16.晩夏の夕暮れのお茶会
風がほんの少し、熱を減らした。何とはなしに、里崎楓はそう思う。
「夏の終わりなのかなあ」
かもしれない。
ナノ・バースに地球と同じような四季があるかは知らないが、多分あるのだろう。初めて過ごした異世界の夏は、あっという間に終わったらしい。
「どうかしたか、カエデ? 不思議そうな顔をして」
そう問うアランシエルは、軽快な半袖姿だ。もっとも服自体は魔王らしく、漆黒のチュニックなのだが。
「いえ、こっちの世界にも季節の移り変わりってあるんだと思って。最初で最後の夏が終わるんだなと思うと、ちょっと不思議な気分」
「ふむ、基本的には地球と同じだぞ。元々同じ世界だったのかも知れないな」
答えながら、アランシエルはシーティアやルー・ロウに指示を出す。
傾きつつある夕陽が、魔王の長身を浮かび上がらせていた。今は通常モードなので、角も髪から突き出ている。「威厳たっぷりね」と楓は呟いた。
「威厳があって悪いか。余は魔王だぞ、魔王。単なるパティシエではないのだ」
「や、別に悪いとか言ってないよ。アランは格好いいなーと思って」
楓はにこやかに話す。
嘘ではない。
アランシエルは見る分には申し分ない。オレンジ色の夕陽が彼の褐色の肌を引き立て、彫りの深い顔に陰影が出来る。
うん、見る分には問題ない。
「――ふん、そんなお世辞を言っても、明日の仕事は楽にはならんからな!?」
「はい、分かってます。かっこいいパティシエの魔王様!」
「おちょくってるだろ、お前っ!」
そう、この意外に子供っぽい性格も楽しいと言えば楽しい。一緒に働くには、申し分ないパートナーだ。
"でも魔王だからなー"
ふふ、と小さく苦笑いしつつ、楓はくるりと回った。
袖の無いワンピースを着ており、束の間の乙女心とやらを刺激される。悪くないなと思う。
こちらの世界に来てから、四ヶ月が経過した。あっという間の冒険になるのかもしれない。
そんな楓の感傷に、アランシエルは気がつくはずもない。微妙な表情のまま、楓に毒づく。
「ふん、にやにや笑いおって」
「あっ、アランシエル様、カエデさん。そろそろ夏のお茶会の準備、整いましたわ!」
唐突に響いたシーティアの声に、二人は振り向いた。
魔王城の中庭の植え込みの陰から、ピンク色の髪がひょっこりとのぞく。サキュバスの少女は、今日もいつものメイド服だ。
「そうか、今行く。ついてこい、カエデ」
「言われなくても行きますよ。いちいち言わなくても分かりますって」
「くっ、最初に比べると生意気になったな......」
「人間は順応する生き物なんですー。地球で習いませんでした?」
魔王とパティシエールは、ポンポンと言葉を重ねた。
その後に従いながら、シーティアはほくそ笑む。「あらやだ、お似合いですわ」と、彼女はほんのりとその可憐な頬を染めた。
† † †
「夏の終わりを告げる日には、いつもお茶会をするのですよ。いわば去り行く季節を見送る儀式です、カエデ殿」
「へー、エーゼルナッハさんて風流ですねえ。いつも真面目そうだから、ちょっと意外」
楓の反応に対して、盲目のダークエルフは低い笑い声をあげた。楓も最初は怖い人だなと思っていたが、今はそんなことはない。聞けば大抵のことは教えてくれるし、親切な老人だった。
楓とエーゼルナッハがそんな和やかな会話をしていると、グーリットが口を挟んできた。
「おいおい、嬢ちゃん。風流なら俺も負けてねえぜ。何せ地球から物資調達するくらいだからな。向こうの世界の風流も学んで、人様の二倍は風流な男ってやつだよ」
「グーリットさんはねぇ。風流を学んでも、それを生かす方法を知らなさそう」
「ひっでえな、嬢ちゃん! 俺、アランと嬢ちゃんの菓子作りを陰で支えてるんだぜ。もうちょっと労れよ!?」
額に手をあてながら、グーリットが大袈裟にのけぞる。
もちろんわざとだ。
左耳のピアスが揺れ、中庭の篝火を反射する。
何をやっているのやら。
騒がしい魔王の片腕を、ルー・ロウはいくぶん冷ややかな目で見る。
「グーリットさんて軽いなあ。仕事は出来るのに勿体ないと、ルー・ロウは思いますよ」
「はっ、分かってねえなあ。相手を油断させるための芝居だよ、芝居。いつも隙なくじゃあ、皆に警戒されるだろ? 処世術ってやつさ」
「処世術の意味、知ってます?」
ルー・ロウは会話を切り上げ、執事見習いの顔に戻った。
少し離れた卓を見ると、アランシエルがお茶を啜っている。もうすぐ空になると気がついた。
「アランシエル様、お代わりはいかがでしょうか」
「うむ、頼む」
「かしこまりました」
一礼し、ルー・ロウはポットから冷たい紅茶を注いだ。季節を考慮して、ポットも硝子細工の造りだ。
ルー・ロウが注ぎ終わってから、魔王は口を開く。
彼の赤い瞳の先では、楓、エーゼルナッハ、グーリット、そしてシーティアが輪になって会話していた。
「不思議なものだな」
ポツリと呟く。ルー・ロウはその呟きを吟味するように、即答はしなかった。またアランシエルが誰ともなしに呟く。
「こんな見知らぬ世界に連れてこられながら、あの溶け込みっぷりは見事だ。まるで何年もここにいるかのように思える。そうではないか、ルー・ロウ?」
「カエデさんのことですか。ええ、そうですね。とても楽しそうにしていらっしゃいます」
「うむ。心を塞がれたらどうしようかと思っていたのだが、今のところその心配はないか。余も良いパティシエールを連れてきたものだな」
「自画自賛ですね。実際カエデさんが来てから、ルー・ロウ達もお菓子をもらう回数が増えました。いいことずくめです」
ルー・ロウの言う通り、里崎楓の貢献は大きい。
リシュテイル王国とのスイーツ決闘は、あの一件以来無い。
そのため里崎楓の日々は、菓子を作りそして配り続ける平穏な日々である。
その恩恵を被っているのは、魔族領の平民達だ。
「魔王様だけではとても手が回りませんもんね。クッキー、ビスケットなどの簡単なお菓子でも、大量に作るとなると時間がかかりますし。何よりそれをやると、ご自分の創作や研究に時間が取れない」
「ああ。凝った菓子でなくとも、地球のスイーツなら皆喜んで食べるからな。カエデがいなければ、とても回らん。薄力粉、砂糖、卵、バターさえあれば、ああいう菓子なら大体どうにでもなるし」
「量も重要ですからね。カエデさんが日々のお菓子を作る一方、魔王様が特別なお菓子を作る。いい関係だと思います」
「そうか、そうだな。ただし、あと八ヶ月程度だがな」
スッ、とアランシエルの声が低くなった。その変化に気がつきつつ、ルー・ロウは問う。
「やはり一年間限定なのですか。カエデさんさえよければ、雇用延長されては?」
「無理だ。元々一年限定という条件だからこそ、カエデもこちらにいる気になっている。あくまで地球が彼女の故郷であり、いるべき場所なのだ。それをこちらの都合でねじ曲げては、流石に悪かろう」
「そうですね。けれどカエデさんがいなくなったら、寂しくなりそうです。それにアランシエル様も」
「ん?」
「良い助手を失うことになります。落胆されないか心配ですよ」
ルー・ロウの蜂蜜色の髪が、篝火を反射する。魔王に忠実な執事見習いは、気遣わしげな顔になっていた。
「心配ないさ、元々いなかったのだ。その状態に戻るだけだよ」
そのはずだ。
そう、アランシエルは信じている。
時も経ち、そろそろお開きにしようかという雰囲気が漂い始めた。「最後の一杯になりますわ」とシーティアが皆の卓を回る。
その時、ふと思い出したようにグーリットが口を開いた。
「あ、忘れてたぜ。アラン、一ヶ月後にさ。結婚するから」
「何っ!?」
いきなりの爆弾発言に、アランシエルは目を見開く。
そんな話は聞いていない。
その一方、楓は別の意味で驚いていた。
「グーリットさんでも結婚出来るんですね! 相手の方、どうやって騙したんですか!?」
「嬢ちゃん、俺に厳しいな!? ちげーよ、俺の妹がだよ。俺じゃねーよ」
ふう、とグーリットは息を吐く。
それに応えるように、アランシエルが「主語を抜くなよ。そうか、妹さんがか。それで結婚式に出るから休みをくれと」と話を続けた。
「そう、その申請が一件。で、もう一つお願いがあるんだけどよ。聞いてくれないか」
グーリットはいつになく神妙な顔だった。楓と顔を見合わせてから、アランシエルが聞く。
「言うだけ言ってみろ。余とお前の仲だ、出来る限りのことはする」
「すまん。お願いってのはさ。俺に菓子作り教えてくれねえか」
「本気か?」
困惑。魔王の顔にはそう書いてある。
「グーリットさんがお菓子作るの? え、何で、どうして?」
楓も聞かずにはおれない。
今までグーリットは、菓子作りには興味を持っていなかったはずだ。
エーゼルナッハらもグーリットに注目する中、灰色の髪の男は決まり悪そうに答える。
「妹にさ、なんか持たせてやりてえんだよ。俺、いい兄貴じゃなかったからな」




