62.あの日から一年が経ち
"最後にスポットライトを浴びたのは、いつだったかな"
比喩ではなく、物理的な意味での話だ。
"小学校の劇で主役のお姫さまを演じた時、うん、そうね。それ以来か"
緊張のあまり、変なことを思い出した。横目で左右をちらっと見る。
並んでいるのは、自分と同じような白いコックコートを着た人達だ。
皆、緊張した面持ちで前を見ている。
"ああぁ、どうしよう、早く終わってほしいな。ドキドキしてきた"
それはいい結果が出るにこしたことはない。
だけど情けない話だが、とにかくこの瞬間が過ぎてほしかった。
奥歯を噛み、前を見る。せめて見た目だけでもしっかりしようと思った時だ。
「それでは審査結果を発表します。全国スイーツコンテスト若手部門、その栄えある第一回関東地域優勝者は」
耳に聞こえた声はマイクを通してのものとしか、楓には分からなかった。
頭の中で幻のドラムロールが鳴る。
「ホテルアルマンディ製菓部門所属、里崎楓さんに決まりました。おめでとうございます」
「えっ、ほんと、あっありがとうございます、ありがとうございます!」
喉から心臓が飛び出しそうな緊張は、喜びと驚きに変わってどこかに行った。
† † †
「優勝おめでとう、里崎さん!」
「次は全国大会だな、頑張れよ!」
「はいっ、ありがとうございます!」
職場に戻ると、皆が笑顔で待っていた。喜びを噛み締めながら、楓は頭を下げる。
「よくやったわねえ、ほんと。参加者、百名近くいたんでしょ?」と、楓のチューター役の宮本は拍手で讃えてくれた。
「確か九十八名です。や、自分でも夢みたいだなと思います」
「帰りの電車で乗り過ごしたりしなかった?」
「しませんよ! まっすぐ職場までたどり着きました!」
「冗談、冗談。でもほんと良かったよね。里崎さん、この一年ですごく伸びたからもしかしてと思っていたけど。本当に優勝しちゃうんだからね」
宮本の言葉に、楓は内心冷や汗をかく。実は地球とは違う世界で、余分に一年鍛えられました――なんて言えるはずもない。
そのことを知っているのは、地球上では楓本人とあと二人だけだ。
「おーい、皆、もう一つグッドニュースだぞ」
楓の優勝に沸く職場に、チーフパティシエが呼びかける。
皆の視線が集まったことを確認してから、彼はおもむろに口を開いた。
「さっき鈴村から連絡があった。パリで開かれた若手限定のスイーツのコンテストで、優勝したそうだ。獲ったのはショコラ部門」
沈黙、そしてどよめきがその場を覆う。
「さっすが鈴村君ね。やば、私の居場所なくなっちゃう」と宮本が青ざめるので、楓は「いやいやいや、そんなわけないでしょ、宮本さん」と慌てた。
「やー、でもパリだよ? お菓子作りの本場だよ? やっぱりあれかな、あのピレス・キャバイエの指導の賜物なのかな」
「じゃないかなと思いますよ。それに」
「ん、他に何かあるの?」
「いえ、何でもないです。多分、気のせいですから」
笑ってごまかす。
鈴村も異世界で経験を積んだからなどと、ここで言えるはずもなかったから。
代わりに「それより頑張りましょう。今日のイブを乗り切れば、きっと一息つけますから」と笑うことにした。
「あらあ、去年とずいぶん違うじゃない。クリスマスイブなのに働くだなんてって、ぼやいてたのに」
「人間は進歩する生き物ですからね!」
笑顔から真顔に戻り、楓は仕事に戻る。
そう、今日はクリスマスイブだ。あの帰還した日から、既に一年が経過していた。
「里崎の言う通りだ。休憩終わり、気合いいれていけよ!」
チーフパティシエの号令に、全員の雰囲気が引き締まる。
個人個人の動作が部品となり、キッチン全体が再び活動を始めたようだった。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
「お疲れ、里崎さん。あ、関東代表の方がいいかな?」
「もー、やめてくださいよ、宮本さん」
ベージュのダッフルコートを羽織りながら、楓は苦笑する。
一日の疲れが肩や背中に積もっていた。それでもこうして笑えるのは良いことだ。
ホテルを出る。イブの夜だけに、周囲は華やかだ。
六本木という場所柄か、イルミネーションが目につく。
"一年前と同じ風景だ"
ほぅ、とため息を一つ。
「寒っ」と呟いてから、心持ち足を速めた。
"多分、来年も同じなんだろうなあ"
足元を見た。これも去年と同じスニーカーだ。いい加減買い換えようと思いながら、中々その機会がない。
コートのポケットに手を突っ込みながら、体の向きを変えた。
遅い時間だが、まっすぐ帰る気は無かった。そう出来ない理由があった。
着飾ったカップルや楽しそうな親子連れとすれ違う。
"あたしは何のために"
自分と同年代の若者のグループが、路上で笑っていた。それもやり過ごす。
"何を求めて歩いているんだろうな"
声なき自問は自嘲の響きを帯びていた。
意味なんかないと知りつつ、それでもそうしなければやりきれない。
心の置き場所が無かった。
見覚えのある場所に辿り着いた。
喉の乾きを覚え、自動販売機にコインを入れる。
出てきたミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、一口飲んだ。
"確かこの辺だったよね"
自分でも何をやっているのかなと思う。こんなことをしても、見つかるわけがない。
あの時出会えたことは、偶然がもたらした奇跡だ。奇跡は二度は続かない。そんなことは知っている。
"だけど、どうしても"
会いたい。
話したい。
その欲求に突き動かされて、里崎楓は夜の路上にいる。
クリスマスイブの夜に、ぽつねんと佇んでいた。自分の行動を自分で笑いながらも、そうせずにはいられなかった。
ガードレールにもたれかかる。ペットボトルをもてあそびながら、視線を下に落とした。
いつまでこんなことをしているのか、と自分が自分に問う。
諦めたら、と自分が自分に問う。
けしてけなすわけではなく、優しくいたわるように。
けれども、楓はまだそこにいた。自分自身に謝りながら、心の欲求に従った。
個人の心など知るわけもなく、時間は無情にも過ぎていく。
冬の空気がコートの隙間に忍び込む。震えた。
あと五分だけ粘ってみよう。そう決めた時だった。
明確に意識するより、体が勝手に反応していた。
ガードレールから立ち上がる。そうさせたのは、鼻をくすぐる甘い匂いだ。
「この、匂い」
記憶がフラッシュバックする。
夜の町の景色と結び付いた匂いに、背中を押された。
その香ばしい匂いが、甘く胸を焦がす。
駆け出していた。スニーカーの底をアスファルトに叩きつけるように、楓は走る。
間違いかもしれない。
だけどそんな懸念が何だと言うんだ。
"こっち!"
角を曲がる。
少し離れた街路樹から、ブルーライトが射し込んでいた。その光を受けるように、一台の車が見えた。
白いキャンピングカー。サイドドアの一部を開いている。
「あ......」
声が勝手に漏れた。
見覚えのある折り畳み式スタンドが、視界に飛び込む。
その上に並べられた菓子が、楓の全ての注意力を奪う。
幻覚だろうか。いや、それにしてははっきりと見えすぎる。
「ベルギーワッフルの、キャンピングカー......うそ、これ、なんで」
楓はふらりと近づいた。その足を止めたのは、聞き覚えのある男の声だった。
「なんでとは失敬だな。このキャンピングカーの主がいるからに決まっているだろう?」
キャンピングカーから一人の男が身を乗り出していた。
ちょっと癖のある金髪がさらりと流れる。健康そうな褐色の肌が見えた。
楓の黒い瞳と、男の赤茶色の瞳が交錯する。
「あ、あ、ああああっ、ア、ラン!? なんで、なんで、あなたなんで日本にいるのよ!?」
「なんでって言われてもな。時空魔法を使ったからとしか言い様がないんだが。ま、とりあえずだ」
にぃと人の悪い笑いを浮かべ、男――アランシエルは楓を手招きする。
近づいた楓に、すかさずワッフルの一つを手渡した。
「寒い夜に温かいワッフル。悪い取り合わせではないと思うぞ?」
穏やかな口調で語りかけながら、角の無い魔王は軽く右目を閉じた。フッと赤い光が瞬いた。




