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14.ケーク・マーブル

 白いコックコートに身を包み、里崎楓は立っている。天気が良くてよかったなーと、のんきに構えていた。日は中天にあり、この場にいる人達の影を落とす。


「のどかね」


 そう呟いた。ただ、それは気をまぎらわせるためかもしれなかった。


「逃げずによく来たな、ロゼッタ・カーマイン」


「やあ、魔王よ。どんなスイーツを提供してくれるのかな。楽しみで仕方がないよ」


 アランシエルが重々しく口を開けば、ロゼッタも答える。互いに剣を交えた仇敵同士、しかし今日の戦いでは剣は必要ない。

 洗練されたスイーツと、鍛えられた味覚の戦いだ。真面目に考えるとおかしくなりそうだが、楓はあえてそこは考えない。当人同士は真剣だからだ。



 エーゼルナッハとグーリットの二人が、一人の男性を連れてきた。牧師のような黒い服を着ており、柔和そうな顔をした中年男性だった。これが執行官らしい。


「さて、それではこれからスイーツ決闘(デュエル)を始める。食客たるロゼッタ・カーマインに、これより拘束約定(ギアス)を施す。よろしいな? 食べたスイーツについては、素直に感想を言うこと。その本意に逆らえば、その身に災いが降り注ぐ」


「結構だ。やってくれ」


 簡潔にロゼッタが答えると、執行官は一つ頷いた。椅子に腰かけたロゼッタに目を閉じさせ、彼はその額に手を当てる。何やらむにゃむにゃと唱えているが、あれが拘束約定(ギアス)なのだろうか。

 楓が観察していると、横からシーティアに袖を引っ張られた。目くばせを一つ寄越される。


「少し時間かかりますから、ケーク・マーブルを今から出してきますわ。ココナッツアイスクリームは最後でよろしいですよね」


「いいと思う。ルー君はお茶の準備か、こうして見ると、ただのティータイムよね。ほんとは戦いなのに」


「ええ、戦いなのです。誰も傷つかないし、傷つけない。けれど真剣な戦いですの」


 シーティアの声も表情も真剣だ。それは分かる。この場にいる誰もが、真剣な顔をしていた。

 正直、エーゼルナッハとグーリットはぴりぴりしすぎていて恐い。だがそれとは裏腹に、中庭の風景は平和だ。


「オープンテラスでお茶って贅沢ね」


「雰囲気は重要ですのっ」


「それはそうだけど」


 小さな円卓には白いクロスがかけられ、ルー・ロウがその横でお茶の準備をしている。白い陶製のティーポットに揃いのカップ、そこからゆっくりと湯気が立っているのが見えた。

 うん、ただのティータイムだ。そののほほんとした中庭に、執行官の厳かな声が響いた。


拘束約定(ギアス)は施しましたぞ。いつでも決闘(デュエル)は開始できます」


 先に反応したのは、魔王だった。その赤い目が燃えるような輝きを放つ。


「よし、それではやるか。びっくりするなよ、ロゼッタ」


 間髪入れず、ロゼッタも応じる。襟元にナプキンを差し込み、実に礼儀正しい。右手が動き、ゆっくりと小さなフォークを握った。


「ふっ、来るがいい。貴様のスイーツなどでやられてたまるか!」


「よかろう。ルー・ロウ、シーティア。ケーク・マーブルを出せ! それを食べ終わったら、楓はココナッツアイスクリームだ!」


 アランシエルが指を鳴らしつつ、指示を出す。悔しいがかっこいいなと、楓は場違いに思った。魔王のくせに生意気だ。

 

 シーティアが、白布のかかった台形のケークを捧げるように持っている。その布を取り、ルー・ロウがプレートの上にケーク・マーブルを静かに置いた。

 白い磁器の上で、ケーク・マーブルはその茶色と黄色の混ざった姿を露にしている。中央がやや盛り上がった台形であり、バターの香りが強い。


「二切れでよろしいですね?」


「頼む」


 ルー・ロウの問いに、ロゼッタは短く答えた。ナイフが入る。マーブルの語句の通り、チョコの茶色が太く黄色の生地に混ざっていた。その断面を見ただけで、ロゼッタの背に微かに震えが走る。


「――中々、美味しそうだな。では、いただくとしよう」


 カツンと、彼女のフォークが鳴った。



† † †



 一口目から違った。衝撃。ロゼッタ・カーマインが食べた、今までのどの菓子とも違う。

 滑らかなバター風味の生地が、口中で踊る。甘さとまろやかさに舌を蹂躙された後、そこにチョコレートの香ばしさが存分に踊りかかる。


 カカオの香りが鼻の奥に突き抜けた。思わず目を見開く。フォークを取り落としそうになった。


 "な、んだ。これは。こんな菓子、今まで食べたこともないぞ"


 舌からの刺激に、脳が暴れた。全ての理性が消し飛びそうになる。知らない。こんな贅沢にバターを利かせ、更にチョコレートの風味を上乗せしたケーキは知らない。 

 しかも通常ならこういうバターケーキは、もっさりするものだ。だがあくまで口どけは軽く柔らかい。


「ま、魔王っ! 貴様、このケーキ、何故これほど風味が軽いっ!? バターケーキで、こんな!」


「メレンゲをしっかり混ぜこんだからな。もちろん、他の薄力粉やグラニュー糖などの配合が良いからこそ、メレンゲも生きるのさ」


 アランシエルはにやりと笑った。

 白いコック帽を外し、右手で髪をかきあげる。

 勝利を確信したその余裕面が、ロゼッタの誇りを傷つけた。


「ぐ、ぐっ! た、確かに美味しい、それは認める! だが、まだ一口食べただけだっ」


「そうだな。ケーキはまだまだ残っているんだ。余が技術の粋を尽くしたケーク・マーブルが! まだまだ! しかも、焼いてから一日置いたため、より味が落ち着いたケーク・マーブルがだ!」


「あ......あ、あああ......」


 その茶色の瞳を見開き、ロゼッタは絶望と歓喜の表情を浮かべた。

 絶望――必敗への恐怖。歓喜――この極上のケーク・マーブルを味わえることの悦び。

 また理性が飛びかけた、それをギリギリの線で抑え、フォークを更に突き刺す。口に運んだ。


「お、美味しいなっ、だが私は屈するわけにはいかな――ガッ!?」


拘束約定(ギアス)がかかっているんだよなあ、あいにくさあ」


「素直に敗北を認めた方が良いぞ、ロゼッタ。無理は体によくないからな」


 激しい頭痛が、ロゼッタを襲った。

 テーブルの上に突っ伏した彼女に、グーリットとエーゼルナッハが声をかけた。前者は皮肉っぽく、後者は冷ややかに。



 これで折れるかと、誰もが思った。

 だが驚いたことに、ロゼッタは耐えた。目を充血させ、あえぎながらもだ。驚くべき精神力だった。

 一瞬だが、アランシエルも冷や汗をかいた。


 けれども、今回の決闘(デュエル)は二段構え。

 人の悪い笑いを浮かべながら、楓が第二のスイーツを提供する。キンキンに冷やされた銀の器が差し出された。白銀の冷気がふわりと空気に溶け、その中から純白のアイスクリームが現れる。


「どうぞ、ココナッツアイスクリームよ。ちなみに作ったのは、あたしだからね? ちゃんと覚えて、あなたの国に報告してね」


 楓の声が降り注ぐ。半ば意識を刈り取られつつ、ロゼッタは目の前の菓子に目をやる。

 白い、甘い香りだ。今までかいだことのない、豊潤な......なんだ、これは。果物、ミルクっぽい、やや癖のある。


「いや、もはやこれは食べずには」


 うわ言のように呟きながら、赤髪の女騎士はスプーンを手にする。すくったアイスは僅かに外気にとろけ、それがまたロゼッタを誘惑した。


 舌に乗せた。濃厚なココナッツの風味が、冷たいアイスクリームに乗っている。冷菓にしか醸し出せないひんやりした甘味だ。ふんだんに使われたミルクと砂糖を感じた。ケーク・マーブルの豊かなバターの風味を、冷たい快楽がより刺激する。


 これに耐えろだと。無理だ、仮に神であっても。


「ま、けました。敗北だ。悔しいが美味しいとしか、言いようがない」


 ぐったりとうなだれ、ロゼッタ・カーマインは陥落した。食欲に理性は支配され、また一口目の前のスイーツを口に運ぶ。目から涙を浮かべながら、けれども満足そうに。


「くっ、殺せ! このロゼッタ・カーマイン、誇りに賭けて、このままおめおめ生きてはいられないっ!」


「あ、ほんとに言うのね」


 赤髪の女騎士の涙ながらの訴えを、里崎楓は苦笑いで受け止めた。魔王アランシエルは「ふっ、当然の勝利だな」と胸を張る。



† † †



 ケーク・マーブルとココナッツアイスクリームの合わせ技を受け、ロゼッタ・カーマインは破れ去った。屈辱を背負い、彼女は魔王城を後にする。

 しかも楓が作ったサブレ・ノルマンをお土産に持たされて。


「覚えていろ、魔王! そして見習いパティシエール! 私はっ、この屈辱をっ、けして忘れないっ!」


 そして一陣の風が、ロゼッタの絶叫を春の彼方に運んでいった。

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