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異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第五章 大いなる菓子の祭典
49/64

49.第二試合 ビスキュイ・ショコラ その一

 三セットマッチで初戦を取られた。しかも相手は、自分の先輩だ。


「普通に考えてピンチよね」


「普通に考えなくてもピンチだと思うぞ」


 第一試合から明けて翌日、楓はコート中央に立っていた。

 彼女の独り言に、ユグノーが突っ込みを入れる。


「うん。でもね、不思議と緊張しないのよ」


「ほう。いい度胸をしてるね、カエデさん。さすがあの魔王の元で働くだけあるな」


「どうも、勇者様」


 軽く一礼しつつ、楓は昨日のことを思い出す。

 あのアランシエルが敗北を喫した。完全に意気消沈していた彼を見ていられず、思い切り檄を飛ばした。普段の自分ならやらない行動だ。


 "だって見ていられなかったんだから"


 この大いなる菓子の祭典(グランドスイーツ)に、アランシエルがどんな思いで臨んでいたのか。

 楓をどれだけ心配して、その上で第一試合に臨んでいたのか。

 それが分かったからこそ、楓はここに立っている。あの誇り高い魔王の分まで、今度は彼女が背負うために。


「ビスキュイ・ショコラね。確か俺がお前に教えてやったこともあったよな。里崎、覚えているか?」


「はい。最初は中々上手くいかなくて、先輩を困らせてましたよね。その節はありがとうございました」


 楓と鈴村豊は対峙する。もうすぐ第二試合が始まるので、言葉を交わせる時間はこれが最後だ。

 先輩と後輩ではなく、戦う相手として二人は向かい合っている。


「懐かしいなあ。あの時は、まさかお前とこんな形でスイーツで戦うとは予想していなかったな。人生って不思議だと思わないか」


「不思議ですよねー。どこかのコンテストでならともかく、ファンタジーばりばりの異世界ですもんね。でも、どこであってもやることには変わりないですから。ほら、鈴村先輩も言ってたじゃないですか」


「だな。心をこめて技術を磨け。それでこそ、美味しいお菓子を作ることが出来るってな。忘れてないみたいで何よりだよ」


「ちゃんと覚えていますよ。だから先輩。あの時の教えを守っているという証拠に――」


 楓は言葉を切った。

 闘技場(コロシアム)のざわめきも気にならなくなる。

 鈴村の目をまっすぐに見つめ、それから口を開く。


「成長の証を見せます。よろしくお願いしますね」


「いい顔だな。こちらこそよろしく」


 近づく。

 短い握手を交わし、そして離れた。

 視界の端で、ジューダス大司教が立ち上がるのが見える。


「カエデ・サトザキ、ならびにユタカ・スズムラ! 作るスイーツは、ビスキュイ・ショコラ! 準備はよろしいかっ!?」


「「はいっ!」」


「よし。それでは第二試合、開始っ!」


 ジューダスの声がコート中央から響き渡った。



† † †



 楓と鈴村が左右に別れ、お互いのキッチンに消えていく。

 それをコート端で見送りながら、アランシエルは「結局、カエデに任せざるを得ないとはな」と傍らのグーリットに話しかけた。

 自嘲的な含みを感じ、グーリットは顔をしかめる。


「どしたよ。そんな辛気くせえ面しやがって」


「辛気くさくもなるさ。上司である余がピレスに負けたせいで、あいつに全てを預ける羽目になっているのだからな」


「はぁ、そう考えちまうのは無理ねえけどよ。元気出せよ、まだ負けって決まったわけでもねえんだし。それにな、アラン」


「何だ?」


「嬢ちゃんな、お前が思っているよりずっと強えって。一年前とは全然違うのは、お前も分かってんだろ。信じてやんなよ」


「......そう、だな」


 答えながら、アランシエルは視線を外す。

 ここからキッチンは直接は見えない。恐らく楓はもう工程に取り掛かっているだろう。

 自分が出来ることは、応援することぐらいだ。そしてそれ以上に、信じることぐらいだ。


 "余は心のどこかで、カエデを一人立ちさせたくなかったのかもしれぬな"


 彼女を手元に置いておきたいが為に、彼女の成長を認めたくなかったのではないか。もしそうなら、自分はずいぶんワガママだ。 


「グーリット」


「あん?」


「ありがとう」


「はっ、水くさいこと言うなよな。いいってことよ」


 ぽんとグーリットは魔王の肩を叩く。そう、こうなればあとは信じる他は無い。



† † †



 アランシエルとグーリットの会話の内容を、楓は知らない。彼女が立つキッチンまでは、外の喧騒は聞こえない。

 既にビスキュイ・ショコラを作り始めている。手順は体に染み着いていた。


 "あたしが負ければ、その時点で負ける"


 薄力粉とココアパウダーをふるいにかける。ふわりとした純白の粉が濃い茶色と混じり、細かな粒子が一体化していく。

 これは工程のかなり後で使う為、ボウルに入れて取っておいた。


 "負けたら、アラン達は色々と不利益を被るんだ。交易権を失ったり、領地を奪われたり。魔族領(ゼノス)の人達も、住む場所を奪われたりするのかもしれない"


 溶かしたバターの一部を使い、それを型に刷毛で塗る。

 後で焼き上げる際の下準備だ。バターが熱い内に塗れば、簡単に塗ることが出来る。

 地味だが大切なスキルだ。こうしたことも、異世界(ナノ・バース)に来てから磨かれた。


「次、生クリームを温め終わったら、ボウルに入れたチョコレートと混ぜて......よし」


 左手には温めた生クリームを入れた鍋を持ち、右手には泡立て器を持つ。

 左手を傾ける。やや黄色みを帯びた生クリームが、チョコレートの焦げ茶色と混ざっていく。混ぜるごとに、甘い匂いが立ち上る。


 "カカオ分53%のクーベルチュール・チョコレート。グーリットさんの調達のおかげで、最高のものが手に入ったわ"


 無言の感謝を胸に秘め、楓は軽やかに泡立て器を操る。

 中心から円を描くように、少しずつなじませて。乱暴にかき混ぜたら、チョコレートが分離してしまう。


 それはビスキュイ・ショコラの味わいにムラを作り、ダイレクトに敗因につながる。相手が鈴村豊であることを考えれば、尚更だ。


 "負けられないよね、アラン"


 頃合いを見て、さっき溶かしたバターをボウルに追加した。

 少しずつ、少しずつ、ごく丁寧に混ぜていく。バターの油分とチョコレートをゆっくりとなじませて。


 "この勝負には負けたくない。あなたを悲しませたくない。それに"


 カシン、と泡立て器がボウルと音を立てた。極限まで集中力を研ぎ澄ませつつ、楓は更に作業を続ける。


 "この大いなる菓子の祭典(グランドスイーツ)は、あなたとの一年の最後になるもの。負けで終わりになんかさせない"


 卵黄を追加する。トロリと黄色い液体が流れる。

 この時、余分な空気が入らないように注意した。なめらかさを妨げる要因になるからだ。

 ポイントとなるのは、チョコレートの温度だ。人肌より少し暖かいくらいに温度を保ち、そこに卵を注ぐ。


 "こうすれば卵を注いでも、生地が締まらないのよね。アランに何回も注意されたんだ"


 感傷的になっちゃいけない。それでも、そうなる気持ちを止められない。

 次に卵白を泡立て、メレンゲを作りにかかる。その最中にも、心の一部は感情で満たされていく。

 泣きたくなるような、暖かいような、そんな奇妙な感情が静かに充ちてくる。


「あたしの成長をここで見せないと」


 皆に何も返せないまま、ナノ・バースを去ることになる。

 アランシエルとの一年を、無駄にしてしまうことになる。


 それだけは嫌だった。


 ハンドミキサーで十分にかき回し、卵白をメレンゲへと変換していく。

 角が立つくらいに、しっかりした固めのメレンゲだ。

 その真っ白な色に、楓は自分の心を反映させていく。自分を白一色へと塗り変えていく。


 "今出来る最高のビスキュイ・ショコラを"


 フッ、と周囲の音が消えた。

 視界に入っていた余分な物が無くなり、手元が一気にクリアになった。

 手つきが怖いくらいに滑らかに、そして軽やかに動き出す。

 自分でも気がつかない内に、里崎楓のギアが上がっていた。

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