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異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第三章 スイーツはイベントごとに
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27.幕間 舞い降りた天才 1

「さて、ここはどこなんだろうな。分かるかい、ユタカ?」


 ピレス・キャバイエは肩をすくめた。参ったなという意思表示である。

 けれども、鈴村豊も同じ仕草をするしかない。周りを見回しても、そこには見慣れない光景しかないのだから。

 床には豪華な刺繍が施された絨毯が敷かれ、二脚の椅子だけが置いてある部屋。ホテルのスイートルームのようにも見えるが、恐ろしいことに扉が無い。完全に密室だ。おかしい。根本的におかしい。


「さっぱり分からないです、ムッシュ。分かっているのは、一緒に店を出たことだけですね。遅くまで残業していたから、俺達二人が鍵をかけて最後に出ました」


「そうだね。そしてまた明日と挨拶をした時に、妙な声が背後から聞こえてきたんだよ。おかしいと思わないかい?」


「ああ、俺も聞きましたよ。確か――見つけたと、その声は言っていたように聞こえたんですけど」


 そう答えた瞬間、鈴村は気がついた。ピレスも「そう、分かるよね」と改めて指摘する。おかしいの意味が違うのだ。


「施錠を終え、私達二人は大通りを向いていた。背中側にはパティセリーの店舗しかない。なのに何故背後から声が聞こえる? 誰がそんな真似を出来るんだい?」


「それは」


 鈴村は返答に困った。

 もちろんピレスも答えは期待していない。ただ不可思議なことが起きたのだという事実を、二人で共有したに過ぎない。


「誰の仕業――」


「俺だよ。悪いね、お二人さん。手荒な真似をしてしまったな」


 ぎょっとして、鈴村は口を閉じた。声、そうだ、あの時背後から聞こえた声だ。

 ピレスの方を見る。砂色の髪の有名パティシエも「ははっ、向こうからお出ましらしい」と無理して笑っていた。その顔はひきつっている。


 二人の他には、この部屋には誰もいないはずである。だが、一方の壁際に静かにたたずむ人影があった。

 いつの間に現れたかなど分からない。そもそもこんな異常事態にあっては、それは些細な疑問だった。


 人影が明確になっていく。

 白いコートのような長衣をひっかけているが、その下の服はやや古風なシャツとパンツルックだった。印象としては、どこかミリタリーチックな感じもある。

 男、かなりの長身の。黒い前髪の下からは、紫色の双眼が覗いている。


「誰だい、君は。あの時私達に声をかけたのは君だろう」


 ピレスが声をかける。それには答えずに、男は「ほう」と呟いた。


「時空魔法時に施した言語変換は機能してます、と。我ながら手際がいいね。さて、ご両人。君達を名うてのパティシエと見込んでの頼みがあるんだが?」


「待てよ、お前。頼みもクソも無いだろ。お前なんだろ、ムッシュと俺をこんなところに連れてきたのは?」


 どこか威圧的な男の態度に、鈴村はカチンときた。

 相手の正体も分からない以上、何か武器を持っている危険もある。対してこちらは丸腰。着ている服は、スプリングコートにジャケットとジーンズだ。

 それを考えれば、軽はずみな行動は慎むべきだが。


「そうだが。ああ、すまない。まずは自己紹介が必要だな。俺の名はユグノー・ローゼンベリーという。君達二人の腕を見込んで、俺が所属するリシュテイル王国を助けて――」


「ごたくはいいからさ。さっさと俺達を元の場所に戻せっての!」


 プツン、と鈴村の中で何かがキレた。ピレスが止める暇もなく、ユグノーと名乗った男に突進する。

 いきなり訳の分からない場所に連れてこられ、その上こんな高圧的な言い方をされているのだ。知らない内にたまったストレスは、鈴村の怒りを増幅させていた。


「こんのお!」


 しゃにむに掴みかかろうとする。けれど、それは虚しい試みに過ぎなかった。

 視界からユグノーが消えた。と思った瞬間には、右腕を綺麗に後ろ手に極められていた。


「ぐ、がっ!?」と呻く鈴村に対し、ユグノーが「おいおい、乱暴は止そうぜ。パティシエの腕ってのは、菓子を作るためにあるんだろ?」と囁く。その体勢のまま、ユグノーはピレスの方を見た。


「信じてもらえないかもしれないが、俺はあんたらを傷つけるつもりはないんだ。この元気な坊やは放すからさ、とりあえずこちらの話を聞いてくれよ。お互い殺気だっていたら、会話も出来ないだろ。ピレス・キャバイエさんよ」


「何故、私の名前を知っている? 喋った覚えはないぞ」


「向こうの世界じゃ名うてのパティシエらしいからな。ちゃんと調べていたのさ。こっちの坊やは弟子のユタカ・スズムラだろ。ほら、解放してやるよ」


 小さな笑みを浮かべながら、ユグノーは鈴村の腕を解く。

 二人から少し距離を取りつつ、ユグノーは再び口を開いた。紫色の眼が鋭く光る。


「改めてようこそ、異世界ナノ・バースへ。勇者たるこの俺、ユグノー・ローゼンベリーがお二人に願う。そのたぐいまれなる菓子作りの技術で、この国を救って欲しいとな」



† † †



 ピレス・キャバイエは困惑していた。反応に困り、彼は視線を左右に巡らせる。

 ここは先程までいた部屋ではない。ユグノーと名乗る男が「場所を変えようか」と指を鳴らすと、一瞬にして三人の居場所が変わったのだ。

 それが転移という現象だと理解するには、さすがに少し時間がかかった。


 三人が転移した先は、どこかの礼拝堂のようだった。

 キリスト教の教会に酷似した造りでもあり、ピレスとしては僅かにほっとする。傍らの鈴村は目を白黒させていたが。

 

 ここに転移してからは、それこそ怒濤の勢いだった。ユグノーは彼らに更に二人の新たな人物を紹介した後、あらかたの事情説明を終えた。そして今に至るという訳だ。


「このような形で我々の事情に巻き込み、まことに申し訳ない。しかし、我々にはあなた方のお力が必要なのです」


 法衣姿の初老の男が頭を下げる。縁の無い帽子をかぶっており、法衣と相まって確かに神に仕える身分に見えた。ピレスは男の名を口に出す。


「ジューダス大司教とおっしゃいましたね。事情は飲み込みました。こちらの世界で過ごしても、私達にそれほど不利益が無いことも理解はしています」


 時空魔法という魔法は、経過した時間をねじ曲げることも出来るらしい。

 仮にこちらの世界(ナノ・バース)で半年過ごしたとしても、地球での経過時間は一日未満に出来るという。

 それを聞いて、ピレスは確かにホッとしたのだ。


「私からもお願いしたい。このロゼッタ・カーマイン、魔王のスイーツの前に無様に敗北した身分。本来ならば自ら再戦を挑むのが筋なれど、私には菓子作りの技術もない。頼む! 勝手は承知ながら貴殿らに願うしかないのだ!」


 女の悲痛な声に、ピレスは左の方へ向く。

 一人の女が頭を下げていた。長い赤髪が垂れ下がり、床に届きそうになっている。


「顔を上げて下さい、ロゼッタさん」とピレスは頼んだ。

 若い女性に頭を下げられるのは、あまりいい気持ちにはならない。仮にそれが異世界の人間でもあってもだ。


「だが、それでは私の気持ちがっ!」


「申し訳ないが、これはあなたの気持ちを考えてどうにかなるものではないんです。我々もこの事態に困っているんですよ。拝み倒されても、対応出来ないというか」


「そ、それはそうだな。私は自分の気持ちを押し付けていただけだった」


 赤髪の女は悔やむような表情になった。ピレスは今覚えたばかりの名前を思い出す。

 ロゼッタ・カーマインと名乗ったこの女は、リシュテイル王国の騎士らしい。五ヶ月ほど前にスイーツ決闘(デュエル)で敗北したと、彼女は涙ながらに告白した。


「同情はするけれど、だからって俺達の気持ちも考えてほしいよ」


 横から鈴村も口を挟む。強くは言わないが、ピレスも同意見だった。

 なるほど、犯罪組織に誘拐されるよりは遥かにましだ。

 だが、自分達の意思を無視されて、強制的に異世界に連れてこられたのだ。気持ちが定まらないのは、ある意味当然だろう。


「とはいえ、協力せざるを得ないんだろうね」


 半ば諦めたような口調だった。ピレスはため息をつく。

 地球に戻るためには、彼らの力が絶対に必要だ。敵対するのは悪手だろう。

 鈴村もピレスの考えは分かったらしい。「いや、まあ確かにそうですけど」と不本意そうに唸る。


「半年間でいいのです。大いなる菓子の祭典(グランドスイーツ)はおよそ半年後。そこであの憎き魔王に一泡吹かせられれば」


 ジューダスの訴えを、ユグノーがタイミングよく引き取る。


「俺達は余裕しゃくしゃく、名誉は保たれるってわけだ。あ、そうだ。せっかくだからさ、敵の姿見せてやるよ。ロゼッタの網膜から映像を抜き出しておいたんだ」


「なっ? ユグノー、貴様、それならそれで一言断れっ! 私は聞いていないぞ!?」


「いいじゃないか、堅いこと言うなよ。こうして役に立つんだからさ」


 気を悪くしたロゼッタに笑いながら、ユグノーは礼拝堂の前方の壁へと歩く。石製の壁はそれなりに広い。

 その壁へ向けて、ユグノーは手のひらから光を放射した。壁が映画館のスクリーンとして機能して、二人分の人影が浮かび上がる。


「言い忘れてたが、魔王には助手がいる。カエデ・サトザキと言うらしい」


「え、嘘だろ。サトザキってあの里崎、まさか? いや、確かにあの子だ」


 ユグノーの説明に、鈴村が驚いている。その目は、小さい方の人影に釘付けだ。

 だが、ピレスはそちらには目もくれなかった。彼の蒼氷色(アイスブルー)の目は、もう一つの人影を凝視している。


「似ている。まさか、こいつ」


 若き天才パティシエは歯の隙間から、その声を軋らせた。

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