31.魔王と勇者
勇者という存在を話には聞いていた。ゲームやおとぎ話の中では、その存在に憧れたこともある。
世界を救う人類の希望が、この青年だと言うのだろうか。
「この人が勇者なの?」
楓の問いに答えたのは、勇者本人だった。「お初にお目にかかる」と芝居がかった仕草で一礼する。
「ユグノー・ローゼンベリーと言う。人によっては紫眼の勇者と俺のことを呼んでいるね。君は確か、カエデ・サトザキだったかな」
「あたしのこと知ってるんですね」
「ロゼッタから聞いたしな。それにリシュテイル王国もそれなりに情報網はあってね。たいした菓子職人だとも聞いているよ」
ユグノーの悠然とした口調には余裕があった。魔王アランシエルを前にして、全く焦りが無い。
ハッタリか、それとも何か明確な理由があるのか。
様子を見てみようかと、アランシエルは問いかける。
「ずいぶんと早急に余の到着を察知したな。先程ヘスポリスに着いたところなのだが。もしや見張っていたのか?」
「いいや、ただの偶然さ。たまたま広場の近くにいたら、見知った顔がいたんでね。挨拶に来ただけ。もっとも何の為にかなとは思うけどな」
「敵情視察とさっき言ったが?」
「具体的に何を視察しに来たのかってことさ。話によっちゃ、こっちから情報開示してやってもいいぜ」
ユグノーは答えつつ、右手を前に差し出した。一瞬だけその手に光が集まる。
収束した白光は長剣の形を取りかけるが、すぐに消えた。光の粒が霧散する。
「三年前は斬り合った仲だが、今は平和なもんだな。そう思うだろ、魔王様よ?」
ユグノー・ローゼンベリーは笑った。肉食獣にも似た怖い笑みに、楓はゾッとする。
「違いないな、勇者。貴様とは本当に命の削り合いをしたものだよ」
アランシエルもうっすらと笑った。その金色の髪が流れ、黒い闘気がたなびく。
だがそれも一瞬。黒衣の魔王はすぐに落ち着きを取り戻した。
「最近そちらに隠し玉がいると聞いてな。その正体を暴きに来た」
「直球だな?」
驚いたのはユグノーだけではない。
楓らも「えっ」と言うような顔になる。「こっちの手の内明かすのかよ」とグーリットが詰めると、アランシエルは平然と答えた。
「隠そうが隠すまいが、どのみち徹底的に探すさ。それに勇者ならば、余がわざわざ足を運んだ意味くらい察しているだろう」
「予想はしていたが、まさか自分から言うとはね。で、こちらが素直に情報開示すると思っているのかな」
「勇者の騎士道精神に期待してさせてもらう。率直に言えば、そういうことだ」
アランシエルは奇策を取らなかった。正直賭けである。
けれどもユグノーの性格を考えた場合、真っ正面から向かった方がいいと判断した結果だ。それにこそこそするのは性に合わない。
「ハハッ、いいなあ、その開けっ広げな姿勢。気に入ったよ、アランシエル。お前、ヘスポリスに来たばかりだろう。この宿に泊まっておけ。お前らが望む人物を連れていってやるよ」
賭けは勝ちと出たようだ。愉快そうなユグノーの返答に、楓は胸を撫で下ろす。
だが、同時にこうも思う。相手がそれだけ自信があるということではと。
ここで手の内を明かしても、祭典本番には問題がない。そう考えているからではと。
その間に、ユグノーがぽんと小さなプレートをこちらに放った。
受け止めたシーティアが、それをしげしげと見る。金属のプレートに刻まれているのは、樫の木亭という文字と番地を示す住所だ。
「ここに泊まれということですの?」
「ああ、それなりに高級宿だ。ユグノーの紹介だと言って、そのプレートを見せればいいさ。割引も使えるぜ?」
「気前のいいこと。ありがとうと言っておきますわ、紫眼の勇者」
シーティアの皮肉混じりの礼に、ユグノーは「なあに、単なる社交辞令だよ」と軽く応える。
† † †
ユグノーが言った通り、樫の木亭は大きな宿だった。
商業の街として有名なヘスポリスでも、場所によっては閑静な地区はある。ヘスポリスのやや北側、高級な商店街が並ぶ裏手がそういう場所だった。樫の木亭はその地区の一角にあった。
「あらあらあら、まー珍しいお客さんだこと! ちょっと、あんた! 魔王だよ、魔王!」
「なにいー、魔王がうちの宿に泊まりに来ただと! こりゃ珍しい、ささ、中にどうぞ!」
「軽すぎるわよね、あなた達!? いや、ありがたい話なんだけど!」
樫の木亭のおかみとその主人の反応に、楓は思わず突っ込んだ。
いかにも人のよさそうな二人は多分いい人なのだろう。客商売としては満点だ。
だが普通は、もう少し怖がったりするものではないだろうか。
「無闇に怖がられるよりはいいさ。シーティア、あのプレート見せてチェックインの手はずを。二部屋を四泊で」
マントを外しつつ、アランシエルは指示を出す。
シーティアは小首を傾げた。
悪戯っぽい笑みがその小さな顔に浮かんだ。
「アラン様とカエデさん、グーリットさんと私で一室ずつですのね?」
楓は一瞬固まった。
頭の片隅がさらさらと灰になるのが分かる。
「なななな何を言ってるのよ、シーティアちゃん」と肩を掴んで揺さぶるが、その顔は真っ赤だ。
「ええー、だってその組み合わせが一番ハプニングが起きそうですから。長い人生、楽しみが無いと味気ないですわー」
「ああああなたねえっ、そもそも人じゃないじゃないサキュバスじゃない!」
シーティアへ詰め寄り、楓はまくし立てた。
冗談ではない。まだこのエロいメイドと同室の方がいい。
そのじゃれあいを冷めた目で見つつ、アランシエルはさっさと部屋の鍵を手に取った。
「行くぞ、グーリット。とりあえず荷物を置こう。ユグノーがいつ来るか分からん」
「あいよ。じゃあ嬢ちゃん、シーティア、後で会おうな」
「え......は、はい?」
二人が去るのを見送りながら、楓は呆然とする。
からかわれたと知ったのは、シーティアが「ふふ、カエデさんったら一々可愛いんですのねー」と指でツンツンしてきた時だ。
「あのねえ、あんまり年上をからかわないで! アランだって困ってたじゃない!」
「あら、アラン様は別にカエデさんと同室でも構わないと思いますよ? カエデさん、好かれてますもの」
「好かれて――ないないないないそんなことないわよ!? あり得ないっ、絶対!」
わたわたと両手を振りながら、楓は必死で否定した。
あの魔王が?
あのアランシエルが?
ただの人間の女の子に好意をなんて、絶対にない!
「いやあ、母さんや。これはわしらも応援せんといかんのう。人の恋路は借金してでも助けろと言うからのう」
「そうだよ、あんた。ちょっと今から媚薬でも買ってこんとね。歴史は夜作られるって言うからね」
「余計なお世話よこんちくしょう!?」
宿屋の夫婦にまでからかわれ、楓の精神力はさらに削られた。
急にぐったりと疲れたので、とりあえず部屋に行くことにする。「何で旅の初日からこんな目にあうのよ」とぼやく見習いパティシエールの背中は、見事に煤けていた。
† † †
軽快な音を立て、一人の男が歩く。その男がまとう雰囲気は颯爽としていながら、威圧感もある。
冬の寒気を白い神装衣で遮断しつつ、男はポケットに手を突っ込んだ。その両目は紫色に染まっている。
「この時間ならいるかな?」
軽い口調の独り言、そのまま石畳を蹴るように歩いた。群衆をすり抜けて、男は一軒の屋敷へと近づく。
男の名はユグノー・ローゼンベリー。またの名を紫眼の勇者だ。
豪荘な屋敷の門を一息に飛び越え、ユグノーはさっさと中へ侵入した。全くためらいという物が無い。
屋敷の玄関にたどり着いた時、その扉がひとりでに開いた。まるでユグノーを誘うかのように。
いや、よく見れば自動的にではない。扉の陰に誰かがいる。どうやらその人物が扉を開けたらしい。
屋内に入りながら、ユグノーはその人物に声をかけた。
「魔王アランシエルがおでましだ。部下三人と一緒にな」
反応は一拍遅れた。だが、そろそろと声が扉の陰からにじみ出る。
「へえ、流石は勇者。仕事が早いね。そうか、魔王め。部下と共に敵情視察か」
「ああ。側近のグーリット、メイドのシーティア、そして見習いパティシエールのカエデ・サトザキさ。あんたらをかぎつけたらしく、会いたいそうだ」
「カエデ・サトザキ」
ぽつりとくぐもった声を響かせ、扉の陰から人が躍り出る。
均整の取れた体を包むのは、銀色を基調としたコックコートだ。体つきからどうやら男らしいと分かるが、顔はよく分からない。
何故なら、その顔面はのっぺりとした金属の仮面で覆われていたからだ。目と口の部分にだけ、うっすらと切れ目がある。
「いいだろう。ならば俺が挨拶に行こうか」
やや茶色がかった髪を払いながら、仮面のパティシエはユグノーに告げた。




