表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第三章 スイーツはイベントごとに
21/64

21.ダークエルフの背中は秋雨に濡れて

 エーゼルナッハの朝は早い。

 通常、彼のような重臣は遅く起きる。だが、生来の気質なのか彼は早く起きて、そのまま仕事へと向かう。

 何故かと聞かれれば、彼はいつもこう答える。「私も歳だからね」とだけ、ひっそりとした声で。


 いわく、盲目の賢者。

 いわく、魔王の片腕の片割れ。

 いわく、白黒のダークエルフ。

 エーゼルナッハを指す呼称はいくつもある。魔族領(ゼノス)において、彼は確かな畏敬の念を集めていた。

 重臣中の重臣、魔王アランシエルの良き相談相手である。


 いつも沈着冷静な男であり、感情にさざ波が立つことはほとんどない。少なくともそう思われて久しい。

 だが、そんなエーゼルナッハでも、時には落ち着かない日もある。秋が深まり始めたこの時期は、特にその傾向が顕著になる。


「お前の命日まで、あと十日か。もう何年になるかな、連れ合いよ」


 白髪のダークエルフは感傷を込めて呟いた。老いを含んだ呟きは、しとしとと降り注ぐ秋雨に消えていった。



† † †



「ここのところ、連戦連勝! リシュテイル王国、恐れるに足らずですわ!」


「ルー・ロウも君も見ていただけだけどね」


「もー、そんなこと言ってほんとは嬉しいくせに? ルー・ロウったら、照れ屋さんですわね」


「はいはい、二人ともそこまで。喧嘩しないの」


 シーティアとルー・ロウのやり取りに、楓は割って入る。

 あいにくの雨が降る中、三人は街中を歩いていた。傘はこの世界にはないため、ルー・ロウが魔法の力で雨を弾いていた。風系の魔法の応用らしいが、楓にはよく分からない。


 そんなことより、早く帰って暖かい部屋に戻りたかった。なめし革のショートコートを着ているが、それでもじんわりと寒気が染みてくる。


「秋雨って肌につきまとうみたいよね。早く帰りたいな」


 そう言った瞬間、楓は後悔した。

 駄目だ。こういう発言は絶対この二人を刺激する。ほら案の定、シーティアが目を輝かせている。


「うふふ、でしたら私が暖めてさしあげますわ。カエデさんと裸のお付き合いなんて......やだ、発情しちゃいそう」


「ごめん、ほんといいから! あたしが不用意な発言だった、だからほんといいから!」


 そして当然のごとく、ルー・ロウも。


「つれないですね、カエデさん。僕の情熱が欲しかったら、素直に言ってくれたらいいのに。夜じゃなくてもいいんですよ?」


「ルー・ロウ君まで発情しなくていいから! あたし、何回も言ってるけどショタじゃないの。分かる、ユーアンダスタン!?」


 頭を抱えたくなりながら、楓は心持ち脚を速める。

 本当に二人が自分に欲情しているとは思わないが、たまに危機感は覚えるのだ。サキュバスとインキュバス相手にそのようなことになったら、多分まずい気がする。


「ふふ、カエデさんの恥ずかしがり屋さん――あら、あれは」


「どうした、シーティア?」


 ルー・ロウの呼びかけに、シーティアは視線だけで答えた。あちらを見ろと、少女の青い目が促す。

 執事見習いはそれに従い、茶色い瞳を雨の向こうに投げた。


「エーゼ翁じゃないか。こんな雨の中、どこへ行っていたんだろ?」


「鈍いですわね、ルー・ロウ。秋のこの時期と言えば、ほら。亡くなった奥様の命日でしょう」


「しまった、そうだったな」


 僅かに痛ましげな空気が、ルー・ロウの返答に滲む。

 命日という単語に、楓も反応した。そう言えば、エーゼルナッハから家族の話を聞いたことがない。たまたまかもしれないが、意図的に避けていたのかもしれない。


「あの、エーゼルナッハさんの奥さんて亡くなってるの?」


 足を止めないまま、楓は二人に聞く。答えたのはシーティアだった。


「はい。三十年ほど前にお亡くなりになっています。戦争時に受けた矢傷が悪化して、そのまま亡くなられたと」


「そう......」


 重いため息が楓の唇から漏れた。見慣れたベージュ色のローブ姿を、彼女は目の端に留める。

 戦の傷跡は、戦死者の数や街並みだけに残るのではない。生き残った者にも、何かしらの形で残る。死者に対する思い出が、生き残った者の原動力になることもある。逆に枷になることもある。


 "エーゼルナッハさんはどちらなんだろう"


 答えの出ない問いは、口にはしない。

 本人にすら分からないかもしれない。部外者はお呼びではないだろう。


 雨に煙る街の中を、ダークエルフが歩いていく。人混みに消えたその背中は、酷く寂しそうに見えた。



† † †



 街から戻ると、すでに夕方である。楓にとっては自由時間となる。天気も悪いし読書でもしようと思っていたが、その考えを変えた。

 コートを部屋に置くと、そのままキッチンへ向かう。ちなみに今日は、転移した時に着ていたタートルネックとジーンズだ。


「アラン、いる?」


 ノックもそこそこにキッチンに入る。

 楓の声に、アランシエルが気がついたところだった。彼はまだコックコート姿だ。コック帽はかぶっておらず、何やら手元で飴細工をいじっている。


「返事より先に入るなら、ノックはいらなくないか?」


「ごめん、急いでたの。今お取り込み中?」


「いや、構わん。そろそろ上がろうと思っていたところだ。根の詰め過ぎは体によくない」


 アランシエルは答えながら、飴細工を片付け始めた。

 黄金色の艶がある飴の原材料は砂糖だ。加熱することで、砂糖はどろりとした液状になる。

 熱された状態ならば可変するので、専用の道具を使えば色々と面白い細工が出来るのだ。

 ケーキのデコレーションとして、飴細工で作った黄金の網をかぶせることもある。


「珍しいな、こんな時間に?」


「うん、ちょっと聞きたいことがあって。エーゼルナッハさんのことで」


 それだけでアランシエルは察することがあったらしい。

 飴細工を全て片付け終えてから、彼は楓の方を向いた。どこか慎重な声音で問う。


「エーゼルナッハがどうかしたのか?」


「今日帰ってくる時に偶然見かけてね。ルー・ロウ君とシーティアちゃんから、今日はエーゼルナッハさんの奥様の命日だって教えてもらったの」


「なるほど、思った通りか」


 アランシエルは数瞬だけ、視線を宙に泳がせた。遠い昔のようでもあり、ついこの間のことのような記憶を辿る。


「三十六年前の今日、エーゼルナッハの奥方は亡くなられた。悲しかったことは余もよく覚えている」


 楓の返答はない。ただ黙って、魔王の言葉を聞いている。

 アランシエルは更に説明を続ける。


「半分は戦死のようなものだ。矢傷が原因で衰弱していったからな。エーゼルナッハの目が見えなくなったのも、ちょうど同時期だ」


「えっ、エーゼルナッハさんも矢傷を受けて?」


「いや、彼は魔力の枯渇が直接の原因だよ。人間達にはめられて、罠に落ちてな。奥方が亡くなったことも、精神的な意味で追い討ちをかけたんだろうが......」


 アランシエルの沈痛な声に、楓はしばらく沈黙していた。

 三十六年前の今日、エーゼルナッハは二重の意味で光を失なった。妻と視力の両方を。

 時期のずれはあったのかもしれないが、密接に関係はしているだろう。


「エーゼルナッハさん、毎年命日に何をされているの」


「奥方の墓参りをされている。毎年きちんとな。今日のような雨でも、一人で墓地まで歩いていくのだ」


「そっか、じゃああたしが見たのは、墓参りの帰りだったんだ。何だか、すごく寂しそうな背中だったから」


「だろうな。ダークエルフの寿命は長い。恐らく終生、エーゼルナッハは奥方の死を悼み続けると思う」


 赤い瞳の視線を、魔王は床に落とす。

 まだ若年者だった彼を、当時エーゼルナッハは陰日向なく助けてくれた。彼の奥方にも何度か会っている。

 その死がもたらした衝撃は、未だに心のどこかに疼いている。


「カエデ。何を考える」


 魔王は短く問う。優しさと厳しさが、その声の中には等分に込められていた。


「エーゼルナッハさんに何かしてあげられることないかなって。あたし、ただのパティシエールだからお菓子作るしか出来ないけど。それでもあんな寂しそうな背中見たら、放っておけないじゃない」


 楓は答える。

 スイーツは幸せを呼ぶものだと、里崎楓は信じている。

 なら、今ここでやらねばどうするのか。一人の人間として、一人のパティシエールとして、自分が出来ることは何なのか。


「お節介でも何でもいいよ。アラン、お願い。エーゼルナッハさんが喜びそうなお菓子、教えて。あたしが何が出来るか分からないけど、パティシエールとして少しは助けになりたいの」


「そうか、ならばよし。その心意気買った」


 楓の真剣な眼差しに、アランシエルは一つ頷く。コックコートのポケットからレシピを一枚取り出し、楓の手に押し付けた。そして魔王は一つの菓子の名を口にする。


「ショコラ・モワルー。エーゼルナッハの一番好きなスイーツだ。材料は好きに使え。任せたぞ、カエデ」


「うん。ありがとう、アラン」


 レシピに目を通しながら、楓は力強く頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ