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30.この旅は敵情視察

 旅の支度はそう大したものではなかった。アランシエルとグーリットの男二人は、元々服などは少ない。

 楓とシーティアの二人はそれなりだが、これはシーティアがてきぱきと整えてくれた。


「これで完成ですの」


 ぽんとシーティアが大きな革の鞄を叩く。トランクによく似た四角い鞄だ。パッキングに要した時間は半時間に満たない。


「ありがとう、シーティアちゃん」


「いいえー、メイドとしては当然ですわ。うふふ、皆で敵情視察なんてスリリングです」


 サキュバスの少女は不敵な笑みを浮かべる。楓は「頼りにしてるわよ」と声をかけ、ベッドに腰かけた。

 その時、扉がコンコンと控えめなノックの音を立てる。


「ルー君だったら入っていいよ」


「ではお言葉に甘えて」


 返答と共に、執事見習いが入室する。柔らかい蜂蜜色の髪を一振り、少し残念そうな顔だ。


「もうパッキングは終わっていましたか。手伝おうかと思っていたのですけれど」


「ダメですよ、ルー・ロウ。淑女(レディ)の荷物なのです。色々見られたくないものも入ってるんですの」


「そうそう、いくらルー君でもあんまり見せたくないんだよね」


 シーティアと楓の控えめな抗議に、ルー・ロウは苦笑いをする。

「別にそんなつもりではありません」と返答してから、二人に向き直った。


「留守はエーゼ翁と僕が守りますから、ご安心を。カエデさんにとっては初めてのリシュテイル王国ですし、じっくり観察してきてくださいね」


「うん、分かった。ありがとうね」


「ええ、あとシーティアに夜這いをかけられぬように気をつけて」


 真顔のルー・ロウの忠告に、楓はハッとした。シーティアの方を向くと、わざとらしく明後日の方を向いている。


「そんなこと考えてませんわ。旅で解放的になり、カエデさんのガードが甘くなるなんて、ぜーんぜん考えてませんわー」


「......そ、そう」


 一ミリグラムも油断はならない。

 楓はそう心に決め、見えない拳をぎゅっと握った。ルー・ロウがその肩をぽんと叩く。


「そうですよ。カエデさんは僕と熱い一夜を過ごすと決まって」


「何か言った?」


「冗談に決まってるじゃないですか。お、落ち着きましょうか、カエデさん」


 両手を挙げ、ルー・ロウは顔をひきつらせた。楓のドスの効いた声は、インキュバスの少年を怯ませるに十分だった。

 その様子を見ながら、シーティアがトランクをぽんと叩く。


「良い旅になるといいのですけれど」


 出立を明日に控え、夜の一時が更けていく。



† † †



 里崎楓は呆然としていた。

 旅装に身を包み、冬用の帽子をかぶっている。どこから見ても、長距離の旅路へ準備万端な格好だ。

 けれども、彼女の旅は既に終わっていた。


「ねえ、アラン。先に言ってくれない?」


「何をだ、カエデ」


「転移魔法で一瞬で移動なんて聞いてなかったよ! こう、旅って移動する間の風景を楽しんだり、宿場町に泊まったりするんじゃないの!?」


 楓の不満をかわすように、アランシエルは片手を持ち上げた。

 周囲はだだっ広い草原だが、彼が指差す方向には大きな街が見える。


「そんな暇はないし、めんどくさいだろう。あの街が見えるか、カエデ。あれが目的地だ。名をヘスポリスと呼び、リシュテイル王国の王都に隣接している」


 アランシエルに悪気は全くない。彼にとって、旅とはこういうものだ。

 両陣営の主要な拠点は、転移魔法の移動先として規定されている。これを使わず地道に陸路を行けば、恐らく二週間は無駄にする。


「こういう事情だから諦めろ。グーリット、カエデが意気消沈している。おぶって運んでやってくれ」


「にょっ!? 大丈夫、大丈夫! 普通に立てるし歩けるから!」


 楓はびくっとした。思わず猫のような声をあげてから、瞬間的に立ち上がる。いや、飛び上がるに近い動きだ。

「元気じゃねえか、嬢ちゃん」とグーリットはぐるりと肩を回した。その黒緑色の目は街の方へと向けられている。


「ヘスポリスかあ。王都よりはこっちの街の方が、商業的には栄えてるんだよなあ。仮面の菓子職人てのがいるのも、こっちの方かもな」


「簡単に見つかるとは思わんがな。王都は政治的な中心地であるし、とりあえずはヘスポリスからだろう。シーティア、転移魔法の影響はあるか?」


 グーリットに答えつつ、アランシエルはシーティアに声をかけた。シーティアは「全く問題ありませんわ」と元気よく返答した。普段は流しているピンク色の髪は、今は後ろでまとめられている。旅の為に活動的にしたようだ。


「よし。カエデは全く問題なさそうだな。見るからに元気そうだ」


「いや、そうだけど。すごく元気だけど。全然気遣いないのも、女子的には寂しいなとか」


「余は元気な方がいいぞ。お前が風邪で倒れた時は、びっくりしたからな。では行くぞ」


 自分の小さな鞄を持ち上げ、アランシエルは歩き始める。目的地であるヘスポリスは徒歩で行ける距離だ。

 その後を追いながら、楓は「まあ元気な方がいいよね」と呟いた。


 "たまにアランて嬉しいこと言うよね"


 ちょっとだけ、心が暖かくなった。



 足も自然と弾む、そうなれば視線も前を向く。ヘスポリスの街までは、目算で3セディアス(約900メートル)程度か。

 楓は冬枯れした草を踏む。その下の土は固い。冷えて固まっているのか。


「街の全容が見えるだろう。余も数回来たことがある」


「久しぶりって感じだよなあ。前は停戦協定の時だっけか」


 アランシエルとグーリットの会話を小耳に挟みながら、楓はぐるりと左右に首を巡らせた。ヘスポリスの街を視界に収める。


「大きな街ね」


 自然と声が漏れた。

 低めではあるが、石の壁が街の周囲に巡らされている。

 壁の端が相当遠い。横幅は1センカル(約4キロメートル)近くはあるだろうか。


 "確か山手線の直径が約10キロだったから、縦横の長さはその四割近くはある感じかな。何人住んでいるんだろ"


 ちょっと考えてみたけど、イメージ出来ない。楓には人口密度についての知識はない。

 数万人くらいかな、と適当に考えつつ、てくてくとアランシエルの後をついていく。

 ゆっくり十五分も歩くと、街の前に着いた。


「止まれっ、そこの四人組! 見た限り、魔王とその仲間だなっ!」


「何用かっ!」


 しかし、すんなり入れるわけもない。二人の衛兵が警戒心も露にしてくる。

 魔族領(ゼノス)では豚の獣人のオークが衛兵をしていたが、当然こちらでは人間だ。

 巨大な門の前に武装した衛兵が立ちはだかってくる。

 そんなちょっとしたことにも、楓はちょっと感動した。魔族領(ゼノス)では、人間をあまり見ないせいである。


「公式の訪問ではない。だが視察は認められているはずだ。通していただくぞ」


 アランシエルの声は静かだ。けれども秘められた威圧感は重い。

 渋々といった感じで、兵士達は槍を引いた。

「お利口さんだねえ、あんたら」と軽口を叩きながら、グーリットがひょいと門を潜る。それに続きながら、楓は街の中へと視線を走らせた。


「う、わあ。ほんとに人間の街だあ」


「何を言ってるんだ、お前は。だから来たのだろうが」


「アランシエル様、ダメですよ。そんなこと言っては」


 呆れ顔のアランシエルの袖を、シーティアが引っ張る。そんな自分の背後の出来事は気にせずに、楓は左右を見回した。

 

 外に出入りする門の前だからか、ここは円周状の広場になっている。

 二階建ての店舗がぐるりと取り囲み、通行人も多い。そのほとんどがこちらを注視していることに気がつき、楓はハッとした。


「何か注目されてるね?」


「仕方ねえよ。停戦協定結んだつっても、暴力行為が禁止されてるだけだ。俺らとこいつら、敵同士には変わりねえもん」


 楓に説明したのはグーリットだった。

 灰色の髪を冬の風になぶらせながら、彼はこめかみ近くの痣を指でなぞる。蛇の目のように、その瞳が縦に割れた。


「こいつはちょっとした視察だ。あんたらを傷つける気はねえ。大いなる菓子の祭典(グランドスイーツ)までは、何にもしねえよ。だから怖い顔すんなって」


「グーリットの言った通りだ。余を警戒するのは分かるが、何もせぬ。正々堂々と敵情視察に参ったのみ。どうかいつも通り過ごしてほしい」


 グーリットに続いて、アランシエルも声を張り上げる。

「敵情視察って緊張するに決まってるじゃない」と楓は呟くが、シーティアは「国交はあるので構いませんわ」と意外に平然としている。


 果たしてシーティアの言う通りだった。 

 ヘスポリスの人々はざわつきはしていたが、こちらの邪魔はしなかった。ただちらちらと楓達を伺うだけだ。


「スゴい。普通に歩け――あれ、何で止まるの、グーリットさん」


「流石にありゃ無視出来ねえからな」


 スムーズに歩けた時間は短かった。スッとグーリットが左に動く。

 そこに開いたスペースを、アランシエルが埋めた。二人が前衛、楓とシーティアが後衛という形だ。

 いきなり高まった緊張感に、楓は圧倒されそうになる。


「何、どうしたのよ?」


「粋なお出迎えのお出ましだ。余の仇敵とも言える、な」


 アランシエルが答えつつ、道の前方左側へと向く。

 そちらの石畳の路上に、楓は一人の男の姿を捉えた。長身の小綺麗な格好をした男だ。

 自分と同じような黒髪だな、と楓が思った時、その男が口を開いた。


「よお、魔王アランシエル。久しぶりだな、こうして会うのは」


 髪をかきあげながら、男はこちらに向き直る。冬の空気を貫いて、紫水晶(アメジスト)のような双眼がアランシエルを睨み付けた。


「紫眼の勇者ことユグノー・ローゼンベリーか」


 アランシエルの唇から、その男の名が吐き出された。

 緊張して当たり前だ。死闘に次ぐ死闘を繰り広げ、それでも決着がつかなかった二人なのだから。


 あれから三年余りの月日を経て、黒衣の魔王と勇者はヘスポリスの路上にて対峙する。

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