもう一度上げることで応えた。
それを了承だと受け取ったのか、ティアナたちが離れていく気配が感じられた。
『ここにいるのは、俺らだけ、……ってか』
しかし、
『踊りの相手がクソでかい狼とはな。
……個人的には女性と一曲踊りたいわけだが』
やれやれ、
『泣けるぜ……』
レイジの言葉に、同調するように起き上がって一瞬鼻で笑った狼に、
……こいつ、人の言葉分かってんのか?
と思った。
しかし、そう思ったのも一瞬で、
一体と一匹は、同時に動いて見せた。
人と獣では身体の使い方は全く違う。
まず、
人は地に足を着け歩くのに二本足で動くモノだが、獣は四本足で動くのが基本だ。
とは言っても、
二本足で動ける例外もいるが、
ここでは、それは考えないものとする。
二本足で動くということは、それだけ身体を支えることが難しいとなるが、二本足よりも多い四本足でなら、その問題は解消される。
そして、身体を安定しやすいということは、それだけ早く動けるということで。
それを証明するかのように、
『だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
クソッたれがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
さっきから避けんじゃねぇよ、クソッたれ!!!!!!』
レイジはこれでもかとばかりに両の得物を前に向け、弾を当てようとするが、その弾はことごとく避けられていた。
もの十数分間でしかないが、その時間の中で流石に当たらない弾を無闇に撃っては意味がないと悟ったのか、レイジは左右同時ではなく、左右交互に撃つ様にしていた。
とは言っても、
……一発も当たらなきゃ意味がないってか!!!!
クソッ、と恨めしそうに吐き捨てる。
しかし、撃っては進んで蹴り飛ばし、後退しては撃つを繰り返していては、相手に行動を読まれてしまう。
とは言えども、手持ちの武器が両手の得物しかないのだから仕方ないと言えば仕方がないのだが。
相手もそれが分かっているのだろう、こちらを警戒しながら、近付こうか窺っている気配が感じられた。
だが、近付かれればこちらが負けるのは容易に想像できてしまう。
その為、近付こうと身体を地に伏せる瞬間を狙って撃っているのだが、
……だから、なんで当たらねぇんだよ!!!
弾は当たることなく、数歩前の地を擦るだけに終わってしまう。
それを繰り返していれば、流石にレイジも何かがおかしいと思えた。
全ての銃に言えることだが、銃の構造上、弾は銃口が向かれた方向に一直線となって飛ばされる。
ただ、地球の上に立っている為に、下に掛かる力である重力を受けて、真っ直ぐに飛びながら徐々に下に向かっていくわけだが。
ただし、それは地球での話であって、地球ではない異なる異世界ではどうかと訊かれると分からない。
しかし、弾を撃つのに使うモノが異なればそうとも言えない。
事実、この世界では弾を作る為の金属加工技術はそれほど進んでいるとは言い難い。
バネを作るにしても、それを量産できるかと言われれば、年月を掛ければどうにかなるというもので、すぐに多くを作れる大量生産は出来てはいない。
その為に弾丸、
例えば、
一般的とされるアサルトライフルでいうところの5.56×45mm弾や7.62×51mm弾というモノは、
ここでは存在しない。
仮にあったとしても、弾を撃つ構造をしているものがあるかどうか等のことでしかないのだ。
その為に、今レイジが両手に持ち撃っている『サブマシンガン』も実弾を撃っているわけではなく、魔力で形成した魔力弾を撃っているだけでしかない。
魔力で作ったモノは重力等の外部からの力は受けにくいとされている為に、重力に引かれて弾が落ちる心配はない、とされている。
となれば、それを使うのが一般的には当たり前ということになるのだが。
しかし、その当たり前が通用しないとなれば、
……これ、最初から詰んでね?
負けが確定した状態、業界用語で言えば、詰みだと言えるだろう。
そうなると、使い物にならないものを使っても仕方がない。
と思い、レイジは一瞬動きを止めてしまう。
だが、
……残ってるのがとっておきたい一番のとっておきしかないんだよなぁ。
蹴りもダメ、飛び道具もダメとなると、最終的な手段であるアレしかないということになるわけだが。
出来れば、まだ手がある状態でそれを使うのは避けたい。
とっておきたいとっておきが効果がなかった場合、これまでの時間が全て水の泡になってしまいかねない。
この世界で過ごした三年弱を無駄に終わらせたいのかと訊かれれば、……出来れば意味があるものとしたい。
であれば、
……まだ出すわけにはいかねぇよな。
と結論付け、相手に意識を向けようとそちらを見た。
しかし、そこに相手である狼の姿はなく、
数瞬後、
自身の左腕を咥え、前方に飛んで行く背が見えた。
……んだとっ!?
どういうことなのか、それが理解できずに左腕を動かそうとレイジは意識する。
しかし、そこから反応が返ってくることはなく、
肘の先から火花が散るだけ終わった。
『……はっ』
その事に、レイジは乾いた笑いに似た声を出す。
そして、残った右腕を突き出して、
『ざっけんじゃねぇぞ……っ、
クソッたれの犬っころ風情がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
残った『サブマシンガン』の引き金を引きながら、レイジは咆哮した。
レイジの咆哮に気付いたという様に、狼は左腕を吐き捨てレイジに視線を合わせる。
その一瞬、
レイジは全身に感じることのない寒気を感じた。
途端に、狼に向けられた六発の弾丸が霧散する。
その事実に、レイジは全てを悟った。
……この犬っころ、ただのクソッたれじゃねぇ。
どちらかと言えば、
……ヤバい意味でのクソッたれだ。
少なくとも、三年前に戦った龍よりも強いと察した。
あの頃はまだ単発しか撃てず、しかも威力があるかと思えばさほど威力がないという、
本当に使い物にならないという意味での、
クソ仕様の武器しかなかったが。
しかし、今は単発ではなく、改良を加え六発が出る様になっている。
威力は高いかどうかは置いておくにしても、あの頃よりかはマシだと言えるだろう。
だが、いくら改良を加えているとは言えども、それが消えるということは。
少なくとも、
目の前にいる相手は今まで戦ってきたことのある相手よりも、
格上だということだ。
となれば、
……とっておきたいとっておきを出すしかねぇってわけだぁな、おい。
それがこの相手に効果があるモノなのかどうか、それすらも分からない現状ではあまり使いたくないというのが本心ではある。
本心ではあるがしかし、
『出さなきゃ、意味すらもねぇわな』
やれやれ、と言いながら、
それでもレイジは最後に残った『サブマシンガン』から手を放そうとはせずに、魔力を補充され装填された六発を放つために引き金を引いた。
先程、それが意味のないことだというのはもう分かっている。
ああ、
……分かってるんだ。
打つ手がもうほとんどなく、勝てない相手だとも理解はできている。
しかし、
……それでも。
それでも、
負けられない理由が自分にはある。
狼が咆哮し、自分に向かって駆けるのが見える。
再び霧散するのが目に映る。
意味のないことだと言われるだろう、
意味がないと笑われるだろう。
しかし、
そうだとしても戦える理由がある。
それを言葉にするのなら、
……だとしてもっ!!!
『意地があんだろうが……っ、』
狼が口を開くのが見える。
その口に向けて右腕を振いながら、
『……男の子なんだからなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
レイジは咆哮する。
しかし、その拳が狼の口に突き刺さるよりも前に、狼が頭を右上にずらし、拳が虚空を抜けた。
そして、
狼は腕の付け根を噛み砕いてみせる。
噛み砕かれた反動を受け、レイジは後ろに突き飛ばされた。
……くそっ。
両腕は砕かれ、突き飛ばされ、背を付いている現状、簡単に起き上がることが出来ない。
状況を見れば、
……詰んだか。
最早、打つ手の一つもなく、ただ死を、終わりを待つのみだ。
右腕は腕の付け根ごと噛み砕かれ、左腕は肘から先がない。
立ち上がろうにも、身体を支える支点がなければ、どうすることない。
そう、
どうすることも。
……あっ? ……ちょっと待て。
自分は今、何を思った?
腕がないから、支点がないから、立ち上がれない?
いや、
そうではない。
そんなわけがない。
腕がないから、支点がないから、
そういうのは、
生身の肉体がある普通の状態での話だ。
では、普通でなければ?
そして、今の自分はどうだ?
普通か?
……いや。
そうではない。
今の自分は普通でもなく、ただの鉄で身体が出来ている。
であれば。
だとすれば、
……まだ戦える。
まだ戦える。
死んだわけでもなく、
砕かれたわけでもない。
両腕はないが、
それでも、
足はある。
だとすれば、
……やれるか?
昔、柔道部にいた時、顧問の、
師匠と呼んでいた教師の言葉が思い出される。
『いいか、松田? たとえ、腕が動かなくても両足が使えれば、人間は地に足を着いて立つことが出来る。仰向けにならずとも、うつ伏せにならずとも、人間は立ち上がれるんだ』
そう言うと両手を縛り上げ投げ飛ばしてくれた光景を懐かしく思った。
そうして、
動作を教えられ、投げられ、動いてみれば、無事に立てたことに当時の自分は驚いた。
彼女もその反応を見て、口元を綻ばせ頷いていた……、様な気がする。
あの頃はなんでそんなことをするかと疑問に思ったりしたが、今になれば理解が出来る。
……いつか起こるであろう状態に備えて、か。
きっと、そんな状態にはなりはしないだろうが、それでも教えてくれたことに、
今、レイジは感謝していた。
……だったら、
レイジは、こちらを向いているであろう、あの狼に意識を向けた。
……やるしかないわなぁ!!!!
一度、身体を左へ傾ける。
反動を受け、上体は左へ流れるが、下の半身は遅れて付いて来るように動かす。
そして、上体を下の半身に寄せる様に引いて行き、己の下となった左、
その地面を、
蹴破った。
その動きは陸上ではまず行う動物はいないが、大地と干渉する他のモノが交わる空間であれば、話は別だ。
そんな空間が何処にあるのかと言えば、
海だ。
海には己を引く大地の他に、己を浮かせる力、
浮力が掛かる水がある。
その水で、己を逃がすために、身体を弾き逃げる生き物が存在する。
その生き物の名は、
海老だ。
その動きを参考にした、今レイジが行ったこの動きであるが、参考元が海老であるために、
『海老』と知っている者からは呼ばれている。
細かい呼称はあるかもしれないが、詳しくは分からないので、『エビ』と、そう呼ぶことにする。
その動きを行った直後、レイジは右足を勢いを付け、大きく外へ払う。
その動きで起こった反する力、
反力で地に、左に着けた上体が浮力を得て、
浮かんだ。
浮かんだ力を殺さない様に、レイジは左に着けた上体を、今度は反対側の右に返す。
すると、上体に引っ張られる形で、蹴破る形で伸びていた左足が、右側へ、上に重なる動きを取る。
なのでレイジは、先に返した右足を畳む様に折ってみせる。
身体は浮かび、地に着いているのは軸として変わった右足のみ。
ならば、畳折った右足を伸ばしてしまえば、
……あとは身体を回すだけ。
レイジは考えた通りに、身体を動かす。
そうすれば、
……元通りに立てる、ってわけだ。
これが師匠から教わった『エビ』を利用した立ち上がる方法だ。
本来であれば、両腕がある為に、この様にする必要はない。
……とは言ってもまぁ、こいつぁ、両腕が使えない時に使えるもんだがな。
生きている限り、或いは平凡な仕事に就いて平凡に日々を過ごしているのであれば、
この手段を取ることはまずないだろう。
しかし、悲しいかな、レイジはその様な平凡とはかけ離れたところで生きている。
事故死率が並はずれにおかしいほどに高過ぎる仕事に就いているという時点で、平凡から離れているのが分かる通りであるし、元が柔道の心得を持ち其処らにいる不良であれば、一人で大抵はどうにかなる、
いや、
なってしまう者の何処が平凡と言えようか。
とは言え、
……んなこと言っても、目の前の犬こっろはどうにもなんねぇんだよな。
やれやれ、と肩を竦めたくなるが、その気持ちを抑え、身体に喝を入れる。
何故なら、
『地面に倒したもんが立ねぇわけが、あるわけねぇわな』
普通はないだろうと、レイジは胸中で呟きながら、目の前の狼に視線を投げる。
その視線を受け、こちらが両足を、
いや、
残った全身を使って立ち上がっている事に驚いている様子の狼がいた。
レイジとしては、獣に一泡吹かせられたということに満足出来てはいたが、
『ボロボロにやられて、はいそうですか、って帰れるわけ……、』
ああ、
『……ねぇんだよなぁ……っ!!』
騎士も勝てず、
最後に残ったレイジでも勝てなければ、この獣を抑えられる者は誰一人としていないということになってしまう。
そうなってしまえば、
そのまま、王国内の侵入を許すことになってしまうだろうし、
そうすれば、レイジが知る人々は、
いなくなってしまうだろう。
それだけは。
それだけは、
……させるわけにゃ……、
息を吸い込む。
……いかねぇんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
もう既にない右腕を下に、
『シュツルムゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……っ!!!』
肘から先がない左腕も下に、
『ダイナマイトォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……っ!!!』
形がない両腕を一気に上に返し、レイジの、『シュツルム・アインス』の身体は炎に包まれた。
刹那、両肩から火花が散って、その僅かな振動を受け、レイジの身体が揺らぐ。
だが、
レイジは倒れることなく踏み止まって、
『吹き飛べやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!!!』
狼に突貫した。
その軌道は真っ直ぐで、狼は避けようともしなかった。
いや、する気がないのか。
事実、
狼の身体にレイジが触れるか否か、その僅かなタイミングで、狼はレイジを振り払おうと、首を動かしただけでしかなかった。
故に、狼の身体にレイジは触れることが出来、
周囲は爆炎に包まれた。
「やれやれ。全く、ロキの奴め。『フェンリル』の首輪を外した挙句に、あやつを送るか?」
普通はせんだろう、普通は。
「それに、ヤツに輪をかけるなら、トールの小僧もいるだろうに。
それをワシにやれと申すか?
いや、ワシとてあやつとは仲は良かったとはいえ、他だと食われるからおまんがやれというのはのぅ」
困った、困った、と、困ったそぶりも見せずに荒野を歩く女性がいた。
彼女は特に行く宛がなさそうに見えるが、しかし、その歩はもう既に行く宛が決まっているかの様に進めていく。
そうして進んでいくと、
「やれやれ。……ここにおったか、『フェンリル』」
白い身体をした鉄屑の身体を、骨を噛む様に噛んでいた狼がいた。
その様子を見れば、成程、犬の様に見えなくもないな、と、ぼんやりと思いながら見てみれば、
……ほぅ? あやつに一矢報いたとな?
狼を誰よりも知る彼女ですら知らない、焦げ付いた部分が見て取れた。
どんな手を使ったかは、現場を見ていない彼女には分からない。
しかし、
それでも、
鉄屑が、己を犠牲にして多を守ろうとした意志は伺えるというものだ。
更には、
……あの形でもまだ息をしとるか!!!
両の腕もなく、頭も噛み砕かれている状態で尚、鉄屑の中の魂は、
魂の火は消えていなかった。
どの様な手を使ったのか、
それは非常に興味深くはあったが、
……戦う意思は残っておる。 ……であれば。
彼女の役目は他にあり、それを行うのは自分ではない。
だが、
戦おうと、
守り抜こうと、
生きようとしている者を殺せるほど彼女は、
テュールは選択しようとは思わなかった。
何故なら、
「……『フェンリル』よ。ヌシの気も分からぬでもない。
己に挑んできたものをどうしようと、それはワシにはどうすることもできんのでな」
じゃが、
「ワシが、ワシの存在たる『正義』を見逃す程、甘くはないと。そうは知らぬヌシでもあるまい?」
そう彼女は口にすると、狼に対し、拳を握り、構えを取った。
「そやつを離してやれ。……さもなくば、」
ああ、
「昔遊んでやった様に、ワシが相手してやるぞ?」
と言った直後、
狼は鉄屑を吐き捨てると、その場を後にする様に、去って行った。
その動きに対し、
彼女は構えを解き、軽く両手を振る。
「一応は、こちらを理解は出来るか」
やれやれ、
「半端に意識がある分、厄介じゃのぅ。」
と独り言を呟くと、
ボロボロに噛まれた鉄屑に視線を向ける。
「ヌシの『正義』、ワシに通ったぞ」
さて、
「起きてみるかの、小僧?」