46.第一試合 アシェット・デセール その二
「えー、えー、こちらは実況のロゼッタ・カーマインです。ただいま一時間半が経過したところです。ここで中間報告をさせていただきます」
ロゼッタは大声を張り上げた。
彼女が座るのは、闘技場に設けられた席の一つだ。
手に持ったメモに目を通してから、観客に向かって叫ぶように話す。
「両陣営が作っているアシェット・デセールについて。まずは魔王アランシエルの方からです。憎き魔王ではありますが、菓子作りの腕は確か。その魔王が作っているのは、オレンジとグレープフルーツとはっさくのサヴァラン! 洋酒の効いた大人のケーキであるサヴァランに、各種の柑橘類の甘酸っぱいスイーツを合わせたと聞いています」
しん、と観客が静まりかえる。その反応に気をよくしたのか、ロゼッタは更に説明を続けた。
「しかもサヴァランは、オレンジとチェリーのサヴァランだそうです。チェリーの濃いピンク色のケーキ生地は目にも鮮やか、他の柑橘類の黄色やオレンジ色ともよく映えるとのこと。敵の作るスイーツながら、これは期待せざるを得ません!」
「ふ、わぁ、美味しそう」
「だ、駄目だ、そんなこと聞いたらいてもたってもいられない」
「はぁ、そんなものが食べられる勇者様が羨ましいわあ」
観客達はため息をついている。
羨望と嫉妬の視線を浴びて、さしものユグノーも居心地が悪い。
「おいおい、俺は審判役だからいただくだけだって。そんな目で見るなよ? いたたまれない気分になるだろうが」
「あなたも大変ね」
「ちょっとだけ同情いたしますわ」
楓とシーティアは微妙な表情をする。
ユグノーは「ありがとう、と言うべきなのかな」とこれまた微妙な表情だ。そこにルー・ロウが割り込んだ。
「あ、待ってください。まだロゼッタさんの中間報告があるみたいですよ。ほら、見て」
執事見習いの視線を追う。
なるほど、ロゼッタは二枚目のメモに目を通していた。その表情がとろけるように緩んでいる。
「だらしねえ顔だな」とグーリットが指摘すれば、エーゼルナッハは「さもあらん。ピレス氏のアシェット・デセールについて語るのだからな」と腕組みをしながら応じる。
「あのピレス・キャバイエのアシェット・デセール......一体何を作る気なの」
楓は冷や汗をにじませた。
日本にいる時、ピレスが著した本を読んだことがある。時々テレビ番組でも取り上げられていた。
パティシエの枠を超えた著名人の一人とさえ言える。
"そんな人が作るアシェット・デセールなんだ。怖い、けど興味ある"
楓の思いなど知る由もなく、ロゼッタが嬉しそうに声を張り上げた。
「いちごとバジルとフロマージュのコンポジション! 旬のいちごをたっぷりと使い、赤とピンク色を配置した乙女心に訴えるデセールとのこと! ああ、ムッシュ、あとで私にも作ってください、お願いだあああ!」
観客席がどよめき、そして失笑が漏れた。
ロゼッタがピレスと彼の作るスイーツにべったりであることは、よく知られているからだ。
「ひゅーひゅー、ロゼッタちゃん頑張れー。恋とスイーツ、どっちが甘いんだろうねえー」
「ロゼッタさんがムッシュ・キャバイエと同棲中って聞いたんですけど、本当なんですか!?」
「私見ました! 二人が往来で熱い口づけを交わす姿を!」
「ユタカ・スズムラとロゼッタさんとピレス氏の三角関係って本当ですか!? ピレス氏を二人が取り合う感じでっ!」
「聞き捨てならないんだけど、最後のやつ!? 俺とムッシュをかけ算するなよ!?」
「抑えてください、先輩! 気持ちは分かるけど!」
いきり立つ鈴村をなだめつつ、楓はふと考える。アランシエルと自分は、他人の目にはどういう関係に映るのだろうと。
"上司と部下、よね。どう見ても"
そう、それ以外に何があるというのか。 それにその関係も、この大いなる菓子の祭典が終わればおしまいだ。
余計なことを考えることはない。
"そうだよ。だから――考えちゃダメだ"
もやもやとした気分を振り払う。大声が聞こえたので、そちらを向く。
ロゼッタが観客に向かって「そ、そんな破廉恥なことを言わないでくれないか!? ムッシュは私によくお菓子をくれるだけで、その、別に特別な関係なんかじゃなくてっ。な、なれたらいいなとかちょっと思うけど......って何を言わせるんだあああ恥ずかしいいいいい!」と顔を赤くしている。
「聞いてるこっちが恥ずかしくなるわね」
ぽそりと感想。
「あの子、典型的な残念美人だよなあ」
その横で、鈴村もぽそりと呟いた。
† † †
ロゼッタらが騒いでいた頃、ピレス・キャバイエは自分の仕事に集中していた。
アシェット・デセールを作っている時は、余計なことを気にする暇は無い。
というより、そもそも外部の声は聞こえてこない。ちょっと騒がしいな、というだけだ。
密封容器を取り出す。
それを開けると、濃い緑の葉が現れた。
砂糖づけされているため、表面は白く凍りついたようにも見える。
"フードプロセッサーで、このバジルの葉の砂糖づけを砕く"
他の工程はほぼ終わっているため、これが個別のスイーツの中では最後となる。
フードプロセッサが唸る。
粗く刻まれたバジルの葉を取り出し、ピレスはそれを別の皿に入れた。
これでいよいよ組み立てに取りかかることが出来る。
「まず土台はフロマージュ・ブランのクリームの白」
小さめのボウルから、白いクリームをゆっくりと皿に垂らしていく。
霜模様が散らされた皿にクリームが乗ると、それだけで冬の景色の一幕のようだ。
続ける。さらにその上に、マスカルポーネチーズのムースを重ねていく。
"コクのあるチーズのムースは、このアシェット・デセールの大事な土台だ。さらにその上に"
今度は丸口金の絞り袋を手にする。
最初に詰めたスイーツは、クレーム・パティシエールだ。バニラビーンズの甘い匂いが漂ってくる。このクレームだけでも立派なスイーツとなる。
黄白色のクレームがムースの右半分を覆う。
"左半分、ここにはいちごのコンフィチュール"
別の絞り袋に、ピレスは赤いスイーツを入れていく。
とろりとした粘性を持つこのコンフィチュールは、いちごとフランボワーズを甘く煮詰めたスイーツだ。
水分を飛ばした分だけ、甘さはより高まっていた。
とぷ、とぷと絞り袋からコンフィチュールがかけられていく。
ムースの左半分は、甘やかな赤に染まった。
むせるようなベリーの匂いが、マスカルポーネチーズとクレームの匂いと重なる。スイーツ好きなら、これだけでたまらないだろう。
「どこまで芸術的に仕上げられるか」
絞り袋をカウンターに置き、ピレスは視線を走らせた。その蒼氷色の目が、綺麗にスライスされたいちごを捉えた。それを丁寧に指でつまむ。
さっきかけたコンフィチュールを隠すように、いちごのスライスをじゃばら状にのせていく。
もしこれを口にすれば、食べた者はコンフィチュールといちご両方を味わうことになる。贅沢極まりない。
"だが、メインはここからだ"
一度離れる。
ピレスが開けたのは、小型の冷凍庫だった。
ボウルにかけられたラップを取ると、そこには真紅のソルベがあった。
ピレスのアシェット・デセールの中心となる、いちごとバジルのソルベだ。キン、と冷えた爽やかな冷たさは、確実に食べる人間を魅了するだろう。
「これを全体を覆うように、たっぷりとかけていき......」
シャリン、とソルベが鳴った。
熱のこもった目で、ピレス▪キャバイエは自分の傑作を仕上げていく。丁寧に、だが可能な限り素早く。
相反する二つの要素を両立させているのは、ピレスが今日まで鍛えあげてきた技術だった。
"今回は勝たせてもらうよ、アランシエル君"
天才がその牙を剥く。




