12.スイーツ決闘を巡る火花
これが対峙というんだなと、楓は思う。自分の目の前で、二つの陣営が視線をぶつけ合っていた。バチバチという火花が目に見えるようだった。
片方は上司である魔王アランシエル、それに彼の側近のグーリットとエーゼルナッハだ。もう片方は赤髪が印象的なロゼッタ・カーマインだった。
「のこのことようも顔を見せられたのお、騎士よ。未だ覚えておるぞ、お主に苦渋を飲まされた日を」
意外なことに、最初に口を開いたのはエーゼルナッハだった。フードの奥から漏らした声には、隠しきれない怒りがにじみ出る。
「つい先日のようにな。私も同様だよ、エーゼルナッハ。貴様には手を焼いたよ。盲目とは未だに信じられないな」
「長年この状態で過ごしておるからな」
そう言うと同時に、エーゼルナッハがフードを外した。楓は思わず息を飲む。
初めて見る。
色素が完全に抜け落ちたような長い白髪が、ばさりと垂れた。
髪からは両の耳が突き出ている。
黒檀のような肌をした顔は、だが、口元しかあらわになっていない。
「ダークエルフの長にしてアランシエルの腹心、エーゼルナッハか。痛手を被ったのはこちらも同じ。今日は剣を交える為ではない故、ピリピリするなよ」
返答するロゼッタ同様、楓もエーゼルナッハの顔を見ていた。
幅広い布が彼の目を隠している。楓には読めない複雑な印が多数施されており、それが異様さを助長していた。「ファンタジーだわ」と独りごちた。自分が気圧されていたことを自覚した。
"ダークエルフって、ああ、闇落ちしたエルフだっけ。ほんとにいたんだなあ"
そんな傍観者と化した楓をよそに、エーゼルナッハ同様グーリットもぴりぴりした様子を隠さない。
ちっと舌打ち一つ、その黒緑の瞳を細く研ぎ澄ませていた。
「停戦協定が無かったら思いきり戦いてえ――ってなあ、お互い様だよなあ。そいつは散々やらかしたし、控えておくぜ」
「賢明だな、グーリット。今は剣の時代ではない。そう、スイーツの時代だ」
「時代は変わったもんだよな。つーわけでよ、お前に任せるぜ、アラン」
ひらひらと手を振り、グーリットは横にどく。滑るような動きで、エーゼルナッハもそれに続く。
そうなるとロゼッタと対峙するのは、魔王アランシエルのみだ。
「日時の約束もせずに急襲とはな。正直ムッとしているのだが、もてなさないわけにもいかぬ」
「そうぼやくな、魔王よ。私も別に鬼ではない。単なる野試合だから、この試合では大した物は賭けないつもりさ。互いの誇りでどうだ?」
「騎士と魔王の誇りならば、それなりに重かろうがな。余は別に問題はない。貴様が食客、余が菓子を作る側で良いのだな?」
「無論だ。私が菓子など作れると思うか。食べることしか出来ないのだからな!」
シリアスである。あくまでも二人ともシリアスではある。
だが途中から、楓は笑いをこらえるのに必死だった。
スイーツで戦うというアイデアを誰が出したかは知らない。けれど、平和な戦いは良いと素直に思った。
"ロゼッタさん、女子力低そう。美人さんなのにもったいないなー"
不謹慎ながら、そんな事さえ考えてしまう。
自分より背も高く、顔も綺麗ではある。けれど、どこかこう雑という印象があった。それはそれで野性味があって良いのだが。
この殺伐とした空気の中で、楓はどこかのほほんとしていた。いい根性である。
そんな彼女を放置したまま、会話はどんどん進んでいく。執行官の都合もあり、決闘は明日と決まった。場所の準備などもあるし、これは仕方がない。
「精々頑張るがいい、ロゼッタ・カーマイン。余が誠意を込めて作った菓子の前に、貴様が何秒耐えられるかな」
アランシエルは見るからに自信ありげだ。黄金の髪を翻し、彼はロゼッタを見下ろす。赤い瞳が煌々と輝いていた。
「ふ、楽しみにしている。間者から聞いたぞ。しばらく魔族領を留守にしていたらしいな? 菓子作りの修行でもしていたと見るが――まあいいさ。全ては明日分かることだ」
清々しいまでに挑発的な台詞を残し、ロゼッタは背を向けた。
彼女が期待に満ちた顔をしているのを、楓は見逃さなかった。
実のところ、美味しいスイーツを楽しみたいのだろうか。負けないという自信があるなら、それも頷ける。
「ところで一つ聞いておこうか、魔王よ」
「何だ?」
「明日、何時にどこで決闘だったかな?」
ロゼッタが去り際に投げかけた問いに、アランシエルは思わず膝から崩れ落ちそうになる。端正な顔を微妙に歪め、吐き捨てるように答えた。
「正午ちょうどに、この城の中庭だ! 雨が降っていれば、中に案内してやる! さっきまでそれを決めていたんだがな、貴様の記憶力を疑うよ!」
「ふ、女の失敗を許さぬとは無粋な男だな。そんな狭量では、そこのチンチクリンの助手にも逃げられるぞ?」
「 い、一度ならず二度までもチンチクリン呼ばわりってー! なんなの、ちょっと自分が背が高いからって!」
「いやあ、照れるなあ。そう誉められると」
途中から自分に振られ、つい楓もカッとなった。
しかしロゼッタは平然としている。大した面の皮の厚さだった。
アランシエルの方を向くと、目が合った。お互い一つ頷き、赤髪の女騎士の方へと視線をぶつける。
「いいか、ロゼッタ・カーマイン。貴様のその無礼な態度も、明日の正午までだ。余とこの助手のカエデのスイーツの力、思い知らせてやる」
怒気を隠しもせず、アランシエルが言い切る。
「チンチクリンかどうか見せてあげるわよ。その貧弱な記憶力でも二度と忘れないようにね!」
目を吊り上げながら、楓が指を突きつけた。お行儀が悪いとは思ったが、これは流石に相手が悪いだろう。
アランシエルがぽんと肩を叩いてくれたのが、せめてもの救いだ。
「ふふ、良い勝負になりそうだな」
そしてロゼッタ・カーマインは今度こそ、その赤髪を翻して消えた。
† † †
「いやあ、相変わらずムカつく女だねえ。やっぱり三年前に倒しておくべきだったかなあ」
「過去は変えられぬ。無駄な後悔は止めよ、グーリット。とはいえ私も同じ思いではあるがな」
グーリットとエーゼルナッハが喋っている間、アランシエルは沈黙していた。いつもの黒い魔王専用の礼装から、白いコックコートに着替え済みだ。楓も同様である。
「あの、アラン」
恐る恐るといった感じで、楓は問いかける。
魔王はうっすらと左目だけ開けた。相変わらず口は閉じたままだ。
拒否されてはいないと解釈し、楓はそのまま話しかける。
「明日の勝負だけど、何のスイーツで勝負かけるの? あのロゼッタっていう人、かなりの味覚の持ち主って聞いたけど」
「案ずるな、カエデ。それは織り込み済みだ。確かに奴は手強い。だが、余が地球で学んだスイーツは食べたことがない。普通にやれば必ず勝てる。過信ではない、確信だ」
沈黙を破り、アランシエルが答える。その赤い目は闘志に燃えていた。
ルビーを思わせるその輝きに、思わず楓は息を飲む。「それならいいけど」と言ったのは、そんな自分への反発もあった。
「スイーツ決闘にも種類がある。作るスイーツに指定がある場合とない場合だな。今回は後者だから、余がどんなスイーツを作っても構わんということだ」
「え、じゃあスイーツのフルコース出しても問題ないの?」
この楓の問いに答えたのは、意外にもグーリットだった。
「そいつをやれば必勝だろうな。けどな、嬢ちゃん。そいつは今回は悪手だぜ。ただの手合わせだからな。こっちの手の内を必要以上に明かすと、後で辛くなるのさ」
「あ、なるほどね。相手も学習するってことか」
「そうそう、飲み込みが速くて助かるぜ。それにな、あんまりスイーツの材料使われるとよ。俺が地球に調達しにいかなきゃなんねえんだよな......面倒なんだよ」
そう答えた後、グーリットは遠い目をした。時空魔法というのは余程しんどいのだろうか。楓には分からないが、何となく聞きそびれた。
その間にエーゼルナッハが口を開く。重く渋い声が、老いたダークエルフの唇から響いた。
「して、アラン様。推測しますが、一つは今日作ったケーキが余ってましたな。ケーク・マーブルでしたか。あれを使いますか?」
「うむ。一日置いた方が、ケーク・マーブルは美味しいからな。それはそれで使う」
「ほう、と言いますと?」
「一品だけでは不足かもしれん。わざわざ魔王城までご足労いただいたのだ。もう一つくらいくれてやる」
アランシエルは立ち上がった。楓もグーリットもエーゼルナッハも、自然とその威厳に背筋を伸ばす。
白いコックコート姿の魔王は、にやりと笑いながら言い放った。
「もう一品は、冷たい菓子でいく。楓、キッチンへ行くぞ! ロゼッタ・カーマインに目にもの見せてやろう!」
「了解っ!」
方針は決まった。
だから後は――技術の粋を尽くし、極上のおもてなしを作るだけだ。




