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41.幕間 先輩、後輩、あの時の夢

 金髪の魔王が楓に語りかける。これ以上無いほどに真剣な顔だ。


「そうだ、シャンティイ・フレーズなどどうだ。苺たっぷりのスポンジケーキだ。祭典の華やかな雰囲気にもぴったりだぞ。お前なら出来る!」


「え、ええとね、アラン」


 楓はしどろもどろになりながら、アランシエルをなだめようとする。

 向かいの席では、ピレス・キャバイエが鈴村豊に話しかけていた。内容は似たりよったりだ。


「いいかい、ユタカ。これは忠告だ。タルト・ブーダルーにしたまえ。洋梨のコンポートは得意だったね。あれを使ったタルトなら、君の敗北はない」


「いや、ちょっと待ってくださいよ。俺らの試合のお題は、俺らが話して決めていいってことで」


 鈴村が必死で抵抗している。だが、彼も楓と同じように中々言いづらいようだ。

 喫茶店の隅の円卓を囲んで、四人は不毛な会話を続けていた。


「んもう、いい加減にしてよねっ! 先輩とあたしが決めるって話じゃない。なんで横から口挟まれなきゃいけないのよ!」


 ついに楓がキレた。

 アランシエルとピレスがビクッと反応する。

 ついでに言えば、お茶のおかわりを持ってきた女給もだ。


「おっ、お客さまっ、他のお客さまのご迷惑になりますから、お静かに!」


「ああ、ごめんね。これほら、ほんの迷惑料だからさ」


 鈴村は手慣れた様子で、女給にチップを渡した。

 濃紺のメイド服を着た女給は「あ、これは、はい、心得ました!」と笑顔で受け取り、去っていった。現金なものだ。


「おお、さすがはユタカだ。手慣れたものだな」


「どうも、というかですね、ムッシュ。里崎の言う通り、俺らが決めることでしょ。心配なのは分かりますが」


「心配なのは分かるか、分かるだろう! 余に負けたユタカ・スズムラなら! 余もピレス氏も、弟子の勝負が心配なのだよ。余はカエデが心配だし、ピレス氏は余に負けた貴様が心配なのだ!」


 ピレスと鈴村の会話に、アランシエルが口を挟む。

「負けた負けたって繰り返すなよな、魔王様ぁ!?」と鈴村が言い返せば、アランシエルは「いやあ、すまないな。わざとではないのだが」と視線を泳がせた。

 絶対にわざとである。


 親バカならぬ師匠バカといったところか。

 アランシエルもピレスも、悪意があるわけではない。

 それは分かっているのだが、当人達にすればイライラするのも仕方ない。


 そしてついに、里崎楓の忍耐が底を尽きる。


「はあー、もういいわ......! 黙って、みんな黙って! ビスキュイ・ショコラにするから! 鈴村先輩もいいわよねっ!? これで競うからねっ!」


「「「は、はいっ」」」


「声が小さいんですけどっ!?」


「「「はいっっ!!承知しましたっ!!」」」


「よろしい」


 ふう、とため息一つ、楓はどすんと座り直した。

 焦った女給が慌ててすっ飛んできたが「お騒がせしましたー」というスマイル一つで沈黙させる。


 "異世界にきてから、あたしも鍛えられたなあ"


 自分を振り返りながら、楓はお茶のおかわりを啜る。

 ちょっと癖のあるハーブティーのおかげで、ようやく心が落ち着いた。



† † †



 アランシエルと鈴村のスイーツ決闘(デュエル)の翌日、楓はやることがあった。大いなる菓子の祭典(グランドスイーツ)の第二試合、つまり自分と鈴村との試合のお題が未定だからだ。

 二人で決めていいとのことだったので、さっさとそれを決めるつもりでいた。

 けれども、実際はこの通りだ。


「あたしがそんなに頼りない? そう言いたいわけかしら、アランは?」


 文句の一つも言いたくはなる。だが、アランシエルは涼しい顔だ。


「いや、別にそういうわけではない。どちらかと言えば、ユタカ・スズムラに聞きたいことがあってな。ちょっと邪魔しただけだ」


「俺に?」


「うむ。余はカエデの上司だが、カエデが地球でどんな働き方をしていたか知らぬ。先輩である貴様なら、その辺りを知っているかと思ってな」


 興味津々と言った具合で、魔王は身を乗り出す。

「ああ、そういうことか」と納得してから、鈴村は不意に笑顔になった。

 その視線が楓の方を向く。


「良かったな、里崎。お前、魔王様に愛されてるぞ」


「ぶふおっ!?」


 盛大にハーブティーを吹き出した。

 幸い人のいない方へと飛沫は飛んだので、物理的な被害はない。

 ただし、心理的な被害は結構ある。


「ぱぱぱぱパイセン、何をいきなりぶっ飛んだこと言ってるんですか、頭のネジが緩んでるんですか!」


「や、だってさ。特定の異性のこともっと知りたいって、関心のある証拠だろ。愛してると表現しても、そんなに無理ないと思うぞ」


 鈴村の平然とした語り口が、逆に楓をドギマギさせた。

 きっと他の人が見たら、今の自分は目がぐるぐるしているだろう。どうにかしなくてはならない。それもすぐに。

 そう思っている内に、アランシエルに先を越された。


「愛か。うーん、そう言われれば、そうなのかもしれぬな」


「ちょ、アラン、あんた何をくちばしって!?」


「や、冷静に考えたらだな。この約九ヶ月、余はほとんどの時間をカエデと共にいたのだ。特別な感情が生まれていても、別におかしくはないなと思った。ただそれだけだ」


 言葉にすると割と衝撃的な内容ではあるが、アランシエルの表情はいつもと同じだった。

 褐色の肌に赤みがさすこともなく、淡々と話す。

 その顔を見ていると、楓は自分が慌てていたことがバカバカしくなってきた。


「特別な感情、か。そうかな、そうかも。あたしもそう言われたらある......のかな」


「失礼ながら、お嬢さん(マドモアゼル)。それは考えることではない。感じることだと、私は思うよ。それも今のような慌ただしい状況ではなく、静かに自分に向き合ってね」


「う、うん。いえ、はい、ムッシュ・ピレス」


 ピレスのアドバイスに対し、ただ楓は頷く。

 相手はフランスの誇る天才パティシエである。敵とはいっても、敬意は忘れない。 それを受けて、ピレスはその蒼氷色(アイスブルー)の目を一度閉じた。

 再び開いたその双眼が、アランシエルと楓の顔に突き刺さる。


「とはいえ、昨日今日会ったばかりの私には、君達二人の仲など分からない。いずれにせよ、私が望むことはただ一つだ。三ヶ月後、良いスイーツ決闘(デュエル)をしよう」


「うむ。四年越しの再戦だな」


 アランシエルは、ピレスの差し出した手を軽く握った。

 楓もそれにならう。超がつく有名パティシエの手は大きく、それでいて暖かい。


「あ、じゃあ俺もだな。よろしく、魔王様。そして里崎」


 茶目っけのある笑顔を浮かべながら、鈴村も握手を求めてきた。

「先輩、調子いいですよね」と苦笑しながら、楓はその手を握る。

 自分がホテルの製菓部門に配属された時、この鈴村豊が指導役だった。それを思い出し、ふと懐かしくなる。


「鈴村先輩」


「ん、なんだよ。なんか神妙な顔して」


 社会人として、一人のパティシエールとして、最初の一歩を踏み出したあの頃。鈴村に聞かれたことがある。


「覚えてますか。あたしに夢持って働けよって言ったこと」


「覚えてるさ。何て答えたかも、ちゃんと覚えているよ」


「はい。自分のお店を持ちたいって、あたし答えましたよね」


 今も変わっていない夢。

 この異世界(ナノ・バース)で働く内に、再び色鮮やかさを増した夢だ。

 楓の表情は真剣そのものだ。そこに濁りのないことを確認し、鈴村は表情を引き締めた。


「ああ。その夢をかなえるだけの技量を身に付けたのか、見せてもらうぞ」


 二人の会話に、アランシエルが口を挟む。


「ふっ、良い面構えをするではないか。流石、余を本気にさせただけはある。なあ、ピレス氏。地球に戻る際に、この祭典はユタカ・スズムラにはいい経験になるのではないかな」


「そう願うよ。そしてそれは、君の大切なお嬢さん(マドモアゼル)も同じことだ」


「――そうだな、その通りだ」


 ピレスの切り返しに対して、黒衣の魔王の反応が一瞬だけ遅れた。

 理由は分かっている。

 自覚している。

 あと三ヶ月、それだけしか里崎楓と過ごす時間は無いのだ。


 "何を今更。分かっていたことだ"


 心の内の動揺を無理に消し去り、魔王は不敵な笑顔を作った。

 それが本心から出たものだと、自分さえもあざむきたくて。


「それでは三ヶ月後に。史上に残る華々しい祭典にしよう」


 アランシエルは立つ。その真紅の瞳には、さっきの迷いは一筋も無い。


「同意するよ、アランシエル君。前とは違うと言っておくさ」


「後輩相手に格好悪いところは見せたくないからなあ。じゃあな、お二人さん」


 ピレスと鈴村も席を立った。

 伝票はピレスが持っていく。今日は向こうのおごりらしい。

 その背中に向けて、楓は自分の決意を言葉にこめる。


「精一杯やらせていただきます。自分のためにも、アランのためにも」


 四人の菓子職人は二手に別れる。

 次に会う決戦の舞台を思い描き、己の技術を高めるために。

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