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異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第五章 大いなる菓子の祭典
45/64

45.第一試合 アシェット・デセール その一

 両陣営から一人ずつ、コート中央に進み出た。

 魔族領(ゼノス)からは魔王アランシエル、そしてリシュテイル王国からはピレス・キャバイエだ。


「あの時の再戦となるわけだが、別に余はそんなことにこだわってはいない」


 アランシエルが口を開いた。ピレスの返事を待たずに、さらに続ける。


「ただ勝つだけだ。この第一試合、スイーツの頂点とも言えるアシェット・デセールでな」


「ふふ、いい顔だな。君のその闘志に敬意を表して、私も言っておこうか。パティシエ界の天才(ジェニー)などという恥ずかしい肩書きには興味はないが......ふふ、だがね」


 魔王を前に、ピレスは一歩も引かない。 ざわ、と周囲がざわめく。

 それを気にもかけず、冷たい蒼氷色(アイスブルー)の目をアランシエルに向けた。


「私がそう呼ばれるということは、この身は地球の菓子作りの頂点ということだ。私のパティシエとしての情熱に、技術に、たくさんの人が期待しているということだ。君とは理由が異なるが、私も負けるわけにはいかないんだよ」


「なるほど。余の背中には魔族領(ゼノス)の民の期待がかかっている。それと同様に、貴様にも背負うものがある。そういうことか」


「ああ、そうだね」


 言葉の応酬はそこまでだった。二人の間に、一人の男が割り込む。


「にらみ合いはそこまでにしといてくれよ。二人のアシェット・デセールによる勝負、この俺が審判役ってこと忘れないでくれよ?」


「紫眼の勇者か。拘束約定(ギアス)がある以上、おかしな真似はしないと知ってはいるが――」


「もちろんさ。俺も誓いに背いて死にたくはないからな」


 ユグノー・ローゼンベリーはアランシエルに答える。

 ピレスは「信用しているよ」と簡潔にユグノーに伝えた。

 右手を上げ、ユグノーは表情を引き締める。


「俺も菓子には目のない男だ。拘束約定(ギアス)より前に誓おう。この大いなる菓子の祭典(グランドスイーツ)の第一、第二試合。審判役として、この俺、ユグノー・ローゼンベリーは正直に優劣を判定すると」


「見事な宣誓ですな、勇者ユグノー」


「どうも、ジューダス大司教」


 集まる三人に向かって、ジューダスが告げる。またぞくりと闘技場(コロシアム)の空気が変わった。


「さて、それでは両者ともよろしいか? 先に決めた通り、与えられる時間は三時間。互いのキッチンは空間魔法で接続しているため、転移の必要は無し。助手の助けは借りられない」


 これはただの確認だ。

 ジューダスに言われるまでもなく、アランシエルもピレスも当然知っている。

 自分とアシェット・デセールとの真剣勝負、それがこの三時間に凝縮されるのだ。


「それでは互いの健闘を祈ろうか。楽しみにしている」


 ピレスが背を向けた。白銀のコックコートが、コートの片方へ去っていく。


「三時間後を楽しみにしておけ。ピレス・キャバイエ、そしてユグノー・ローゼンベリー。魔王の底力を見せてやろう」


 そしてアランシエルも背を向ける。コック帽をかぶり直す。特徴的な二本の角は、今は隠している。


「それでは両者――始めっ!」


 ジューダスの声が響き、その語尾に全観客の歓声が重なった。



† † †



 自分のキッチンに一人立つ。

 闘技場(コロシアム)の雰囲気が微かに伝わる。扉一枚隔てた程度の、静かなうるさくない程度の音だ。


 "臨場感を煽るではないか。ジューダスめ、粋な真似をする"


 アランシエルは小さく笑う。

 うるさすぎても良くない。逆に静か過ぎても良くない。いい具合の静けさだ。

 与えられた時間は三時間。この間にアシェット・デセールを完成させなくてはならない。


 "全ての手順を手際よく、そしてミスは許されない"


 これは時間との勝負でもある。

 そもそもアシェット・デセールとは、複数のスイーツを組み合わせたスイーツを指す。

 作る際には、その各々のスイーツの味が互いを引き立てるように計算しなくてはならない。

 かつ、盛り付けた際に美しく仕上げなくてはならない。


「味覚、そして同時に視覚に訴えるスイーツの芸術、アシェット・デセールか。余とピレスの戦いに相応しいな」


 手を動かしつつ、アランシエルは呟く。今では完璧に思い出していた。四年、いやもう五年近く前だ。

 確かにニースで行われたコンテストで、自分はピレスに勝った。その時の課題が、このアシェット・デセールだった。


 "どれだけ腕を上げたか知らぬが、余にも譲れぬ物はあるのだ。勝負を賭けるアシェット・デセールは――"


 オレンジとグレープフルーツとはっさくのサヴァランと決めていた。

 アシェット・デセールはその性格上、色々な種類がある。いや、組み合わせ次第では無限にあると言ってもいい。

 その中でアランシエルが選んだのは、柑橘類の甘酸っぱさを掛け合わせたタイプのスイーツだった。


 "オレンジとチェリーのサヴァランが一番ベースのスイーツとなるから、これは最後。周辺を彩るスイーツからだ"


 作る順番も重要だ。そしてアシェット・デセールの性格上、多種類の材料を必要とする。

 それらを上手くさばき、手際よく作っていかなくてはならない。しかも一人で。


 "だが、それでもやる。出来る。そして勝つ"


 魔王の頭の片隅を思考がよぎる。

 深紅の瞳は複数の材料を同時に捉えた。 

 どれをどの順番で、どのスイーツをどうやって作るか。それは全て覚えている。体に覚えこませている。


 まずははっさくのソースから。

 グラニュー糖とコーンスターチをボウルに入れ、これを混ぜる。そこにはっさくの果汁を滴らせた。

 透明度の高いはっさくの果汁が混ざり、柑橘類の爽やかな酸味が加わる。


 左側を見た。コンロに火を点ける。鍋に残りのはっさく果汁を入れる。

 それが温まってから、ボウルの中身を鍋に入れた。

 糖分のとろみとはっさくの果汁を、ここで一体化させる。


 "次、バターを入れる。それで風味をつけて、ボウルへ戻し"


 思考。

 経過した時間は五分。

 それを確認すると共に、目の前のプロセスと次に作るスイーツを同時に意識する。 

 はっさくのソースが終わったら、オレンジペーストを作る番だ。


 "技術、頭脳、そして芸術センスを問われる。これがアシェット・デセールだ。ふん、余も滅多に作らぬだけに"


 恐いか? 

 そうかもしれない。

 この魔王アランシエルは失敗が、そして敗北が恐いか? 

 かもしれない。

 だが、それだけではない。

 この体を駆け抜ける感情は、けしてそれだけではない。


「感謝するよ、ピレス・キャバイエ。余はパティシエとして、持てる全ての技術を発揮する機会を得た。そのことが」


 とてつもなく嬉しい。歓喜に魂が震える。


 冷やし終えたはっさくのソースに、香りづけのマンダリンナポレオンを加えた。

 菓子作りの際に使われるリキュールだ。華やかな香りが一層引き立つ。

 そしてアランシエルは次のスイーツに取りかかる。


 "一瞬たりとも気の抜けない"


 オレンジペーストの次は、オレンジのジュレとなる。

 作る対象を瞬時に脳裏に展開させる。単品のスイーツではあり得ないほど、頭の回転を要する。


「それが楽しいのだから始末が悪いのさ。貴様もそうだろう、ピレス?」


 恐怖と歓喜に心を充たしながら、魔王は次の対象へ取り掛かった。

 

 オレンジペーストを作り終える。次はオレンジのジュレだ。

 オレンジ果汁を熱したら、そこへ粉寒天を。香りづけのグラン・マルニエを加え、そのあとはトレーに流しこむ。


 "一時間ほど冷やすから、その間に他のスイーツを"


 オレンジのシロップを作り、それが出来たらいよいよサヴァランへ。これはサヴァランのために使うから、その材料を作っていたことになる。

 息を整えた。

 冷たい水を一口飲む。気持ちを落ち着ける。冷静に。残り時間は十分ある。


 "よし"


 無言で自分を奮い立たせ、アランシエルはオレンジ果汁をボウルに入れた。

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