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異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第五章 大いなる菓子の祭典
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43.祭典一ヶ月前 後編 クラフティ・オ・ポム

 銀色のコックコートのボタンを留める時、鈴村豊はいつも少しだけ緊張する。

 パティシエとしてそれなりの年数を勤めてきたのに、この瞬間だけは変わらない。オフからオンに切り替え、菓子作りに向き合うこの一瞬は独特のものがある。


「よし、行くか」


 ふう、と一つ息を吐く。

 視線の先には、ピレス・キャバイエの姿があった。パティシエ界をリードする天才だが、その姿勢におごり高ぶったところはない。技術だけでなく、人間的にも尊敬できる。


「おはようございます、ムッシュ」


「おはよう、ユタカ。さあ、今日も楽しく菓子作りに励むとしようか」


 鈴村の方を振り返り、ピレスはぽんと一つ手を叩く。

 楽しく、そして真剣に。これがピレス・キャバイエのモットーだ。

 常にこれを繰り返し、自分を高め続ける。けれども、自分を追い詰めることはない。


「さて、ユタカ。君は今日は何を作る?」


 ピレスが問う。

 その目をまっすぐに見据え、鈴村は「クラフティ・オ・ポムを作ろうかと。ジューダス大司教に頼まれまして」と答えた。


良いね(ボン)! あの優しいリンゴのクラフティなら、彼も気に入るだろう。気張って作りたまえよ」


はい(ウィ)、ムッシュ!」


 気張らないわけがない。

 このピレス・キャバイエを前にして、気を抜くなど出来るはずがないのだ。



† † †



 クラフティ・オ・ポムは難しい菓子ではない。

 極めて簡潔に言えば、軽く焼いたリンゴを並べそこにアパレイユを注げば、ほぼ終わりだ。あとはオーブンに入れて、焼き上げるだけ。


 "それでもポイントはあるんだよな"


 リンゴをバターで炒めるが、この時にカソナードと呼ばれる砂糖を使う。

 これはサトウキビの絞り汁を原料とした砂糖であり、茶褐色をしている。独特の風味とコクがあるため、面白い甘みが出せる。


「リンゴを炒めたら、次はアパレイユ作りなんだけどね」


 ボウルに次々に材料をいれていく。

 薄力粉をふるいにかけ、次はグラニュー糖とバニラシュガーだ。バニラの風味をつけたバニラシュガーは、香りづけにはぴったりの砂糖である。


 軽く泡立て器で混ぜたら、次に卵だ。

 黄身と白身両方をダマにならないように、丁寧に軽くすり混ぜていく。リズミカルに、素早く。

 そしてこれが終わると、牛乳を注ぐ。ボウルの底で、粉と牛乳がぐるりと混ぜ合わされた。


 "ここでビールを入れるのが独特なんだよな"


 そう、これがピレスが教えてくれたクラフティ・オ・ポムの特徴だ。

 牛乳の量を半分にして、その代わりにビールを混ぜる。

 ビールのコクと風味が甘味を引き立て、さらに炭酸の働きが生地をふんわりとするのである。


 "これらを混ぜて、そしてこし器でこしてなめらかになったら"


 鈴村はボウルの底を見た。

 やや粘りけのあるアパレイユが、ボウルの底にたまっている。

 これなら大丈夫と判断し、型に炒めたリンゴを並べた。一切れずつ丁寧に並べられたリンゴは、見ようによっては花弁のようでもある。


「そしてあとはアパレイユを注いで、焼きますっと」


 とろとろとアパレイユを流し込む。クリーム色の海に沈んだリンゴを眺めつつ、鈴村はオーブンの温度をチェックした。



† †  †



「美味しいっ! この何とも言えないアパレイユの豊かな甘みっ、そして焼かれたリンゴの爽やかな甘酸っぱさ! 最高だ、ユタカ!」


「おほめに預かりどうも、と言いたいところだけどさ。それ、ジューダス大司教に持ってきた分なんだけど!?」


「まあ良いのだ、ユタカ。私の分はもう取ってある。う、うむ、もう少し食べたかったがな」


 理解のあることを言いながらも、ジューダス大司教は無念そうだった。

 それはそうだろう。鈴村は約束通りクラフティ・オ・ポムを持ってきたのだ。

 なのに横からロゼッタ・カーマインにさらわれた形である。


「このバニラシュガーのふわっとした香りが最高だな、ユタカ。とろとろのアパレイユがリンゴを包みこみ、それがもう」


「ロゼッタ」


「はい、何でしょうか、大司教!?」


「私はね。汝に楽しみにしていたスイーツをさらわれたんだ。少しは遠慮しないか?」


 べきべきと物騒な音を拳から鳴らしながら、ジューダスはロゼッタに詰め寄った。 

 普段は穏やかな人格者だが、今回はキレている。しかもかなり本気でだ。


「はうっ、すいません、ジューダス大司教っ! 最近ムッシュの菓子をもらっていなかったので、この際ユタカの菓子でもいいかなって思って。ついつい手が伸びてしまったのです!」


「たいがい失礼だな、あんた!?」


 ロゼッタの言い分を聞いて、鈴村は目をむいた。

 確かに自分の技量はピレスに劣る。劣るのは認めるが、それを面と向かって言われるのはまた別だ。


「あああ~、ごめんね、ユタカ~。そんなつもりじゃなかったのだ。はあ、それにしてもこの菓子美味しいなあ。仕上げにかかったこの白い粉は何だ? 麻薬かな?」


「人聞き悪いこと言ってんじゃねえよ! パウダーシュガーだよ、このポンコツ女騎士!」


「ああ、神よ、許したまえ。ロゼッタに対する教育が足りなかったばかりに、この女騎士はスイーツの虜になってしまったのです」


 三人が騒がしくしている内に、クラフティ・オ・ポムはどんどん減っていく。

 ジューダスが自分の分を堪能しながら「隠し味に何やら妙な風味がありますな。これはビールでしょうか?」と指摘する。 

 これには鈴村も驚いた。まさか当てられるとは予想していなかった。


「よく分かりますね」


「半ば当てずっぽうですがね。お、ところでもう一人来たようだ」


 ジューダスの目が扉を向く。

 彼の言葉に導かれるように、重い樫の扉が開いた。

 現れたのは、ユグノーである。彼はいつもの白い神装衣を着込み、颯爽と部屋に踏み込んできた。


「ロゼッタ、お前また食べてるのか。よく太らないな?」


「むっ、失礼だな、ユグノー。運動もきちんとしているぞ。体型を崩すなど、騎士の風上にもおけんからな」


「そりゃ見上げた心意気だ。デブったら、ムッシュ・キャバイエにも愛想尽かされるだろうしな」


 ユグノーの容赦ない指摘に、ロゼッタが固まった。


「愛想が尽きる――つまり、私はムッシュに捨てられる。私のムッシュが他の女のものになってしまう!?」


 ロゼッタの茶色の瞳は、いつの間にか暗く濁っていた。

 口の端にクラフティの欠片をつけたまま、彼女は動きを止めている。

 ため息一つ、鈴村は彼女の頭を軽くはたいた。


「いたっ、何をするユタカ!?」


「そりゃこっちの台詞だよ。いつムッシュがお前の男になったんだよ」


「決まってるさ。彼が私の呪いを解いてくれた瞬間からだ! もしムッシュと一緒になったら、一生あのスイーツが食べられるじゃないか!」


「俺らそのうち地球に戻るって分かってる!? ねえ!?」


 ロゼッタと鈴村の口論が続く。それを聞きながら、ユグノーは軽く肩をすくめた。


「こんなんで一ヶ月後の本番、大丈夫かね?」


「さて、私は心配しておらぬよ。ムッシュ・キャバイエがいる限りはな」


 ユグノーに答えつつ、ジューダスはクラフティ・オ・ポムの最後の一口を舌に乗せた。

 アパレイユの豊かな甘さがリンゴを包み、爽やかな後味を残して消えた。

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