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異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第五章 大いなる菓子の祭典
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50.第二試合 ビスキュイ・ショコラ その二

「昨日はお疲れ様でした。さすがムッシュ、あのアランシエル相手の勝利、お見事です」


「ありがとう。あの、ロゼッタさん」


「はい、何か?」


「昨日からその誉め言葉、何十回となく聞いているのですが」


 ピレスは苦笑する。

 その横でロゼッタは「何度言っても良いではないですか! あの素晴らしい、こう、なんというか、ふわふわのスイーツがっ! 魔王のサヴァランに勝ったのですから!」と笑顔になる。

 第一試合を取ったということもあり、とにかく明るい。しかし、ピレスの表情はどこか浮かない顔だった。


「そうですね。確かに私のスイーツは、アランシエル君のスイーツより高い評価を受けた。それはそれで嬉しいのですが」


「ん、その言い方からすると何かありますね」


「はい。あのレベルのアシェット・デセールになると、そもそも作るパティシエ自体が少ない。その中で優劣を競ったとして、その結果が果たしてどれほど意味があるのかとね。単に好みの差ではないかとも言える」


「それは私の口からは何とも」


 ロゼッタは口を閉じた。

 ピレスも黙りこみ、コートの端の方を見る。

 そこは空間がグニャリと歪んでいた。分厚いレンズを通したようにも見える。空間魔法による結果だ。


「ユタカが気になりますか、ムッシュ?」


 ロゼッタが声をかけた。


「いえ、特には。彼ならきっと大丈夫でしょう。ビスキュイ・ショコラは、彼の得意なスイーツの一つですからね」 


「そうですか。私もユタカのスイーツを何度かいただきましたが、どれも美味しかった。彼はカエデの先輩ですし、我々が有利ですよね」


「普通に考えればね」


 短く返答しつつ、ピレスは腕を組む。

 そう、普通に考えれば、こちらが圧倒的に有利だ。あと一勝取ればいい。

 そして先輩と後輩なら、普通は先輩が勝つ。鈴村にも気を抜いたところは無い。ここで勝負は決まるかもしれない。


「それでも勝負は最後まで分からないものだからね」


「え、あ、はい。そうですね、ムッシュ」


 半ば独り言のようなピレスの呟きに、ロゼッタは律儀に反応した。

 浮かれるのは早いと自分を戒める。

「喜ぶのは勝ってからですよね」とピレスの方を伺うと、ピレスは頷いた。


「そう、それからで十分です。ユタカの腕を信じて待ちましょう」



† † †



 ビスキュイ・ショコラをオーブンに入れてから、鈴村は一つ息を吐いた。

 ここまでの工程は順調だ。何の問題も無い。


「あとは150℃に予熱したオーブンで、四十五分焼けばよし、と。うん、いける」


 冷たい水を一口飲み、気持ちを落ち着けた。

 焼き上がった後は、型から外すだけだ。待っている間にやることは特にない。落ち着いて座っておくだけだ。


 "里崎の方はどうだろう"


 鈴村は考える。

 ここからは向こうのキッチンは見えない。空間魔法とやらの原理はよく分かってはいない。

 けれども、とにかく遮断されていると分かれば十分だった。


 昔の後輩と異世界で再会する。

 しかも、その後輩とスイーツで競いあっているのだ。かなり奇妙な状況だと思う。


 "あいつがねえ"



 思い出すのは、楓が初めて自分の職場に来た時のことだ。

 その時はまだ、製菓の専門学校の学生だった。正式に働き始める前に、職場に見学に来たのである。


「初めまして、里崎楓です。この春からこちらで働くことになりました。今日は見学ということで、どうぞよろしくお願いします」


「ん、よろしくお願いします。鈴村豊です。この春で、こちらのホテルでは四年になります」


「四年っ! すごいですね、鈴村さん! あたしなんか、まだ未経験なのに!」 


「新卒なんだから当たり前じゃないかな?」


 くりくりした目を輝かせながら、里崎楓はキッチンを見渡していた。

 見学者ではあっても、きちんとコックコートとコック帽は着用している。鈴村のものとは違い、まだ新しい。

 少し緊張しているのか、その表情が堅い。


「里崎さん、そんな堅くならなくていいから。今日はほら、見学だし」


「は、はい。すいません」


「別に謝らなくてもいいからね。お菓子ってさ、食べた人を笑顔にするものだろ。作る俺達が怖い顔してちゃ、いいもの出来ないと思うんだよ」


 カスタードクリームを作りながら、鈴村は楓の方を向く。

 卵黄と砂糖が溶け合い、優しい甘い匂いが広がる。

 その匂いにつられるように、楓も柔らかい表情になった。


「そうですよね。なんだか、皆さんテキパキされていて、ちょっと圧倒されちゃって」


「最初は誰でもそうだよ。ちょっとずつ覚えていけばいいさ。それに、君はまだ学生だしね」


「ありがとうございます」


「うん。心をこめて技術を磨け。それでこそ、美味しいお菓子を作ることが出来る。これ、俺の座右の銘なんだ。参考になるか分からないけど、覚えておくといいかも」


 楓の返答を聞くより先に、鈴村はカスタードクリームをスプーンですくった。それを楓に差し出す。


「鈴村さん、これは?」


「味見してくれる? シュークリームに使うんだけど、いつも自分でしか味見しないからさ。たまには人に見てもらおうと思って」


 鈴村がそう言うと、楓はその表情を緩めた。


「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく」


 小さなスプーンである。ほんの一口で味見は終わった。

「バニラビーンズの風味がスゴく効いてますよね」という誉め言葉に、鈴村も表情を緩める。


「いつもやってるからな。君もここで働いたら、これくらいはすぐに出来るよ。今日のところはお客さんだ、色々見ていきなよ。あ、それと」


「はい?」


「あんまり味見しすぎると、後で体重計見て後悔するからな?」


「気をつけます!」


 ピシッと直立不動になり、楓は鈴村の冗談混じりの助言を受け止めた。

「本気になるあたり、若いなあ」と鈴村は肩をすくめる。




 チーンとオーブンが音を立て、焼き上げの終わりを告げる。

 思い出から現実に意識を引き戻しながら、鈴村は立ち上がった。 


「さて、出来はどうかな。可愛い後輩ではあるけど、俺も負けてやる気はないしね」


 軽く肩を回す。

 オーブンを開け、鉄板を引き出す。

 ほぅと軽く、それでいて芳醇なチョコレートの匂いが立ち上る。

 視線を落とせば、そこには見事に焼き上がったビスキュイがある。

 表面はピシリとひびが入ったように見え、どこかコミカルだ。軍手をはめて、型を掴んだ。


 "これを軽く、作業台に打ち付けて"


 コン、コンと金属音が響く。

 ビスキュイの中に溜まった空気が、表面のひびから抜けていった。これは余分な熱い空気なので、ここで抜いておく必要があるのだ。


「うん、上手く出来た」


 ゆっくりと慎重に型を外しながら、鈴村は頷いた。



† † †



 同時刻、楓もオーブンを開けていた。

 取り出したビスキュイ・ショコラは、見事なチョコレートブラウンだ。

 メレンゲをしっかりと泡立てたおかげで、適度な生地の堅さを保っている。


 "どうかなあ"


 すっと人差し指で、表面を触ってみた。ごくうっすらと沈む。表面は乾いているが、中身はしっとりとしているようだ。

 良い出来上がりだと判断し、ほっと息を吐く。この焼き上がりを確認する時は、いつも緊張する。


「よし、これならいけそうね」


 型を外して粗熱を取る。

 この時、楓の目はビスキュイ・ショコラと同時に鈴村豊を捉えていた。

 このキッチンからは見えないけれど、今頃は彼も同じ様に焼き上げを終えているだろう。


 "ユグノーさんに出すまで、あと一時間。生地から粗熱が取れるには十分ね。最適の状態で出せそう"


 ここで勝たなければ、全てが終わってしまう。


 その事実が今頃になって、楓の背中に重くのしかかった。

 大いなる菓子の祭典(グランドスイーツ)の行方も、この一年の結末も、自分のビスキュイ・ショコラにかかっているのだ。


 "大丈夫よね"


 里崎楓はぎゅっと右の拳を握った。

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