13.アイスクリームを作ろう
楓は拍子抜けしていた。勢いこんでキッチンに入ったまでは良かった。
だが、アランシエルの指示は、とてつもなくシンプルだった。
「耐熱ボウルを出して、そこに無脂肪乳を500グラム注げ。その後、電子レンジを500Wにして五分加熱。終わったらこれを加えてラップして、冷蔵庫に入れろ」
「え、それだけ? 他には何もしないの?」
言いつつ、アランシエルがこれと指差した物を見る。
白い粉状の物だ。少し甘ったるく、癖のある豊かな匂いがする。少しミルクを連想させる匂いだった。確かこれは。
「ココナッツファインね。これを使って冷たいお菓子って、何を作るの?」
「ココナッツアイスクリームにする。ケーク・マーブルに添えて出す。色彩的にも、白いアイスと茶系統のケーク・マーブルなら悪くない組み合わせだ」
「うわ、それはえげつないコンボね」
アランシエルの意図を理解すると共に、楓は明日の仕事を察した。
一晩寝かせることにより、ココナッツアイスクリームのベースとなる脂肪乳を馴染ませる。明日の午前中に取り出し、アイスを作る訳だ。
つまり本番は明日となる。
「カエデも知っての通り、ケーク・マーブルは既に出来ている。だから明日の午前中にアイスさえ作れば、正午には間に合う。故に今日はもうやることはない。寝ろ」
「はやっ。けどそうよね。一晩立たないとどうにも出来ないもの」
楓もパティシエールの端くれだ。菓子によっては、すぐには作れない物があることを知っている。そういう時は寝るしかない。
アランシエルの指示通りに下準備を終え、冷蔵庫に耐熱ボウルをしまった。
ココナッツファインの甘い匂いが漂い、楓は頬を緩めた。これで明日の朝には、アイスクリーム作りに取りかかれるはずだ。
「準備完了しました、アラン」
「よろしい。では明日、朝六時に」
「はい!」
闘志も一晩寝かせておくというところだ。
† † †
翌朝、楓が六時にキッチンに行くと、既にアランシエルがいた。上機嫌に鼻歌など歌いながら、ぐるぐると肩を回している。楓の気配に気がついたのか、素早く振り向く。
「おはよう、カエデ。寝覚めは良いようだな」
「はい、問題ないです。アランこそ機嫌良さそうね」
「それはそうさ。あの小生意気な女騎士に一泡吹かせてやれるのだから。戦時中から散々煮え湯を飲ませられて、こちらも積もる物はあるからな」
「敢えてそこは聞かないでおくわ」
アランシエルが怒気をはらんだ声で答えたため、楓はちょっとびびった。
パティシエの格好なので角は生えていないはずだが、何故かその幻影が見える。
とにかくまずはアイスクリームが先決だ。冷蔵庫の扉を開ける。
「あ、良さそうね。ココナッツファインが馴染んでる」
「うむ、では作るとしようか。ところでカエデ、君はココナッツアイスクリームは作ったことはあるか?」
「ん、製菓学校時代に一応習ったわ。ホテルに勤務してからは作ってないけれど」
「そうか。なら、せっかくならやるか? レシピはここに書いておくし、余が見ていてやるから」
「いいの?」
楓としては問題ない。
アイスクリーム作りはしばらくやっていないが、プロセスは覚えている。
アランシエルがレシピをくれるのであれば、材料の種類や量も問題ないだろう。人によって、同じ菓子でも少し異なることがある。
楓としては、アランシエルのレシピに従うつもりだった。
「ああ。ケーク・マーブルだけでも十分勝算はある。このアイスクリームはだめ押しだから、少々失敗しても問題ない。それにカエデにも良い練習になろう」
「そこまで言われたらね。よし、やりますか。レシピもらえますか?」
楓は軽く気合いを入れた。見ているだけよりは、やはり自分も貢献したい。
それにアイス作りは久しぶりだ。純粋にやってみたかった。
冷やし終わった耐熱ボウルとは別に、もう一つボウルを取り出した。そこに耐熱ボウルの中身をこし入れしていく。
白いトロリとした液体がボウルにたまる。ちょっと癖のある甘い匂いが、ふわりと漂った。
"このままじゃ足りないんだ"
こし入れたココナッツファインを、手でしっかりと絞った。よりココナッツの風味を濃くする為だ。
更にそこにグラニュー糖とココナッツリキュールを加え、泡立て器で軽く混ぜ合わせた。
リキュールは風味付け、グラニュー糖は甘さの添加だ。ボウルの中身を見ると、真っ白だ。
「チョコレートやストロベリーの方が色は豊かよね」
「その辺りは好みだな。ここから先はどうするか分かるか?」
「もう材料は全部混ぜたから、アイスクリームマシンにかけるだけですよね」
「それはそうだが、その前にだな」
すっと楓に近寄り、アランシエルは自分の右手で楓の右手を取った。
ひんやりとした感触に、それ以上にいきなり手を握られたことに、楓の心臓がいきなり飛び跳ねる。
ちょうど背後から寄り添われた形だ。
「なななな何するんですか」
「ボウル」
「はい? ボウル?」
「ボウルの温度だ。余は体温調節をある程度出来る。今、摂氏10℃まで下げている。アイスクリームマシンにかける前に、ボウルがこの体温より冷めていなければならない」
「あっ」
思い出した。そうだった。
一定の温度以下でなければ、いくらマシンにかけて混ぜてもどうにもならない。
それを思い出した。
「というわけで、ちゃんと温度を計れよ」
「はい。ところでそろそろ手離してもらえませんか?」
「ん、おお、そうだな。分かったか、今の手の体温以下だぞ」
再確認しながら、アランシエルが下がる。
そのひんやりした右手が離れ、楓はようやくホッとした。
まだ心臓がバクバクしている。
鏡で見れば、きっと顔が赤いだろう。
"近すぎるでしょ、全く!"
ボウルの中身に冷菓用の温度計を入れながら、楓は無言で唸った。男性慣れしてないなあと思いつつ、アランシエルの方を見る。
平然とした顔の魔王を見ていると、何だか腹が立ってきた。
「今のセクハラですよね? 訴えていい?」
「なっ、何っ!?」
「冗談ですよ、冗談」
慌てるアランシエルを見て、ほんの少し気持ちがすっとした。
体温計に視線を落とす。
10℃を少し上回っていたので、氷水でボウルを冷やした。
じわりと温度が下がったことを確認してから、アイスクリームマシンの電源を入れる。
ずんぐりとした立方体をしており、上部の蓋をあけて中身を投入する仕組みになっている。メーカー名を見ると、某アメリカの会社だった。フードプロセッサーのメーカーとして有名な会社だ。
「某ダンジョン系RPGに出てくるメーカーよね、この会社」
「うむ。首をはねる兎や這いまわるコインが出るゲームだな。余も少し遊んだことがあるぞ。この会社名がついた剣があってな、戦士系クラスのほぼ最強武器だった」
「結構やりこんでるっぽいけど、パティシエ修行の合間に?」
飽きれつつ、楓はスイッチを押した。
キュウウウンと音を上げながら、中に取り付けられた羽根が回り始める。空気と材料を混ぜ回せることで、アイスクリームの舌触りを生み出す。
かなりの回転速度が必要となるため、この作業を手でやるのはいくら何でも無理だ。
「このマシン、高かった?」
「それほどでもない。日本にいる間に輸入品を買ったが、二万円はしなかった。冷凍容器利用タイプならそんなもんだろう。上位機種のコンプレッサー内蔵タイプなら、もっと高額となる」
そこまでは必要なかったのだろう。楓とアランシエルが話す間に、マシンは徐々に回転数を落としていく。元々白かったアイスだが、空気が混入されてより白さを増していた。
楓はじっと羽根の一つを見る。白いアイスが羽根にくっつき、ごく止まりそうな速度で滑り落ちた。堅さはこれくらいだろう。
「オッケー、出来ました」
「よし、よくやった。余の指導のおかげだな」
「あたしの手触っただけじゃない!?」
楓の抗議の声がキッチンに響いた。
うるさい二人の会話の下、ココナッツアイスクリームは、その純白の色を冷たい温度に閉じ込めていた。
† † †
強すぎもせず弱すぎもしない陽射しの下、一人の女騎士が歩く。
長い赤髪は風に揺れ、その目は前だけを見据えていた。つまりは目的地。具体的には魔王城。
「魔王アランシエル、そしてその助手のパティシエールか。面白い」
魔王城へと続く道は、緩やかなカーブとなっていた。緑豊かな街路樹を横目で見ていると、三年前とは違うなとつくづく思う。
あの時は確か、この辺りの道に防壁があった。城までの道は、激戦区の一つだった。
今日の戦いは違う。
血は流れない。味方も敵も死なない。ただそこには、スイーツの作り手と食客がいるだけだ。
時代の流れだなと思いながら、ロゼッタは密かに期待していた。
自分を屈服させない程度に、適度に美味しいスイーツが出てくることを。
――だが、ロゼッタはこの後猛烈に後悔することになる。




