45.第一試合 アシェット・デセール その一
両陣営から一人ずつ、コート中央に進み出た。
魔族領からは魔王アランシエル、そしてリシュテイル王国からはピレス・キャバイエだ。
「あの時の再戦となるわけだが、別に余はそんなことにこだわってはいない」
アランシエルが口を開いた。ピレスの返事を待たずに、さらに続ける。
「ただ勝つだけだ。この第一試合、スイーツの頂点とも言えるアシェット・デセールでな」
「ふふ、いい顔だな。君のその闘志に敬意を表して、私も言っておこうか。パティシエ界の天才などという恥ずかしい肩書きには興味はないが......ふふ、だがね」
魔王を前に、ピレスは一歩も引かない。 ざわ、と周囲がざわめく。
それを気にもかけず、冷たい蒼氷色の目をアランシエルに向けた。
「私がそう呼ばれるということは、この身は地球の菓子作りの頂点ということだ。私のパティシエとしての情熱に、技術に、たくさんの人が期待しているということだ。君とは理由が異なるが、私も負けるわけにはいかないんだよ」
「なるほど。余の背中には魔族領の民の期待がかかっている。それと同様に、貴様にも背負うものがある。そういうことか」
「ああ、そうだね」
言葉の応酬はそこまでだった。二人の間に、一人の男が割り込む。
「にらみ合いはそこまでにしといてくれよ。二人のアシェット・デセールによる勝負、この俺が審判役ってこと忘れないでくれよ?」
「紫眼の勇者か。拘束約定がある以上、おかしな真似はしないと知ってはいるが――」
「もちろんさ。俺も誓いに背いて死にたくはないからな」
ユグノー・ローゼンベリーはアランシエルに答える。
ピレスは「信用しているよ」と簡潔にユグノーに伝えた。
右手を上げ、ユグノーは表情を引き締める。
「俺も菓子には目のない男だ。拘束約定より前に誓おう。この大いなる菓子の祭典の第一、第二試合。審判役として、この俺、ユグノー・ローゼンベリーは正直に優劣を判定すると」
「見事な宣誓ですな、勇者ユグノー」
「どうも、ジューダス大司教」
集まる三人に向かって、ジューダスが告げる。またぞくりと闘技場の空気が変わった。
「さて、それでは両者ともよろしいか? 先に決めた通り、与えられる時間は三時間。互いのキッチンは空間魔法で接続しているため、転移の必要は無し。助手の助けは借りられない」
これはただの確認だ。
ジューダスに言われるまでもなく、アランシエルもピレスも当然知っている。
自分とアシェット・デセールとの真剣勝負、それがこの三時間に凝縮されるのだ。
「それでは互いの健闘を祈ろうか。楽しみにしている」
ピレスが背を向けた。白銀のコックコートが、コートの片方へ去っていく。
「三時間後を楽しみにしておけ。ピレス・キャバイエ、そしてユグノー・ローゼンベリー。魔王の底力を見せてやろう」
そしてアランシエルも背を向ける。コック帽をかぶり直す。特徴的な二本の角は、今は隠している。
「それでは両者――始めっ!」
ジューダスの声が響き、その語尾に全観客の歓声が重なった。
† † †
自分のキッチンに一人立つ。
闘技場の雰囲気が微かに伝わる。扉一枚隔てた程度の、静かなうるさくない程度の音だ。
"臨場感を煽るではないか。ジューダスめ、粋な真似をする"
アランシエルは小さく笑う。
うるさすぎても良くない。逆に静か過ぎても良くない。いい具合の静けさだ。
与えられた時間は三時間。この間にアシェット・デセールを完成させなくてはならない。
"全ての手順を手際よく、そしてミスは許されない"
これは時間との勝負でもある。
そもそもアシェット・デセールとは、複数のスイーツを組み合わせたスイーツを指す。
作る際には、その各々のスイーツの味が互いを引き立てるように計算しなくてはならない。
かつ、盛り付けた際に美しく仕上げなくてはならない。
「味覚、そして同時に視覚に訴えるスイーツの芸術、アシェット・デセールか。余とピレスの戦いに相応しいな」
手を動かしつつ、アランシエルは呟く。今では完璧に思い出していた。四年、いやもう五年近く前だ。
確かにニースで行われたコンテストで、自分はピレスに勝った。その時の課題が、このアシェット・デセールだった。
"どれだけ腕を上げたか知らぬが、余にも譲れぬ物はあるのだ。勝負を賭けるアシェット・デセールは――"
オレンジとグレープフルーツとはっさくのサヴァランと決めていた。
アシェット・デセールはその性格上、色々な種類がある。いや、組み合わせ次第では無限にあると言ってもいい。
その中でアランシエルが選んだのは、柑橘類の甘酸っぱさを掛け合わせたタイプのスイーツだった。
"オレンジとチェリーのサヴァランが一番ベースのスイーツとなるから、これは最後。周辺を彩るスイーツからだ"
作る順番も重要だ。そしてアシェット・デセールの性格上、多種類の材料を必要とする。
それらを上手くさばき、手際よく作っていかなくてはならない。しかも一人で。
"だが、それでもやる。出来る。そして勝つ"
魔王の頭の片隅を思考がよぎる。
深紅の瞳は複数の材料を同時に捉えた。
どれをどの順番で、どのスイーツをどうやって作るか。それは全て覚えている。体に覚えこませている。
まずははっさくのソースから。
グラニュー糖とコーンスターチをボウルに入れ、これを混ぜる。そこにはっさくの果汁を滴らせた。
透明度の高いはっさくの果汁が混ざり、柑橘類の爽やかな酸味が加わる。
左側を見た。コンロに火を点ける。鍋に残りのはっさく果汁を入れる。
それが温まってから、ボウルの中身を鍋に入れた。
糖分のとろみとはっさくの果汁を、ここで一体化させる。
"次、バターを入れる。それで風味をつけて、ボウルへ戻し"
思考。
経過した時間は五分。
それを確認すると共に、目の前のプロセスと次に作るスイーツを同時に意識する。
はっさくのソースが終わったら、オレンジペーストを作る番だ。
"技術、頭脳、そして芸術センスを問われる。これがアシェット・デセールだ。ふん、余も滅多に作らぬだけに"
恐いか?
そうかもしれない。
この魔王アランシエルは失敗が、そして敗北が恐いか?
かもしれない。
だが、それだけではない。
この体を駆け抜ける感情は、けしてそれだけではない。
「感謝するよ、ピレス・キャバイエ。余はパティシエとして、持てる全ての技術を発揮する機会を得た。そのことが」
とてつもなく嬉しい。歓喜に魂が震える。
冷やし終えたはっさくのソースに、香りづけのマンダリンナポレオンを加えた。
菓子作りの際に使われるリキュールだ。華やかな香りが一層引き立つ。
そしてアランシエルは次のスイーツに取りかかる。
"一瞬たりとも気の抜けない"
オレンジペーストの次は、オレンジのジュレとなる。
作る対象を瞬時に脳裏に展開させる。単品のスイーツではあり得ないほど、頭の回転を要する。
「それが楽しいのだから始末が悪いのさ。貴様もそうだろう、ピレス?」
恐怖と歓喜に心を充たしながら、魔王は次の対象へ取り掛かった。
オレンジペーストを作り終える。次はオレンジのジュレだ。
オレンジ果汁を熱したら、そこへ粉寒天を。香りづけのグラン・マルニエを加え、そのあとはトレーに流しこむ。
"一時間ほど冷やすから、その間に他のスイーツを"
オレンジのシロップを作り、それが出来たらいよいよサヴァランへ。これはサヴァランのために使うから、その材料を作っていたことになる。
息を整えた。
冷たい水を一口飲む。気持ちを落ち着ける。冷静に。残り時間は十分ある。
"よし"
無言で自分を奮い立たせ、アランシエルはオレンジ果汁をボウルに入れた。




