19.式を前にして
里崎楓は女の子だ。
だから、普通にスカートだって履く。社会人になってからは、ジーンズやパンツスタイルが多くなった。
だが、たまにはミニスカートくらいは履くこともある。フェミニンな面もあるのだ。けれど物には限度がある。
「シーティアちゃん、もう今更だけど、皆こんなドレス着てるの? 露出度高くないかな?」
「何を言ってるのですか、カエデさん。こんなの控えめです。ワンピースドレス自体はノースリーブ、そこに肩を包むショールという綺麗な組み合わせですわ! くぅ、自分で選んでおきながら、いいセンス!」
「そ、そうね。そう思うことにする」
グーリットの妹の結婚式当日、楓は覚悟を決めることにした。鼻息荒くシーティアが言う通り、彼女の服装は普段と違う。
上質のシルク素材の紺色のワンピースドレスは、たっぷりとしたドレープを描いて足首まで流れる。
袖はなく、肩も二の腕もむきだしだ。銀糸のショールを羽織ってはいるが、これも透け素材である。だから心もとない感じは拭えない。
「普段、こんなに首もと空かないから落ち着かないよ。恥ずかしい」
「鎖骨から続く胸元がたまりませんわね。ああ、カエデさんの白い肌が、サキュバスたる私の淫欲を誘い――」
「恥ずかしいから止めてよ!?」
シーティアが目を潤ませているのを見て、楓は顔を赤くした。
谷間が見えはしないかと、自分でも気にしていたのだ。
自意識過剰なのだろうけれど、慣れない服というのは怖い。
「全く、シーティアは余計なことを言うものではないよ。大丈夫です、カエデさん。ルー・ロウの目から見ても、今日のカエデさんはとても魅力的ですよ」
「あ、ありがとう、ルー・ロウ君。素直に受け止めておくわ」
「ふう、正直言うと僕の情欲もたぎりそうですよ。これでもインキュバスですから!」
「もうやだ、この年少発情コンビ!?」
ルー・ロウが誉めてくれたのは嬉しい。だけど、心なしか息が荒いし、頬も紅潮している。
シーティアとルー・ロウの二人に見つめられると、何となく変な気分になりそうだ。
「やっぱりナノ・バースってこわいいい!」
頭を抱えながら、楓はしゃがみこんだ。せっかくお洒落しているのに、色んな意味で台無しだ。
そんな助手のどたばたぶりを、アランシエルは呆れた顔で見ている。
「何を騒いでいるのだ、うちの見習いパティシエールは。あれくらいの服、結婚式では普通であろうが」
この魔王の反応に、エーゼルナッハが答える。
「普段着ない服というのは、それだけで気分を変えるのですよ。アランシエル様からも、一言誉めてあげてはどうか。やはり子供からだけではなく、同世代の異性から誉めて差し上げねばなりますまい」
「同世代って言うがな、エーゼルナッハ。実年齢で言えば、余はカエデの十倍は生きているぞ。しかも種族が違う」
「細かいことは良いのですよ」
「そんなものか?」
腹心のダークエルフは、クスクスと笑ったようだ。被ったフードの中で、しわがれた笑いがくぐもる。
「魔王様とはいえ、男女の機微には疎いようですな」とエーゼルナッハは答えた。
その語調は嘲るものではなく、むしろ優しい。
「む、確かに余はそちら方面には疎い。仕方ない、認めよう。おーい、カエデ。中々見違えるようだぞ。だからきちんと立てよ」
アランシエルはぎこちなく声をかけてから、自分の服を見た。こちらはいつもの黒い礼装にマントだ。魔王たる者、これで十分である。
グーリットはこの場にいない。今頃は、自分の家族と顔合わせしているのだろう。式が始まる前に、話をしたいと言っていた。
"あいつ、大丈夫であろうか? 家を飛び出してきたと言ってたからなあ"
部下で親友の男の過去を、アランシエルは知っている。ほんの少しだけ、心配だった。
† † †
妹の結婚式を前にして、グーリットは緊張していた。
控え室には、全部で四人しかいない。自分の両親、自分の妹、そしてグーリット自身だ。
皆それぞれ着飾り、華やかな服装ではある。だが、少しばかり場の空気が怪しい。
「この度はお日柄も良く、おめでとうございます」
「......ありがとう、お兄ちゃん。式、出てくれないかと思ってた」
グーリットのやや堅い挨拶に、妹のヘーミディアが答えた。
黒を基調にし、ところどころピンクをあしらったドレスを着ている。
その灰色の長い髪も黒緑色の目も、どちらも兄のグーリットによく似ていた。
「出ないわけねえだろ。いくら俺が長く家を空けてたっつっても、俺ら兄妹なんだしさ。招待状もらって嬉しかったよ」
家を空けていたとは、些か穏やかな表現だ。本当は家出同然で飛び出したに過ぎない。
恐る恐るグーリットは、両親の顔を見る。年老いたな、と胸に刺さる感情があった。
「ご無沙汰してます。すんません、今日まで足も運ばず苦労かけちまいました」
グーリットは声を絞り出す。
両親は何も言ってくれない。
怒っているのだろうか。
そうだとしても無理はない。
だが、グーリットは言葉を重ねるしか出来ない。
「家出同然で飛び出して、便りもほとんど寄越さずすいませんでした。自分を試したいなんて生意気言って、俺、魔王軍で頑張ってきたつもりです。一応今は、魔王様の片腕です。でも、故郷を振り返らずにひた走りに走ってきて、やっぱそれは良くなかったなって――」
月日は無情だ。
自分が知らない間に、両親は年を取った。あんなに小さかったヘーミディアも、今や結婚する年齢だ。
家族をないがしろにしたと謗られても、グーリットは言い返せない。
だから、もう一回頭を下げた。
「――親父、お袋。心配かけて悪かった。親孝行出来てねえよな、俺」
「頭上げろよ、馬鹿息子が」
その声を聞くと同時に、頭に手の感触があった。父の手のひらだと気がつく。
こんなに小さな手だったか、自分の父の手は。
「仕方ねえだろ。確かにお前はヤンチャで跳ね返りだった。故郷にも足を運んでねえ。けどな、皆お前のこと誇りに思ってるんだぞ。俺らの故郷から、あの魔王アランシエルの片腕が生まれたんだってな」
頭を下げたまま、グーリットは動かない。
そこに母の声が降り注ぐ。やっぱり声は年数を重ね、だけど昔と同じように優しい。
「そうよ。だからね、グーリット。あなたは自分を誇りに思いなさいな。一人で今まで頑張ってきたんでしょ。歯くいしばって、魔王様の助けになってきて。あなたがいなかったら、きっと私達も生きていないわ。人間達に滅ぼされてね」
「そうよ、だからお兄ちゃん。この場を借りて、ありがとうって言わせて。お兄ちゃんは私達皆の英雄だよ! だから、そんな顔しないで」
ヘーミディアにも声をかけられ、グーリットは更に動けなくなった。迂闊に動けば、何かが溢れだしそうだったから。
その感情をせき止めるため、彼はそのまま頭を下げ続けた。
決めていたから。
涙は結婚式には似合わないから、流さないと決めていたから。
だからその代わりに。
「全くよ、そんなこと言われたら嬉しいにきまってるだろ......ありがとうしか言えねえな」
グーリットはいつもの軽い口調で、いつもは言わない台詞を口にした。胸のわだかまりはいつの間にか消えていた。




