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異世界スイーツ物語 ~魔王さまはパティシエ!~  作者: 足軽三郎
第三章 スイーツはイベントごとに
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17.まずは見て覚えましょう

 晴れの日にスイーツはよく似合う。ウェディングケーキやバースデーケーキはその代表だ。

 ちょっとしたスイーツがあると、場の雰囲気は華やかになる。

 甘いものは人を幸せにし、人生を豊かに彩る。少なくとも、楓はそう思っている。


「自分で作りたいって人、なかなかいないですよ」


「そうかい? ああ、アランや嬢ちゃんに時間取らせるのは悪いもんな。声をかける機会もねえし」


「いえ、そうじゃなくて。手作りのお菓子をプレゼントしたいって、いいなあと思って」


 楓はグーリットに話しかけつつ、思案する。

 アランシエルと相談した結果、楓がグーリットに教えることになった。

「善は急げだ。早速明日から教えてやれ」とアランシエルにお茶会で言われたため、翌日の午後には早くもスイーツ講習会が始まった。


「で、まず何からやればいいのかな。全く何も知らなくってさ」と、グーリットは決まり悪そうな顔だ。

 いつもの軽薄な雰囲気は鳴りを潜めていた。



 今、キッチンには楓とグーリットしかいない。二人とも白いコック帽に白いコックコート姿である。

 エプロンたるサブリエを付けると、ぐっとそれらしく引き締まる。まずは格好からということで、グーリットにも着てもらった次第だ。


「そうね。まず聞きたいのだけど、グーリットさんはどんなお菓子を作りたい?」


「わかんねえんだよな......いや、アランや嬢ちゃんみてえには絶対出来ねえからよ。初心者でも作りやすい菓子なら、何でもいいかな」


「うんうん。そうよね、そもそもどんなお菓子があるか知らないのよね」


 楓は安堵した。

 もしグーリットが「誰も見たことのない菓子を作りたいんだよ! すげえやつ!」と言い出したら、面倒くさいことになったからだ。

 そんなものが一ヶ月で作れるようになれたら、世のパティシエは廃業だろう。


「だったら、そうね。簡単な焼き菓子かな。マドレーヌはどう?」


「マドレーヌって、ああ、前に一回嬢ちゃんにもらったな。あの貝みたいな形したお菓子か? 俺でも出来るの?」


「うん。そんなに難しくはないですよ。あたしの教える通りにやってくれれば、出来ます」


 楓の言葉に、グーリットはホッとしたような顔になった。


「安心したぜ。や、俺なんかにゃ無理とか言われるかと思ったからな」


「え、何で? お菓子作りって、特別な技術じゃないよ。習えばある程度は皆出来るよ」


「そうは言うけどよ。俺らから見たら、アランや嬢ちゃんがやってることって魔法みたいな技術だぜ?」


 これは別にお世辞ではない。

 そのままでは素っ気ない小麦粉や卵が、いつの間にか華やかな菓子になるのだ。

 分量通りに手際よく作ればいいとは分かっていても、それは特別な何かに見える。


 自分の白々した手を、グーリットは眺めた。感傷、あるいは自嘲めいた笑いが漏れる。


「教わっておいて何だが、今からでも断ってもいいんだぜ。俺はさ、散々戦争で人間を殺ってきた男だ。殺らなきゃやられるから仕方ないんだけどよ。この手で菓子作りなんて似合わねえよな。嬢ちゃんが嫌がっても、そりゃしょうがねえと思う」


「うん、そういう話は聞いたよ。何だろ、あたしは戦争とか知らないから――違うな、ピンとこないっていうのが正しいかな。何とも言えないんだけど」


「そうか。だからなあ......なんつーか、気後れはしてんだよ。こう見えてもな」


 ヒュッとグーリットは息を漏らす。それで迷いを吹っ切ったのか、表情が引き締まる。楓もそれが分かった。


「あたしはグーリットさんは怖くないし、お菓子作りは誰だって取り組むこと出来ると思う。だから頑張ろうよ!」


「頼むぜ、嬢ちゃん」


 そう応じる男の顔は、いつもの不敵さを取り戻していた。



† † †



 マドレーヌは比較的ポピュラーなお菓子だ。

 ふわっと膨らんだ生地に歯を入れれば、その風味は口の中でほどけて消える。

 手のひらよりも小さなサイズのため、ちょっと食べるには最適な焼き菓子と言える。


「フィナンシェとどっちにしようか迷ったんだけど、爽やかな感じの方がいいのかなと思って」


 そう言いながら、楓は一つの果物をグーリットに手渡した。

 黄色いツヤツヤした表皮の果物を、グーリットは手の上で転がす。少し酸味のある香りがした。


「レモン? これがマドレーヌに関係あるのかい」


「うん。マドレーヌには、レモンの皮をすりおろしてまぜるの。だからレモン独特の爽やかな風味がある。フィナンシェはアーモンドパウダーを使うから、香ばしい感じ。どっちも難易度は変わらないけど、今回はマドレーヌにします」


「嬢ちゃんの選択に任せるわ。で、何からやれば作れるようになる?」


「まずは見てて。もちろんレシピは読まないといけないけど、実際に作る場面を見るのが先」


 コック帽をかぶり直しながら、楓はマドレーヌのレシピを思い出す。

 初歩の焼き菓子であり、何度も作ったお菓子だ。材料さえあれば問題はない。


「じゃあ早速やるわね。卵、グラニュー糖、薄力粉、ベーキングパウダー、はちみつ、バター、レモン。これがあれば作れるわ。あ、バターは食塩不使用でお願いします」


「了解、倉庫見てくるわ。特別な用具は必要なのかい」


「マドレーヌを作るためのシェル型が必要ね。あと、生地を型に絞り入れるから、絞り袋と丸口金。大丈夫、用具はもう揃えてあるから」


 楓の視線につられ、グーリットはキッチンカウンターを見た。

 なるほど、シェルの形にへこみが付いた鉄板が既に用意されている。

 丸口金というのは、小さな金属製の円錐のことか。先端が切られており、そこから絞り出すらしい。


「そだな。菓子作りど素人の俺じゃ、いきなりは無謀だな。勉強させてもらうわ」


「グーリットさんならすぐに覚えられると思うし。焦らずやりましょう」


 楓の励ましに、グーリットは頷く。まずは見て盗んでみよう。




「澄ましバターを作るところからスタートします」


「粉こねたりしないのか?」


 楓の第一声に、グーリットは思わず突っ込んだ。楓は「うん、だってまずシェル型に澄ましバターを塗るから」と澄まし顔だ。

 しかし、グーリットからするとそもそも用語が分からない。


「嬢ちゃん、悪いんだが、そのだな。澄ましバターって何だ?」


「えへん、澄ましバターというのはですね。バターをまず溶かします。それが溶けきった段階なら、溶かしバターと呼びます。その溶かしバターをさらに加熱すると、バターが三つの層に分かれるの」


 説明しながら、既に楓は手を動かしていた。

 冷蔵庫からバターを取りだし、それをナイフで適当なサイズに切り分ける。バター独特のあぶらっこい匂いが、ふわりと漂ってきた。


「これをね、鍋にいれて」


 ぽんぽんと切り分けられたバターを、鍋に放り込む。中火で温められた鍋の中で、じわりとバターは液化を始めた。


「こうやって火にかけるの。焦げないように泡立て機でかき混ぜてっと」


 ぐるりと大きな動きで。楓が泡立て機を使うたびに、ぽこりと小さな泡が立っては消える。

 やがてそれもおさまり、黄色のどろりとしたバターが鍋の中を満たした。完全に液化している。


「溶かしバターの出来上がり。これはこれでマドレーヌに使うから、少し取っておいて。更にこの溶かしバターを加熱していくの」


 弱火に落とし、じっくりと。

 それを続けていくと、バターは三つの層に分かれていった。

 鍋底に沈殿した乳しょう、その上の黄色い部分がバター本体だ。

 澄ましバターはその上、表面近辺の透明度の高い油脂を指す。


「バター表面の泡をよけて、この透明な黄色い上澄みをすくう。そしてボウルに入れます。はい、これが澄ましバター。ブール・クラリフィエとも言うのよ」


「バターって黄白色の固まりなのに、こんなになるのか......すげえ透き通ってんな。光の結晶か?」


「まさか。でね、この澄ましバターを刷毛につけて、さっきのシェル型に塗るの。こんな風にね」


 滑らかな手つきで、楓は工程を続けていく。刷毛がシェル型をすうと撫でる。シェル型の溝が澄ましバターを塗られ、とろりと光った。

 澄ましバターの役目は二つ。

 あとで生地を入れた時に、引っ付かないようにすること。

 そして同時にマドレーヌの表面に風味付けすることだ。


「へえ、なるほどなあ。面白いもんだ」


 グーリットは感心した。

 しかし感心してばかりはいられない。楓の手順を覚えなくてはならないのだ。「よし」と短く呟いて、グーリットはマドレーヌ作りを観察することにした。

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