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異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第三章 スイーツはイベントごとに
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18.何事も経験だということ

「グーリットの調子はどうだ」


 唐突な問いに、楓は顔を上げる。キッチンカウンターを隔てて、アランシエルがこちらを見ていた。

 二人とも手は止めない。アランシエルはボウルの中身を泡立て器でかき混ぜているし、楓はクッキーの型抜きをしている。いつもの朝の風景だ。


「マドレーヌ作りの話よね。割りと順調かな。まだ手順に迷いがあったりはするけど、結婚式までには余裕で間に合うと思う」


 答えながら、楓はクッキーの型を抜く。打ち粉をはたかれた生地を、星形の型で真上から押し抜いた。ポコリと星が一つ作られる。


「そうか。あいつの故郷はここから北に5センカルだから、前日に作って当日持っていけばいいか。マドレーヌは数日はもつしな」


「えっと、センカルって、ああそうか。1センカルが4㎞だから20㎞ね」


「言語変換をしても、単位は即時変換は無理だからな。悪いが慣れてくれ」


「うん、大丈夫。覚えてはいるから」


 アランシエルは僅かに心配そうだが、実際大した問題ではない。

 菓子作りについては地球のレシピをそのまま使うため、全て地球と同じ単位である。

 ただ、ナノ・バース特有の重量と距離の単位には、施された言語変換処置がもひとつ働かないだけだ。


「レスポンスが微妙にずれるくらいだし、大丈夫よ。20㎞か、馬車で行くの? それとも魔法で一瞬で移動するのかな?」


「転移魔法で一瞬でよかろう。グーリットの故郷には、座標石も置いてあったはずだ。エーゼルナッハに転移魔法を使わせる」


「便利ね、魔法って」


 楓は安堵した。結局のところ、アランシエルらもグーリットの妹の結婚式に出席することになったのだ。


 楓は当初は「あたしはほら、こっちの世界の人じゃないし?」と遠慮していたのだが、結局参加することになった。

 決め手になったのはシーティアの「カエデさんにフォーマルなドレス着てもらって、一緒に楽しみたいんですの!」という一言だった。楓はそのことを思い出し、ちょっとだけ遠い目をする。


「あの子、どんな服を着せる気なのかしら。ちょっと怖いのよね」


「何だ、着こなす自信が無いのか。女性は着飾るのが好きな生き物だと、余はそう認識しているんだが」


 一片の皮肉をこめ、アランシエルは笑う。その間に、泡立て器の回転は止めた。カスタードクリームを作っていたのだが、もう十分だろう。ボウルの中には、まったりとした黄色いクリームがたまっている。

 

 一方、楓の方も順調だった。二十個ほどのクッキーの型抜きを終え、一息ついている。


「別に嫌いじゃないですよ。でもあんまりお洒落する機会がなかったし、職場ではコックコートさえ着ていればよかったもの。楽しみなような、ちょっと不安なようなっていう感じかな」


「機会がないなら作ればいい。人生は有限だ、出来る限りの経験はしておいた方がよかろう」


「あら、今日のアランはなんかいいこと言うのね。そういう主義で生きてきた?」


「ある程度はな」


 そう答えつつ、アランシエルは電気ポットのスイッチを入れた。

 インスタントコーヒーを飲みたくなったのだ。ちゃんと豆を挽いた方が好みだが、そちらは時間がかかる。今はインスタントでいい。

 意図が読めたため、楓も「あたしにも下さい」と手を上げた。


「うむ。それで話の続きなのだがな。この世界は、つい最近まで戦争だったろう。昨日まで隣にいた者が今日には死ぬ。自分も明日はどうなるか分からない。余自身も勇者ユグノーやあのロゼッタと対峙した時は、死を覚悟したものだ」


「はい」


「つまりいつ死んでもおかしくない。そういうことなのさ。ならば、死ぬまでの間に色々なことを経験して、それから亡くなった方が良い。余はそう思う」


「ああ、なるほど。そういう考えなのね」


 楓は頷く。電気ポットが湯沸かしを終え、シュンと自動的にスイッチが切れた。ポットから湯を注ぎインスタントコーヒーを作りながら、アランシエルが楓を見る。


「これは余の持論に過ぎない。だが、一考に値するのではないかな。そういう意味では、余はパティシエ修行をして良かったと思う。大変だったが、この技術は多彩な世界を生み出せるからな。得難い経験だよ」


「そう、ね。そうだなあ、お菓子作りと同じように、普段は着ない服着るのも経験と思えばいいのかな」


 楓はコーヒーを啜る。ミルクも砂糖も入れないブラックコーヒーは、あっさりした苦味を舌に踊らせた。

 暖かな苦味を味わいながら、楓はふと一つの事を考える。


「あたしがこの世界で過ごす時間も、そんな経験の一つだと考えればいいのかな」


「多分な。無理に引きずってきた余が言うのもなんだが、余としてはそう願うよ。何事も無駄ではないさ」


 コーヒーの表面に、アランシエルは視線を落とした。

 楓の「どうかしたの?」という声が聞こえるまで、その姿勢で固まっていた。

 ハッと気がつき、笑顔を作る。


「何でもない。よし、作業を続けるか。休憩は終わりだ」


 けれど、コックコート姿の魔王は知っている。自分の心に、僅かばかりの感情が生じたことを。

 それを何と呼べばいいのかは、魔王アランシエルであっても今は分からなかった。



† † †



 楓が見守る中、グーリットが手を動かしている。

 病的なまでに白い頬には、皮肉っぽい笑みが浮かんでいた。

 けれど、その目は真剣だ。こめかみの辺りに浮かぶ鱗状のあざが、鋭い視線に沿って歪む。


「さあてと、ふるった薄力粉とベーキングパウダーを混ぜ合わせたら」


 ボウルの中を、グーリットはゴムへらでかき混ぜる。

 卵、グラニュー糖、粉類があわさり、仄かに甘い匂いを放っていた。

 手順は頭に入っている。だから順番に、的確にだ。


「次にはちみつ」


 とろり、はちみつがボウルへ注がれた。金褐色のはちみつは、マドレーヌの生地をしっとりとさせてくれる大事な脇役だ。むらが出来ないように、しっかりと混ぜた。


「次にすりおろしたレモンの皮」


 爽やかな甘酸っぱさを、このレモンの皮に期待しよう。

 黄色い生地をしっかりと混ぜた。

 そして溶かしバターを加え、さらに混ぜ続ける。

 練りこむように生地をへらですくい上げて、手首を返して落とし込む。


「この動作は練習したからなあ。な、嬢ちゃん」


「ええ、コツがいるもんね。今は大丈夫でしょ?」


「おうよ。さあてしっかり混ぜ合わせたら、生地を一時間ほど休ませるんだったな。ラップだけはかけとくか」


 しん、とキッチンは静まった。楓も特に何も言わない。今のグーリットなら、助言も必要ないだろう。

 キッチンタイマーが一時間二十分の経過を告げ、最後の工程が始まる。


 グーリットは絞り袋に丸口金を取り付けた。しっかりと口金に袋を押し込んだから、生地が流れ出ることもない。休ませた生地を、この絞り袋の中に入れていく。


「おかしなもんだな、この俺が菓子作りとはね」


 苦笑を一つ、けれどもグーリットの手は止まらない。

 事前に澄ましバターを塗られたシェル型に、彼は生地を絞り出す。丁寧にしっかりと。


「よっしゃ。これを220℃に予熱したオーブンに入れるぜ。十二分で焼き上がりだったな」


「うんうん。そう、それであとは待つだけよ」


「だな」


 そしてオーブンが焼き上がりの完成を告げた。チン、と電子音が鳴り、グーリットは慎重にオーブンを開ける。

 途端にむせるような甘い匂いが、彼を包み込む。焼き上がりの熱に煽られ、マドレーヌがその甘さを空気に解き放っていた。自然と灰色の髪の男は笑顔になる。


「よっし、あとは型から外すだけだ。今日一日冷ませば、明日の式の頃には食べ頃だな。あんがとよ、嬢ちゃん」


 グーリットの礼の言葉に、楓はゆっくりと首を横に振る。

 楓は知っている。最初は卵を割る手もおぼつかなかったグーリットが、これでどれほど練習してきたのかを。全ては妹の結婚式に、マドレーヌを届けるために。 


「いいえ、これはグーリットさんが頑張ったからだよ」


 だから素直に、彼女はグーリットを誉めた。親指を立て、グーリットはニッと笑った。

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