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異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第三章 スイーツはイベントごとに
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24.ある晩秋の朝の風景

 秋も深まったある日の朝、アランシエルの機嫌は悪かった。

 いつもの白いコックコート姿の彼は、形の良い眉をしかめている。赤い目が細くなり、キッチンに置いてある時計に視線を突き刺した。


「遅い、もう七時を十五分も回っているではないか」


 舌打ち一つ、彼はコック帽を外し、イライラしながらキッチンカウンターに置いた。

 思いきり叩きつけなかったのは、かろうじて理性が働いていたおかげだ。魔王である彼が全力を出せば、キッチンカウンターは真っ二つに割れてしまうだろう。そうなれば修復は不可能に近い。


「――これ以上待つ気にはならんぞ、カエデエエェ!」


 中々こない助手に怒りをあらわにして、アランシエルはキッチンを飛び出した。大抵の事は許す。多少失敗しても、別に悪意が無ければ怒りはしない。

 だが、怠慢は別だ。やる気に欠けているのは、能力とは別。純然たる意志の問題だ。勤勉をモットーとするアランシエルにとって、朝寝坊は無視出来ない問題だった。


 階段を二段飛ばしで駆け上がる。二本のねじくれた角は髪から飛び出し、魔王の真の姿となっている。すれ違ったグーリットが、思わず一歩引いた程だ。


「どしたあ、そんなにピリピリしてよお?」


「知れたことだ、うちの助手がまだキッチンに来ない。朝寝坊だ、一発ぶっ飛ばしてくれる」


「おうおう、お前がぶん殴ったら嬢ちゃん砕けちっちまうぞ。あれだよ、女の子の日なんじゃね? そんな怒るなって――あ、聞いてねえ」


 やや呆れた様子のグーリットを置き去りにし、アランシエルはひたすらに廊下を突き進む。ほどなくして、楓の居室に着いた。両開きの扉に手をかける。そこで初めて躊躇いが生じた。


 "仮にも女性の部屋だ。押し入って良いものか?"


 良心とも常識ともいう考えは、けれどもすぐに吹き飛ばされた。


 "そもそも時間どおり職場に来ぬ奴が悪いのだ。魔王たる余を待たせているのだ、万死に値するのだぞ!"


 一気に両腕に力を込める、鍵が弾け、バァン! と炸裂音を立て、扉が開いた。「修理代がかかりますな」とエーゼルナッハが嘆くだろうが、構うものか。そんな些細な事は知らぬ。


「カエデェ! 貴様、職務放棄とはどういうつもりだぁ、答えろ!」


 部屋に踏み入り、アランシエルは大声で怒鳴った。

 ベッドにいるのは気配で分かる。いくら寝ていても、この大声なら起きるだろう。飛び起きてひれ伏しろと思った、あるいは期待した。そうなるはずだったのだが。


「......す、すいません。どうしても体が動かなく、て。頭、重い」


 返ってきたのは、息も絶え絶えの細い声だけ。いつもと違う荒い呼吸音を聞き取り、アランシエルはギョッとした。ベッドの側へと駆け寄る。

 覗き込んだ楓の顔は真っ赤だ。視線も定かではなく、アランシエルの方をぼうっと見ているだけ。


「お、おいっ、カエデどうしたっ!? 病かっ、呪いかっ、とにかくすぐに助けてやるからなっ!」


「ただの風邪だとおも――う、うわあ、な、何やってんのよ!?」


「さっさと薬師の元に連れていくのだ、文句を言うなっ!」


 楓が止める暇もなく、アランシエルは彼女の体を両手で持ち上げていた。右手は首の下、左手は膝裏。つまりお姫さま抱っこである。別の意味で楓の熱が一気に上がる。


「止めて下ろして恥ずかしい!」


「うるさい、黙れ助手の分際で! 余を誰と心得る! 魔王たる余が部下を心配して、何が問題か!」


 アランシエルがそう答えた時には、既に楓の部屋を飛び出していた。

 楓は悶絶した。着ているのは、薄手の寝間着一枚。そしてそんな服装で、あろうことかお姫さま抱っこされている。


「悪夢だわ、早く覚めて」


 熱にうかされた頭で、楓はそう呟いた。色々な意味で、彼女の意識は遠くなっていく。



† † †



「あれだけ大騒ぎして、単なる風邪でしたか。ルー・ロウは驚きました。朝から何事かと」


「本当ですわ。アランシエル様が血相変えて、両手にカエデさんを抱き抱えているんですもの。夢か幻かと思いましたわ」


「すまぬ、余も動転していたのだ」


 ルー・ロウとシーティアの二人に呆れられ、アランシエルは気まずそうだった。三人がいるのは、楓の部屋である。

 薬師の診断によると、高熱こそ出ているものの風邪で間違いないそうだ。「二、三日寝ていれば良くなります」と小人族の薬師は断定し、すぐに薬を出してくれた。アランシエルとしては、一安心である。


「......ごめんなさい、迷惑かけて」


「いや、風邪なら仕方なかろう。むしろ全くひかない方がおかしい。病欠扱いにするから、良く休めよ」


 楓の弱々しい様子を前にしては、アランシエルも強くは出られない。むしろ朝寝坊と誤解した自分が悪い。

 薬のおかげでひとまず落ち着いてはいるが、一人で歩くことも困難なようだ。先程寝間着を着替えたが、それもシーティアが手伝っている。


「しかしあれだけ寝汗をかくとは、よほど寝苦しかったであろう。水分を補給せねば――ん、どうした?」


 アランシエルは当惑する。楓のじと目に気がついたからだ。その頬はやはり赤い。熱のせいだろうと思っていたら、病欠した助手は「アランってデリカシーないよね」と呟いた。愕然とする。


「え、え、ちょっと待て。自分で言うのも何だが、それなりに優しく接したつもりだぞ? 何が不満なんだ」


「寝汗かいた姿見られたい女子なんて、この世のどこにいるのよ。うう、ただでさえ寝間着って薄手だし、恥ずかしいよ」


「ああ、そんなことか。心配するな。余は全く見てもいないし、気にもしていないぞ。そもそもカエデの寝間着姿に、色気なんぞ欠片もな、ぬぐおっ!?」


 顔面に枕を思いきりぶつけられ、アランシエルはのけぞった。結構痛い。しかし反論する間もなく、ぶつけた張本人から辛辣な言葉を浴びせられる。


「ほんっとデリカシー無いんだからっ! アランのバカッ!」


「ば、バカだと」


「いや、今のはアラン様が悪いでしょう。ルー・ロウもフォローのしようがないです」 


「そうですわ、アラン様。若い女性にそれは言ってはいけないと思いますわ。女心が分からないというか、何と言いましょうか」


 愕然としたところに、更に追撃された。ルー・ロウとシーティアまで楓を応援するらしい。その張本人はぷいと向こうを向いており、顔は見えない。


「むぐぐ、何やら納得いかぬがとりあえず退散する。よく休めよ、カエデ。後で何か持ってきてやる」


 捨て台詞のように言い放ち、アランシエルはその場を離れた。「ありがと」という楓の小さな声が去り際に聞こえたので、軽く左手を上げて応えておいた。



 里崎楓がいないキッチンは、ずいぶんと広々としている。

 コック帽をかぶりつつ、アランシエルは改めてそう思った。自分一人でキッチンを使うことも勿論ある。だが大抵そういう場合は、前もって楓がいないことが分かっていた。


 "今日のように突然いなくなると、調子が狂うな"


 薄力粉にバターを合わせながら、アランシエルは無言で唸る。

 作っているお菓子は、オーク達に配るクッキーだ。普段は楓がやっているのだが、今はアランシエルがやるしかない。量を重視した簡素な菓子類は、大量にばらまくには向いている。


「あいつがいないと張り合いが無いな」


 クッキーの焼き上がりを待ちながら、ぽつりと呟いた。あの見習いパティシエールくらいしか、アランシエルの仕事を理解出来る存在はいない。材料調達を担当しているグーリットが、少しは分かるくらいである。


 自分が予想していたよりも、カエデ・サトザキの存在は大きなものになっていたらしい。そう認めざるを得なかった。


 "そうだ、何か作ってやらねばならぬ"


 思い出す。楓に約束したのだった。あの熱では喉も腫れている。それでも、するすると入る菓子なら食べられるだろう。

 とすると、焼き菓子ではない。プディング、あるいはゼリー系か。


「クレーム・カラメルにするか。あれなら手軽に食べられる」


 決めた。

 アランシエルは、クレーム・カラメルのレシピと今日のスケジュールを思い出す。午後の早い時間帯に作り、それから冷やして持っていってやろう。夕方には食べられるはずだ。

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